【153】 源氏物語千年紀 「石山寺」               2008.11.30
 
 今年は紫式部が「源氏物語」を著してから1000年目にあたるとか。この寺に篭ってその構想を練ったといわれる「石山寺」を、紅葉のうちに訪れたいと思っていた。源氏物語にはひと講釈ある奈津子と、最近マンガの『源氏物語 あさきゆめみし』を読んだ真美ちゃんがが一緒に行くと言う。

 午前6時30分、奈津子の車で出発。そのほうが燃費が良いし、しかも運転してもらえる。ガソリン代と高速代は章くん持ちという契約が成り立っている。「ETCがついてないのよ」と奈津子は言うが、北海道まで行くわけでないから割引なんて知れている。「もうじき民主党が政権をとるから、今さらETCなんてつけるなよ」と章くんはどこまでも無料派だ。


← 東大門 【拡大】



 途中で朝食を食べたりしていて、石山寺へ到着したのが9時30分を過ぎた頃。でも、ほんの5分ほど待っただけで、駐車場に入ることができた。お昼過ぎの帰りがけに見ると、百台近い車が信号を2つ越えた先まで伸びていて、300〜400mほどの列を作っていたから、この人たちは少なくとも2時間以上は待たされていることだろう。『早起きは三文の得』とは、このことか。

 
    
門をくぐると、紅葉のアーチが出迎えてくれた。 →


    
夜間ライトアップも行われていて、道の両側には
    露地行灯が置かれている。
 





 参道に沿って「宝性院」「法輪院」などの僧坊や、「拾翠園」「公風園」などの庭園が並んでいて、それらを会場に、源氏物語ゆかりの品々が展示されていた。
 

← 源氏物語千年紀イベントの飾り

 
 




 
     
   境内は120%の紅葉… →

 

   









← 「淳浄館」紫式部恋歌つづり展



 源氏物語の中にある代表的な和歌を、源氏物語絵巻のそれぞれの巻の部分絵が描かれた画幅紙に書き、生け花などを添えて展示している。
 和歌それぞれの味わいもさることながら、綴られている文字の優美さにも、こころ見開かされる思いがした。
  

← 「密蔵院」 千年未来館
 

  ロボットの「MURASAKI」が、来場者に源氏物語や
 石山寺の歴史を語って聞かせる。


  
 
 


 
「明王院」
  田辺聖子源氏物語文学館 →



 源氏物語のさまざまな場面が壁紙に描かれて展示されていた。
 いちばん右の絵を見て奈津子が、「『六条御息所』ね。光源氏の愛人となるンだけれど、思い募って悶死し、正妻「葵の上」をとり殺すのよ。源氏物語の女主人公のひとりね」と解説してくれる。


 「明王院」をあとにしてさらに奥へと進むと、右上の高台の紅葉の中に本堂の屋根が見えてきた。
 

← 下の参道から見上げた、紅葉に包まれた本堂


 本堂下の急な石段をあえぎつつ登りきると、目の前に巨岩が聳えていた。 
 
 

         
【拡大】↓    【拡大】→
 
  








 











 「石山寺」は、滋賀県大津市石山町にあるお寺だからその名前がついているのだと思っていたのだが、この一帯は大きな岩山でできていて、この寺は、文字通り石山の上に築かれている。まずは「石山寺」が建てられて、そこから石山の地名が起こったということなのだ。 ←【拡大】
 この寺の開山は古い。東大寺大仏建立の発願に由来するというから、奈良時代のことだ。石山の上に仏像を置いて、大仏の体に貼る金箔の勧進を願ったところ、仏像が石山から離れなくなり、そのままここに庵を編んだと、ものの本に書かれていたように思う。  




 

← 正面の巨岩から左を向くと、手前に
 「蓮如堂」、その奥の石段を上ったと
 ころに「本堂」がある。

 
 






 
 
 
 本堂の縁から下を見下ろすと、伽藍の屋根に
 紅葉が降り積もって、錦綾なす… 【拡大】

 

 本堂の裏手を登っていくと、「多宝塔」「心経堂」「宝物館」などが並んでいる。

 
← 国宝「多宝塔」 【拡大】


 えもいわれぬ優美な姿のお堂だ。本堂下の広場から見上げたときに、巨岩の上に鎮座ましましていたのは、このお堂である。
 石山寺は戦国末期に本堂などを兵火で焼失しているが、戦災を受けていないので、たくさんの遺品・資料が残っていて、国宝も数多い。





 
 
   
逆光に映える、本堂裏手の紅葉 【拡大】


    二人のシルエットが、往く秋の中へ
   溶け込んでいった。




 ↓ 月見台左手は断崖… 【拡大】 
  




















 石山寺の月見台から見る名月は、近江八景のひとつ「石山秋月」といわれて、ひときわ美しいとされる。
 
その月見台がこれ。「玉座」と書かれていたから、天皇陛下しかこの台上には上れないのではないか。この左手は瀬田川に向けて断崖になっていて、眺望が開けている。下々のものは、この庭から月を愛でたのだろう。
 
心経堂 更に登っていくと 宝蔵

 
 





 












← 「豊浄殿」前の紅葉

 


 「豊浄殿」内に、源氏物語の主な登場人物と題する相関図が展示されていた。→
 ざっと数えて約50人…、やっぱり大作なんだ。



 


                
紫式部の直筆、写経 【拡大】


  きっちりとした文字が並んでいて、几帳面な性格だったのだろうと
 思わされた。こりゃぁ、ダンナはたいへんだなぁなんて、余計なこと
 を考えたりした。

 




← 境内の最奥部にある「紫式部像」と、うしろは「光堂」

 
 この像の紫式部は、細面の現代美人である。平安時代はお多福顔がもてはやされたということだから、ちょっと生まれてくる時代を間違ったか。まぁ、この顔が本人のものであるという保証も全くないわけで、騒ぐ必要もないかな。
 
 


 
帰り道、参道から
   仰ぎ見た本堂 →

  

 
 


 

山門へと戻る帰り道



落葉が足元でカサコソと音を立てて、往く秋への名残りを奏でていた。





                  「拾翠園」庭園 → 


  京都の「叶匠壽庵」が茶店を開いていて、抹茶をいただいて
 きた。謹製のお菓子をつけて735円は、高いか、安いか。

 

 
門前のみやげ物店がイベントに呼んだのか、舞妓さんが来ていました。なかなかにキリッとした顔立ちの別嬪さんでしたよ【拡大】


 時刻は午後1時、もう少し舞妓さんを見ていたかったのだが、なんか気恥ずかしくて、早々に車に乗ってしまった。
 この頃には駐車場に入ろうとする車が、長蛇の列を作っていた。あの車の人たちは、今日のうちに入山できただろうか。ライトアップも行われていたから、夜の部に入ったかもしれない。


 

 帰り道は瀬田川沿いに南下…、河岸の紅葉が見事だった。【拡大】
 信楽で人気のソバ屋に入って、遅い昼食をとった。

 
 














 
 
 道端の陶器店に寄って、湯飲みを買ってきた。


← かなり大ぶり。直径が
 13cmあるが、この大
 きさがいい。
  でも、とても軽くて、
 手になじむ。下の茶托も
 ついて2835円。



 奈津子は蓋つきの信楽湯飲みを、真美はセラピーの咬合を買った。


 午後5時、津へ戻って簡単に食事をして解散…。クロネコヤマトが閉まるまでに、荷物を出しに行かなくてはならなかったンだ。



【152】  斑 鳩  2008 秋               2008.09.22 

 
 良いお天気に誘われて、斑鳩を歩いてきました。


 お昼過ぎに家を出て、法隆寺に着いたのが2時過ぎ、まずは、中門を守る「金剛力士像」にご挨拶…。

 宝蔵の奥深く、久しぶりにお目にかかる「百済観音」は相変わらずスラリと八頭身です。
 
 中宮寺の「如意輪観音(僕が学生時代には、この仏様は弥勒菩薩と伺っていたのですが)」にもお参りして、ご無沙汰をお詫びしてきました。


 門前のお店に入ってコーヒーを飲んだあと、田んぼの中の
道を歩いて「法輪寺」へ向かいました。


← たわわに実る稲穂が頭を垂れる上を、
 秋風が渡っていきます。



       「発起寺」へ向かう道すがら 
            コスモス畑がありました 











    コスモスの花の上に浮かぶ三重塔 →


 聖徳太子も この光景を愛でていたのかと思ったのですが、家に帰ってからコスモスを調べてみたら、『メキシコ原産、明治20年ごろに日本に渡来…』とありましたから、奈良朝の人たちは、コスモスと三重塔は一緒に見ていないですね。




 夕色迫るなか、法隆寺へ戻って、
簡単に食事…。

 
 
 







 外へ出ると 見事な夕焼けが空を覆っていました →


 堀 辰雄は、その著書「大和路」の中で、「斑鳩は道端の草むらの一本一本に八百万の神がおわして、道ですれちがう人々の表情も優しく穏やか」と書いていたが、ここには日本の原風景があって、人生の喜びや悲しみの場面で、あるいはふと疲れたときに、人はこの地を訪れ、それぞれの思いを明日へとつなげていくのだろう。
 見上げれば、大きな夕焼け…。明日はきっと良い日だ。
                           



【151】 貴 船 川 床  〜 蛍になりたい 貴船川 〜      2008.08.12


 立秋も過ぎたというのに、少しも暑さが治まらない。一服の涼をと思い立って、京都へ走っていった。貴船の川床で昼食でも…という算段である。
 
 午前9時を少し回った頃に家を出て、途中でコーヒーを飲んだりしながら京都の友人宅に着いたのが11時過ぎ…。新名神の開通で、京都はずいぶんと近くなった。そのまま友人を乗せて、貴船へ向かう。
 叡山電車鞍馬線の貴船口駅を過ぎると数分で、貴船の旅館街が見えてくる。川沿いに軒を並べる料理旅館の各店がそれぞれに貴船川の上に床を張り、客席をしつらえていた。
 友人が無理を言って取ってくれた予約は午後1時…。店の駐車場に車を入れてからまだ小一時間ほどあったので、貴船神社へお参りすることにした。このお宮は、全国に500社も点在する貴船神社の総本宮である。


 朱塗りの鳥居をくぐって、春日灯篭の並ぶ石段を登ると、やがて神社の表門が見えてくる。
 社伝によると、神武天皇の母后「玉依姫」が大坂湾から黄色の船で淀川をさかのぼり,賀茂川からさらに水源を求めてこの地に到着して社を建てたので、ここを「黄船」というとある。
 本堂は最近改修され新しくなっている。ご祭神は「高おかみの神」といわれ,水を司ることから,日照りや長雨の祈祷を受ける神事が多い。
 本堂のそばの岩から湧き水が出ている。ご神水といわれ,弱アルカリの良水で,汲み置きしても1年は味が変らないとか。
 この神社のおみくじは「水占(みずうら)」といって、みくじの紙を水に浮かべ、濡れると浮かび上がる文字を読む。水の神様だから、おみくじも水で浮かび上がる趣向で、なにやらゆかしい。


← 貴船神社のおみくじ「水占(みずうら)」
 
 
 昨年秋に2度もお参りしたから奥の院は失礼して、店へと取って返した。予約の時間に少し早くて、控えで少し待った。
 京都市内の気温は今日の予報では36℃、ここまで来ると気持ち涼しい…。料理を運んでくれた仲居さんは、「市内とは確実に5〜6℃は違います。時には10℃ほども…。」と言う。う〜ん、床下を流れる清流の瀬音にも涼しさが感じられる風情を加味して、やっぱり貴船は爽やかな涼感の漂う、京の離れ座敷という存在なのだ。

 先付けに続いて、八寸は川えび素揚げ・焼目栗・唐墨など、造りは氷鉢に鮪・鱧梅肉添え、吸い物は鱧の骨から出汁をとった潮汁、夏野菜の冷し鉢、焼き物は鮎の塩焼きを大笊から取り分けてくれる。
 一息入れて強肴に殻付ずわい蟹と雲丹。強肴が付くということは後で抹茶のおもてなしがあるかも…。
 お凌ぎはもち米の鰻・穴子添え蒸し、季節の野菜にアマゴの唐揚げをあしらった揚げ物のあとは、箸洗いの吸い物。
 ご飯をいただいたあと、「冷たいお抹茶、いかがどす」と聞かれ、有り難く頂戴してきた。
 今日の料理は茶懐石のコース…、突然の訪問にも心づくしのもてなしをしてくれる接待の爽やかさも、貴船の涼感のひとつなのだろう。


 今は涼しげな水音を立てて床下を流れている貴船の清流だが、まとまった雨が降った後などは川があふれて、この旅館街も過去何度か家屋を流される被害に遭っているという話を聞いてきた。
 貴船川はこの旅館街から5kmほど登った芹生峠から流れる出る短い川なのだが、多くの枝谷があって、集中豪雨にあうと一気にこの川が増水するのだそうだ。昭和34年の水害では、流木が川を堰き止めて水があふれ、たくさんの旅館が流される被害に遭ったとか。


 そして、貴船といえば平安の昔から幾たびも歌や物語に登場した歌枕の地でもある。
 旅館街を後にして貴船路を下ってくると、叡電「貴船口」の手前に赤い柵で囲われた大きな岩がある。「蛍岩」と呼ばれ、傍の説明板によると、平安の女流歌人「和泉式部」が貴船神社に参詣して恋の成就を祈り、「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」と詠んだのが、この蛍岩の近辺であったらしい。
 蛍の盛りは6月半ばの入梅から7月7日の貴船水まつりの頃。昔は蛍岩から貴船神社にかけて、川沿いのどこででも蛍の乱舞を見ることができたそうだが、最近はめっきり数が減っているという。


 僕は今、カラオケで「貴船川(きぶねがわ)」(歌、三代沙也可)という歌を、持ち歌のひとつとして歌っています。この歌、知ってますか?
 『 あなた ほら あなた 蛍です … 待って 待って 一年待って 思いを遂げる夜だから 蛍になりたい 貴船川 』と女心を切々と歌った歌詞なのですが、この歌に魂を入れて完成させるためにも、来年はホタルを見に来なくてはいけませんね。 ン…、その前に一緒に来る人を探さなきゃ…。




【150】 幻の穂高連峰横断  − 新穂高〜白川郷 −   2008.07.27-28


 連日気温は35℃を越え、うだるような暑さが続く。こりゃぁ、高いところへ行くに限るかなと思い立って、穂高連邦の横断を思い出した。去年の秋に新穂高ロープウェイで奥穂高岳の裏手「西穂高口駅」へ上ったとき、西穂山荘があまりに近くに見えたので、穂高連峰を横断して上高地へ降りてみようと、その時に無謀な(?)計画を思いついたのだ。【参照】
 その後、体を鍛えたこともなく、縦走に備えて毎日のウオーキングをこなしてきたわけでもないけれど、まぁ、何とかなるだろ。穂高縦走を敢行しようとなると、奥飛騨温泉郷から上って上高地へ降りていくわけだから、誰かに車を回してもらう必要がある。遊んでいる友人を、「涼しいぞ」と誘って、奥穂高へと向かった。

 
 午前7時30分、鍋平駐車場へ到着。ここ「しらかば平駅」からの上り始発は8時45分、まだ1時間少々ある。途中で買ってきたチョコレートやビスケットをほおばり、ペットボトルの紅茶を飲んでロープウェイが動くのを待った。
 今日の飛騨地方の天気予報は、晴れ時々曇り。朝は薄雲がかかっているようだが、やがて陽が上れば晴れてくるだろう。
 予定は、頂上駅の「西穂高口」までロープウェイで行き、天気を見てOKならば僕はそのまま西穂高荘へ向かって歩き、稜線を越えて上高地へと下る。西穂高口から西穂高荘までの予定時間は2時間…。ガイドブックには1時間30分と書いてあるが、僕のゆっくりペースでは2時間はかかるだろう。
 山荘から稜線沿いに西穂高岳に登って、涸沢を下ってくるのが望みなのだが、山荘から西穂高岳の頂までは1000mの標高差がある。山岳部にいた友人に話を聞くと、その尾根道は結構きついと言う。今年は、ちょっとやめておこう…という結論に達して、山荘から上高地へ一気に下ることにした。これが2時間として、途中の休憩を入れても5時間ほどの行程だ。


 一緒に来た友人が、車を上高地の下の駐車場へ回してくれて、帝国ホテルへ先回りしてくれる手はず…。「夕方までに下りていかなかったら、山岳救助隊に出動を要請してくれ」とも、頼んである(笑)。
 やがて8時45分、始発のゴンドラに乗って「西穂高口駅」へと向かった。頂上駅まで、友人も同行する。


← 上るにつれて、雲行きが怪しくなってきた。


 頂上駅へ着いて屋上展望台へ出てみたら、山々は一面の雲に覆われている。目指す西穂山荘も雲の中だ。気温は13℃、この涼しさだけで来た甲斐があるというものだが、あと天気が回復すれば申し分ない。  
 
          
頂上駅の屋上展望台から →


 スタッフのお兄ちゃんに尋ねてみると、「山荘は雲の中で見えませんから、尾根一帯はガスっているでしょうね。初めてですか…? 途中もガスがかかっていますから見通しは利かないですね」と不安をあおる答だ


 穂高へ入る人たちのパーティも何組かいたが、みんな大きなリュックを背負った重装備であって、磁石も持っていない手ぶらでスニーカーといういでたちは、僕ぐらいのものである。
 友人と、あたりをぶらぶらしながら天候の回復を待った。黄色や紫の高山植物が、茂みから顔を出している。


       
しかし、雲行きは悪化の一途… →


 「これでは、熊笹の中で方向を失って、救援要請確実やなぁ」と、友人は脅す。僕も、初めての3000m級の山…、ちょっとビビッている。
 約1時間ほど粘ってみたが雲が切れることはなく、今日のところは諦めて下りることにした。
 「命拾いしたなぁ」と友人は笑う。「今度は君も行けよ。死なば諸とも、道連れや」と言うと、「誰が、車を回すさ」と断わられた。
 

 お昼、駐車場へ車を置いて乗り合いバスで上高地へ入り、帝国ホテルで昼食を摂った。
 「ここでご飯を食べるというのは予定通りやなぁ、昼食と夕食の違いはあるけど…」と友人はまた笑う。予定では午後3時ごろに、ここで落ち合うことになっていた。


← さすが人気の帝国ホテルだ。この夏の宿泊は
  もう予約でいっぱいだと言っていた。
ハヤシ風オムライス(2940円)
僕が頼んだステーキピラフ(3150円)
は食べ始めてから、写真を撮るのに
気づいて、食べ散らかした写真にな
ってしまったのでカット…。      
                 
 
 『夕食ならば「ダイニング・ルーム」。でも、昼間はやってないから、昼食はここ「アルペンローゼ」…。料金、安くて済んだジャン』と僕はほくそ笑んだのだけれど、よく考えてみれば、夕食ならばここ帝国ホテルで食べる必要はない。穂高から下りてくれば、ここでお茶するなどしてから、平湯温泉の宿へ走っていけばよいのだから…。
 でも、ここ「アルペンローゼ」も上高地の雰囲気を色濃く漂わせた、山小屋風の人気のレストランで、カレーライス(2625円)が味が良いと評判の、お薦めスポットである。僕たちが席に案内されてから程なく、満席になってしまった。


 食後、大正池〜田代湖のあたりをぶらぶらと歩いてみた。
大正池、右の山が焼岳 鴨の親子 河童橋。雨が…。















 
 
 
 午後3時30分のバスで駐車場へ戻り、今夜の宿、新平湯温泉「山ぼうし」へ向かった。
 上高地から平湯温泉までは、安房トンネルを抜けて30〜40分ほどである。古い飛騨の民家の柱や梁を使った造りだが、建築はまだ1〜2年前で新築と言うべき宿である。
「山ぼうし」の看板


 
ロビー 露天風呂



















 まずはお風呂へ…、大浴場に続く露天風呂がなかなかの情緒だ。

 
前菜の八種盛り合わせ。
向こうに囲炉裏が…。
飛騨牛のお寿司
生とあぶりの2種類
飛騨牛のステーキ
(鉄板焼き)
飛騨牛のパイ包み
和風シチュー
 夕食は、人数に合わせて個室の食事部屋が用意されていて、献立は…、
『前菜…八種盛り合わせ、
 山ブドウの食前酒
 五平もちと岩魚の囲炉裏焼き
 刺身盛り合わせ…河ふぐが珍しい

  (なまずの一種らしい。味は
   カンパチっぽかったかなぁ。)
 飛騨牛のお寿司
 飛騨牛のステーキ(鉄板焼き)
 飛騨牛のパイ包み和風シチュー
 天ぷら盛り合わせ
 おこげ入りのかまどで炊いたご飯
 具だくさんのブタ汁
 デザート…マンゴーと白桃のアイス』
 …で、お腹いっぱい。
  
 
← これは貸し切り露天風呂。
  鍵がついていて、空いているときは 何時間でも
  借りていられるので、家族連れなんかによい。



 この宿は全10室…。めったに他の泊り客とは顔を合わさない。
 とてもゆったり、静かに過ごすことができる。… 熟睡 …。
  
 
 
第2日目  今日は、朝から雨模様…。ここ何週間も雨の気配
  すらなく、暑い日が続いていたのに、今日にかぎって雨たぁ
  何事だぁ。

 おはよー! これが朝食… →


  
朝からこんなに食べられない。


← 宿を出て、20分ほど走ったところにある「平湯大滝」へ寄ってみた。
 高さ約60m、幅7mという堂々たる滝で、飛騨三大名瀑のひとつだとか。毎年2月15日から、凍りついた滝がライトアップされる、「平湯大滝結氷まつり」が行われるというから、冬にもまた出かけて来なくちゃ。

 
 今日は471号線を走り、旧古川町から天生峠を抜けて、世界遺産「白川郷合掌集落」へと向かった。


 白川郷は何度も訪れているが、それぞれの季節によって、いつも異なった表情を見せてくれる。
 今日、水田の緑濃い風景の中にたたずむ合掌集落の姿は、古き良き日本の原風景を語りかけてくれているようで、とても懐かしい思いであった。




← 雨に煙る白川郷(展望台から)


 東海北陸道の白川〜清見間が開通して、全線が完成した。今日は開通した区間を走って、帰途に就いた。

 
 
   郡上八幡を
   過ぎた頃、
   雷が轟き、
   土砂降り→



 郡上おどりは、もう町のどこかで始まっているのだろうか。
 今回は果たせなかった「穂高横断」に挑戦することや「おわら風の盆」「秋の高山祭り」などなど、全通なった東海北陸道を今年も何度か走って、飛騨・北陸を訪ねることにしよう。
              


【149】 奈良公園の鹿くんたち           2008.07.11


 名張で仕事を終えたのが午後2時過ぎ、お腹はペコペコ…。伊賀肉の「三太夫」に電話を入れると、「やっています、どうぞ」と言っても
らい、遅いお昼にありついた。
 

    肉汁たっぷりの伊賀肉で、
     夏を乗り切れそうだ →



               
かやぶきの中門の前は、夜は赤々とかがり火が炊かれる ↑
 

 奈良の神社への月参りと、学生時代の友人と久しぶりの夕食を一緒にするために、奈良市へ入ったのは、午後5時を過ぎようとしている頃…。あわただしく、でも、心を込めて神様に参拝したあと、奈良公園へ向かった。鹿くんたち、どうしてるかなぁと気になったからだ。
 車が奈良公園の敷地内へ入って、奈良ホテルを過ぎても、道の左右には1頭の鹿くんもいない。もう6時過ぎだから、みんな寝に行ったのだろうか。県庁前を右折して、国立博物館の横を走ってみても見かけない。
 大仏殿前の交差点をそのまま直進して左手を見ると、新公会堂前の芝生の上に、いる…いる…。総勢100頭を越えようかという大集団だ。えさをついばみながら、芝生の上をなめるようにして進んでくる。


 鹿たちの集団の中に外人の女の子が2人いて、交互に写真を撮り合っている。「I would help you to take a picture?」と声をかけたら、「オネガイデキマスカ?」と流暢な日本語が返ってきた。5枚ほど、バシャバシャとシャッターを切っておいた。


     もうじきおネムの時間。その前にお食事だ →


 これはケイタイの写真。ちょっとピンボケ ↓ 


 
 




 
今年生まれたばかりのバンビもいます ↓
 






 
 
交差点を渡って、お寝み処へ向かう鹿くんたち ↓








      「万葉荘」にて夕食 ↓









  
  
 7時30分、NTT奈良にいる友人と落ち合って、高畑町の「万葉荘」にて夕食…。昼が遅かったので、あまりお腹も空いていなかったのだが、刺身はまず鯵と鰹たたき、つづいての鱸の洗い盛りは細かい手が入っている。焼き物は薄塩の鮎、椀物にはキヌガサ茸のスープ鍋など、次々と旬の食材が運ばれてきて、思わず箸が動く。



← 積もる話と料理を堪能して表へ出たら、すでに外は夜の帳が立ち込め、店のすぐ横にある鏡池の浮き御堂には灯りが入っていた。
 

 帰りがけ、池のほとりに車を停めて、湖面に映る御堂の幻想的な光景に見とれていたら、鹿くんが寄ってきた。
 
 

 




 
 
 小鹿たちは警戒しているのか、遠くから眺めている→
 
 
 車に積んでいたロールパンを取り出して与えていたら、暗闇から次々と姿を現し、アッと言う暇に20頭ほどの群れになった。そのうちの、立派な角の生えた大きなオスの鹿くんには、車の窓から顔を突っ込まれておねだりされ、瞬く間に6個入りの袋は空になってしまった。
  





【148】 伊賀上野城(藤堂高虎入府400年祭)と常住寺(精進料理)  2008.07.05


 藤堂高虎が、津・伊賀の城主として入府して、今年で400年を迎える。今日は、伊賀上野で会合があり、高虎が築いた上野城の解説を受けて見学、そのあと市の西郊外の小高い山のふもとに位置する常住寺で精進料理をいただいてきた。


← 400年祭記念展が開かれている上野城

           見学の前に、レク
チュアーを受けた →



 この城は、大阪夏の陣を前に大阪攻めの先鋒の城として造営、築城の名手であった高虎は30mの高石垣を持つ堅城としてこの城を造った…などは、津・上野の人ならば誰でも知っている。
 が、この日の説明で、滋賀の郷士の子であった高虎が一代で得た津藩32万石は、一国一円十二家(前田、島津、毛利、池田、蜂須賀、黒田、浅野、備前池田、山内、宗、藤堂、松江松平)に列する大大名であったことを知った。
 大宝律令に定められた国を一国丸々領地とする国持ち大名は江戸期360余の大名家でも20家しかない。主を7度も10度も変えたといわれる高虎だが、家名のため、家来のため、そして天下の平和のために家康を仰ぎ、なお、武勇・築城・経綸に並外れた才能を持っていたからこそ、32万3950石を手にしたのであろう。


← 天守閣へ上がる階段。どこの城もそうだけれど、
  上へ行くほど急傾斜になり、この階段はまるで梯子だ。



 伊賀上野城の天守閣は、築城中に暴風雨に遭って倒壊、以後、再び構築されることはなかった。
 大正4年、三重県から衆議院議員に当選した川崎 克は私財を投げ打って天守閣の再建に取り組み、昭和10年に竣成した。


      川崎 克の肖像。明治期の政治家は偉かった! →


← 天守閣から、上野の
  市内を望む。



 午後0時30分、伊賀上野城を後にして、お昼を用意いただいている、「常住寺」へ向かった。
 
 
 

 上野市内を眼下に収める西の丘陵に鎮座する天台宗平野山「常住寺」は、県文化財「閻魔堂」(1660年(万治3年)藤堂藩2代藩主高次が建立)を擁している。


          前庭から上野市街を望む。
          正面に伊賀上野城が見える。 →

 

← 常住寺でいただいた精進料理。 この豆腐田楽のほか、
 蒟蒻など12品目の料理が並んでいた。



 肉や魚を一切使わず、湯葉や生麩、野菜などを具材としてつくられる精進料理。手の込んだ料理が並べられていて、質素というイメージには程遠く、鮮やかな色を添える梅干の天ぷら、干しシイタケとジャガイモの精進肉じゃがなど、居酒屋顔負けの創作料理のオンパレードでした。


 今回の設営を引き受けてもらった
 世話役さん心づくしの
               伊賀銘菓「五香(いが)の影」→

 

 胡麻・挽き茶・はったい粉・きな粉・紫蘇を上質のもち粉にまぶし、漉し餡をくるんだ菓子である。それぞれの粉の香りが、ほの甘い餡子を包み、口の中に広がる。
 文化の薫り高い地には、銘菓が作られ、伝承されている。




【147】 伊勢温泉ゴルフクラブのアジサイ 2008.06.13
 

 菓子屋の昭ちゃんが「三重県オープン」の予選に出場するので、「練習ラウンド、付き合ってください」と言ってきた。
 ここ半年、ろくにクラブを握っていない僕は今日、伊勢温泉ゴルフクラブ(ショートコース、パー29)へクラブを3本(7番、SW、パター)持って行って来た。


 昭ちゃんとの練習ラウンドの結果はまた報告するとして、ゴルフコースの隣に見事な「アジサイ園」が作られていたのに驚いた。明日から2週間、アジサイ祭りを開催するという。ラウンドのあと、見物に行ってみた。
 ( ゴルフのレポートは
    http://www.ztv.ne.jp/kyoiku/golf/72-azisai.htm へ )



  一面にアジサイが植えられています。【拡大】 
 


←向かいの丘には
 青色のアジサイ
 が…【拡大】





 
青いガクアジサイの中に
赤いものが…
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赤色の花はアルカリ性の
土壌に咲くらしい。

 







 
白いアジサイたちです。 【拡大】









 
 
 「日焼けしたところもあって、仕上げは必ずしも満足のいくものではないのですが…」と、花に水をやりながらおじさんが話していた。
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  でも、今年がはじめてのアジサイ祭り…。これから
 年々、花も美しくなることだろう。
  

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 アジサイは七変化と言われるように、咲いているうちにだんだん色が変化していく。そのためか、花言葉は「移り気」…。原産は日本で、もとは関東地方の海岸に自生していたガクアジサイ。その形からか、昔は「四ひら」と呼ばれていた。


 「 あぢさゐの 下葉にすだく 蛍をば 四ひらの数の 添ふかとぞ見る 」(藤原定家)


 今日よく見られる手まり型の花は、西洋へ持ち出されて改良された西洋アジサイで、花も大きく、色とりどりのものが造られた。華やかで派手好きな西洋人の好みに合わせて改良されてきたものが、日本に逆輸入され、今ではこちらが主流となっている。

 

← ガクアジサイ

  これだけ寄り集まって咲いて
  咲いていると、やはり圧巻で
  すね。
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 土壌が酸性だと花の色は青くなり、アルカリ性だと赤くなるという話はよく聞くが、もともとの日本の土壌は酸性であるため、日本古来のアジサイは青だそうだ。


 先日、ひろちゃんから、「私の周りには、青色のアジサイが多いような気がする」というメールが来たが、さすがはひろちゃん、あなたの観察眼は鋭いッ。




【146】 ほたる狩り(大紀町滝原)                2008.06.10


 紀勢自動車道の大宮大台ICを降りて、さらに南へ5分ほど走り、大紀町役場を過ぎてすぐを左へ鋭角に曲がると、「るるぶ ほたる鑑賞スポット2008」に選ばれた『語らいの里 噺野(はなしの)』がある。
 一帯(祝川(通称ホタル川)周辺 )は、地元の人が10年以上ゲンジホタルの幼虫を育てていて、この時期、放流している。
 津からは、伊勢自動車道〜紀勢自動車道と乗り継いで、40〜50分で着く。
 ほたるが多く飛ぶのは、湿気が多くて、風のない蒸し暑い夜だとか。今日は風もなく、天気は下り坂でムシムシしているから、ほたる見物には絶好の夜だ。


← 午後7時過ぎ、川べりに着いた。
  あたりは、だんだんと夕闇が…。





 夜の帳(とばり)が川面に垂れ込め、山肌が闇に沈むと、あちこちに黄色の小さな光が飛び交い始める。その光は、あたりの闇が色濃くなると輝きを増し、高く低く…点滅しながら群舞する。
 持っていた懐中電灯を暗闇に向けて点滅すると、それに呼応して湧き上がるような光の群れであった。


     川面に向けて、バルブ(開放)で撮ったもの →


 帰りはいつもの松阪で食事し、スナックへ顔を出すという、
定まりのコース…。
 

 そういえば、松阪が生んだ国学者「本居宣長」と、当時の国学の先駆「賀茂真淵」との出会い(いわゆる「松阪の一夜」)を詠んだ歌に、『ほたるとびかう松阪の、夏の夕べの旅の宿、初めてあいし碩学の、つきぬ話に夜は更けぬ』と、ほたるが登場する。




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