【170】
平湯大滝飛騨高山                 2009.07.19


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← 19日(日)、松本を出るときは雲も切れて、青空がのぞいていたのですが…。


 158号線が乗鞍の山懐へ入るあたりから雨が降り出しました。













 乗鞍に登っても何も見えないだろうから、お花畑を歩こうという計画は早々に中止して、長野県道84号線から岐阜県道5号線へ抜けるルートを走ってみようと、158号線を左折しました。
 30分ほども走ったでしょうか、乗鞍の中腹「三本滝休憩所前」で通行止め…。「この道は、これから先へは行けません」。


 仕方なく、もと来た道を引き返しました。でも、一帯は乗鞍火山帯の真っ只中…。たくさんの日帰り温泉があって、その一軒にゆっくりと浸かってきました。


← 「湯けむり館」。日帰り入浴700円、空気に触れると白濁する、硫化水素とカルシュウムを含んだ泉質で、なかなか良い湯でした。




 「前川渡」の信号へ引き返し、再び158号線へと戻りました。あとはひたすら坂道を登り、上高地の入り口である「釜トンネル口」を過ぎ、安房トンネルをくぐって岐阜県へと出ます。


 トンネルを抜けたところの信号を左へ曲がったすぐの左手に、「飛騨大滝」への入り口があります。そこから約2分、大滝公園村駐車場に車を停めて、さらに10分ほど歩くと、滝の音が聞こえてきます。


 大滝公園村駐車場の周囲には、みやげ物店や簡単な食事のできる店が3棟ほど並んでいました。「足湯」もありましたが、この日は雨が降っていたので、利用している人は誰もいませんでした。
 公園村から滝までの10分を歩きたくないという人には、乗合ミニバスが出ていて、料金は片道100円です。章くんは、もちろん歩き…。近頃は家でも、近場は歩き、1時間ほどの距離は自転車で走り回っているぐらいですから、歩くことを楽しんでいます。


← 噂にたがわぬ大きな滝で、遠くまで水の落ちる音が聞こえていました。


 冬は氷瀑した姿をライトアップするということですから、またバスツアーのお世話になることにしましょう。雪の山道ドライブは危ないですからね。


















  安房トンネルを過ぎて、平湯トンネルへ
 上っていく九十九折の坂道です。  ↓













 
 
 「平湯トンネル」を抜けると、高山まで下りの道が続きます。

 
 
 平湯峠を下ってくる途中、川の水の温度が高いために、水面に蒸気が発生する「川霧」を見ました。


川から白い霧が湧き上がってきます。 →



見る見るうちに、川から溢れそうになりました。

盛り上がった霧が、川からあふれ出して
、周囲の田畑や家々を包んでいきます。

 
あたりの風景は靄(もや)にかすんで、
とても幻想的な光景でした。


 
 午後4時30分、高山市に入りました。


 市営駐車場に車を入れて、市内を歩いてみました。


    雨模様にもかかわらず、上三之町あたりは
   たいへんな賑わいです。        →


















← 和菓子の大井屋の前でにわか雨に降られたので、店に飛び込んで、あぶらえ餅の抹茶セットとパリパリ最中をパクついてきました。
  





         店々の門口には花や植物が植えられて、
         観光客を迎えてくれます。      →

「卯屋」さんの店内は、ウサギでいっぱいでした。




 時刻は、午後6時になろうかというころ。でも、まだまだ観光客の姿は途絶えません。外国からのお客さんも、たくさん見かけました。
  
 
 そろそろ、帰ることにします。








 帰りの東海北陸道は「白鳥IC」の手前で20分ほどの渋滞がありましたが、あとは順調でした。  →
 


 ちょっと遠回りになりますが、美濃関JCTで東海環状線に乗り替え、豊田JCTから伊勢湾岸道を走って帰ってきました。
 もちろん、近道だけれど名古屋都市高速を走ると、均一1000円が途切れてしまうから…。


 努力の甲斐あって、帰りも1000円ポッキリでした!


【169】 美ヶ原 ニッコウキスゲ                  2009.07.18-19


  
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 「高速道路走り放題1000円」に釣られて、7月18日(土)、美ヶ原へ出かけました。
 
 

午前6時30分出発。雲は低く、雨模様です。
 
 
 伊勢自動車道〜東名阪〜伊勢湾岸道〜東海環状〜中央道と走って、10時10分、諏訪湖SAに着きました。 →


 ちょっとお茶したあと、諏訪ICで降りて1000円です。








← 諏訪からビーナスラインへ入って、蓼科を抜け、12時54分、白樺湖へ着きました。








 
 
        車山高原に着いたのが、
         午後1時25分でした。→


 車山の頂上は、雲に見え隠れする天候でした。それでもリフトに乗って、たくさんの人たちが頂上へと上っていきました。




 車山のスキー場を過ぎて5分ほど走った右手に、山肌を黄色く染めて咲くニッコウキスゲの群生が現れました。


 ニッコウキスゲが満開…。薄霧に包まれた高原は気温19℃と肌寒いほどの涼しさでした。








       車を止めて、花の間を歩いてみました。 →
 
 








← さらに10分ほど車を走らせると、展望レストランのあたりは、見渡す限りの黄色のじゅうたんです。






← 高原の涼風に吹かれながら、凛と咲くニッコウキスゲ
 
 
 
 










 裾のほうから上ってくる靄(もや)が、時々、山肌を覆います。
 ビーナスラインを行く車も、ほとんどがヘッドライトを点燈していました。


 「ニッコウキスゲ観察ツアー」を案内する添乗員の女の子たちは、上下の合羽に帽子をかぶって、完全武装のいでたちです。確かに、花たちの間を散策する人々は、長袖のウイドゥブレーカーやレインコートを着込んで防寒対策はバッチリ…。土産を売る店の衣料品コーナーで、長袖のコートを払拭している人が後をたちませんでした。それほど高原は涼しかった…、いや、寒かったのです。


 美ヶ原の「山本小屋」で引き返し、美ヶ原美術館へ…。奥外展示品を眺めながら物見石山へ登り、南・北・中央アルプスの山々を展望することができました。ようやく雲が切れてきて遠くの山々が輪郭を現し、足元には上田盆地が広がります。




← 美ヶ原美術館付近からの、北アルプス展望です。













 
 
   午後5時5分、暮れてゆく上田盆地です。→


 扉峠から扉温泉へ降りていきました。車一台がやっと通れる道は、折れた立ち木が道を塞いだりしていて、とてもワイルドでした。立ちふさがる倒木を、「よいしょ」と移動させたりしながら、「どこに宿があるんだ」とたどり着いた「明神館」は本日満室!。聞けば、人気の温泉宿とのことで、この時季に飛び込みは無理と言うものですか。
 
 
 さらに1時間ほど走って、今夜は松本泊まり。「アルモニーホテル」は、新築が嬉しい落ち着いたテルでした。
 内陸なのに、松本駅前の「王滝水産(寿司屋)」はネタも新鮮…。さすがは、国宝「松本城」を擁して歴史の彩りを漂わせ、西に北アルプス、東に美ヶ原を控える、観光の要衝です。
 夜の町を少し歩いて、11時過ぎにホテルへ戻りました。





【168】
日帰りバスツアー 上高地    2009.06.20
  

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 インターネットの旅行案内を見ていたら『日帰りバスツアー上高地、5400円』のページが目に留まりました。高速道路代・ガソリン代は込み、往復は運転する必要もなく寝ていてもいいのだし、おまけに弁当代も含まれていると書いてあるので、タダよりも安いんじゃないかと思って、早速申し込みました。


← 大正池と焼岳。 上高地へは近年も何度か出かけていますが、 
 いつもバスターミナルで車を降りるので、大正池界隈を歩くのは
 ホント久しぶりでした。


 この日、飛騨・安曇野の天気は晴れときどき曇り…、梅雨の真っ只中でも、雨ではありません。ただ、出発が四日市だったのが痛恨…と言うべきなのですが、考えてみれば我が家から徒歩5・6分の近鉄駅から電車に乗れば、四日市駅前の集合場所までは所要時間30分。最寄りの出発地へ行くのと、さほどの違いはありません。
 午前6時30分に家を出発、四日市駅前7時20分のバスに乗り込んで、伊勢自動車道〜東名阪〜名古屋高速〜東海北陸道と走り、ひたすら北を目指します。


「東海北陸道」、今日は土曜日、走り放題1000円ですが、白鳥IC付近の4車線拡幅工事以外は渋滞なし。   →

 
 バスの旅では、「東海北陸道」に日本一高い高速道路用橋脚(180m)があるとか、この道路の下り線(富山方面)のトンネルの数は56本だけれど、上り線(名古屋方面)は2本少なくて54本だとか、さまざまな知識を教えてもらうことができます。
 郡上八幡を通過するときには、日本の三大盆踊りを教えてもらいました。「郡上踊り」と「阿波踊り」…、もうひとつは、この項の最後に書いておくことにしますね(笑)。


← 高台の上に「郡上八幡城」が見えます。


 今年の「郡上踊り」は、7月11日から9月5日まで、のべ56日間の32夜を踊る予定とか。
 日程は → http://www.gujohachiman.com/kanko/ 
 
 









  
  
      
ひるがの高原SAにて →


 良いお天気で、大日岳もくっきりです。



 
 東海北陸自動車道を飛騨清見ICで下りて、中部縦貫自動車道に乗り高山ICへ。そこから158号線へ入り、平湯峠を下ると、間もなく安房トンネルをくぐります。
 僕は安房トンネルが開通する以前の158号線を何度も通りましたが、九十九折りの道を上り下りする峠越えの旧道は、片方は切り立った山肌が覆いかぶさるように迫り、反対側は目もくらむような断崖絶壁が続く道でした。越えるだけでも1時間…、大型車の対抗ができないので、観光時期にはバスやトラックは5時間も6時間も待機しながらこの峠を越えたといいます。冬場は積雪のため、閉鎖されました。
 それが、今はトンネルで5分…。飛騨地方に、関東からの観光客を一年中を通じて呼ぶことができるようになりました。でも、このトンネルは国道158号安房峠の直下、焼岳火山群中の活火山であるアカンダナ山南側の高温帯を通過しており、長野県側の工事では、火山性ガスを含む水蒸気爆発事故が起きて一時中断するなど、建設は困難を極めました。


 それでも現地調査から33年、着工から18年の歳月を費やし、当初は2005年度末に開通する予定であったのを、1998年2月の長野オリンピックに間に合わせるべく急ピッチで工事を進め、1997年12月に開通しました。


← 安房トンネル 平湯料金所。 無人で、お金を
 入れるとゲートのバーが開く仕組みです。



 
 安房トンネルを抜けると、すぐに上高地の入り口である「釜トンネル」口の信号です。


 
2005年7月に完成した 新「釜トンネル」 →


 旧釜トンネルは大正末期からすべて手掘りで建設工事が行われ、1933年(昭和8年)全長約520m、岩肌むき出しの狭く曲がりくねった隧道が完成しました。その後、改良工事が頻繁に行われてきましたが、その後も幅員は4.3mしかなく、しかもトンネル内は最大16.5%の勾配や、途中にクランク状の急カーブが存在する、狭く険しいトンネルでした。このため、トンネル内は片側交互通行で信号があり、15分ほども待たされることもありました。
 1999(平成11)年9月、釜トンネル付近で大規模な土砂崩れが発生して、上高地は孤立し、観光客などが一時取り残される事態となりました。その後、トンネル内を歩いて通行できるようにしましたが、自動車による往来は長期に亘り不可能となったのです。
 この事態をきっかけに新トンネルの建設が決まり、2001年2月から建設が始まりました。まずは崩壊区間の代替道路として釜上トンネル(全長605m)が2002年8月に完成し、旧トンネルと接続して自動車通行が可能になりました。続いて釜上トンネルの先につながる形で旧トンネル全体を迂回するトンネルの建設が行われ、2005年7月に完成。新しい釜トンネルは全線2車線、歩道つき、全長1310m、高さは4.7m、勾配も10.9%%に緩和され、2階建てバスの通行も可能になりました。


← 焼岳の影を映す大正池


 このボート、1時間800円です。
  


 後ろを振り返ると、穂高連峰の雄姿が輝いていました。
 今日は稜線もはっきりと見えています。   →

 


 
 大正池は、活火山である焼岳が1915年に噴火したため、梓川がせき止められて誕生した池です。
 池にある立ち枯れの木々は国の天然記念物に指定されています。  
 

  大正池を泳ぐカモ →


 結構人馴れしていて、近づいても逃げない。

 
 
 
 林間を行く遊歩道 ↓  

湿地帯では橋が ↑









  






 樹間を抜けると、草原が広がっていました。
  ツツジの花の赤色が、一帯の緑の中に浮き出て
 色鮮やかでした 


      後ろの六百山や霞沢岳からの
      伏流水を流す 田代池  ↓















 この写真は、「水溜り」を写したものではありま
 せん。                  →
 茶色の土の上は、一面に水が流れているのです。
 水が透明なので、土がむき出しになっているかの
 ようですね




 田代池は、大正池と同じように、大正時代に焼岳の噴火により流れ出た溶岩が千丈沢をせき止めてできた浅い池であり、周囲は湿原になっています。湧水を流しているので、水面に北アルプスの山並みが映るほど水の透明度が高く、流れは清冽です。



 梓川を田代橋で(上流に向かって)左岸へ渡りました。


← 清水屋ホテル。帝国ホテルと五千尺ホテル、そして
 ここ清水屋ホテルのケーキが美味しいと聞きました。

















          
田代橋の上からパチリ →
 







← 上高地の素晴らしさを日本と世界に広めた
 ウォルター・ウェストンの碑があります。
  
 










      
やがて、河童橋が見えてきました。→




 橋を渡って、右岸へ…。



 
   定番! 河童橋の上からパチリ…。
 














 河童橋の東詰「五千尺ホテル」へ、手作り
ケーキが美味しいと聞いて入りました。

 
  
  ケーキはそれなりに美味しかったのですが、ホッ
 トコーヒーが香りもなく、ただやけに渋いだけで、
 飲めたものではない。こんな不味いコーヒーは、久
 しぶり…。「五千尺ホテル」ともあろうものが、何
 てコーヒーを淹れているんだ!



 また河童橋を左岸へ渡り、50mほど上流へ歩きました。そこが、梓川と穂高連邦が見事に重なる絶景ポイントだと、以前の訪問時に発見したのです。
 で、そこからパチリ…。ちょっと雲が出てきました。


 そろそろバスの集合時間です。上高地での自由時間は2時間40分。大正池から田代池…、左岸へ渡ってホテルの売店をのぞいたり、梓川の川原を歩いたりしながら河童橋までゆっくりと歩き、コーヒーを飲んで休憩…。これで時間はいっぱいでした。










 
  
      
帰り道、振り返って河童橋を写しました。 →



← 高山ICから中部縦貫自動車道へ


 上高地を出たのが、午後3時50分。途中、2箇所で合計
40分ほどの休憩を取り、四日市駅前に帰り着いたのは午後
8時になろうかとしている時刻でした。
 現地での時間が少ないのが残念ですが、費用も安いし、運
転しなくていいし、癖になりそうなバスツアーでした。


 日本の三大盆踊りのもうひとつは、西馬音内の盆踊(にしもないのぼんおどり、秋田県雄勝郡羽後町西馬音)です。人口2万人の町が、8月16−18日には10数万人に膨れ上がるそうです。




【167】 薬師寺唐招提寺      2009.06.14


 薬師寺の駐車場に着いたのは、午後3時を少し回った頃でした。


         車を置いて山門まで歩く道沿いに、
           萩が紅色の花を咲かせていました →



 【それぞれの写真をクリックすると、拡大写真にリンクします】

  


← 中門から、金堂をのぞく

 
 
 
 
白鳳伽藍
  国宝
  東塔 →





 薬師寺といえば「東塔」でしょう。天武天皇の発願(680)により建立された薬師寺にあって、唯一、創建当時から現存している建物で、1300年の悠久の時を重ねてきた歴史を、その姿から感じることができます。
 その東塔が、この夏から修理のための調査が行われ、その後、来年の晩秋頃から約10年間、解体修理に入ると聞きました。これは、今のうちに一度訪ねておかなければと思い、唐招提寺のお屋根も、修理完成から拝観しておらず、今日、走っていった次第です。
 (薬師寺東塔は、調査が一段落する、平成22年春頃〜秋頃は、通常に拝観できるそうです)


 行く秋の 大和の国の薬師寺の 塔の上なる ひとひらの雲


 ご存知、佐々木信綱の作で、薬師寺の秋を詠った歌ですが、大和の国・薬師寺・三重塔と視点を絞ってきて、その上に浮かぶ雲に、繰り返されてきた惜秋の思いを馳せ、悠久の歴史を語っています。


 この東塔は三重塔。
その上部に立つのが相輪[そうりん]で、更にその先端に「水煙」が祀られています。
 水煙には、花を蒔き、衣を翻し、祈りを捧げる24人の飛天が透かし彫りされていますが、堀 辰雄の「大和路」に描かれていたように、彼女たちが天駆けながら奏でる笛の音は、今日も御仏への賛歌として晴れ渡った大空へと響き渡っていることでしょう。
 

← 1981年に再建された西塔


 旧塔は享禄元年(1528年)に戦災で焼失し、現在ある塔は1981年に伝統様式・技法をもつて再建されたものです。
 一見すると東塔に比べ若干高く見えますが、これは1300年の年月の内に、東塔に材木の撓みと基礎の沈下が起きたためであり、再建された西塔はそれを見越して、若干高く建てられているとのことです。西塔の再建に当たった文化財保存技術者西岡常一棟梁は、「500年後には西塔も東塔と同じ高さに落ち着く計算だ」と述べています。

 


        
1976年に再建された金堂 →


 ご本尊は、奈良時代仏教彫刻の最高傑作の1つとされる薬師三尊像を安置しています。20世紀半ばまでの薬師寺には、江戸時代末期仮再建の金堂、講堂がわびしく建ち、創建当時の華麗な伽藍をしのばせるものは焼け残った東塔だけでした。1960年代以降、名物管長として知られた高田好胤師が中心となって白鳳伽藍復興事業が進められ、金堂をはじめ西塔、中門、回廊の一部、大講堂などが次々と再建されました。
 旧金堂は現在興福寺の仮中金堂として移築され、外観を変えながらも現存しています。


 
主要伽藍から道を隔てた北側にある玄奘三蔵館は1991年に建てられたもので、西遊記でおなじみの玄奘三蔵を祀っています。日本画家平山郁夫氏が30年をかけて制作したという、縦2.2メートル、長さが49メートル(13枚の合計)からなる「大唐西域壁画」が展示されています。
 
  

 時刻は午後3時45分。入山は4時30分までだという「唐招提寺」へと急ぎました。


← 「唐招提寺」山門。


 太い大きな支柱は、エンタシスの膨らみにギリシャ文明の影響を伝えて、緩やかな曲線を描いていました。


  
  
 唐招提寺では、平成12(2000)年より、奈良県教育委員会の主導で「金堂平成大修理事業」がはじまりました。完成まで、10年を要する計画です。


     大屋根の改修がなった「金堂」。
      奈良時代の金堂建築としては
      現存唯一のものです。    →






← 唐招提寺の「戒壇」


 さすがに、日本仏教界へ戒律を授ける導師「伝戒の師」として招請された鑑真の寺の戒壇です。石の上に刻まれた、雨水が流れたあとの黒ずみが、歴史を物語っています。


 天平5(733)年、遣唐使とともに渡唐した4人の留学僧の普照、栄叡、玄朗、戒融は、日本に正式の戒壇を設立するため、しかるべき導師を招請するよう、朝廷からの命を受けていました。彼らの要請を受けた鑑真は渡日を承諾しますが、当時の航海は命がけで、鑑真は足掛け12年の間に5回も渡航に失敗。5回目の航海では中国最南端の海南島まで流され、それまで行動をともにしてきた栄叡が命を落とし、自らは失明するという苦難を味わいました。
 それでも渡日を諦めなかった鑑真は、753年、6回目の渡航でようやく来日に成功しますが、この時も国禁を犯し日本の遣唐使船に便乗しての渡航でした。鑑真は当時すでに66歳になっていました。
 井上 靖の小説「天平の甍」を原作とした映画では、栄叡を中村嘉葎雄が、鑑真を田村高廣が演じていて、僕はこの映画を覚えています。
 鑑真が暴風に遭いながらも鹿児島にたどり着いたのは、鑑真が渡日を決意して十二年目、栄叡・普照らが渡唐してから二十年目でした。中国に眠る栄叡、妻帯して暮す玄朗、仏陀の真理を求めて旅立っていった戒融、そしていま、普照は鑒真和上と奈良の地を踏んでいます。歳月のうちに母の姿はなく、かつての許婚者であった平郡郎女は嫁いで子供をもうけたていますが、彼の帰還を喜んでくれています。
 天平宝浩3年、鑒真和上は西京に唐招提寺を建立、全国から学従が集り、講律、受戒が行なわれている場面を写して、映画は終わりました。


← 御影堂。教科書に載ってる「鑑真和上像」は、
 このお堂に安置されています。



 さらに、この御影堂の東隣りに、周りを池に囲まれたお墓がありました。鑑真和上は、ここに眠ってみえるのです。
 墓前に手を合わせると、改めて和上が味わわれた苦難とそれを越えられた鉄の意志を感じさせられました。

 
 今年の秋、唐招提寺は平成大修理を完成して、落慶法要を営む予定とのことです。



 
 帰りは、また薬師寺を通り抜けて、駐車場へ戻らなければなりません。でも、その帰り道に立ち寄った薬師寺「東院堂
」で、素晴らしい御仏に出会うことになります。
 聖観音像とその周囲を守る四天王ですが、写真を撮るわけにもいかず、薬師寺のこのページでどうぞご覧ください。





 午後5時前。修学旅行の生徒たちが、引率の先生に導かれて帰っていきました。
 修学旅行に訪れた地へは、大人になってからも思い出に魅かれて足を運ぶといいます。あの子達のうちの何人かは、また何年後か…何十年後かにこの寺を訪れ、塔の上に浮かぶ雲を見ることでしょう。
 そのとき、塔の上の飛天たちは、今日と変わらぬ穏やかさで天上の音楽を奏でているでしょうか。




【物見遊山166】 滝谷花しょうぶ園 再訪              2009.06.12
  
 東海地方も「梅雨入り宣言」が出されたけれど、2日間ほどパラッと雨が降ったものの、あとは良い天気が続いています。それでも、アジサイや花菖蒲などは咲きごろをよく知っていて、晴天の空に向かって、美しく花を開いています。
 12日、「滝谷花しょうぶ園」に出かけました。


 園内の花は6分咲きといったところでしょうか。でも、広い敷地いっぱい、見渡す限りに花を咲かせていました→


   【写真をクリックすると、拡大します。】


        
花ショウブらしい1本です ↓

















  
黄色の花は案外ないのですよ↓






 園内には、200種100万本の花ショウブが植えられているそうです。













 園内には、売店、食堂、園芸コーナーなどがあります。
 お昼には、オープンテラスで、ソーメンを食べました。




 花ショウブのほかの花も、いろいろと咲いていました。
黄色やピンクのツートンのユリですね。

蓮の花も… ご存知アジサイ




 
 
 
 
 
 

























 
  盛りはまだこれから…。今月いっぱいは、艶やかな花を咲かせてくれていることでしょう。  


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