【物見遊山230】 タイ料理「ラーイタイ」(鈴鹿)  2011.09.19


 インターネットで、タイ料理店を探してみた。先日に行った、松阪の「マリタイ」が、今日はやっていないというので、どこかにおいしいタイ料理の店はないかと探してみたのである。
 何軒かがヒットしたが、その中で「タイで食べたタイ料理そのまま」という口コミのあったこの店へ出かけることにした。


                右手の入り口から入る →




← まずは、トム・ヤン・クン


 この時点で、客はカウンターに座っているおじさんがひとり…。ビールを飲みながら、手でちぎってい食べている肉料理が、やけにおいしそうだった。

  
  プ・パッポン・カリー→


   定番料理で、意外性に欠けるが、味はタイで食べたものに
  劣らない。


 欲を言えば、日本風にアレンジされているのか、辛さや風味にどこかパンチが足らない感じがしたかな。タイの焦げ付くような暑さの中での食事と違う点が、そうさせたのか…。


← そして、バッタイ(タイ風やきそば)


 8時過ぎ、3組ほどの客が次々と入ってきた。いずれもタイ神の女の子を連れた日本人のおじ様たち…。女の子は、鈴鹿市内の外人スナックの従業員の子達だろう。バンコクの繁華街タニヤの風景と同じじゃないか(苦笑)。


 1人前がかなり多い。食べきれずに、折りに入れてもらって帰ってきた。



【物見遊山229】 志摩 スペイン村   2011.08.27


 今日のスペイン村は、午後4時以降の入場に適用されるトワイライトサービスで、パスポート券は大人一人が2800円(通常は4800円、乗り物乗り放題)です。
 到着したのが午後3時50分。初秋を思わせる日が、ちょっと陰ったころでした。                   →


← 8月も終わりがけ…。心なしか、お客さんも少ないような気がしたのですが…。


 でも、駐車場は第2駐車場で、正門までシャトルバスに運んでもらいました。後ほどのナイトパレードになると、どこにこれほどの人が居たんだと言うほどの人波が集まりましたから、夏休み最後の土曜日のこの日、結構なお客さんが入っていたのでしょうね。


 グランモンセラー。水路を小船で行きます。
 ここはまだ登りで、向こう側へザッブーンと落ちます。→



 ごつごつとした岩山・モンセラー(スペイン語でのこぎり山という意味)山を縫うように走る全長815mの本格的マウンテンコースター。登ったかと思えば急速落下、そしてカーブの連続…と絶叫スポットも盛りだくさん。一度乗ったらそのスリルがクセになるという絶叫マシーンです。(パンフより)…とあります。


← 午後4時45分からは「フラメンコショー」。スペインから常時10数人のダンサーが来館していて、1日3回ほどの舞台を見せてくれています。
 今日の題目は「カルメン」。12人の男女の踊りも楽しめましたが、舞台に映し出される彼女たちのシルエットの美しかったこと…。彫りの深い顔立ち、抜群のプロポーション、感嘆するばかりでした。


  
  
  その次に入ったのは「氷のお城」。壁も、ベッドも、
       氷で作られている、25℃の世界です。→





そのまま坂を下っていくと、スペインの民家が並んでいます。


← その一角「サンタクルス通り」で、スペイン村の
 キャラクターたちに出会いました。



 更に坂道を下っていくと、「コロンブス広場」前の池に難破船が横たわり、船内から出撃する小船に乗って、海賊の城に攻め込みます。


           途中の砲台から砲撃を受けますが、
               水柱を縫って突撃です。→







 あたりに夕闇が迫るころ、「ハビエル城博物館」にたどり着きました。
 ここは、フランシスコ・ザビエルの生家であるハビエル城を再現した博物館で、スペインの歴史や文化を知ることができます。


 「アルタミラ洞窟の壁画」コーナーでは実物大レプリカがあり、椅子に座って天井を見上げれば壁画を見ることができます。


 と、時刻は午後7時40分。間もなく「しべレス広場」で、ナイトパレードが始まります。


    場内の灯りが落とされて、スポットライトの中、
   パレードのダンサーたちが一斉に躍り出てきました。→



 満艦飾の山車も引き出され、ファン+チックな世界が描き出されます。


 ← このダンサーたちの服はライトが点滅していて、とても華やかでした。








    30分ほどでパレードは終了し、興奮冷めやらぬ
   夜空に花火の大輪が打ち上げられました。     →



 打ち上げ数はあまり多くはないのですが、すくそこの屋根の上で爆発するような近さで、大迫力でした。 




 帰りがけ、ふとのぞいたリヤドロポーセリン人形の館「リヤドロ」のウインドゥに釘付けになりました。


← 「三姉妹」 


リヤドロポーセリン人形は、スペインが世界に誇るポーセリン(磁器)ブランドは、1953年にバレンシア郊外のアルマセラという小さな町で産声をあげました。


 農家に生まれ美術工芸学校で学んだ後、陶器工場で働いていたフアン、ホセ、ビセンテの三兄弟が自宅の庭に窯を作り、繊細なポーセリンアートの制作を始めたのです。


     ベストセラーの『ロマンティックな朝』は高さ約30cm、
     日本での定価は525,000円だとか。           →




← 人影も少なくなった
 「しべレス広場」



 午後8時45分、帰宅の途に就きました


  【よろしければ、旅のブログものぞいて
   みてください。】





【物見遊山228】 伊勢 ボン・ヴィヴァン    2011.08.27


 志摩「スペイン村」へ今年最後の花火を見に行こうと出かけた途中、伊勢の下宮前にあるフランス料理店「ボンビバン」へ、ランチに寄りました。


← 逓信省の山田郵便局電話分室として
  大正12年に建造された建物を、
  店舗に改造しています。



  だから、とてもレトロな雰囲気です。


                    立て看板のところが入り口 →


 奥のフレンチレストランは、昼の部は12:00~13:30(ラストオーダー)15:00 クローズ、夜は17:30~19:30(ラストオーダー)22:00 閉店。手前のブラッスリーは、昼 11:30~14:00(ラストオーダー)15:00 クローズ、夜は17:30~20:00(ラストオーダー)21:00 閉店で、ランチやアラカルトを注文します。


 章くんが注文したのは、お昼のランチコース。


← 前菜8種盛り




 フランス・ランド地方の
 マグレ鴨胸肉のロースト
 赤ワインソース
  →


 フランスパンが、とっても歯ごたえが良くて、パン好きの章くん、2回もお変わりしてしまいました。

 
← 「デザートはこの中からお選びください」と持ってきたくれた
  ケーキのサンプル。



 ひえー、甘党の章くん、迷っちゃいました(苦笑)。


 午後2時50分。お昼としては結構なボリュームを詰め込んで、志摩「スペイン村」へ向かいました。



【物見遊山227】 インド・ネパール料理「カラカッタ」    2011.08.11


 先日の夜、店の前を通ったら、インド人らしき人が前に立っていた。多分、その人が料理を作っているんだろうなと思い、一度、寄ってみようと思っていた。
 予想外に店内は明るく(今まで行ったインド料理店は、なぜか総じて暗かった)、漆喰を塗りこめた黄土色の壁に、インドらしい装飾が施されていて、異国情緒が漂っている。
 どんなものがあるのか、お勧めなのか、全くわからなくて、お店の人に聞きながら、ケバブ(羊の肉を焼いたもの)、タンドリーチキン、4種類のカレー(チキン・豆・かぼちゃ・もうひとつは何だったか?)と野菜サラダ、そして、ナンとライスを注文した。


 手前から、ナン、ライス、4種類のカレー、右にケバブが見えている。チキンと野菜サラダは写っていない。 →


 一番向こうに写っている巨峰ヨーグルトが、すごくおいしかった。ヨーグルトは、他に蜂蜜とか、カシスとか、いろいろな味があって、章くんはマンゴスチンヨーグルトを追加したのだが、巨峰味が一番おいしいみたいだ。
 カレーは、インドじゃ毎食出てくるというから、あまり刺激的であってはいけないのかもしれないけれど、コクとスパイスの効いた日本製カレー(?)を食べ慣れているせいか、章くんにはもうひとつもの足らない。今度は、辛さをもう1~2段階上げてもらうといいのかもしれない。
 量が多すぎて、食べ切れなかった。残してしまったと言ったら、カレーも特性のパックがあって、みんなお持ち返り用に包んでくれた。だから、翌日のお昼もカレーだった。


 おばさんに、「『カラカッタ』は、インドのカルカッタからとったの?」と聞くと、「カルカッタと料理が辛かったを掛けた、オヤジギャグよ」と笑っていた。
 「じゃぁ、これはインド料理というわけだね」とさらに聞くと、「シェフはネパール人なんです。だからうちは『インド・ネパール料理』と表示しています」と説明してくれた。
 「インド料理とネパール料理の違いは?」という質問には、「そのへんは分りませんね」と何とも正直な答であった。


 また、1杯400円のヨーグルト…だけを飲みにいってもいいだろうか。ほんのり甘くてどこか酸っぱい巨峰ヨーグルト…、癖になるおいしさだった。



【物見遊山226】 津 花火!   2011.07.30


 午後8時、トドーンッ! あたりを揺るがす轟音が響いた。開幕を知らせる、10号玉の打ち上げだ。


 西丸之内のマンション7階からのぞいたのだが、一部が市役所の陰に隠れてしまう。
 「じゃぁ、出かけてみるか」と岩田川沿いに歩いていった。


← 岩田橋界隈にはたくさんの人が出ていた。椅子を持ち出して、橋の上や、曽野横の歩道に座って見物していた


 ここで8時20分、岩田川河口まで行っていては、終幕の9時になってしまう。
 章くんは、岩田橋のすぐ東にある、歩行者専用の渡橋まで行って、その中ほどに陣取った。






   そこからだと、岩田川の河口で上げている花火は、
  川の真ん中に打ちあがり、花火が開くと火影が川面を
  いっぱいに染める。              →


   爆裂音が体に響く。川面を吹き抜ける風が涼しい。
  少しビルの陰になるものの、仕掛け花火も見える。




 今夜打ち上げられる花火は、3000発の予定とか。
 丸い花火が120度ずつ赤・貴・青に3分割されている、三色弁当のような花火や、リングがつながったような縦長の花火など、新作も披露されていた。ドラエモンやニコちゃんの顔の花火などが開くと、子どもたちから歓声が上がる。


 午後9時、スターマインの連発で終演…。いつもながらの、宴のあとの寂寥感が漂う。



【225】 
蕎麦どころ空木(うつぎ)」と メナード青山  2011.07.16

  
 暑い日が続きます。「こんな日は、ちょっと涼しい伊賀の山の中へ、おいしいソバを食べに行こう」と、扶美ちゃんを誘って、夕方6時半から車を走らせました。


    十割そば。手焼きの伊賀焼きの器に盛られて出てくる。→


 まずは「そばがき」2つ、欠かせない定番です。ソバの香りと歯ごたえのよい「十割そば」、そして、温かい「鶏南蛮そば」に、天麩羅の盛り合わせを作ってもらい、ホントにおいしいソバなのですが、食べきれずに残してしまいました。
 
 ↑ 天麩羅の盛り合わせ 


            最後に出してくれる 濃厚なソバ湯 →


 そば湯は、そばを茹で上げたお湯だから、これにはそばを打つときに用いられる打ち粉が溶け込んでいたり、そばに含まれている栄養が溶け出しています。
 そば粉のデンプンはジアスターゼによる消化が非常に早く、水で十分だといわれるほど粘着度が低い、つまり水に良く溶けるので、そばの後口と呼ばれるそば湯を飲むことは、栄養補給にも意味のあることです。
 そばを食べたあと茹で湯を飲む風習は、元禄時代に広がったとか。上澄みの湯はほんのりした甘みがあるようですが、底のほうの濃厚な湯は栄養価も高くミルキーな味わいで、章くんは底派です。

 帰りは、十六夜の煌々たる月に導かれるまま、とっぷりと暮れた山道を南へ走り、メナード青山を抜けて帰ってきました。エリアに入ると、ホテルの周りに色とりどりのイルミネーションが点されています。
 数年前、クリスマスのころに見に行ったことがありましたが、夏場の今もイルミネーションが見られるとは思っていなかったので、ちょっとびっくり…。ホテルの駐車場に車を停めて、ケイタイ写真を撮ってきました。


← イルミネーションの上に輝く十六夜の月





      山肌に並ぶ
        イルミネーションの下から →











← これはホテルホームページより


 8月12~14日、花火大会もあるらしい。



【224】 
蕎麦どころ「空木(うつぎ)」 -伊賀市諸木-  2011.07.02


 ゴルフのあと、青山リゾートを越えて、伊賀市諸木の蕎麦どころ「空木」まで走って行った。
 ゴルフは午後のスループレーだから、お風呂に入って上がってきたのが午後6時過ぎ。店は7時までだったとか聞いていたので電話を入れると、「到着まで、開けて待っています」と嬉しいお言葉。6時50分ごろに到着した。
 このお店はもともと白山町の大三駅近くにあったのだが、冷涼な気候、清冽な水など、蕎麦作りにより適した環境を求めて、伊賀市の山の中へ古民家を見つけて引っ越したという本格派である。もとあった店からは25Km、津市内からだと45Kmの山中へ行ってしまったのだ。津からだと1時間はかかる。それでも「そば」というと、「空木」と言ってしまう。
 

 県道670号沿いにあるこの店、道の横を流れる小川を渡って入るのだが、その橋にかかっている「空木」と書いた手書きの看板を見過ごしてしまいそうになる。
 「おっと危ない」と見つけて橋を渡ると、右手の民家が目指す蕎麦屋である。軒に「そば」と染め抜いた暖簾がかかっている。
 「遅くなりました」と玄関を入っていくと、店には3名1組の先客がいた。ご主人、「予想外に早かったですね」と褒めてくれた。


 ここへ来たら、まず「そばがき」を頼まなくてはならない。引き立ての蕎麦粉に熱湯を加えるか、水を加えて加熱し、すぐにかき混ぜることで粘りを出して塊状としたもので、
子どもでも簡単に作れるので、蕎麦の産地では昔からおやつとして定番だったとか。餅のようなもちもち感とそばの風味があり、箸で少しずつちぎりながら、そばつゆ、わさび醤油で食べる。
 水を加えて加熱することで、蕎麦粉のでんぷんを糊化(アルファ化)させることにより、消化吸収がよく蕎麦の栄養を効率よくとることができるため、健康食としても見直されているとか


 次なるお勧めの逸品は「十割そば」(じゅうわりそば・じゅわりそば、生粉打ち蕎麦)。十割そばは、肥料・農薬・食品添加物・着色料・保存料などを一切使わず、そば粉100%で作られた「そば」のことをいう。
 一般に売られている蕎麦は、そば粉が30%入っていれば「蕎麦」と認められる。ふつう、蕎麦屋で出される蕎麦は「ニ八そば」と呼ばれ、小麦粉が2割、そば粉が8割で作られている。
 キンジロウくんと2人で、「そばがき」2つ、「十割そば」1枚、「二八のざるそば」1枚を頼み、腹いっぱいになった。
 そのほかにお勧めは「田舎蕎麦(いなかそば)」。蕎麦殻を挽き込んだ、黒っぽい蕎麦粉により製造されたもの。蕎麦の香りが強く、あまりつゆをつけずに食べる。長野県・愛知県・近畿などの山村でよく食べられる。つなぎに山芋などを使う。
 いつの間にか、窓の外は夜の闇に包まれていた。もう、客は章くんたちだけである。ご主人、横に座って話し込む。「ここはきれいな水がふんだんに使えるのが有り難いです。都会の蕎麦屋は良い水を買っていますが、茹で上げるときの水までは買ったものを使ってはいません。その点、ここでは良い水を使い放題です」。「ふもとよりも5~6℃、気温は低いですね。日が陰るのも早いですし、冬は野菜が凍って傷みます」。「蕎麦を作るには、もってこいの環境ですよ」と話は尽きない。
 暗くなると、途中の道は漆黒の闇の中である。帰りは、青山工業団地へ出て、国道165号を青山峠越えで帰ってきた。



【223】 
ホタル狩り  - 多気郡大紀町 語らいの里 噺野 -   2011.06.15


 夕方から紀勢道を走って、気郡大紀町へホタルを鑑賞に出かけた。JR紀勢線「滝原駅」から少し南に行った『語らいの里』は、地元の人が、近年ホタルの養殖をして放しているとのことである。今日も、管理事務所に電話をしたら、「出てますよ」との返事を貰い、出かけたものである。
 午後7時30分、ようやく暗くなった山間(やまあい)の小川に3つ4つ、2つ3つと、淡い黄色の小さな灯りが点滅し始めた。


 沸き立つほどの数ではなかったが、20~30匹のホタルの明滅が飛び交っている。
 木の葉にとまった1匹を手にとってみた。手の中でも、淡い光を放っている。


← でも、フラッシュを焚いて撮ったら、単なるムシになってしまった。


 そのまま川沿いに少し下って、県道36号の下をくぐったところにホタルの養殖池があり、その水辺にも50~60匹のホタルの明滅が見られた。三脚を据えて写真を撮ろうと構えている人も4~5人いた。


 次に向かったのは、大滝キャンプ場…。ここでもホタルの養殖を手がけていて、真っ暗な歩道には路地灯篭を点し、見物客の便宜を図ってくれている。
 地元の人だろうか、「今年は飛ばなくて、今夜は5匹です。先日の『ホタル祭り』も中止したんです。」と申し訳なさそうに話してくれた。生もののことだから、出来不出来はあるよね。


 国道42号線を、更に南へ5分ほど走り、バス停「阿曽」の信号を東へ折れて山間の道を走った。かつてこの道は「アジサイロード」と名づけられて、道の両側はたくさんのアジサイが大きな花を咲かせていたのだが…。
 今夜見ると、アジサイの株は切られたり引き抜かれたりしていて、一輪の花も咲いていない。それでも細い道を川沿いに遡ると、3~4匹のホタルの光が見えた。
 でも、川は荒れているようで、ホタルの養殖場も何の手も入れられていないような荒れた雰囲気である。それでも、川沿いに車を停めてライトを点滅させたら、2~30個の黄色い光が対岸の草むらで光り始めまた。
 4~5年前はライトの点滅に応えて、川から沸いて出るようにたくさんの光が飛び出してきたものだが、ここはアジサイを育てることも、ホタルの養殖も、やめてしまったのだろうか。


 あと数日で無料化実験が終了する紀勢道から伊勢道を乗り継いで、津ICを降りたのが午後10時過ぎ…。


  
小腹が空いたので、「COCOS山の手」に寄って →


 11時ちょうどに、家に帰り着いた。



【222】 
メトロポリタン・オペラ「ラ・ボエーム」  2011.06.04


 愛知県芸術劇場にメトロポリタン・オペラが来日した。チケットがなかなか取れずに、半ば諦めかけていたところ、約1ヶ月ほど前に、中京テレビに勤める友人から「取れた」と連絡を貰った。中京テレビは、この名古屋公演を主催している。


← 今回の公演の公式案内書


 70数ページの豪華本だが、来場者に、無料で配布してくれる。


 今日4日の演目の『ラ・ボエーム』は、『トゥーランドット』『蝶々夫人』などを生んだ大オペラ作曲家プッチーニの傑作で、メトロポリタン劇団の代表的レパートリーのひとつである。
 
 
「ラ・ボエーム」のパンフレット →


 1830年代のフランス・パリを舞台に、アパートの屋根裏部屋で共同生活する芸術家の卵たちの甘く切ない青春の日々を描いている。貧乏詩人ロドルフォとお針子のミミの悲しい恋の物語を軸に、「私の名はミミ」「ムゼッタのワルツ」などの名アリアや重唱の数々、美麗な音楽が展開される世界的名作だ。


 午後3時開演。まず、メトロポリタン劇団の総裁ピーター・ゲルブ氏が挨拶され、「この度の大震災に際し心からのお見舞いを申し上げる。わがメトロポリタン劇団が、この震災のあと、最初に日本を訪れる劇団であることを誇りに思う」と述べたところでは、大きな拍手が巻き起こった。原発事故の影響で、確かに来日を取りやめたアーティストも多数いた中での来日である。


← 開幕直前の舞台。

 
 
ピーター・ゲルブ氏はこの幕の前に立って挨拶された。


 次に、舞台の前の演奏溜りにいるオーケストラの紹介である。演奏者は、100人はいなかったなぁ。




 第1幕、開始楽章。ロドルフォの部屋へろうそくの灯りを借りに来るミミとの出会い。ミミは自分の部屋の鍵を落としてしまい、床の上に落ちていたその鍵を見つけたロドルフォはミミに渡さずにそっとポケットに隠してしまう。
 第4幕でミミは亡くなる前に、苦しい息の下で、「あの時、あなたは鍵を見つけてポケットに隠したわね。私はそれに気づいていたけれど、知らない振りをしたのよ」と歌う歌声がいじらしい。


  月の光が差し込むロドルフォの部屋で話し込む
          ロドルフォとミミ(パンフより) →



 第2幕、スケルツォ。ミミを誘って、町の居酒屋に繰り出すロドルフォ。そこには、先に出かけていた画家のマルチェッロ、哲学者コッリーネ、音楽家ショナールが待っている。
 町の雑踏を描いた、この舞台の華やかなことはどうだ。2段にしつらえられた舞台上には、200人は下らないと思われる人物がいた。マルチェッロの昔の恋人ムゼッタが登場する場面では、本物の馬が引く馬車での登場である。


← 2段舞台(パンフより)


 たくさんの子どもたちは、名古屋の少年少女合唱団などに所属している子どもたち…。メトロの舞台に立てるとは、子どもたちにとっても貴重な経験だろう。
 このシーンのハイライトは、町を行く軍楽隊の行進だ、2段舞台の階段を50名ほどの軍楽隊が降りてきて町を横切っていく。


 25分間の休憩。ロビーには、きらびやかなドレスやにおい立つような和服を召した麗人たちでにぎわっていた。記念品売り場なんか、あまりの人混みで近づくこともできない。


 第3幕、緩徐楽章。雪が舞い散るパリ郊外。ロドルフォは「今のような貧乏暮らしでは、ミミの咳が悪化するばかりだ。別れようと思う」とマルチェッロに告白。それを物陰で聞いていたミミが姿を現して歌うアリア『あなたの愛の呼び声に』は、哀切のソプラノで、涙なくしては聞けなかった。
 「春になったら別れよう。あとくされなく」と二人は歌い、愛し合いながらお互いの気持ちを汲んで別れていく。


   雪の降る街道…。モノクロの色彩構成の舞台は、
     叙情的であった。(パンフより)    →



 再び、25分の休憩。10階にある、カリフォルニア料理レストラン『ウルフギャングパック レストラン&カフェ』に、終演後の食事の予約に行くも、満席ですと言われてしまった。
 経営者のウルフギャングパック氏はアメリカにおいてユニークな料理と店舗デザインを展開し、アカデミー賞授賞式後のパーティーのケータリング総責任者を務めるなどで活躍している。この有名レストランを、今日の予約だなんて、行くほうがどうかしてるって…。


 そして第4章、フィナーレ。心の底ではロドルフォを愛していながら別れたミミだったが、容態を悪化させ、ロドルフォのもとへ担ぎ込まれる。最初の出会いや幸せだった日々を思い出して歌う『二重唱 みんな行ってしまったの?』の哀切な歌声には、思わず涙してしまった。、
 弱りきったミミを見て、ムゼッタや同居人の皆んなも大活躍…。哲学者のコッリーネは一張羅の外套を質入れに行き(脇役では唯一のソロ曲「古い外套よ」)、ムゼッタは自分のイヤリングを売って薬を買ってくるようにとマルチェッロに頼む。貧しいがゆえに暖かく強いボエーム(ボヘミアン、放浪芸術家)たちの連帯が、強く胸に迫る。


 ロドルフォの腕の中で、息を引き取ろうとするミミ(パンフより)→
 

 チェロとコントラバスのピッチカートが低くポンと鳴った。ミミが息を引き取ったのだ、
 ロドルフォが絶望の叫びを上げる。「ミミ」「ミミ」…!
 一人の男の深い悲しみを漂わせて、全曲の幕が静かに下りた。


 ミミ役を演じることになっていたロシアの歌姫アンナ・ネトレプコの歌声(と美貌…)を楽しみにしていたのだが、彼女はチェルノブイリ原発事故を体験していて、今回の福島原発の問題を乗り越えられずに来日を断念。でも、代わったバルバラ・フリットリも、ミミ役では定評のあるソプラノ…、十分すぎる歌唱を聞かせてくれた。
 オペラはマイク無しの歌唱である。歌手たちの熱唱は、心に響く。メトロポリタンの歌手やオーケストラが超一流なのはもちろんだが、第2幕の2段舞台や第3幕の美しい雪のシーンなど、奥行きのある芸術的なセットも大いに楽しむことができた。
 その舞台で繰り広げられる若者たちのピュアな恋模様、そして死によって引き裂かれる深い悲しみ…。エンディングの静けさは、メトロポリタン・オペラの豪華な盛り上がりを期待した章くんにはちょっと物足らない感じも残ったが、あとで振り返ってみると、静謐さが余計に深い感動と涙を誘う作品であった。


 いつかまた、ニューヨークのメトロポリタン劇場へ行かなくちゃ!



【221】 リトルワールド & 明治村     2011年5月4日(水)


 『リトルワールドは、愛知県犬山市と岐阜県可児市にまたがる緑ゆたかな愛岐丘陵の中に、123万平方メートルの敷地を有し、世界で初めての野外民族博物館として昭和58年3月に開館した。世界各地から集めた4万点の民族資料と22カ国、31施設の野外展示家屋を有し、『生きた博物館』として、世界の生活や文化に手軽に触れ、学ぶことができ、そのすばらしさを味わうことができる』と、パンフレットにある。
 章くん、今まで行ったことがなくて、一度訪れてみたいと思っていた。連休の真っ盛りだから混雑が予想されるので、朝早くに出かけた。
 駐車場に着いたのが、午前7時30分。開園予定は9時。
でも、来場者多数につき、開園は30分ほど早まった。


     園内は花いっぱい →


   向こうに見える三角形は、
  アメリカインディアンの家。


 園内の各展示館では、それぞれの国の民族衣装を貸し出すサービスをしている。


← インドネシアの民族衣装をまとった女の子 
 
 イタリア、アルベロベッロのトゥルッリ →


 南イタリアのプッリャ州のアルベロベッロにあり、キノコのような形のとんがり屋根はトゥルッリという家が集まっている。一つの屋根に平らな石を何層にもつみかさねており、一つの屋根に一つの部屋がある。玄関や廊下がないので、ドアをあけるといきなり部屋に入る構造になっている。とんがり屋根がひしめき合う、まるでおとぎの国のような街である。


 午前8時30分から時間と少し…。各展示場は世界の住居や風俗を紹介していたが、展示物で伝えることが出来るのは限界があるというカンジだ。章くん、ひと通り回って、午後1時20分、リトルワールドを後にして、「明治村」に向かった。
 朝はスイスイと走って来た「尾張パークウエイ(県道49号)」は、リトルワールドに入る車で驚くなかれ延々たる渋滞…。とても今日中には無理なのではないかというほどの、車の量である。
 ところが、明治村に向かう県道16号も、駐車場が近くなるに従って込んできた。それでも、とまってしまうほどの渋滞ではなかったけれど、明治村駐車場は満車で入れない。後ろからの車に追われるようにして、駐車場を素通りしなければならなかった。
 しばらく行ったところでUターンした章くん、今度は北駐車場の入り口で停車して、係のおじさんに「もう4~5回往復してる。ここで待たせてもらうよ」と言うと、おじさん「停められると渋滞してしまって、近隣の住民の方から抗議が来るんです。」とダメだと言う。「帰る車もあるだろう」「何度も切り替えしていると、それだけで渋滞の原因になるよ」「こう言ってる間に、ほら、出てくる車があるじゃない。2台…、3台…」なんて言っていたら、おじさん「入って、入って」と入れてくれた
← 北入り口から入った章くんは、園内を走るバスに乗って、
正面玄関まで向かい、そこから北口まで、村内を見物しながら
戻ることにした。



 園内は見物人でごった返している。村内の整理係のおじさんが、バスの前を走って、人々をかき分けていた。


 明治5〔1872〕年10月14日、日本で最初の鉄道が、新橋-横浜間で開業。明治天皇のお召し列車が往復運転、全線の正式営業は、翌10月15日からだそうだが、この岡蒸気を見ようと人々が押しかけ、列車の前を人の波をかき分ける先導員が走っていたという。
 今日の明治村村営バスの運行状況は、まさに明治初期の先導員が走る姿を髣髴とさせるものであった。

       京都河原町通五條  聖ヨハネ教会 →


          章くんの好きな建物のひとつだ。


← 幸田露伴邸


 座敷に上がり込んで、露伴が使った机に座ることがでる。
 章くん、物書きという雰囲気をかもしていると思わない…?


 三重県庁、西郷従道邸、森鴎外・夏目漱石邸、品川灯台、東山梨郡役場(現、明治村役場)、横浜福音教会、多摩川鉄橋、宇治山田郵便局、金沢監獄…などを見物し、工部省品川硝子製造所では内部で開かれている喫茶店でケーキをほおばって、午後5時20分、村内の最北部にある帝国ホテル玄関にたどり着いた。


   関東大震災にもびくともしなかった建物だ →


← 帝国ホテルの2階で、コーヒーを飲んだ。
 

 午後5時50分、本日の閉村時間が迫っている。帝国ホテルを出ると、人ごみがようやく閑散として静けさを取り戻した村のたたずまいがあった。 ↓
 
 
 
  明治時代は、我が国が門戸を世界に開いて 欧米の文物と制度を取り入れ、それを同化して近代日本の基盤を築いた時代である。
 明治村に残る建物や品々を訪ねると、新しい日本を築こうとしていた明治の人々の剛健な息吹と、誇り高い文化の香りをかぐことができる。
 章くん、ここ明治村にはもう5~6回は訪れているが、いつも心躍る新しい発見があり、飽きることがない。午後2時ぐらいに入村した今日は、いかにも時間が足らなかった。近日また、出直してくることにしよう。


 【この旅の詳細は、旅のブログ にも記しています。よろしければご覧ください。】




【220】 
信濃 「善光寺」 5月1日(日)


 5月1日、美ヶ原の朝は霧の海…。10m先が見えません。→


 午前10時のバスでホテルを出発、山本小屋で車に乗り換えてビーナスラインを下り、和田峠から142号を北に向かって、長野市を目指しました。


← 遠藤の桜は花盛り


 午後0時30分、「上田菅平IC」から上信越道へと上がり、長野市へ着いたの?、午後1時過ぎ…。


 郊外の駐車場に車を置いて、シャトルバスで市内に向かいました。


 大門前でバスを降り、参道を10分ほど歩いていきました。


            大門交差点前の枝垂れ桜です。 →


 
 参道の両脇は白壁作りの町谷が並び、花が飾られ、緑の多い通りとしてよく整備されていました。
 表通りを一歩入ると、白壁造りのレストランやお蕎麦屋さんが並んでいます。


 仁王門をくぐると仲見世通り。信州名物やみやげ物を売る店が、軒を並べています。    →

 
 
← 本堂


 ご本尊は「一光三尊阿弥陀如来像」。この仏様は絶対秘仏で、今日そのお姿を拝むことはできません。
 『善光寺縁起』によれば、善光寺如来様は、遠くお釈迦様在世の時に、インドで出現なさったといわれております。その後、百済にお渡りになり、欽明天皇十三年(552年)、日本に仏教が伝来した時に百済より贈られた、日本最古の仏像と語られています。


 御本尊様は古来より「生身の如来様」といわれていて、人肌のぬくもりを持ち、人と語らい、その眉間の白毫から智恵の光明を発しているとか。奈良の法隆寺には「善光寺如来御書箱」という、聖徳太子と善光寺如来様が取り交わした文書を入れた文箱が現存しています。このように、人々と触れあう如来様として信仰を集めてきました。(HPより)


 お堂の下の真っ暗な通路を行くと錠前に触れることが出来ます。ご本尊との縁が結ばれるのだとか。章くん、漆黒の闇の中で、しっかりと錠前をつかんできました。


 【この旅の詳細は 旅のブログ にも記しています。よろしければご覧ください。】





【219】 
美ヶ原 「王ヶ頭ホテル」   4月30日(土)~5月1日(日)


 大型連休もほど近いある日、インターネットを見ていたら、連休の真ん中に、美ヶ原「王ヶ頭ホテル」の空室がありました。雲上の休日もいいかな…と思って、早速、予約を入れました。


 午前1時30分 出発。駒ケ根SAを過ぎて間もなくの5時26分、南アルプスの山々の上に朝日が昇りました。
 どんよりしてあまりまぶしくないのは、この日、中国大陸から飛来した黄砂の影響です。        →


 午前6時、諏訪ICで降りて、国道152号(メルヘン街道)からビーナスラインと走って、白樺湖を目指します。


← 諏訪の里は春真っ盛り…。桜の木々が、いっぱいの花を咲かせていました。


 ビーナスラインは数年前から通行料が無料になりました。冬場は雪に閉ざされて通行止めになりますが、今年は4月23日(土)から一般車の通行が出来るようになっています。


 6時40分、白樺湖畔を通過、ここからビーナスラインは一気に高度を上げて、山岳ドライブモードに入ります。


 午前7時、富士見展望台から南アルプスの眺望です。この展望台からは、南・中央・北アルプスの峰々を一望することが出来ます。

    この写真、富士山が映っているのが分りますか? →


 肉眼では確認できたのですが、写真に撮るとほとんど出なくて、暗くしていくとやっと見えました。


 「美ヶ原美術館」に寄ったりしながら、午後3時、山本小屋へ着きました。ここから上は、一般車両は通行禁止です。
 小屋の裏手の丘に登ってみると、王ヶ頭ホテルが見えました。ホテルまでは、歩いていくか(徒歩1時間)、ホテルの送迎バスに乗るか(10分)…。
 章くん、春の草原を散策しながらホテルに向かう予定でしたが、この日の美ヶ原は気温4度で、半端じゃない強風が吹いています。




← バス道の途中にある美ヶ原のシンボル「美しの塔」


 よく霧が出る高原なので、鐘を打ち鳴らして位置を知らせたといいます。






 ホテルに着いたあと、寒かったのですが、周辺を歩いてみました。


     「王ヶ頭 2034m」の石碑です。 →




← このホテル、特筆すべきはこの貸切露天風呂


 湯船は「木曽ヒノキ」を使用した、1~2人用の浴槽で、南に向かって窓はない。シャワーブースはガラス戸で仕切られていますから、寒くはありません。空いていればいつでも自由に利用できます。




         部屋の窓からの眺望 →


 食事のあと、「美ヶ原のスライド上映会」や「星空ツアー」が催されました。曇り空だったのですが、このときだけ中天に晴れ間が現れ、北斗七星などを確認することが出来ました。
 標高2000mで見ると、星たちはもっと近くに大きく見えるのかと思っていましたが、ふもとで盛るよりも小さいカンジでした。
 屈性率の関係でしょうか、高いところほど天空は小さく見えることを知りました。


 アルプスの峰々を焦がす夕焼け…、雲海のかなたから昇る朝日…を期待していたのですが、日ごろの行いから考えると、極寒・強風・濃霧というのは当然かも…(苦笑)!
 また、出かけることにしましょう。


 【この旅の詳細は 旅のブログ に載せています。よろしければご覧ください。】




【217】 
犬山城・五条川    2011.04.10


  
 今日は、三重県知事選挙です。接戦が予想されるので、わが一票も大切と、投票を済ませ、午後1時ごろから犬山を目指し出発しました。東名阪を桑名東で降りて、木曽川沿いをゆっくりと走っていきました。
 午後3時40分、「光明寺公園」に着きました。東海北陸道からアーチを見本ながらいつも走っていますが、訪問するのは初めてです。

 光明寺公園 
  ツインアーチ138 →

 

← 堤防沿いの桜の古木が。いっぱいの花をつけていました。


 駐車場の料金は無料。たくさんの家族連れが、弁当を広げたり、ホール遊びをしたりしていました。

 
  午後4時5分、木曽川を岐阜県川に渡り、堤防を東へ走って、犬山城を目指しました。  
 
 
 午後4時45分、犬山城を望む木曽川堤の桜並木に到着…。


 木曽川堤防の桜並木から撮った犬山城→


 この写真が撮りたかっンです。その割には、イマイチの出来ですが…(苦笑)。


 この河畔でコーヒーを飲んでいたら、時刻は午後5時を回って、犬山城への入場は今回も見送りです。


 南へ下り、大口町から五条川沿いに岩倉市まで走りました。


← 大口町の五条川畔
 
 
 
 
 
      岩倉市内に入って…。橋の上から →
 
 
  流れが見えなくなるような、川面を覆う桜です。




← 夜店も出て、たくさんの見物客でにぎわって
 いました。



 でも、「桜まつりは、今日の午後8時で終了いたします」とのアナウンスが流れました。東北・関東大震災に鑑みての打ち切りだそうです。
 桜たちは、まだ110%…。これから、浴びるような桜吹雪が見られるのでしょうが…。


 被災者の人たちの難儀に思いを馳せつつ、今年の桜を愛でることこそ、日本を元気にする姿だと思うのです。一緒に謹慎していれば、復興が早くなるということでは、決してないのでしょうに…。


 この旅行記を、旅のブログに示しています。よろしければご覧ください。




【217】 春爛漫!「田丸城」      2011.04.08

 午後から、度会郡玉城町の「田丸城」へ出かけました。


   入り口。石垣の上に見事な桜が出迎えてくれます。→
  

 「田丸城」は、ちょうどNHK大河ドラマに登場する織田信長の三男信雄の居城でした。


← 城内にも、たくさんの古木があります。

 
  石垣沿いにも
  桜並木が…。→




 場内に、玉城中学があります。
 運動場を囲む桜も満開でした。 ↓
  










 
玉城中の生徒たちはとても礼儀正しく、すれ違った章くんに、誰もが「こんにちわ」と挨拶してくれます。
 


 
 田丸城は古来から近隣に伊勢神宮を控える戦略的要衝として争奪戦が繰り広げられました。室町時代には伊勢国司となった北畠氏の手によって再建されました。
 戦国時代には、織田信長の伊勢侵攻に伴い北畠具教の養嗣子となった織田信雄の居城として改築され、三層の天守を備えた近世城郭へと生まれ変わりますが、5年後に火災で天守を焼失。織田信雄は松ヶ島城へと移ってしまいました。


 その後、蒲生氏、稲葉氏、藤堂氏と主が替わりますが、最終的に1619年(元和5年)、徳川御三家の一つ紀州徳川家の治める紀州藩の所領となりまか。
 紀州徳川頼宣は、遠江久野城城主であった付家老久野丹波守宗成に1万石を与え、田丸城城主として田丸領6万石を領させました。久野氏は、家老として和歌山城城下に居を構えていて、田丸城には一族を城代として置き、政務を執らせました。久野氏はその後八代続き、明治維新に至ります。


 
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【216】 
津皆楽公園 夜桜、 その他 近隣の桜       2011.04.06


 午後7時頃からブラブラと歩いて、津皆楽公園へ夜桜と
洒落込みました。
 津皆楽公園までは我が家から徒歩30~40分ほどで、
適度なお散歩の距離です。


            瓢箪池にかかる橋の上から →


 ウイークディのせいか、花見客の出足は6~7分といったところ…。満開は、この週末ぐらいでしょうか。


← 章くんもべピーカステラを買い、縁台に腰掛けて、
 花+団子の風情を楽しみました。




 帰りもブラブラと歩いて、大門へ…。


             津観音公園の桜です。 →


 一軒寄って、今夜は日付が変わるまでに帰宅しました。


4月8日(金) 伊勢温泉GCなど、近場の桜


← 伊勢温泉GCの8番フェアウエイに咲く桜


         8番、グリーン奥の桜 ↓
 

 ラインを読んでいる人がいます。
 


 




← これは、
 津観音公園の桜



 夕方、食事に出たときに写したものです。



4月9日(土) 今年もちょっと遅かった…、「大紀町の枝垂れ桜」


 4~5日前の中日新聞に「柏崎支庁舎(大紀町)の枝垂れ桜が満開」との記事が、写真入で掲載されていた。
 去年も一昨年も行ったのだが、花期には遅くて、葉をつけた枝ばかりが見事な枝垂れを見て帰ってきた。


← 柏崎支庁舎前の大枝垂れ


 今年は…と思いつつ、4~5日遅れで行ったのだが、やはりこの4~5日の遅れは大きくて、花の半分は散り落ちている姿であった。
 
 
   JR紀勢本線 柏崎駅近くの桜並木 →
 

 







 夕食に、松阪へ出ました。


← 大黒田の「善覚寺」の桜
 

 夕焼けの空に屹立する姿が、とても雄々しく美しかったです。



【215】 
2011 春 「醍醐寺」
      2011.04.03

   
 「醍醐寺の枝垂れ我慢海!」と、京都の友人からメールが届きました。
 午前6時、出発。早朝の道路は空(す)いていて、7時10分に、醍醐寺に着きました。


   「霊宝院」のソメイヨシノ。まだつぼみが多かった
  ことと、枝を切ったらしくて、あの豪華さがちょっと
  影を潜めたような…              →





← 「霊宝院」の枝垂れ。


 京都の名花たちのうちで、一番初めに咲くこの木は、例年、花の盛りを過ぎたころに行くことが多いのですが、この日はまさに満開でした。


    「三宝院」の土牛(どぎゅう)の桜 


 奥村土牛が「醍醐」に描いたことから、通称「土牛の桜」と呼ばれています。
 この花も豪華絢爛…、ちょうど身頃を迎えていました。


 昼前に醍醐を出て24号を南へ下り、奈良から名阪国道を走って帰って来ました。


 
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