【103】 年頭所感 2006年の展望                  2006.01.01


 明けましておめでとうございます。
  
本年も 何卒よろしくお願いいたします。

2006 ,年賀状
 いつものように机に向かいながら、新しい年を迎えた。2006年がどういう年であるのか、ひとつの区切りとしての意味から、我が身を含めて振り返ってみよう。


 昨秋の衆院選での自民党大勝を受けて、政権基盤を磐石のものとした小泉内閣は、大胆な政策を実行することから、日本の方向が大きく舵切られる一年となるだろう。


 中韓からの反対を受けながら靖国参拝を続ける小泉首相に、国民が圧倒的な議席を与えたことは、かつて中曽根内閣が声高に掲げて、外国からの圧力によって頓挫させた戦後政治の総決算を、小泉内閣に託したことの現れであった。
 いつまでも敗戦を引き摺る日本の政治を戦後61年目を迎えた今年、世界の国々の理解を得て、敗戦の呪縛から抜け出させることが出来るのか。
 今も横のテレビのニュース専門チャンネルは、コメンテーターたちの「アジア諸国を始めドイツですら小泉首相の靖国参拝を許していない」というコメントを流している。戦後社会が、彼らに刷り込んだ意識は、かくも根深い。彼らの耳には、戦後のアジアの聡明なリーダーであった、マレーシアのマハティール首相が、「戦後日本の成功はアジアの国々に大きな勇気と希望を与えた。日本はアジアのリーダーとして、アジアの躍進を先導するべきだ」と語った言葉は届いていない。
 昨年12月、クアラルンプールで開催された、東南アジア諸国連合(ASEAN)プラス3(日中韓)首脳会議の議題「東アジア共同体」は大きな意義を持つ。社会構造を始めとして、産業・金融などの近代化を実現し、欧米に蹂躙されてきたアジアが世界に伍する力をつけていくことは、世界の人口の半分以上を擁するアジアの悲願である。『大東亜共栄圏』構想は、第2次世界大戦を戦うスローガンのひとつであったとして否定されるが、理念としての正当性を持っている。現代社会においては、もはや、その実現が戦争への道に至ると主張するものは居まいが、民主国家日本は各国の調整役を果たして、歴史の扉を開けていきたいものである。


 内政では、道路公団や郵政公社の民営化を始めとして、道路特定財源の一般税化・医療報酬の引き下げなど、かつては自民党の各部会に提示すれば族議員が寄ってたかってつぶしたり先送りしたりして、まず実現することのなかった事項が、首相の指示で次々と決まってきている。
 さて、これらの決定を含めて小泉改革は、政治家と官僚の思うままにされてきたこの国の仕組みを、ホントに国民のためのかたちに整えていこうとする改革であるのかどうか、しっかりと見つめていかねばならない一年でもある。
 たとえば、道路公団の6分社化は、これまでの借金の一部を税金で処理し、さらに天下り先を増やす仕組みであるという指摘がある。それを受けて、だから民営化は失敗だという主張は短絡的過ぎる。民営化によって生じるそれらのマイナス面を、どのようになくしていくかを論議することが、必要な手順であろう。道路公団だけでなく、公務員の天下りを規制・禁止していくことを図っていかなくてはならないところまで広げて考えるべき問題であろう。
 これまで政治家と官僚が自分たちの好きなようにしてきた日本の仕組みを、国民の幸せのために機能するかたちにして、社会に正義の行われる国にしていくことが改革の目的である。小泉改革の道筋が、日本を人間が生きる共同体のあるべき姿に向かう道かどうか、しっかりと見据えながらこの一年を送ることにしよう。


 次に経済であるが、日本経済は、政府資金を導入しながら、おびただしい中小企業を潰し、預金金利を限りなくゼロに近づけて、銀行の不良債権を激減させてきた。中国特需に支えられた企業の事業の好転などによって、景気は上昇カーブを描いている。しかし、まだまだ好況感は一部企業だけで、中小企業や地方企業のほとんどには、ムードとしての景気上昇があるだけだろう。
 一部企業やIT関連に見られる株価の上昇は、急激過ぎるカーブを描いている。私は平成15年のこのサイトのページへ、格安すぎた日本の株価は、改革の目処がつく平成17年後半には劇的に上昇すると書いた(http://www.ztv.ne.jp/kyoiku/Nippon/066kabuka.htm)が、自民党大勝を受けてとはいうものの、この上昇率は急すぎる。
 うたかたの夢に踊る一般投資家の姿は、現今の世相を写すものである。背景には、マネーゲームによって大金を手にする、ホリエモン・楽天・村上ファンドらの姿があるのだろうけれど
、彼らは所詮、虚業の世界に咲く仇花…。ITの基本ソフトを創出するわけでもなく、画面に映るバーチャルの世界に人々の興味をつなぐことによって金銭を稼ぎ、そこで得た巨額の資金によって、負けのないマネーゲームで利ざやをついばむ幻術師なのである。
 今の株価は、ムードが作り上げた実態のない上昇である。これからまた、揺り戻しを繰り返しながら、日本経済のあるべき姿へと落ち着いていくことだろうが、今回は、あまりに高い一夜の夢を見ることになる一般投資家も、少なくないと思われる。


 社会については…、教育については…、三重県は…、今日、合併のなった新しい津市は…。さまざまに思うことはあるけれども、今日は長くなるので別の機会に譲るとして、僕自信の1年について、少しお付き合いをいただこう。


 僕の今年は、出来るだけ、人とのかかわりを少なくして、ひっそりと生きていこうと思う。柄にもなく、殊勝な物言いだけれど、言い換えれば「自分の好きなように生きていく」ということになる。
 今までも勝手気ままに生きているくせに…と言われそうだが、ライフワークとしての仕事を2点完成させたい。司馬遼太郎は、『「坂の上の雲」を書き上げるために、世間との付き合いが疎遠になった』と書いていたが、集中するとはそういうことだと思う。「あいつ、生きてるのか」と言われることだろうけれど、ある部分ご容赦いただきたい。
 横着な生き方をすることになると思われるので、お叱りをいただいたり迷惑を掛けないためにも、人との交わりを疎にしていかねばならないと思う。お前ならば迷惑もやむなし…とお互いに言える相手とのみ、これからを生きるということになるのだろう。
 そんな贅沢な人との巡り合いがあるのか…、それを探るのも、この1年の楽しみの一つである。年末に、「今の日本には『管鮑の交わり(かんぽうのまじわり)』はない」と叫んでいる僕が居たら、どうぞ笑ってやってください。




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