【112】 富田メモ『昭和天皇A級戦犯合祀にご不快感』と靖国問題    2006.07.15


 昭和53年から63年まで宮内庁長官を務めた富田朝彦氏(故人)のメモが公開され、その中に、『昭和天皇が昭和63年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)について「あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと不快感を示された』とする内容が記されていた。A級戦犯合祀は昭和53年に行なわれているが、昭和天皇は50年以降、靖国神社を参拝されていない。
 メモの内容は、『(昭和天皇が)「私は或(あ)る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが」「だから私(は)あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などとお話しになった』としている。「松岡」「白取」は、A級戦犯として祭られている松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐イタリア大使を指すとみられ、そのほかにA級戦犯合祀をした当時の松平永芳宮司を嘆く内容が記されている。


 報道では、「A級戦犯を合祀してから、私は参拝していない」と昭和天皇のお言葉が伝えられているが、この表現は、今日の報道(特にこのメモをスクープした、中国寄りとされる日経新聞)の問題点を端的に示している。伝えた側は「富田メモに書かれたとおりの言葉」というのだろうが、これでは昭和天皇はA級戦犯を否定しているという報道である。
 昭和天皇の御心が、東条英機元首相以下、絞首刑になった人たち皆に対して不快感を覚えておられたのか、さらに戦後に保釈された岸信介元首相たちを含む全てのA級戦犯を嫌悪されていたのか、翻って、国連を脱退した松岡洋右や日伊軍事同盟を結んだ白鳥敏夫たち特定の個人を忌諱されたものなのか、それを推し量ることは出来ないが、国策としての太平洋戦争を遂行し、戦後の日本の復興にも尽力した、A級戦犯といわれる人々を一括りにしてのご感想とは、到底思えない。
 この報道を受けて、靖国参拝に反対する議論が高まるかも知れないが、仮に富田メモが昭和天皇のお言葉を真にそのまま伝えているとしても、A級戦犯の人たち全てを否定された表現ではないし、ましてや日本国民が靖国に参拝することを否定された表現では決してない。ましてや、御自らのご発言でなく、その真意もうかがえない今、昭和天皇のお言葉を論争の愚にすることは避けねばならないことであるし、一部の外国の靖国参拝反対の口実に利用されることにも深い警戒感を注ぐべきであろう。
 昭和天皇も今上陛下も、春秋の例大祭には勅使を派遣され、靖国神社に対する重視の姿勢を示し続けてこられた。靖国神社現宮司の南部利昭氏の就任に際しては、今上陛下から「靖国のこと、よろしく頼みます」と直接、お言葉を賜ったと伝えられている。宮中と靖国神社とのかかわりは、儀式の上でも、追悼・謝恩という心のつながりの上でも、長く重い事実がある。


 昭和天皇のご真意もうかがえず、「A級戦犯を合祀してから、私は参拝していない」などといった一片のメモの文言から、靖国参拝を問題視しようとする、現在のわが国の土壌そのものが問われるのではないだろうか。
 靖国神社を中韓の一部の人たちが問題視する事実はあろう。だからと言って、国が定めた戦争を遂行し犠牲になった人々に感謝と敬慕の念をささげることをためらう国民がいるだろうか。
 「A級戦犯」というものの欺瞞については、既に何度も説明して来た。
小泉首相の靖国神社参拝についてhttp://www.ztv.ne.jp/kyoiku/Nippon/112syowatennou.htm
 語り継ぎたい日本の歴史 http://www.ztv.ne.jp/kyoiku/Dokusyo/120katari.htm など)
 昭和天皇が、A級戦犯といわれる人々を全て否定されていたとは、誰も思うまい。ならば、「A級戦犯が合祀されているから、私は行かない」というこの表現の危うさも理解できることだろう。天皇陛下が個人の考えを述べられることはない。だから『合祀されている人々の中に、私の意思にそぐわない人がいる。だから私は行かない』とあからさまに言われることはないが、松岡・白鳥や一部の政治家・軍人など、陛下をも欺き、虚偽の報告を上げ続け、ご意向をないがしろにし続けた人たちに参拝することは出来ないと考えられたこともあろう。公人としての昭和天皇の、精一杯の意思表示であったのではないだろうか。



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