【259】 終戦記念日と靖国参拝        2013.08.15


 なぜ、日本は大東亜戦争を戦ったのか…。その問いに対する答えなくして、「終戦記念日」を感懐することも靖国参拝もできない。大東亜戦争に大儀がなければ、終戦記念日を英霊に対する尊崇の思いをもって迎えることができないからである。
 では、なぜ日本は大東亜戦争を戦ったのか…。当時、地球の表面の64%近くを支配していた西欧列強の帝国主義的植民地化に対して、その支配に屈せず自主独立の道を歩んでいた日本を西欧諸国は看過することはできなかった。ロシアを退けて朝鮮・中国へと進出し、アジア諸国への影響力を持ち始めた日本を、特に遅れてきた帝国主義国家のアメリカは放置しておくことができなかったのである。
 折からヨーロッパではナチスドイツのポーランド侵攻に端を発した大戦が勃発し、連戦連勝のドイツに追い詰められたイギリスのチャーチルはアメリカの参戦を繰り返して要請している。しかし、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸間の相互不干渉を宣言したモンロー主義のもと、アメリカの議会も世論も参戦を容認しなかった。疲弊するイギリスに対して援助を与え、イギリスの持つ権益(海洋権益やポンド決済)をアメリカに取り込むことを考えたフランクリン・ルーズベルト米大統領は、1941年3月、レンドリース法を成立させて英仏ソ連軍などに武器や兵糧の支援を実行。日本には、日独伊三国同盟の締結などを理由にABCD包囲網・対日石油禁輸・在米日本資産の凍結などを行い、最終的に日本は明治以降に獲得した全ての領土や権益を全て放棄せよという、とうてい受け入れることのできないハルノート(「アメリカが日本に送ったこの文書と同一のものを他国に送れば、非力なモナコ公国やルクセンブルク公国でさえ、必ずアメリカに対して武力をもって立ちあがっただろう」と東京裁判でのパール判事が述べている)を提示して、これを拒否した日本の武力蜂起に至るのである。
 12月7日未明(現地時間)の日本軍による真珠湾攻撃は、当時、日本の通信を傍受し暗号を解読していたフランクリン・ルーズベルト米大統領は知っていたことが、近年の研究や文書公開で明らかになっている。(この研究については、近日また項を改めて記したいと思っている。)日本軍の奇襲に激昂したアメリカ国民は、対日戦にお墨付きを与えた。
 日本はルーズベルト政権の謀略によって、大東亜戦争へと駆り立てられていったのである。アングロサクソンは、相手の弱点や傷口を見つけると、そこに岩塩を刷り込むようなまねをして攻め立てる。インディアンの大地であったアメリカ大陸を手に入れていったときも、テキサス州・カリフォルニア州をスペインから独立したばかりのメキシコの混乱に乗じて併合したときも、太平洋の要衝としてのハワイを占領したときも、斜陽国スペインの衰退につけこんでフィリピンを植民地にしたときも、アメリカは容赦なく相手の弱みに付け入り、有無を言わせず自らの力で押さえつけて目的をを遂げようとする。
 イラク侵攻のときも、アメリカはありもしない大量破壊兵器の存在を主張して兵を進めた。絞首刑に処せられるときフセインは、処刑係のアメリカ兵に「何でアメリカはわが国に攻め込んで来たのかね」と尋ねたという。
 アメリカは…、いや、世界の覇権国家はというべきだろうが、力の論理で国益を図り目的を達成してきたのである。それが、帝国主義下の国際社会の現実であったのだろうから、アメリカの悪行を挙げて、断罪していく必要はあると思うけれど、反省しろとか賠償しろとか言うのは無駄なことだ。ただ、日本の大東亜戦争には大儀があり、西欧列強の横暴に対抗して、大アジアの新しい時代を築くための戦いであったことを明確に検証しなければならないことは疑いない。
 

 安倍首相の終戦記念日の靖国参拝は、大東亜戦争の正当性を貫くためにもぜひ実現しなければならない命題であった。
 昨今、日本との歴史問題を中韓が騒ぎ立てているが、靖国参拝は純粋に日本の国内問題であり、中韓に何を言われる筋合いのものでもない。中韓が騒ぎ立てる歴史認識とは、文字通り認識の問題なので、どのような形をとろうともみんなが納得する答えはない。靖国に参拝しないから、何かが解決することはないのであって、必ず次の問題が持ち出されるのである。
 だから、「日本の国を守るために戦った英霊に参拝することは当然」と言えば、、何の問題もないのである。行ったり行かなかったりすることこそが問題なのだ。
 1964年(昭和39年)、日本社会党の佐々木更三委員長が中華人民共和国(中共)の毛沢東共産党主席に「中国国民に多大の損害をもたらして申し訳ない」と挨拶したところ、「何も申し訳なく思うことはありませんよ。日本軍国主義は中国に大きな利益をもたらしました。中国国民に権利を奪取させてくれたではありませんか。皆さん、皇軍(日本軍)の力無しには我々が権利を奪うことは不可能だったでしょう」と発言している。
 1978年(昭和53年)のA級戦犯合祀時点でも、諸外国からの抗議は皆無で、各国とも比較的穏健な態度に終始していた。1979年に合祀されていたことが報道された後も鈴木善幸が首相在任中も含め8月15日等に計8回参拝しているが抗議は受けていない。だが、1985年(昭和60年)に中曽根康弘が首相として公式参拝を表明し実施して以降、中共と韓国から抗議を受け、中曽根は参拝中止に追い込まれている。
 中韓の抗議によって靖国参拝を中止するに至った経緯は以上の通りだが、首相・閣僚の靖国参拝を問題視して騒ぎ立てたのは、中韓の抗議よりも朝日新聞など国内メディアであった。教科書問題と同じように、日本のマスコミが問題にして騒ぎ立て、これらが政治のカードになることを知った中韓が、その後、執拗に抗議を繰り返しているというのが実情である。
 最初に抗議を受けたとき、「どこの国でも、祖国を守るための戦争で命を落とした英霊に参拝するのは当然のことであって、他国にとやかく言われる筋合いはない。内政干渉である」と対応しておけば、何の問題も生じなかったのである。それを当時の政府は、いわれのない抗議をうじうじと受け入れ、言われるがままの対応を繰り返したから、「日本は何を言っても反発せずに、言うことを聞く」という図式が出来上がり、今日の諸問題が生じている。
 曖昧な対応を繰り返してきた中曽根康弘以下の歴代内閣もそうだが、大東亜戦争に端を発する問題を掘り返し、ことさら問題視して日本を貶める、朝日新聞などのマスコミの罪は重い。戦後の歴史は近年のうちに必ず検証されるはずだが、そのとき、自らが捏造してきた歴史によって断罪されることであろう。
 

 何をしていても必ず抗議の声をあげる中韓なのだから、何を言おうが、靖国参拝は断行するのが正しい政治の在り方だが、今回の安倍首相の参拝見送りには、中国や韓国との関係に配慮しアジアの安定を望むアメリカが、「靖国参拝は遠慮するように」と要請したのだろう。
 「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍首相としては、アメリカとの付き合い方は微妙なニュアンスがある。大東亜戦争に日本の大儀があれば、東京裁判はインチキであり、原爆投下や無差別空爆こそ犯罪行為だといわねばならないからである。
 今はそれを問題にするよりも、かの戦争に至る道や日本はどのように戦ったか、その戦いが果たした意義などについて、ひとつひとつを丁寧に検証し、国際社会へ発信して、日本の真実の姿を世界の人々に理解してもらうことを続けていかなくてはならない。今まで、日本は世界に向かって発言することが少なすぎた。「他国をいたずらに刺激するから」などと、自らの怠慢を言い訳している外務省はもう要らない。諸問題に毅然と正しく対処して、言うべきことをキチンという、そんな組織を立ち上げるべきだ。
 そして次回からは、「日本のために命を捧げた先人の御霊に礼を尽くすことの、どこが避難されるのですか」と堂々と言って、新年、春秋の例大祭、終戦記念日に、必ず靖国参拝を実行することにしたい。いわれのないイチャモンには揺るがない日本を貫いていくことが、世界で認められることの第一歩だろう。



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