【65】交通事故の後遺症「突き指」顛末記 -交通事故で泣き寝入りするな- (5.11)


 12月にセンターラインを越えてぶつかってきた車との事故で、両手の親指と右手の薬指を痛めてしまった。鎮痛消炎剤を塗り込んだりして養生に努めているのだが、なかなか完治しない。特にゴルフの場合、インパクトの瞬間に大きな力が加わるから、痛いところに響く。これからは暖かくなるので、少しずつ回復に向かうだろうと一縷の望みを託している。


 事故の後始末には手を焼いた。昨年12月、居眠り運転でセンターラインを越えてぶつかってきたのだから、相手方も保険会社も相手方に100%の過失があることは認めている。相手も故意に起こしたわけではないので、こちらは過失を責めるつもりはないのだが、12月から4月まで4ヶ月余の間に20数回病院へ通い、痛む首と指を抱えて仕事に差し障りの出た分などについては、補償の対象として査定してくれたものの、事故による車の修理も完全に行われず、保険会社は事故暦を持つ車としての下取り下落分(保険用語で格落ち損というらしい)を全く認めないという。
 何よりもゴルフができない状態に対する保障を第一にするべきだと思う…というのは冗談としても、車が元に戻らないのではン十万を受け取っても、何ンにもならない。また、下取り下落分を認めないというのは、保険会社の一方的な言い方であって、事故車として下取り価格が下落するのは事実なのだから、その損失分を補填するのが保険の役割だろう。それを保険は認めないというのなら、生ずる損失は、被害者が負担せよというのだろうか。
 現に裁判での判決例では、訴訟の67.6%に補填を認める判決を出している。保険会社の担当員は「私が扱った物件で、格落ち損(下取り下落分)を認めた事例は一件もありません」と言うが、それは全例が保険会社の一方的な論理に押し切られて、しかも訴訟もしなかったからだろう。訴訟を起こせば、そのうちの2/3は認められたはずである。
 最後には、「何と言われましても、格落ち損(下取り下落分)を認めるわけにはいきません」という話になってしまった。この点の決着をつけるためには、訴訟しかないか!



【64】 闘え 日本人! − 借りた金は 返すな −     (4.28)
 

 自分たちの失策で抱えた不良債権はふくらみ、自力では更生できない銀行は、国から公的資金をジャブジャブと注いでもらっても見通しが立たず、日本再生のガンと成り下がっている。庶民から預かった金には金利をつけず、一方では貸し渋りどころか貸し剥がしを繰り返し、日本経済を支えてきた中小企業を痛めつけ、人々の息の根を止めようとしている。
 その陰で、わが国の自殺者は平成13年度で31042人。10年度から4年連続で3万人を越えた。かつて交通事故死亡者が1万人を越えたとき、交通戦争と騒がれて事故撲滅運動が大々的に展開されたが、全てが経済的苦痛の自殺ではないとしても、今、自殺者はその3倍である。倒産・借金ぐらいで、死ぬな!
 むら社会である日本では、倒産で周囲に負債を残したものは、世間に迷惑をかけたと烙印を押される。島国の国民にとって「他人の不幸は密の味」なのだ。それこそ、倒産以上に、人間としての品性に関する最も恥ずべき性根なのに…。なぜ、その人の再生に賭けないのだろうか。アメリカでは、健闘むなしく時利あらずして倒産を経験し、なお再起しようとする経営者は、豊かなキャリアをもつタフネスとして評価される。親の会社を潰した道楽息子はダメだけど!
 「借りた金を返すのは当り前」…?、果たして紋切り型の決まり文句で事態を結論してしまってよいのだろうか。
 個人が好意で貸してくれた金は、これは何としても返さなくてはいけない。でも、銀行やサラ金などの金融業者から借りた金は、商行為の産物なのである。貸す方も、そのことによって利益を生むとの見込みをもって貸すわけだ。借り手が倒産したなら、貸し手も見込みが外れたのだから、同等に責任を取るべきであろう。
 「あっても返さない」のと、「ないので返せない」のとは、同じではない。第一、預金者に金利も払わず、不良債権を生じて株主に配当もできない、約束を守らないのは銀行ではないか。しかも、その行員の給与待遇はなお群を抜いていて、経営者は2億も3億もの退職金を手にしていくのである。まだあなたは、「借りたものを返すのは当たり前」と言うのか!
 最近、サラ金各社が、さも庶民の味方のような顔をして、テレビCMを流したりしているが、その商法も金利も、かつて世間を騒がせた悪徳金貸し時代と何も変わってはいない。昔は「返せないだと、この野郎!」とテレビドラマの通りの取立てが始まったわけだが、今はサラ金規制法にひっかかるからそんな言葉遣いはしない。しかし、どこまでも付いて来る。
 サラ金、商工ローン、街金…など、べらぼうな金利を取る業者が多い。しかし、相手が銀行だろうが高利貸しだろうが、返せないから自殺するという必要は全くない。「利息制限法」で認めている金利は、10万円未満…20%、100万円未満…18%、100万円超…15%だが、貸し金業者が契約書に記載している金利は「出資法」に定める29.2%だ。2本の法律があるというのもふざけた話だが、交渉・裁判になれば利息制限法で交渉・処理すればよい。すると、4年6ヶ月ほど返済を続けていた人は、ほとんど元本がゼロになるという。それもダメなら、「返します、月1万円」と言えばよい。いざとなったら、5年間、逃げ通すことである。借金の時効は5年だ。
 多重債務者は、業者との交渉に時間を取られていては仕事にならないから、弁護士や司法書士などのプロに頼むのがよい。ところが、その辺の弁護士では通り一遍の処理しかしないし(処理法を知らない弁護士が多い)、依頼者の利益を図ってはくれない。業者は、この世界に詳しくない弁護士などナメているから、「日榮・商工ファンド弁護団」などに相談して、専門的な知識を持った弁護士に相談することである。
 事業を継続するかどうかは、「有利子負債がなければ黒字なのか」を見極わめ、それが赤字ならば、「借金は返さん」と宣言して会社をたたむことである。間違っても、それ以上の借金をしてはならないし、銀行に対して追加保証人や追加担保を差し出してはいけない。親戚や知人を連帯保証人にしたりして借金の追加を受ければ、最後の行き場を失ってホームレスである。
 経済的苦痛による自殺の原因として、日本の悪弊である連帯保証制度がある。閉鎖社会の陰湿さを象徴するこの制度は、連座制・五人組という日本の民衆統治の歴史の延長に位置し、人の世のしがらみを十重二十重に巻きつける悲惨な制度である。民主的な社会が築かれ、個人や企業の自立が(もちろん銀行など金融機関の貸し手責任も)確立されているアメリカには、こんな人質制度はない。「親の遺言、妻との結婚の条件、入信している宗教上の理由」と何でもよいから、連帯保証人は断固として断れ! 親戚・縁者を、自己担保以上の保証人にしてはならない。また、金融機関の責任において実施する金銭貸与に、人質をとる保証人制度は、法律で禁止するべきであろう。

 銀行と闘え! … 世界一おとなしい国民たちよ。その曖昧な微笑みは、大人の余裕などでなく、この国の今を貶(おとし)め、将来を危うくしていることに、そろそろ気付いたらどうなのか。
 ちょっと長いが、先日読んだ「再生(加治将一・八木宏之共著)」の前書きから、
「長引く不況、銀行はゼロ金利、株は連日の底値更新。わが祖国はギリギリの崖っぷちにかろうじて片手でぶら下がっている状態である。ここで、大胆な構造改革を断行しなければ国は持たない。ところがそれを必死で阻止しようとする輩がいる。官僚と銀行と、抵抗勢力と称する政治家どもだ。
 彼らは、改革を断行すればハードランディングで、この国はばらばらになるという。庶民はそんな覚悟は遠っくにしていて、独善的な金融機関によって中小零細企業は息の根を止められようとしている。今、改革を恐れているのは、その大波で足元をすくわれ、地位や利権をさらわれる政官財の抵抗勢力だけだ。彼らの頭にあるのは自分の保身だけで、国の将来や国民の幸せなどは微塵もない。
 ならば、国民は、自分のことは自分で守らなければならない。(以下 略)」。

 銀行だけではない。官僚・大手企業・政治家たち、権力の座に長年いたものには、利権が積み重ねられて腐敗が生じる。一部のものたちの利権に寄与する社会構造を改革し、庶民の幸せな日常生活を…正義が行われる社会を…この国の将来を…取り戻すために、日本国民よ 戦え!


 参考文献 「銀行の大罪」(高橋 求 著)  「新日本国富論」(大前研一 著)
      「 再 生 」(加治将一・八木宏之 共著)、
      「Q&A アウトソーシング活用の手引」(松崎龍一 著)


【63】 イラク戦争後の国際社会                 (4.26)

 コメントする意味はないかなと思ってきたが、イラク戦争について、ここまで若干の発言をしてきたので、総括と今後に触れることは責任かなと思って書いていく。
 一言で言えば、アメリカのひとり勝ちだ。世界中の多くの国々の反対を押し切って開戦し、圧倒的な軍事力を見せて、大方の予想を上回るスピードで勝利したアメリカに、もはや抑止力となるものは何もないことを証明したということなのだろう。
 戦後処理についても、イラクの利権を賭けてフランス・ドイツ・ロシアなどは国連主導を主張するだろうが、フセイン体制打倒に血も汗も流さず、戦争反対・査察継続をお題目のごとく唱えていただけのものに、新体制樹立へ参画の余地はない。おこぼれに預かるべく、アメリカを遠巻きにして遠吠えするだけだろう。
 国際政治は、現実だけが真実であることを再確認させられた結末である。ものの見方の基本姿勢は唯物史観、社会を動かすのは欲望と利益、政治の要諦はマキュアベリズムで、力は正義なのだ。
 日本はどうするのか。アメリカの同盟国としての立場を、声高に一貫して貫くことである。それこそが、日本の将来を約束し、国際社会で存在を失わない道である。


【62】アメリカ軍 フセイン大統領宮殿に突入         (4.7)

 アメリカ第3歩兵師団がバクダッド市内へ進軍し、フセイン大統領宮殿に突入した。テレビは、宮殿の邸内でヘルメットを脱ぎ銃を地上に置いているアメリカ軍兵士の像を映し出している。敷地内の戦闘は終わり、制圧されたということだろう。
 フセイン大統領とその側近の姿やイラク国防軍兵士の姿も見えない。首脳部は、バクダッド市内に掘られているという地下宮殿に潜ったのだろうか。この戦いも、アフガニスタンと同様、フセイン本人の捕捉あるいは死亡確認ができないのかも知れない。身柄を拘束しても、アメリカは困ってしまう。戦争犯罪人として裁かねばならず、罪状をどうするのか…、東京裁判のような民主主義に対する罪などの罪状をつくりだすのか。国連を振り切って開戦したアメリカにとっては、動向の難しい戦争裁判である。遺体で発見されるのが、最も好ましいというのが本音だろう。
 さて、アメリカ軍の勝利は当然とは言うものの、イラク軍の抵抗の無いことは、フセイン体制が民心を掌握していなかったことを示しているのだろうか。だとすれば、「命を懸けて、イラクとフセインを守る」と絶叫していた民衆は、独裁政権の前に自由と発言・言論を奪われたロボットであったということになり、「イラク人民を独裁政権から開放する」というアメリカの主張が説得力を持つ。



【61】イラク攻撃を長引かさないために                (3.30)

 大空爆を加えれば、イラク国軍は戦意を喪失し、アメリカ軍は無人の野を行くがごとくバクダットに進軍して、日ならずしてフセイン政権を打倒できるというのが、アメリカや世界の軍事アナリストがこの戦争に抱いたシナリオであった。
 ナメ切った米英軍は途中の町をチョンと押さえただけで、ひたすらバクダッドを目指したのだが、戦線は延びきって途中の補給部隊を攻撃され、補給路を切断されたり、捕虜を出したりしている。アメリカ軍の補給は1日2000トン、毎日10トントラック200台が、前線とクゥエートの補給基地とを往復している。
 進軍の止まった米英軍に対して、イラクの抵抗は勢いを増している。戦いが長引けば、イラクの度重なる国際世論へのアピールも、厭戦気分とともに効果を増してくる。国民皆兵の国イラクでは市民が銃を取り、民兵として参戦するから、軍事施設へのピンポイント攻撃に限るなどと余裕を見せてきたアメリカも、一般市民の間から撃ってくるイラクのゲリラ戦法に手を焼いている。
 しかし、以前に潮 匡人氏の論文に『一般市民が武器を取り戦うなど、言語道断である。…、一民間人に過ぎない彼らが戦闘行為を行うことは、明白な国際法違反である。法的にはテロリストの自爆攻撃と変わるところがない』とあったのを思い出す。民兵とは戦争犯罪人かテロリストというわけだ。また、民兵として一般市民が銃を取り発砲するのであれば、攻撃を加えるのに国際法違反というのは当たらないのではないか。銃を持った兵士が市井に隠れることこそが、国際法違反ではないのか。
 また、イラクの市民が「住宅地を誤爆したアメリカは犯罪者だ」と叫ぶテレビ映像が繰り返して流されていたが、これは戦争なのであって、そこに住んでいるのは承知のうえなのではないのかと思うのだが。
 戦争が長引けば、米英にとっては不利である。バクダッドに対する全面攻撃を宣し、一般市民の退避を勧告して、絨毯爆撃を敢行するべきではないのか。10万人規模の増員派兵を決め、量で押し切る作戦のようだが、その兵員の全てが到着するまでに1ヶ月を要する。イラクはこれから夏になる。砂漠の温度は50℃、対毒ガスの重装備で夏のイラク戦は戦えない。いずれ、米英軍の圧倒的な勝利は疑いのないところであろうが、住民を避難させたうえでの、早期終結を目指す徹底攻撃が、結局は市民の犠牲を少なく留める最良の策ではないかと思う。


【60】ブッシュ、ブレアに見る指導者の姿
              (3.24)

 ブッシュ米大統領も、ブレア英首相も、断固たる姿勢でイラク攻撃を説き、戦闘貫徹の構えを崩さない。ブッシュは国連決議の得られない状況を乗り越え、ブレアに至っては英国国会の反対決議を押し切っての開戦である。
 驚くばかりの信念ではないか。指導者たるもの、ことに当たっては百万人といえども我往かんの覚悟を確固として持つべきで、また、そうであるからこそ人々を説得することができるのである。もちろんその信念は、世の中の正義とされるものに根ざしていなければならない。ただ、万人にとっての正義は現実の世にはなく、自らが信じる正義に殉じることであろう。
 イラクの大量破壊兵器は必ず発見されるだろうから、これをもって世論に訴え、また仏独露など開戦に反対した国々を牽制して、今後の中東政策を展開することができるはずだ。
 ブッシュを米国大統領にふさわしい資質を有しないと論じる、日本のマスコミがある。奢った話だ。アメリカ国民が選挙で選んだ大統領を、資質云々で何を否定することができると思っているのだろうか。指導者の条件は揺るぎない信念を有すること。それさえあれば、指導者としての姿は、あとから形づくられていく。
 振り返って、わが国の首相はどうだろうか。信念という点から言えば、細川護煕以後、お世辞にも信念を持ってという首相にはお目にかからなかった。小泉純一郎が信念を示しうるかどうかは、一に「構造改革の達成」にかかっている。



【59】イラク攻撃の意味するもの
                    (3.16)

 イラクへの攻撃が緊迫の局面を迎えている。今日16日未明に米英スペインの首脳会議を終えて、ブッシュ大統領は「17日が世界にとって決定的なときになる」と述べ、言外に17日一杯に国連安保理が武力攻撃容認に対する何らかの動きをすることを求めた。もし国連が武力攻撃を認めない場合、アメリカは単独の判断でイラク攻撃の火蓋を切ることになるのだろう。

 実は、火蓋はすでに切られている。米空母5隻はアラビア海・地中海に配備され、南のクゥエート・カタール・バーレーンや北のトルコ・アゼルバイジャンなどには25万人を超える米英の兵力が駐留している。そして、すでにイラク南部ではイラク軍の地対空ミサイルを初めとする軍事インフラに対して爆撃が行われているし、イラク北部のクルド人地区では特殊部隊やCIAが潜入して情報活動を展開している。
 これらは、強大な軍事力を背景とするアメリカのゴリ押しと解釈される向きが多いが、今日までイラクが大量破壊兵器の保有を禁じた国連安保理決議687号に違反し国際秩序を乱してきたことは、仏露独を含めた世界の共通した認識である。シラク仏大統領も「米軍による圧力がなかったら、フセインはより大きな破壊兵器を保持するだろう」と演説で述べている。
 もちろんアメリカが圧倒的な経済と軍事力を振りかざして、自国の判断のみでいつでもどこでも攻撃を行う、一方的な権利を有しているわけではない。ただ現実的な選択として、9.11テロの背景にいるイスラム勢力の親玉フセインが、世界の石油の半分以上の埋蔵量を有するというイラクに、核武装して居座ったりしたら、アメリカの国際戦略はおろか、世界の国々の政治も経済も将来像も、著しく影響を受けることになるだろう。アメリカにとって、その事態を容認することは決してできないことなのである。それが、引き金を引かなくてはならない理由である。
 イラクに石油利権と大きな投資がある露・仏が、アメリカを牽制する動きに出ていることも当然だろう。西側世界の連帯に大きなひずみを見せたことは否めないが、お互いに修復できない亀裂であるという認識はない。むしろアメリカ軍の単独攻撃の方が、効率のよい結果を出すことも事実である。
 戦争することの是非は、ここでは問わない。問うことの意味が見えない。それこそが、このイラク攻撃が投げかけた意義なのではないか。すなわち、国際政治の舞台上では、現実こそが全てであって、倫理とか道義とかは後から付いてくるものだということである。

 もうひとつ、国連はその役割を終えたのではないかとも思う。第2次世界大戦の硝煙の中から生まれた国連は、その運営資金の42%を日米に依存し、総会では全ての国に一票の議決権を持たせながら、その一方に安保理の常任理事国5カ国に拒否権を認めている。しかもイラク・北朝鮮やアフリカの一部の国々の独裁体制をチェックできず、中国のチベットやウイグル地区、ロシアのアフガンやチェチェン介入など、人権が抑圧され、人々が惨殺されている現実に、何らの機能もしないのである。
 それでも無いよりはまし…という理由が国連の存在理由ならば、その有り様を問い直すべきであろう。世界の警察をアメリカの手から移管する裏づけを持つべきだろうし、世界の倫理を主導する信頼ある体制を構築し直すべきだろう。今の国連は、大国の権謀術策の上で踊る、綱引きのショーでしかない。綱引きこそが国際政治のバランス機能だというのなら、引き取った方(議決ではない)の武力攻撃も容認するということになる。そんな国連に、何を期待することができるのだろうか。




【56】 
初夢所感  2003年、日本の政治・経済がなすべきこと   (1.7)

2002年、日本にとって良かったことを思い出すのは難しい。強いてあげるならば、ワールドカップサッカーの日韓共同開催で、歴史的にギグシャクしていたこの隣国との相互理解が少し良くなったことと、年末、2人のノーベル賞受賞者が出たことか。ニュートリノの小柴氏は世界にその名の知られた学者だが、島津製作所の田中耕一氏は市井の人である。国内で彼の業績を讃えた事実がないのも、日本の研究体制というか、学会事情を物語っていた。
 2003年はといえば、これまた見事なほど良い材料はない。政治の手詰まりは小泉純一郎のあとに首相候補がいないということに象徴されているし、経済はアメリカの景気向上頼みで、自力上昇の力はない。経済首脳と言われる人たちの年頭所感を聞いても、どこか他人任せで、誰からもどこからも施策といえるようなものの提言はない。自分達の手で経済を再生するのだという気概も方法もなく、責任感もないという印象であった。

それでは、2003年、日本はどうすればよいのだろうか。


 小泉内閣の課題である改革を目に見える形で断行することが第一義であろうが、国政に緊張感を持たせる政局の要諦は、民主党と自由党の連合である。両党が政策をつき合わせて議論を尽くし、野党連合を構築して小沢一郎を首相候補に立て、国民に日本のビジョンを示して小泉自民党に抗する一大勢力を創り上げることであろう。なぜ小沢一郎か。国民に対して説得力のある政策を示しえる野党の首相候補は、彼以外にいないからである。
 政策で争わずに、実体を言わないイメージで勝負しようというのならば、北川正恭三重県知事を担いでもよいのかも知れない。改革の旗手としての彼のイメージは、地方自治が破綻する2008・9年ごろまでならば、カードとして使えるだろう。それ以降はまた彼の持ち前の行動力で局面を切り開いていくことを期待するとして、首相候補にするならば国会に議席を持たねばならないが、東京のどこかに彼の選挙区を用意するか、あるいは自民党守旧派の誰か…江藤隆美(宮崎2区、本人は引退して息子が出るそうだ)亀井静香(広島6区)野中広努(京都4区)古賀 誠(福岡7区)あたりの選挙区から、対立候補として打って出るというのはどうだろうか!
 「今の政局ならば、麻生が首相でも大勝」と自民党に言わしめる野党は、大同団結して小泉自民党に緊張感を持たせるような状況を創り出さねばならない。自由党が核となって、民主党の旧社会党左派を切り捨て、代わりに自民党のリベラルと一緒になって新党をつくることができれば、公明党が入っている現在の三党体制よりも信頼できる体制をつくることができるのではないか。


 経済は、竹中改革路線を強力に推し進めることである。日本経済の10年以上に及ぶ低迷の原因が日本の利権癒着構造にあることは繰り返して指摘してきたところで、それゆえに改革は遅々として進まず、まさに「改革なくして景気回復なし」の意味はここにある。
 この10年間の低迷期に、経済政策や財界活動・企業の経営トップに関わってきた人々は、その責を負って潔く身を引くべきであろう。橋本内閣から森内閣にいたる首相・蔵相・大蔵省局長以上などの政官界関係者、財界首脳と現在公的資金注入の銀行・債務免除を受けた企業の経営者は、引責辞任するべきだ。

 経済問題は、裏付けの数字や資料を提示して話を進めないと、自民党の爺さんのように「私らは命をかけているのですから」といった精神論や抽象論になってしまうので、時間のないときにはあまり深入りしたくないのだが、例えば、現在の銀行の自己資本比率は、先払いした税金の還付分を向こう5年間分まで組み入れて計算していて、UFJ(11.04%)みずほ(10.56%)三井住友(10.46%)三菱東京(10.30%)と一応の合格点をつけているけれども、これを米国並みの1年分に短縮するという竹中試案を適用すると、UFJ(5.61%)みずほ(5.54%)三井住友(4.37%)三菱東京(6.72%)と低迷し、海外で金融活動を行う基準の8%を軒並み割り込む。
 「途中でルールを変えて、評価されては心外だ」と銀行首脳は抵抗するが、外国の銀行はこの基準をクリアして企業活動をしているのだから、彼我の体質や力の差は歴然としている。かつては、世界の大銀行リストの上位に名を連ねていた日本の銀行が、バブルの中で判断を誤り、今、低迷する日本経済の根源となっているのだ。責任を問われるのは当然であろう。
 これまで10年を超える期間、日本は対症療法を繰り返し、100兆円を超える資金を投入して、なおその病根を除去できていない。昨年末に成立した予算を見ても、小泉内閣の基本的な公約であった国債30兆円枠を守ることができない状況に追い詰められていて、過去最悪の借金依存予算となっている。
 長引く不況に、またぞろ景気浮揚策推進論が頭をもたげてきた。景気が良くなれば株価などが上がって不良債権は目減りし、インフレとなるから消費が拡大する…。だから「景気回復なくして、改革なし」が正しいという意見を、多くの経済専門家までが言い始めている。そう言って100兆円をドブに捨てて10年を費やしたことを、すっかり忘れたのか。あるいは、知らぬ顔を決めこんでいるのか。

今、国民は痛みに耐える覚悟はできているのだ。大銀行が潰れて株価が5000円になっても、ゼネコンが倒産して失業率が7%を超えても、3年後に日本経済が立ち直るならば、その間を耐える覚悟はできている。ただ、5年の長きには、日本経済そのものが耐え切れない。銀行は機能をうしない、大小を問わず倒産する企業が続出して、国家は調整管理能力を喪失する。だから改革を急ぐ必要がある。
 現在の国民経済の動向を見ると、政府が小手先の策を弄して消費を喚起しても、人々は財布の紐を硬く締めて将来に備えている。潰すものは潰せ、膿は全て出し去れ。その間、自分の生活は自分で守るから…と、国民は強烈なメッセージを出し続けているのである。この国の五流の政治家はそれを読めずに、すでに潰れている大銀行・大企業に死に金を注ぎ込み、なお国民の不安をあおっているのだ。

 竹中改革を強力に進めることが、この国の経済を蘇生させる道である。昨年11月発売の文芸春秋に10人の経済学者・評論家の30数ページにのぼる大激論が載っていたが、どこに結論があるのかわからなかった。実は、結論などなかったのである。責任のない学者や評論家の暇つぶしに付き合ってしまったむなしさだけが残った。それぞれが自説を繰り返すだけで、反対意見を論駁できる確固たる理論もないし、「こうしろ、俺は命を賭ける!」とか、「このままいけば、3月に株価は6000円台。外れたら大学を辞任する!」と言うものは一人もいない。言ったことに責任はなく、言いっ放しだ。
 竹中氏の改革は支持できる内容である。「大銀行といえども、潰す対象から除外しない」「公的資金導入の銀行の頭取は、退職金を支払わずに辞任してもらう」など、至極当然のことで、この国のマスコミは素早く反応した株価の下落を見て「責任ある立場のものの発言としては、軽率すぎる」などと、与党関係者の言をそのまま論調にしているが、竹中発言の内容は正論であって、国民の側からしても、潰すものは潰す・責任は取らせるというのでなくては納得できない。
 潰した銀行は、一時的に国家管理とすればよい。責任体制を明確にして、国が選任した新経営陣に任せることだ。韓国は全金融機関の半分近くを整理して奇跡のV復活を遂げ、英国病に悩んだイギリスは11社あった証券会社の9社を潰してウインブルドン現象といわれながらロンドン金融市場の活況を取り戻した。
 改革を恐れてはなるまい。政治的妥協は目的達成方法としては必要であっても、改革のスピードを鈍らせることを許してはならない。スピードのないところに、改革はないからである。そして何よりも、この国の国家財政は5年後には破綻する。銀行の取り付け騒ぎから、預金も債権も保険も全てが紙切れとなる。テレビが映し出したロシアやアルゼンチンの姿が、現実となるのである。改革の実現を、もうそれほど長くは待っていられないのである。

国家百年の計、教育改革も逆行している。国の将来を設計する少子化対策も、子どもを産めない社会にしている。若者の刹那的な行動はどうだ。戦後の民主日本といわれる時代に育ったこの国の人々は、社会的な信条を持っていない。人情、公徳心、連帯感、孝養、愛国心…などなど、考えなければならない問題は多く、この国の再生に課題は山積している。
 しかし、年賀状も続かないといった人間的絆のもろい大人もいる中で、「年に一回のこと、ハガキでは語り尽くせませんので、手紙にしました」と、今春社会へ巣立つ22歳から便箋4枚に思いのたけを綴った年賀封書が届いた。この国の将来も捨てたものではないと思った。


その6
日本は、今
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