【76】 自衛隊のイラク派遣に思う                  (11.29)


 戦後の日本が、軍備をアメリカの保護に委ねて、ひたすら経済の復興に力を注いできた国家再生の方策を「吉田ドクトリン」という。日本が今日の繁栄を遂げたのは、昭和21年から29年まで復興日本の首相を務めた(間に1年ほどの下野)吉田 茂が、経済優先の政策を遂行したからだとして、この姿勢は戦後保守政治の基本哲学とされてきた。
 しかし、吉田の本意は、昭和20年代に日本が再軍備に踏み出すことは、経済的にも社会的にも、そして何よりも当時の国民の意識として不可能であるという判断のもと、冷戦下の選択として経済優先の政治を進めたのであって、国を守り、世界の一員として役割を果たすことを放棄するものではないと書いている(回想10年 吉田茂著、中公新書)。
 日本はアメリカの傘の下で、さまざまな保護と援助を受けて国力を回復させてきた状況から、今、経済的にも科学技術も世界の国家の一員として、その役割を果たせる位置にいる。果たすべき役割を果たさずにいる日本を世界は認めるわけはなく、人員を派遣できないので何とか金で済ませてくれという姿勢は、キャッシュ・ディスペンサー(現金自動支払機)と蔑まれている。
 世界の中で、日本がその役割を果たすとはどういうことか。日本が、他の国と同等の責任と義務を果たすことである。知恵を出し、分担金を出し、科学技術を提供し、NPOの協力人員を派遣し、必要なときに自衛隊を派遣することである。当たり前のことだが、日本国内の議論はこの当たり前のことを忘れて、方法論を言い合ったり、手続きの不備を言い合っているのではないか。
 自衛隊を派遣するには、憲法条項との整合性がないのであれば、憲法を改正することである。緊急の間に合わないから、解釈や政治判断でできることを優先させるべきである。それが、世界の評価という国益を守るための、政治の責任であろう。
 派遣した場合には、テロ勢力の攻撃の標的になることは避けられまい。最悪、命を落とすことも考えられる派遣であることを承知しておかねばならない。駐屯地の周囲には堀をめぐらせ、鉄板で囲って、その中で活動するとも聞いたが、派遣の目的と支援活動の内容を考えれば、穴熊を決め込んでいることは許されない派遣なのだから、活動や移動の間に攻撃を受けることは当然であるとの覚悟が必要である。
 「テロ勢力の攻撃の標的になることは避けられまい」とか、「命を落とすことも考えられる派遣」というと、「無責任」とか「人の命を軽んじている」とかの非難をする人や勢力がある。しかし、責任があるから言わねばならないのであり、人の命の重さを思うからこそ避けて通ることができないのである。「怪我をしたり死ぬかもしれないから、しなければよい」というのであれば、こんな安易なことはない。警察官の犯罪取り締まりも、消防士の消火活動も、やめてしまえばよいのか。国民の生命と安全を守るための使命に燃え、その役割を果たすために、時には命を賭して責務に臨むのである。自衛隊員は、国家の威信を保持し、世界の一員としての当然の役割を果たすために、イラクへ赴くのである。
 だからこそ、派遣した自衛隊員が十分に活動できるだけの支援体制を、法律整備をも含めて整えることが望まれる。日本がイラクで十分な活動のできる組織として自衛隊を送り出し、自衛隊がその役割を立派に果たしてきたならば、自衛隊は日本の中での位置を大きく前進させることができるだろうし、新しい世界平和の構築へ積極的に参画していくことができることだろう。今回の自衛隊派遣は、日本が当たり前のことができる国になるかどうかが問われている。


 イラク派遣の希望者を自衛隊内で募ったところ、定員をはるかに越える応募があったという。自らの任務に対して旺盛な士気をたぎらせる自衛隊員の誇り高い志に敬意を抱くが、反面、今回の派遣には、一人一日当たり3万円の特別手当がつくという話を聞いた。もしそれが事実だとしたら、命を賭してイラクに赴く行動が、法外に高額な金目当ての労働作業と化してしまい、自衛隊の存在意義を地に堕す処置である。国民合意の支援と激励で送り出そうという意味も失せてしまうとともに、将来の自衛隊像が歪められ侮られる素因となることだろう。


 この項を起こしている途中、午前0時のNHKニュースが、「イランの日本大使館員2名が車で移動中に攻撃を受けて死亡したもよう」と伝えた。痛ましい出来事で、犠牲になられたお二人には心からのお悔やみを申し上げる。
 その遺志を全うするためにも、日本はここで踏ん張らなくてはならない。日本の進むべき道が問われている。


【75】 第43回 衆議院議員選挙 結果判明            (11.9)
 
− 自公保 安定多数、 民主 躍進 −


 午後11時43分、NHKが三重1区川崎二郎の当確をうった。開票開始から3時間43分、開票率75%、自民党の当選者として204〜5番目ぐらいの遅い当選であった。それだけ激戦の選挙であったということだろう。
 中井 洽は、比例候補に重複して立候補していたところが、小選挙区1本で頑張った川崎に対して、自信のなさであり、迫力に欠けるところであった。比例で拾われることだろうが、ゾンビ議員であって活躍はもはや望めまい。
 川崎の所属する派閥に加藤紘一が復活してきたが、昔の復権はおぼつかない。山崎 拓は小選挙区で落選、比例の復活もならず。ニューリーダー谷垣禎一財務相が力をつけるのもまだまだで、川崎が国政で活躍する場を自力で開くことができるのかといえば難しすぎる話だろう。漏れ聞くような、亀山市での新工事に「○○を業者として使わないように」などといった妨害をしているようでは、先が見えている。三重1区にはたいしたライバルも居ないと、ちょっと舐めているのか。
 三重県各区の状況を見ると、2区は自民党三重県連のだらしのなさで、候補者が擁立できず、中川正春の独壇場。3区は岡田幹事長の圧勝。他候補の応援でほとんど帰って来れなかったことに、支持勢力が危機感を強めて結集したということだろうから、組織が本物になったことを証明した。もう、100年やっても平田耕一は勝てないだろう。4区の田村憲治は政治風土が固定化している結果だ。5区三ツ矢憲生は大健闘。三重県南部の保守王国は揺るぎない。


 我が三重県1区と三重県全区の状況はこれぐらいとして、全国の開票結果を見てみることにしよう。
 第43回衆院選は開票の結果、自民が239議席、公明34議席、保守新が4議席を獲得、計277議席で絶対安定多数の269議席を上回った。政権獲得を目指した民主も、解散前を40議席上回る177議席を得し、2大政党化が進む結果となっている。
 与党3党で安定多数を確保したことと、民主党の躍進という結果で、予測したとおりの落ち着くところに落ち着いたというところだろう。一口に言えば、国民は小泉改革を一応支持したけれど、自民の改選議席を減らしたことを見ても100%手放しでよしとしたわけでなく、厳しい注文をつけた。小泉首相は今後の政局を、与党の協力を得ながら、国民の目に見えるように、内容とスピードを示しながら進めることになる。
 投票前の世論調査では「小泉自民 圧勝」が伝えられたが、国民は小泉首相と自民党に無条件の信託を与えなかった。大勝利が予想されながら惨敗した、故大平首相が洩らしたように、「国民は絶妙のバランス感覚を持っている」ということなのだろう。
 民主党の躍進は、将来の政権交代を視野に入れながら、自民党の改革をしっかりと監視する役割をおおせつかったということだ。この勢いを、これからの政治の場でいかに国民に実感させていくことができるかが、次の選挙で政権を奪取できるかどうかの鍵だろう。
 55年体制を象徴する存在であった土井たか子社民党党首が、自民党候補に敗れたことは、ひとつの時代の終焉を意味する出来事であった。熊谷保守党党首の落選は、民主党離党のゴタゴタを思えばやむをえないところか。2大政党の激突の狭間で、共産党の半減など弱小政党にとっては受難の時代である。政権に反映しない議席しか持たない政党は、抑止力としての効果を期待される構図になりにくく、存在にかかわる状況である。
 菅直人対鳩山邦夫は、菅14万対鳩8万で勝負にならず。安部晋三は80%の得票率。田中真紀子 大勝。政界失楽園の船田 元 復活。小渕優子・野田聖子・小池百合子(比例)の美人連は当選。鈴木宗男とつるんでいた松岡利勝は最後の1人で滑り込み。
 「政治生命を失うほどの厳しい天命だった」と山崎 拓、「毒まんじゅうを食らった」の村岡兼造、コップの水の松浪ちょん髷、郵政反対の荒井広幸、ファミリー挙げての選挙も空しく石原宏高くんらは、落選。


 一応の安定多数を獲得した小泉首相は、信託を得たとは言うものの一息ついている暇はなく、改革を叫びながらより邁進することだろう。改革こそが、彼のアイデンティティーだからである。ここでトーンダウン、スピードダウンしたならば、その存在意義がなくなってしまうし、民主党に尻尾を踏まれることになる。
 土俵は次の参議院選挙に移るが、改革の結果を段階を追って目に見える形で示していかなければ、国民はいつまでも甘くはない。



【74】 第43回衆議院議員総選挙 公示               (11.1)
  −日本改革の推進力にするために−

 第43回衆議院議員総選挙が公示され、11月9日まで12日間の選挙戦が展開されている。今回の選挙の争点は、マニュフエストを掲げての「小泉改革の継続・推進」か「菅・小沢の連携による政権交代」かが争点とされている。
 小泉改革が実のところ手詰まりであることを考えると、民社党に政権を移して従来の膿を搾り出させるのが、今回の選挙の持つ意味なのかもしれない。こう言うと無責任のようであるが、今回の選挙のマニフェストを読んでみても、自民党(小泉首相)と民主党との主張に大きな差は認められなくなっている。ということは、政権を交代させても施策面で根幹にかかわる違いはないということである。
 自民党に(小泉首相)とつけたのは、これが自民党のマニュフェストだというものがない…言い換えれば自民党のマニュフェストは複数あるということだ。 自民党公約2003  自民党12の約束  自民党重点施策<2004> 等がそれで、今回の選挙に掲げるものは「小泉宣言 -自民党公約2003-」としている。選挙後は、あれは小泉の個人的な約束で、ホントはこちらだと別のもの出してくるつもりだろうか。「自民党マニュフェスト」と表題して一本化できないところが、さまざまの利権やしがらみが交錯する自民党の体質であって、この選挙に際して「郵政民営化は小泉が勝手に言っていること。そんなことは絶対にさせません」と堂々と演説している自民党公認候補も居る。
 国全体としての規模で見れば、遅々としてではあるけれども小泉改革は確かに進んでいる。もう少しこの改革を見守ることも意味のあることだろうと思うし、多くの有権者は緩やかな変革を願うのが常であるから、今回の選挙結果は政権交代には至らずに『民主党、肉薄』だろうと思う。ただ、野党と国民を舐めきっている自民党の襟を正させる材料が必要である。あいまいなマニュフェストで選挙に臨もうという姿勢に、自民党議員のおごりが見える。
 だから、自民党のマニュフェストに掲げる事項は具体的表示が乏しい。自民党公約2003では、文末を『検討する、見直す、進める、委員会を開く』で結んでいて、何をいつまでどのくらい…どうやって改革するのかを明記していない。道路公団を2004年、郵政公社を2007年に民営化するとしているが、173の特殊法人の処置には言及していない。「天下りはできるだけ制限し…」では、本当にやる気があるのかと疑われる。多くの問題は、検討する、委員会を開設する…までが、自民党の公約なのだ、
 これに対して、民主党のマニュフェストは細かいところまで記されている。例えば、防衛の項目で、自民党が『防衛力の整備・強化を図り、「防衛省」を実現し、国民の安全確保に万全な体制で臨む』とするのに対し、民主党は『[1]陸上自衛隊の削減、[2]テロなどに対処する特殊部隊導入強化、[3]予備自衛官の拡充、[4]機甲師団の廃止、戦車、火砲の20%縮減、[5]陸海空3自衛隊の統合運用強化、[6]軍事技術のハイテク化・IT化、[7]ミサイル防衛力の向上―などを5年以内に実現する』と挙げている。
 小沢一郎は、1993年に出版した著書「日本改造計画」で、すでに政党による政策の選挙(マニフェスト選挙)や全国を300の「市」に(市町村合併)と提言している。「世界貿易機構」の構想のもと、日本の再生を脱官僚主導の政治・新教師聖職論などで訴え、海部内閣の幹事長として「湾岸戦争に自衛隊の派遣」を主張した、彼の政治にも期待したいと思う。今の時代、頑強な抵抗を打破し、改革を成し遂げていく『豪腕』が必要である。安部晋三では、比較にもならない。


 三重県1区では、これまで自民党の川崎二郎に対して、自由党から中井 恰が出馬して、選挙戦を展開してきた。二人とも二世議員であることも不満の材料だが、自分の言葉で政治を語らないことにも物足らなさを感じていた。独自の日本と三重県のビジョンを持たない点である。
 以前は中井が自由党の議員で、当選しても国政に直接関与しない立場にあったことも、選挙をしらけさせていた原因であるが、今回は民主党からの立候補だから、政権交代の役割を担う候補である。
 双方とも、比例に重複立候補している点では、覚悟にも迫力にも欠ける。小選挙区で落選した候補が比例で当選してくるというのは、全く解せない選挙制度であるが、この批判を受けた先般の法改正では「小選挙区で一定の得票数を得られなかった候補者の、比例区での当選を禁止する」という条文になっている。「一定の得票数を得られなかった」とは法定得票数のことで、有効投票数の6分の1だから、全くの泡沫候補でない限り救済されないことはない。法案の骨抜きの典型を見ることができる。
 小選挙区で落ちて比例で復活してきた議員を『ゾンビ議員』という。そういえば、川崎二郎が郵政大臣になったのは、ゾンビの時期ではなかったか。今回も川崎・中井の両候補は小選挙区で落ちても比例で拾われるのだから、有権者からしてみれば選挙戦を戦う意味がない。本人達は、ゾンビと呼ばれないための戦いではあろうけれども。


 先日、娘が出かけるので、劇団四季の先行予約申し込みをしておいてくれと頼まれ、半日、コンピュータの申し込み画面を開け続けたのだが、「只今、混雑しています。しばらくたってから…」とのメッセージばかりが続いた。夜、帰宅した娘がアクセスすると、6ヶ月に及ぶ期間中の真ん中前30席×20列(だから、30×20×6ヶ月×30日=108000席)は、1日で全て売り切れ満席であった。
 「なんと平和な日本、政権交代はないね」と話したものだが、こう考えてくると、「政権交代」がこの選挙の持つ意味であることが見えてくる。泥沼の利権の中でがんじがらめになっている自民党政治に、政治・省庁・経済・産業の構造改革を断行しなければならない日本再生は無理ということなのだろう。
 菅・小沢が政治をはじめとするこの国の改革をなしえることができるのか、どこまで通用するのかは未知数だけれども、国民を舐めている自民党に代えて、新生日本への一歩を託する構えを見せ、自民党の喉もとに突きつける必要はありそうである。そうすることが日本の改革を進める推進力になることは間違いない。



【73】 中国、初の有人宇宙船 打ち上げ  −日本の科学技術は?−  (10.15)

 中国が、独自の技術で開発した初の有人宇宙飛行船「神舟5号」を、今日午前9時(日本時間午前10時)に、酒泉衛星発射センターから無事打ち上げに成功した…と、米大リーグ野球中継の途中で、NHK BS放送が伝えた。中国人初の有人飛行を実現した宇宙飛行士は、空軍パイロット楊利偉氏。「気分は良好」と第一声を伝えたという。
 これで中国は、世界で第3番目の有人宇宙飛行を達成した国になった。中国の快挙を祝うとともに、日本の科学技術の停滞を嘆く気持ちがどこかにあって、複雑な思いであった。
 意気消沈気味とはいうものの世界第2位の経済的規模を背景に、ハイテク技術は世界に誇るレベルを持つことなどを考えると、米露に続いて3番目に宇宙飛行士を送り出すのは日本であろうとの期待を、近年まで抱いていたのも事実である。それが、衛星を打ち上げるA2ロケットの発射に相次いで失敗し、先日に予定されていた打ち上げも1ヶ月の延期になっている。
 中国の成功を聞いて、彼我の間に厳然とした科学技術力の差があることを知り、愕然としているというのが正直なところだ。しかも、日本の場合、衛星打ち上げですら200億円超もかかり、独仏などヨーロッパ諸国のものも含めて外国のものはその半額程度で成功している事実を見ると、日本の科学技術はどうなっているのかと、暗澹たる思いに駆られる。
 ここにも、子どもたちの学力低下を招いた文部科学行政と、同根の問題が横たわっている。
 ひとつは、高度経済成長を基盤としたより高い生産性を求める努力が、子どもたちや社会の学習意欲を高め、日本の学校教育は世界に誇る学力を修得させてきたのであるが、1987年の竹下内閣(中島源太郎文相)のころから、「過当競争・受験戦争」などの批判の前に、制度としての欠陥を是正することなく、安易に学習内容を軽減することによって問題解決を図ろうとし、その結果、生徒の学力を低下させてしまったことである。
 この処置は、あわせて教師の指導力の低下を招くとともに、改革が目指した「過当競争・受験戦争」の解消や、さらに「非行防止・学校崩壊」の歯止めとしての役割を全く果たしていないことも、大いに反省しなければならない事実であろう。
 もうひとつは、1992年、宮澤喜一内閣(鳩山邦夫文相)当時、小学校1・2年生のカリキュラムから「理科・社会科」の授業をなくし、自然科学・人文科学の芽を育てることを放棄してしまったことである。
 かわりに「生活科」と名づけて、遊びの中に科学する心を育てようというキャッチフレーズばかりが先行する、幼稚園の延長のような授業が行われているが、結果は、理科が好きな生徒の割合が先進国中最低という数字に表れている。学校現場では、1・2年生の担任を疎外することになってしまうことから、理科・社会科の教育研究ができなくなっていて、理科・社会科を、生徒に期待感を持たせて指導できる教師も、激減してしまった。
 日本の科学技術力を停滞…いや減退させた、文部科学省の責任は免れまい(科学技術力だけでなく、学力全体と、日本の常識力・倫理観なども、今の教育は崩壊させている)。第一次小泉内閣(遠山敦子文相)は、総合学習重視の新カリキュラムを実施し、子どもたちの学力低下に拍車をかけている。教育全体の責任は、大きいといわなくてはならない。
 日本はアジアの求心力の核として、その責任を自覚し、大きな役割を果たすべき存在であった。近隣のアジアの諸国は、日本に大きな期待を持っていたのである。今の中国は近隣諸国と国家体制が違うし、かの中華思想はアジア諸国の受け入れるところではない。しかし、経済面で大きな力をつけてきている中国が、科学技術力でも日本を完全に凌駕したとすれば、アジアのリーダーとしての役割を託すしかなくなるのではないだろうか。
 今のままの教育体制では、小学校で99×99までの掛け算を暗誦させ、コンピュータ開発に目覚しい成果を挙げているインドや、基本文型の徹底的な暗誦で小学校の1・2年生が日常英語を話すというインドネシアにも、早晩追い越されてしまうことだろう。
 現状の教育は、当事者自身を含めて、結果責任を負う覚悟が希薄である。社会全体の責任体制があいまいな、護送船団方式の日本には、機関や組織の一員としての個人には責任はないといった驚くべき倫理が存在するが、団体には団体としての、個には個としての責任があることは自明の理であろう。文部科学省はその責任を認めて、早急に教育内容を見直し、結果を出せる実践を行うことが急務である。誤りにこだわる姿は醜い。過ちを改むるに憚ることなかれである。



【72】 NHKスペシャル 少年犯罪はなぜ増加するのか に対する投稿 (10.4)


 少年犯罪の増加の原因には、数々の社会的な要因が挙げられますが、何といっても学校教育の責任は免れないと思います。人生の師としての役割を自ら否定した教師のサラリーマン宣言は、尊敬の対象としての教師像を崩壊させました。
 さらに、徳育教育のない現在のカリキュラムに始まり、物語や伝記を紐解かせて人生について考えさせる教材と指導時間の欠乏、さらに、指導する教師の自信のなさが、子どもたちの心を育てる機能を喪失しています。
 家庭の問題が指摘されていますが、今の子どもの親たちは、すでに上に指摘した教育を受けてきた世代ですから、倫理観や人生観は希薄であり、偏った権利意識や優しいだけの人権意識に染まっています。
 社会の意識構造を変え、研究研修制度の充実を図って教師の力量を増し、子どもたちの学力向上と心を育てるカリキュラムを確立して、教育の内容を信頼されるものにしていかねばなりません。今の日本が抱える第一の課題であると思います。


【71】 第2次小泉内閣 スタート                 (10.1)

総裁選分析
 自民党総裁選は、小泉純一郎首相が、議員票と党員票の合計657票のうち6割を超える399票(議員票194票/356票、党員票205票/300票)を得て再選された。議員票が200票台に届かなかったのは、「議員のバランス感覚」「あまり圧勝させるといい気になる」といった意識から、高村氏に票が流れたといったところだろう。党員票では計300票の68%に当たる205票を獲得、世論の高い支持率が反映された格好だ。
 藤井氏の議員票50票は橋本派の分裂を如実に表現しているが、もうひとつ注目したいことは、氏が獲得した党員票が15票で、地元の岐阜県で7票を押さえたほかは、8票しか上積みされていない。党員票の争奪で大きな力を振るう、郵政、建設関係など業界ごとに作られる「職域団体」は70万〜80万票の党員票を有しており、従来、橋本派などの影響力が強いとされてきたが、藤井氏や亀井氏の陣営がこれをつかみきれなかったことは、選挙基盤の変化・派閥政治の崩壊を象徴する現象であると思われる。

人 事
 安部新幹事長の登用は、大方の度肝を抜いた人事であった。若さと拉致問題に示した強硬軸とで、大きな人気を得ている安部氏の抜擢は、山崎 拓氏の処遇を落ち着かせ、今回の人事が小泉主導であることを納得させる効果を挙げた。
 安部氏の力量については、はなはだ心もとない。人気のもとである拉致問題にしても、強硬路線一辺倒で、事態を進展させる有効な手立ては示しえない。北朝鮮側の国内事情を考えればいずれ相手方から動くことになるのだろうが、こちらからの手段を持たないところが安部氏の現在だ。また、その「喋り」も説得力を欠く。
 川口外相の留任は、官邸主導の外交を示したもの、谷垣財務相は、省内意見をどれだけ抑えて、日本の財務体質を変えることができるか期待することにしよう。坂口厚労相は世代交代の波を加速させたくない公明党の党内事情、石破防衛庁長官は実績の評価とイラク法案を見越して。石原国交相だが、その二代目的な線の細さが目立つ。藤井道路公団総裁のクビを取れるかどうかが、その試金石だろう。
 竹中平蔵金融経済財政政策担当の留任は、改革への決意と意地を内外に示したものだ。金融相を代わるのではないかという予想が一般的であったが、ここは小泉流を貫いて、構造改革への不退転の姿勢を示す象徴とした。
 教育にかかわりの深い私としては、党の文教委員を務めたことはあるが、もともと教育に経験もゆかりもない河村健夫文部科学相は、歴代内閣と同じように、文部科学行政を軽視した起用であり、派閥年功人事の一旦が垣間見られて残念である。

課 題
 構造改革を目に見えるかたちで進めることに尽きる。歳入が42兆円程度なのに、80兆円の予算を組む我が国の現実は、不気味な不安感を根底に秘めている。毎年30数兆円の赤字国債を発行して借金を増やしていく現在は、誰もが異常であると思っている。今、700兆円あるこの国の負債は、毎年10兆円ずつ返済しても70年間かかる計算だが、現実は来年も30数兆円増えることになり、この負債が日本の格付けを西側先進国中の最低「A2」にしている(200212月)。
 余談になるが、最上位の「Aaa(米・英・独・仏・豪・NZ・スイス・スエーデンなど)」より5ランク低く、ハンガリー、チリ、チェコおよびボツワナが1ランク上の「A1」、日本と同等のA2は南アフリカ、イスラエル、ポーランドで、日本が政府開発援助(ODA)を供与しているボツワナより下位にいる。

日本の回復には、経済の活性化により税収を増やすと同時に、歳出の無駄を省くことが必要であることは繰り返すまでもない。では、経済活性化のために何をすればよいか…。それこそ、今までに何度も提言してきたが、政官業癒着の構造を打破し、自助努力・自己責任を国民の意識の上と社会体制の中に確立して、個人・企業・地域の工夫や特長を生かした産業を育てていくことだろう。
 いまどき政府をあてにして公共事業に景気の回復を期待している企業は時代に捨てられる。自分のことは自分でするという覚悟がないと生き残りはおぼつかない。その例が日本の金融機関で、企業の計画や将来に対して評価し融資する能力はなく、旧態依然の担保主義で新時代の経済形態に対応していけず、経済の血液としての役割を果たしうる資格も覚悟もない。最近になって、担保や保証人を取らない融資をという掛け声が聞こえてきているが、担保・保証という金科玉条にすがって企業を正当に評価できる眼力を養ってこなかった銀行に、そんな融資をさせたらすぐに自分が倒産するのは目に見えている。人を育てるには時間がかかる。頭の痛いことだ。
 日本再生への切り札は何なのだろうか。世の中の仕組みを変えることである。政治は、薩長土肥の藩閥政冶を始点として、明治以来培われてきた体制内利益を至上のものとする仕組みを変えなければならない。官界も、経済も、教育も、医療も…、内向きの馴れ合いに終始してきた日本的談合体質を捨て、外に開かれた効率的な責任ある体制を構築することだ。
 もうひとつ、大切なことは意識を改革することである。日本人の沈黙・腹芸・話し合い至上主義は、競争原理を鈍らせるとともに、世の中の不合理を糾弾し排除していくことを妨げてきている。戦え、日本人。構造改革とは、意識改革なのである。


 新政権のスタートは、世論の高い支持率をもとに、各方面に受け入れられているようである。自民党内の反主流派からも露骨な反発はなく、国会中継を見ていても民主党の菅・枝野・原口氏らの質問は、選挙を意識してのことだろうが、自党の対案を示しながらひとつひとつの相違点を丁寧に質していて、なかなか微笑ましい(?)光景であった。日本の民主主義は、新しい段階を迎えつつあるのだろうか。
 

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その8
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