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【138】 安倍内閣の役割                    2007.09.10
  − 「戦後レジウムからの脱却」の重大さが 国民に理解されていないジレンマ −


続出する政治とカネの問題
 「人心一新、実行力内閣」を掲げた安倍改造内閣がスタートして10日間、新しい内閣の門出に期待して10%ほどアップした内閣支持率であったが、すでに遠藤農水大臣が補助金の不正取得問題で辞任したのをはじめ、これでもかというほどの問題が続出している。
 一例を見れば、現閣僚で鴨下一郎環境相…800万円の入金誤記、増田寛也総務相…寄付金100万円を記載ミス(知事時代)、高村正彦防衛相…議員会館(家賃無料)を「主たる事務所」としながら3年間で約3000万円の事務所費を計上、若林正俊新農水相…理事長を務めていた基金の経費で政治団体のパーティー券を購入し、その団体から献金を受けていた、上川陽子少子化担当相…貸付金6月の時点で約968万円、03年11月時点で約1118万円、05年9月時点で約798万円の記載漏れなどが槍玉にあがっている。
 さらに、官邸行政官や与党執行部も含めて、坂本由紀子外務政務官(辞任、自身が代表を務める党参院選挙区支部と同氏の後援会が同一の会議費を政治活動費として多重計上)、岩城光英官房副長官(自身が代表を務める党参院選挙区支部と同氏の資金管理団体がパーティー券収入を政治資金収支報告書に「寄付」として記載)、荻原健司経済産業政務官(自宅の電気代を自ら代表を務める党参院比例支部の光熱水費に計上)や、額賀福志郎財務相・岸田文雄沖縄北方相・二階俊博自民党総務会長らも問題を取りざたされている。
 すでに自民党を離党しているが、玉沢徳一郎前衆院政治倫理審査会長(03年分の政治資金収支報告書に、通し番号が同じ領収書のコピーを多数添付。一枚の領収書で五重計上)なんて、むしろそのダイナミックさにあきれてしまう。
 思いつくだけでもこれだけの事例…、やっばりウンザリといったところだが、振り返って考えてみれば、これまでの政治家の収支報告はこれで十分だったのである。故松岡農水相の高額水道光熱費を発端に、マスコミが閣僚の政治報告収支をいっせいに精査し始めたところ、今までがいい加減で通っていたのだから、当然、収支の合わないものが随所に見つかったという図式である。決して不祥事政治家の肩を持つわけではないが、「何を今さら…」というのが、彼らの本音だろう。
 

問われる官邸の危機管理の甘さ
 現時点でこの問題を考えてみると、いい加減な政治家の収支報告の実態が浮き彫りにされたということは、大きな進歩であると評価しなければならない。政治家の活動を資金面からも白日の下にさらして、管轄下や利害関係のある企業団体からの献金などや、月額100万円が支給されている文書交通費(地方議員の政務調査費、市町村会議員20万〜都道府県会議員60万円ほど)を厳しくチェックすることは、政治の腐敗・癒着を防止するのに大きな効果を認めることができる。
 が、同時に、内閣を守る官邸の危機管理体制の甘さも憂慮すべきであろう。各大臣を任命する際のいわゆる身体検査の甘さは、すでに指摘されているところだが、遠藤農水大臣の辞任で打ち止めとする方策をなぜ取れないのか。総理周辺の政治力の低下が気がかりである。
 
 
安倍内閣の役割
 政治とカネの問題は重大であり、議員の品格…延(ひ)いては政治の浄化にかかわる事柄だから、閣僚や政務官だけでなく、与野党の全議員について大いに公開身体検査を行ってもらいたい。
 ただ、角を矯めて牛を殺すような、部分を直そうとして肝心な根本を損なうことがあってはなるまい。すなわち、戦後レジウムからの脱却を目指す安倍内閣の改革を頓挫させてはならないということを、再確認したいのである。
 率直に言って、戦後の日本を縛ってきたいわゆる東京裁判史観…自虐史観を払拭することの重要さを、戦後の平和な日本に育ってきた日本人は全く理解していないのではないか。私は常々、「日本のすべての問題の根幹は教育にあり、日本に求められている答えのすべては教育にある」と言い続けてきたが、「教育の問題点の根源は東京裁判史観にある」とさらに付け加えるべきであろう。すなわち、現今の日本の全ての問題点は大東亜戦争の敗戦による占領政策に起因していて、それらを総括し糺すべきを糺して、正しい日本観を構築することが、今日の日本の課題なのである。


戦後史観からの脱却
 戦後60余年を経て、中国・韓国を初めとする反日勢力から戦争犯罪を糾弾され、正しい歴史の検証を怠ってきた日本はただ謝罪と補償を繰り返す日々であった。
 戦後の日本に、大東亜戦争は日本の侵略戦争であり、占領した中国・韓国・東南アジアなどにおいて多くの戦争犯罪を犯したという定説が植えつけられたのは、占領下にGHQから出された30項目の禁止事項(1.GHQへの批判、2.東京裁判への批判、3.憲法起草の批判、5〜11.アメリカ・ソ連・イギリス・朝鮮人・中国・その他の連合国への批判、12.満州における日本人の取り扱いへの批判、… 戦争擁護・神国日本・軍事主義・大東亜共栄圏などへの言及や宣伝、戦争犯罪人の正当化と擁護 などの禁止)…によって、昭和20〜27年の間、日本は自らの手で歴史の真実に向き合うことは許されず、一切の自己主張をすることが許されなかったからである。
 マッカーサーは昭和20年12月15日の「神道令」で「大東亜戦争」という用語の使用も禁止し、スミス准将は12月8日から全国紙に、連合国から見た戦記「太平洋戦争史」の連載を命じている。この中で「南京(南京大虐殺)やマニラ(バターン死の行進)」での残虐行為を取り上げ(もちろん多くは検証された事実ではなく、中国からの一方的な申し出や風聞を寄せ集めた、戦勝国からの判断を下したもの)るなどして、日本人の太平洋戦争史観が形成されていったのである。
 「歴史を失った民族は哀れである。新しい歴史を捏造して上塗りしていけば、間もなくその民族は過去の記憶を失い、誇りを失い、祖国を失う」。犯罪集団であった祖先を敬愛することはできないし、恥辱にまみれた祖国を愛することはできないことだろう。しかし、正しい歴史を見つめれば、日本は戦争犯罪国家ではなかったことが明らかなのである。


国民生活に色濃く残る自虐史観
 戦後の敗戦国史観は、土下座・謝罪の政治・外交だけでなく、教育・文化、そして国民個々の精神性を含めて、国民生活の隅々まで深刻な影を落としている。
 周知のように、戦後日本の学校教育GHQの指導の下で作った学習指導要領に基づき、現
場は日教組に加入する教師集団がイニシアティブを取ってきていて、マルクス・レーニン主義に基づくイデオロギー教育を繰り返していた。そこで教える事柄は、当然、自虐史観に支配されたものとなり、大東亜戦争を侵略と定義して南京大虐殺・慰安婦・東南アジアへの出兵を犯罪行為と断じる反面、列強のアジア進出を阻止して中国・韓国の権益を守った日露戦争は教科書にもほとんど行数を割いていない。
 国語の授業時間は削減される一方で、名作・古典と言われる教材が姿を消していく。音楽の教科書からは「荒城の月」がなくなってしまった。戦後教育に染まった人たちが社会の中枢を占めるようになり、教育関係の学会を形成する有識者たちの意識からも、日本の伝統が欠落してきていることの現れであろう。
 家族の崩壊、倫理観の喪失、非行の低年齢化、社会の荒廃…など、戦後の日本人が失った精神性が大きな要因に挙げられる問題は多い。
 今もテレビで社会保険庁や市町村の職員による年金横領を伝えている。判明分の社保庁50件、市町村職員44件の合計横領額は3億4300万円だが、実額はこの10倍はあるだろうと言っている。いつの世にも悪事を働く小役人は存在したけれど、ここまで多くの職員が悪事に手を染め、しかも役所の組織そのものが年金流用という詐欺行為を誇らしげに取得権益として掲げているのをみると、やはり官吏としての精神性・倫理観・矜持が地に堕ちていると考えるしかない。日本人が持続してきた『恥の文化(=名こそ惜しまん)』はどこへ行ったのか。
 

「戦後レジウムからの脱却」の重要性
 今、日本の戦後を総括して、日本の歴史を取り戻し、民族の誇りを再確認し、教育や文化や日本の形を再構築することは、極めて大切である。
 日本のこの部分が確立しなければ、対外援助は賠償になり、技術協力は贖罪のための奉仕になる。国のために戦い死んだ、私たちの父や祖父は犯罪者なのか、またはその片棒を担いだのか。日本国民は子孫に語るべき歴史を持たず、愛する祖国をさげずまねばならないのか。アジアの砦として、初めて西欧列強の侵略を食い止め、世界史に残る偉業を成し遂げた民族ではなかったのか。日本の今日の繁栄は、アジアの人々の血と汗の上に築かれた、罪深いソドムとゴモラなのだろうか。
 「戦後レジウムからの脱却」は、日本が将来に向かってその一歩を踏み出していこうとするとき、常に付きまとう足かせであり、克服しなければならない命題なのである。
 


 安倍晋三にしかできないことでなく、首相の首を据え変えて、余人に担当させればよいという議論もあるだろう。しかし、「戦後レジウムからの脱却」を政治テーマとして高々と掲げ、この命題に正面から取り組もうとしたのは、安倍晋三であった。「生活が第一」などは当たり前のことで、そんな政治課題とは次元が違う問題なのだ。
 かねてから言ってきたように、私は自民党長期政権の間に溜まった政官界や社会の塵芥をきれいにするためにも、政権交代が必要であると主張してきた【参照 2002 2003 2006 など】。政治とカネ、年金問題などが、次々と明らかになってきているのも、参院逆転の効果であろう。
 しかし、教育基本法・関連3法の改正、国民投票法、イラク・在日米軍支援特措法、公務員改革法、少年法改正など、大きな道筋のもとに進めてきた安倍内閣の政治改革を、ここで頓挫させることの損失を思うと、安倍内閣にはあと2年… 少なくとも1年半は頑張ってほしいのである。


 おっと、ここで(09.10.am04:40)オーストラリアのシドニーから、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議に出席している安倍首相が閉会挨拶の演説で、「(大西洋上の連合軍への給油を継続するよう)職を賭してこの問題に取り組む」と述べたと、「日テレNEWS24」が伝えている。 給油継続がだめなら内閣総辞職も…というニュアンスである。民主党を追い込むための一言か、不退転の決意を示して自民党を引き締めるためか…。いずれにしても、またまた「若殿ご乱心」と家老たち重臣はビックリ仰天…、収拾に追われることだろう(苦笑)。




【137】 安倍改造内閣 スタート  −安定感のある新内閣−   2007.08.27


 大敗した参院選からの再起を期して、「人心一新」を掲げた 安倍改造内閣がスタートした。新閣僚の顔ぶれを拝見すると、安倍さん、考え抜いた人選というところだろう。


 第1次内閣の松岡農相のような、明らかに問題を起こすのが見えているような閣僚は見あたらないし、注目の3ポスト…、官房長官、防衛大臣、厚生労働大臣の人選には、苦心のあとがうかがわれる。
 私は、官房長官に中川昭一氏といったのだけれど、それでは安倍・麻生・中川の「ツッパリ内閣」と形容されてしまうところだったか(苦笑)。与謝野 馨氏ならば、調整型だし、政策にも強いし、人脈も幅広い苦労人(落選も経験している)…。よくこんな人が残っていたというカンジだ。
 防衛大臣は、初代・2代目がミソをつけているだけに、安定した人物を就任させて、新しく誕生した防衛省を揺るぎない格調ある省庁と位置づけたいところである。その意味で、派閥の領袖で元外相の高村正彦氏は適任であろう。
 厚生労働大臣は、今、誰もやりたくないポスト…(苦笑)。初入閣で、また、安倍内閣に何かとイチャモンをつけていた舛添要一氏は、「お前やってみろ」と言われたら、断れない。彼ならば、海千山千の厚労省のグータラ役人の尻を叩き、また、野党の攻勢にも論理的に対応して、年金問題だけでなく、医療改革、介護事業など、重要で切実な問題を、他の誰よりもしっかりとこなしていきそうである。就任後の記者会見でも多弁で、意欲と見識がうかがわれ、好感が持てた。
 元岩手県知事の増田寛也氏(民間)の総務大臣も、中央からの視点だけの地方分権を、地方の思考を盛り込むことができそうな期待感がある。他省庁との連携は不可欠だけれども、喫緊の課題である「地方の復興」をダイナミックに演出・実現することができるか…。ただ、改革派知事と言われてきた人たちの実績は、地方自治の現場に残っていないことも事実である。中央の体制が変わらなければ、地方は手も足も出ないということだろうか。その意味からも、総務省の方向を転換できるかどうか見守りたい。
 渡辺喜美氏の行革担当留任も、公務員改革に対する意欲が衰えていないことが伝わってくる。渡辺氏の前のめりの歩き方が、官邸へ入ってくるときなんか、つんのめって転ぶんじゃないかというほど前傾していた。


 懸念材料は、伊吹文明文部科学大臣、甘利 明経済産業大臣の留任と、遠藤武彦農林水産大臣。
 まず伊吹文明氏だが、疑念の残る事務所費問題や刑事訴訟を受けている商工ローン『日栄』からの献金を受けていたという体質もさることながら、文部科学大臣として手がけてきた今日までの事績に、疑問符をつけねばならないのである。
 巨大与党勢力を背景として「教育基本法」の改定をはじめ、「学校教育法改正案」「地方教育行政法」「教員免許法改正案」などを可決成立させてきているが、これらの事績は政治マター事項であって、わが国の教育(特に公教育)を活性化させて、学力低下や教育力の衰退を反転していこうとする実行プランが何も示されていないことに、現場を知らない大臣の限界を見るのである。
 歴代の大臣も教育の実情や現場をほとんど知らなかったことも事実である。鳩山邦夫氏が文部大臣に就任したときには、小学校1・2年生の理科・社会科をなくしてしまって、幼稚園のお遊戯の延長である生活科を新設し、子どもたちの自然・人文科学に対する萌芽を摘み取って科学離れを生じさせ、日本の科学的分野に大きな損失を生じさせている。大臣は、現場の一つ一つは知らなくてもいい。だが、現場の知識のないものがその地位に着けば、大元を誤ることも多いことが、この一例を以ってもうかがい知れる。
 伊吹大臣の11ヶ月の事績から、その留任によって、安倍内閣のこれからの文部科学行政が、教育現場を活性化できるとは思われない。司令官は大綱を整え、現場は各指揮官に任せることが望ましいが、司令官が現場を知らなくては、指揮官はてんでんばらばらな方向を向く。目標を達成するための手立てを示し、将来像を語るだけの見識は必要である。
 教育改革を真に最重要課題のひとつと位置づけていくのならば、現場をよく知る文部科学大臣を据えることが重要であろう。伊吹文科相の留任は、教育改革に対する安倍内閣の姿勢にクエスチョンマークをつけねばならない人事である。
 次の不満は、東シナ海の春暁油田の採掘についても対中国のアクトを何ら行わず、シベリア・サハリンの石油天然ガス開発にもロシアに一方的に権益を奪われながら抗議すら起こさず、中国からの有害食品の輸入にも有効な手立てのない通商産業省甘利明大臣の留任…。通産行政についての見識も意識もないし、仕事もしていない。こんな通産行政を続けていたら、日本は躍進する中国にもの造りから金融に至るまで凌駕され、やがては飲み込まれてしまうこととなり、世界経済の中でその存在は忘れ去られてしまう。日本の産業生産を上昇させ、日本経済を躍進させる見通しと手法を備えた大臣に挿げ替えることが必要である。
 そして3つ目は、就任した今になって「農水大臣だけはやりたくなかった」とぼやいている遠藤武彦。覚悟がないのならば、引き受けるべきではないだろう。確かに、次々と決まっていく各省庁の大臣を尻目に、農水大臣の枠は最後まで空白であった。何人かに、断わられていたのだろう。
 日本の農業が置かれている現実は厳しく、だからこそ民主党が所得保障などという禁じ手を用いて1人区大勝利に結びつけた要因が内在しているわけでり、今秋のWTO農業交渉も日本は難しい立場に立たされている。今、農水大臣を引き受けることは、日本の農家を敵に回すことになると言っても過言ではない、損な役回りである。
 しかし、だからといって、その任に就いてから「やりたくなかった」は、冗談半分としても、大臣ともあろうものが繰り返して言うべき言葉ではなかろう。失敗すれば全責任を一身に負い、今度の衆院選で討ち死にする覚悟を見せて、安倍改革の先陣を切ることだ。全農家と漁師を味方につけて農水改革を実現すれば、自民党のみならず、日本の農林水産業の恩人となって「武彦命神社」ぐらいは建つかもしれないのだから。


 新閣僚の認証式を終えて記者会見で抱負を述べる安倍首相の言葉遣いも、以前に比べて一語一語をはっきりと述べるよう心配りをしている様子がうかがわれた。まさに「安倍内閣の命は言葉
であろうと思う。説明責任をはっきりと果たし、自らの政策に国民の理解を得て、民主党との優劣の判断を求めていくこと…。衆参ねじれ現象下における政権運営の成否は、国民の支持にかかっているのであり、支持を得る手段は「ことば」なのである。
 新内閣は、一定の国民の理解を得られるものと思う。参院選前の20%台という惨憺たる内閣支持率も、安定度の感じられる新閣僚の顔ぶれを見て、安倍首相の目標を実現する内閣であるとして支持を与えることだろう。
 そもそも内閣支持率20%は、不祥事の続く安倍内閣のお友達諸氏を叱る数字であって、戦後レジゥムからの脱却を目指す安倍首相を否定するものではなかったはずである。新しい内閣のスタートを前にして内閣支持率がアップすれば、それこそがその証明であり、安倍新内閣に対する国民のエールである。


 あとは、実績で国民の信頼に応えることだ。まずは「テロ特措法」を、国民にその重要さをしっかり説明し、民主党の譲歩を導いて、期限までに成立させることから、お手並みを拝見するとしよう。年金問題も、「証明できないものは支給できない」などと、新大臣が一言でも目玉をギョロつかせたら、民意は民主党に流れる状況であることを忘れずに…。




【136】 安倍首相 擁護論                        2007.08.12
  −天下国家に視線を据えつつ、参院選で示された民意を汲んで 手厚い内政の充実を−


 参院選での自民党の大敗を受けて、続投を表明した安倍首相に対し退任を迫る声が、あちらこちらから聞こえてきている。前項【135】でも、私は「安倍首相が辞めなければならない理由は何もない」と安倍擁護論を展開したが、マスコミや野党…そして自民党内からも政権担当を安倍首相の続投を批判する声が聞こえてきている現在、より具体的な安倍擁護論の根拠を示そうと思う。


 まず、「国民は安倍首相を否定したのだから辞任を…」というマスコミの主張に根拠がないことは、この選挙は政権選択の選挙ではないという自明の理を持ち出すまでもないが、国民はその参院選で自民党にお灸を据えようとしたのである。醜態をさらし続ける自民党長期政権にあきれ、猛省を促したのだ。自民党は、目を覚ますきっかけを与えられたことを、むしろ感謝すべきであろう。


 「私を選ぶか、小沢さんを選ぶか」と問うた結果の大敗で、安倍首相を選ばなかったのだから辞任せよともいうが、その言葉を個人を選ぶ問いかけだと思っているのだろうか。
 参院選は、安倍晋三か…小沢一郎か…を選ぶ選挙ではない。自民党の総裁として敗戦の責任は免れまいが、今の自民党に鉄槌が下されたのだから、この自民党を改革して国民の納得を得られる政党に建て直し、次の衆議院選挙で過半数を確保…政権を維持することが、その身に課せられた責務というものだろう。


 日本のために、安倍首相の続投が取りうる最良の方策なのである。


 その理由の第一は、世界の最先進国の一国として役割を果たすべき位置にあり、内外に重要な課題を抱える日本の首相は、猫の目のように交代するべきではないからである。
 小泉首相以前、平成になってからの日本の首相の在任期間を調べてみると、1989(平成元)年6月の宇野首相から海部・宮沢・細川・羽田・村山・橋本・小渕ときて、続く森首相が退任したのが2001(平成13)年4月だから、11年10ヶ月の間に9人の首相が交代し、平均在任期間は15.7ヶ月である。
 この間、政党は集合離散を繰り返し、日本はのちに「失われた10年」と形容される低迷期に入っていく。先進国サミットに出席する日本の首相は名前も覚えてもらえず、当然ながら存在感もなくて、さしたる役割も果たせない。他国の首脳の後ろをついて歩くばかりで、言われるままに金ばかりを出していた。湾岸戦争時には、1兆2000億円もの資金を提供しながら、クウェートが出した感謝決議に日本はその対象にすら入らないという外交的屈辱を受けている。
 日本の評価が低下し、連動するように日本円も下がり続けている今、明確な受け皿もないままに在任10ヶ月の安倍首相の引き摺り下ろしを画策し、政治の混乱を招くような行動は避けるべきである。自民党は一致して安倍続投を支え、改めるべきは自ら改めて、政治を建て直し、来るべき衆院選…政権選択選挙に備えるべきであろう。それが、国民に対して責任を果たすことであり、政権政党としてのあるべき姿である。


 理由の第二は、安倍首相が、「戦後レジゥムからの脱却」(「レジゥム」を「体制」という漢字を使わなかったところに、単なる制度を改めるだけでなく、思想や文化にかかわる戦後の呪縛を一掃しようとする、安倍首相の意思を汲み取ることができる)を掲げて、今日まで手がけた「教育基本法」「国民投票法案」「社保庁解体」「政治資金規制」「公務員改革」…などの改正・制定や、彼が目指そうとする政治の方向は、歴代の内閣がやらねばならない懸案でありながら誰も手を出せなかった戦後日本の課題の解決であり、改革を前進させる確かな一歩だからである。
 衆議院における圧倒的多数を背景にした与党単独採決は、強権的なニュアンスを感じさせて、国民の反発を買った面もあったのだろう。すでに年金問題などの渦中にあった安倍首相は、参院選での与党惨敗を予想していたのか。それほど性急な、各法案の可決・成立であった。
 体制や思想の見直しを訴え、次々と重要法案を採決していく安倍首相の姿勢は、国民の多くの目には、生活者の視点が欠けているとか、強権的国家主義者であるような印象を残したのかもしれない。膨れ上がる赤字国債を根拠にして、小泉政権時代に示された、定率減税・老年者控除の廃止や医療制度改革による高齢者医療費負担増などは、国民に対して多くの負担増を強いている。それなのに、憲法改正・教育・防衛・公務員改革…を言い続ける安倍首相に、「それらの問題の大切さはわかるけれども、地方が疲弊し、個人の家計は逼迫する一方であることを、どうしてくれるんだ」と言うのである。
 安倍首相の祖父の岸信介元首相は、日米安保条約の改定反対を叫び公邸へ押し寄せる30万人のデモ隊の声を聞きながら、弟の佐藤栄作元首相に「これで死んでも本望」と言ったという。訳も解らずに「アンポ、ハンターイ」と叫んで走り回っていた幼児期から、天下国家を論じる政治家の姿を見てきた安倍晋三は、あるべき政治家像のスタンスを国家観の確立に置いているのだろう。
 しかし、だからと言って、国民の生活に対する視点を省みなくてもいいということにはならない。民主党の小沢代表は、湾岸戦争時にはしぶる海部首相の尻を叩いて積極支援を出させているし、米の自由化推進では中心的役割を果たした人物であるが、この参院選に臨んでは、「イラク支援反対」「農家への個別保障」を表明している。君子が豹変することにやぶさかではない。安倍首相も今回の参院選の大敗を受けて、より視野が広く、柔軟で的確な対応のできる政治家へと成長してほしい。

 
 逆風の中での続投は、まさに行くも地獄…である。『溺れる犬は棒で叩け』というのが、農耕民族ムラ社会の習慣だから、これからもしばらくは尻馬に乗っての安倍バッシングが湧き起こってくることだろう。
 この難局を乗り切るための安倍首相の秘策は、首相主導のサプライズ人事と思い切った政策の提示である。
 内閣改造を、挙党一致などと言って従来の派閥均衡型に戻したら、前にも書いた通り、それこそ国民は安倍晋三に幻滅し、今度こそ彼を見限ることだろう。ここでは、本当にその人に任せるのがふさわしいという人材を抜擢して、納得のいく内閣を構成しなければならない。
 麻生幹事長は動かせないとして、官房長官には中川昭一か…。極右人事とのそしりを免れないかもしれないが、これから2年間の大勝負である。ここで党の建て直しに失敗すれば、自民党の内閣はなくなるのだから、どこに遠慮することもなく大向こうをうならせるような人事をすることだ。民主党から、長妻 昭厚生大臣、前原誠司防衛大臣…などというのはどうだろう。
 また、新しい改造内閣の主眼が国民の生活向上にあることをアピールして、景気対策などの包括的な政策とともに、民主党の基礎年金以上の生活手当てを、社会主義的と言われようと提示していけばいい。財政を国民生活優先に舵取りし、首相主導の財政出動をすれば、民主党のものよりも、手厚く具体的なものができるはずだ。


 新しい政策を、しっかりと国民世論や世界に知らしめていく広報活動も、安倍新内閣の生命線である。世耕広報担当補佐官は、今日のテレビ出演で「私も自分の選挙を戦わなくてはならないし」と述べ、党の広報活動担当としての中身については「精一杯やった」と言うだけで、具体的な検証については触れなかった。
 安倍内閣がこれまで取り組んできた政治活動について、国民のほとんどはその詳しい内容や意義を知らず、したがって評価していない。この活動の低迷ぶりにはあきれるばかりだが、ましてや、先日の米下院での「慰安婦問題への日本の謝罪要求決議」に至っては、外務省の無能ぶりも叱責されねばならないし、政府広報の無策ぶりも問われて当然だろう。
 例えば、「イラク支援特措法」の重要性について、国民のほとんどは知らないのではないかと思われる。政府広報は政府の活動やその意味、成果などを、国民に知らしめることに失敗している。人材を登用して広報機能を増大させ、内外に政府や自民党の活動への理解を図るとともに、「イラク特措法」に反対せざるをえなかったことを初めとして、これから参議院で主導的な活動をする民主党の矛盾を付くことができるかどうか? 新政権の成功の鍵のひとつを握る部局である。


 また、相次いだ大臣の失言・不祥事などから、安倍内閣の稚拙さがこの大敗を招いたとして、森元首相などはテレビに出演して「若いだけではダメだということだ」と発言したりしているが、自分たちベテランが担当してきた自民党の長期政権の間に、積もり溜まった政界の塵芥が政治や行政を腐敗させ、国民の怒りを爆発させたという視点が欠けているのではないか。
 自民党歴史的大敗の原因は、長期政権の中で築かれた政官財の利権・癒着構造、社保庁に象徴される怠慢で特権的な官庁・行政、改まらない政治家のカネの不透明さ…などなど、数え上げれば切りのない不祥事を繰り返してきた自民党に対する鉄槌であり、警鐘なのである。
 ここに来てもなお、大ベテランの大野元防衛庁長官のように、「1円から領収書をつけろなんて…、これは政治の世界のことなんだから」という発言をしていては、自民党は決別宣言を突きつけられることだろう。ベテラン議員たちも猛省して、本気になって自民党の体質を改善し、負の部分を削ぎ落とす覚悟をしなくては、衆議院での過半数割れも遠い日のことではない。


 政治の本質はリーダーシップである。安倍首相は、天下国家にあるその根本的なスタンスを忘れず、同時に参院選敗退によって知った国民への配慮を怠らず、いかなる日本に仕上げていくのか…国民の明日はどうなるのか…を常に語りかけながら、自らの信じる道を歩んでほしい。
 安倍内閣が進めようとする改革を、国民は否定したわけではない。内政に対する手厚い配慮を細かく示してくれさえすれば、国民は安倍改革に期待し、これを支援しているのである。




【135】 2007参院選 自民大敗 安倍首相退任論について     2007.07.31


 与党105議席(新議席47、非改選58)、野党137議席(新議席74、非改選63)…、圧倒的な保革逆転の数字である。歴史的な自民党の大敗結果に対して、続投を表明した安倍首相に対する批判が、マスコミ主導で高まっている。
 街頭インタビューで「安倍さんの政治に国民はNOを表明したわけだから、退陣するべき」と通行人に語らせ、選挙中の「私を選ぶか、小沢さんを選ぶか」と言った演説を繰り返し流し、コメンティターが「安倍首相は、民意がわかっていないのではないか」とコメントしたりしている。
 後追いするように、自民党内の中からも退任論がぼそぼそと聞こえてきているが、線香花火みたいなものでしかない。党内に強力な派閥やグループのない現状では、安倍首相を引き摺り下ろそうという勢力はないし、俺が…と名乗り出る対抗馬も見当たらない。安倍首相が弱気の虫に襲われて自ら辞めると言わない限り、首相の交代は考えられない。


 安倍首相の続投は、是か非か…。結論から言えば、安倍晋三は退陣しなければならないいかなる理由もない。
 この敗戦を自らを省みる契機として、彼が掲げる「戦後日本の敗戦国としてのお仕着せを払拭し、日本を世界に通用する国にする」ために、改革を更に推進して行くべきだろう。今の自民党の中で、かくも明確に日本の進むべき方向を示しえるリーダーが、他にいるだろうか。


 さて、世上ささやかれる今回の選挙の敗因と責任をひとつひとつ振り返ってみると、まず、最大の敗因と目される年金問題は、安倍内閣に責任が起因することではない。
 40年にも及ぶ納付を義務付けておいて、莫大な掛け金を湯水のごとく自分たちで使い、遊び半分のような仕事でその記録を紛失した結果、支払ったと言うならば領収書を示せと迫って恥じることのない役人の態度は、お上大事のこの国の国民もさすがに怒った!
 安倍内閣のはるか以前から潜行してきた官庁の犯罪の一部が、がここに来て一気に噴出したものだが、ただ、管轄・管理を問われる 時の内閣として、その処理の仕方がたどたどしく、国民の怒りを解くことができなかったのは残念なところだ。
 社会保険庁の失態は看過すべからざるもので、年金機構への移行などといった名前が変わるだけのような処置で国民が納得するわけはなく、今日の問題を招いた責任者の処罰を含めた組織の改革を、国民の目に見える形で行わなければならない。
 また、「失われた年金は 私の内閣で必ず処理します」と絶叫するだけでは、もはや国民は信用しない。第三者委員会の設置など、領収書の確認を第三者がするだけのものだ。私はかつて、『国民の納得を得る結論はただひとつ、全ての人が得をする給付を実現することだ。政府与党が国民の信頼をつなぎとめようとするのならば…、あるいは民主党が政権を奪取して本気で国政を担う覚悟があるのならば…、『国民全てに最低月額65000円。プラス、判明している上乗せ分を全額支払っていく年金制度にする』ぐらいの提案をすることだ。現在の年金基金に加えて、構造改革を実施すれば、財源を確保するのはそれほど難しいことではない。』と書いた【参照】
 民主党は「国民全てに一律基礎年金を支給する」とし、その財源19兆円を示した。自民党は、借金大国の政権担当政党としての慎重さからか、具体的な救済策を示すことができなかった。
 これは、社会保険庁という政府所轄官庁の組織的な犯罪なのだから、身を切り、出血を覚悟しての処置が必要なのだ。民間会社は、身銭を切って保障しているではないか。


 次に、相次いだ大臣の失言も、安倍首相の管理能力が問われる問題であった。選挙直前の久間防衛相の「原爆しょうがない」発言は大臣としての自覚なし。赤城農水相は事務所費では二転三転したのち口をつぐみ、絆創膏では最初からとぼけた答弁、二重光熱費では勘違い…、これに的確な指示の出せない安倍首相に国民はいらだち、こんな大臣を追い詰めることができない社会の仕組みへの怒りを、安倍政権へと向けたのである。
 安倍首相の身内を守ろうとする侠気が、守る価値のない大臣によって台無しにされたというところだ。発言の意味や重みを自覚しないものは大臣の資格はない、自らの態度や言葉がどんな波紋を周囲に広げるかを知らないものは、大臣どころか政治家たる存在が許されない。
 この意味において、安倍首相は任命者責任を問われるところだ。「任命者として責任を感じている。国民の皆様にお詫びする」と謝罪しなければならない。
 しかし、引責辞任しなければならない事柄ではない。トカゲの尻尾切り…は政権運営の常套手段で、歴代政権は一内閣一閣僚と言っても、大臣の首を据えかえることによって問題をクリアしてきたのである。


 三番目、松岡農水相のナントカ還元水…、そして赤城バンソウコウ…によって炙り出された、政治と金の問題は、国民の生活感を逆撫でする深刻な問題であったのだが、自民党の長期政権の中で麻痺してしまった、政界の澱(おり、沈殿物)のような問題である。
 政治家の金に対する感覚がどれほど麻痺しているかというと、党の責任者の立場にあるものがテレビに出て、「1円からの領収書を全て揃えろなんて、政治団体は7〜8万ほどあるのですよの」と発言しているのを見ても推察されよう。全国何百万の法人や個人事業者、また全ての個人は、すべからく1円からの領収書を添えて会計報告書を作成することを義務付けられ、多大な労力を注いで数字を合わせ、あるものは莫大な費用をかけて税理士・会計士にその処理を依頼して、会計内容を判り易くオープンにして、お上(税務署)に畏れながらとお届けしているのである。
 税金を使っている政治活動が収支の報告を行うのは当然であり、政治家自身が当然であるという意識を持つことが大切であろう。政務調査費をなしにしろとは言わないが、堂々と報告のできる政務に供することを当然としなければならない。機密費も、誰がいくら使ったのか、30年後…50年後には公表することを定めて、本当に妥当な使われ方であったのか、後世の批判に耐えるべき自覚を持って使うことを促すべきだろう。
 選挙後、安倍首相は、政治資金報告を詳細厳密に行うことを指示したと述べた。自民大敗の成果と言うべきだろう。私はやはり以前に、『この国に巣食う利権・癒着の構造、無能な公務員の増上慢、社会に蓄積した塵芥は、政権交代なくして掃除はできない』と書いた【参照】。この政治資金処理の見直しは、自民党の大敗があったからこそ安倍首相も踏み切れたことである。中途半端な負け方だったら、党内の多くの議員はまだ「政治資金は聖域」などと能天気なことを言っていたことだろう。
 こう見てくれば、自民党内の長期政権から生じていた慢心こそが、大敗の原因であったことに気づく。安倍首相は、この大敗を好期として、党内改革をも断行していくことだ。「今のままの自民党ではダメなのだ」…と。そこにこそ、2年後の衆議院選勝利の鍵がある。


 四番目、「国民は安倍政治にNOを突きつけたのか」…? いや、初めから、今回の参院選は政権選択の選挙ではなかった。スタートして9ヶ月、まだ安倍内閣が是非を問う政治課題は何もない。国民は、ここで自民党を敗北させても、まだ政権は交代しないことを知っていたのだ。自民党支持者の20%近くが、民主党の候補者や比例に投票しているのを見ても、今回はちょっとお灸を据えてやれという選択であったことがうかがえる。
 先の郵政民営化選挙で自民党を大勝させた国民は、噴出した官僚の犯罪の中で、巨大与党を背景に次々と法案を強行採決していく姿に、安倍政権の驕りを見たのだろう。失言大臣の擁護は、安定与党に乗る油断であった。
 これら政治手法については、今回の大敗を反省の材料として、より慎重に、周囲に配慮を見せる方向へと修正していくことだろう。


 このように、今回の参院選の大敗は、安倍首相を退陣させる材料たりえない。責められるべきは、自民党の体質そのものであり、ここで一新することができなければ、2年後の衆院選ではいよいよ政権の座を追われることになるだろう。
 新生自民党の核たりうるのは、今、安倍晋三をおいてほかに見当たらない。党改革を含めた政治改革を断行するために、安倍首相はできるだけ早い時期に内閣改造を行い、人心を一新して新しい政局に臨むことだ。
 内閣改造に、挙党一致・党内融和などといった言葉に惑わされて、派閥均衡型の人事を行ってはダメである。それこそ、国民は安倍晋三に幻滅し、今度こそ見限ることだろう。
 幹事長・内閣官房長官に信頼できる人材を置き、この2人だけと協議しながら、自分の意思で納得の行く人事を行うことだ。もし失敗しても、そうなれば2年後には自民党の内閣はなくなるのだし、非主流やそっぽを向くものがいればそれらを当てにせず、民主党の若手などと手を携えて、政界再編をドラスティックに進めていけばよい。
 常に国民の顔を見ながら語り、日本の将来を明確に示しつつ断行していけば(国民に迎合するのではない。自らの信念、やろうとしていること、成果…などを、常に国民に判り易く説明していくことが必要だというのである)、その改革に国民の支持・協力は得られることであろう。
 

 安倍首相に、ひとつ注文がある。国民大衆に語る言葉をより鮮明に歯切れよく、そして内容をよく練り上げることが大切であろう。内容を語らずに「私に任せてください」というのは、愚者の説法だ。判り易く、心に響く言葉を、明快に語ることを心がけてほしい。それが、説得力である。




 さて、今回の民主党の勝因は 高木連合会長の指摘のように、年金・失言・政治とカネといった敵失であった。問われるのは、これからである。解散や政権獲得などといった手段に邁進するばかりでなく、政策や理念といった政治の基本部分で自民党と堂々と渡り合ってほしい。
 今回の大勝で、民主党は、参議院という限られた世界であっても、責任政党としての力量が問われることになった。議長と議院運営委員長を獲得するのだから、参議院の切り盛りに主導権を握ることになる。そのとき民主党は衆議院から廻されてきた議案を 日本の国のあり方を損なわないように処理することができるだろうか。
 まずは、『テロ特措法』が11月に失効するので この秋の国会に延長を図る修正案が提出される。否決すれば、インド洋でのアメリカの艦艇への給油はストップし、日米関係は著しく損なわれて、アメリカは民主党を信用しなくなる。
 小沢代表は、「今まで反対と言ってきて、いまさら賛成なんて言うはずはない」と答えているが、「言えるわけがない」と言いたかったのではないだろうか。反自民に政権奪取の基本的戦略を置いているから、そう言うのは当然かも知れないが、待ったの利かない政治の現実に対して、「テロ特措法」のように身動きできないジレンマを抱えている。政権担当を目指す再来年の衆院選までに、寄せ集めの寄り合い所帯を一本化するとともに、政策の整合性を見直すことだろう。
 いよいよ、責任政党としてのあり方が問われる民主党…。反対と言っていればよかった時代がなつかしい…なんて、もう引き返せはしない。




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