日本は、今
第1ページへ  第2ページへ   第3ページへ  第4ページへ  第5ページへ  
第6ページへ  第7ページへ   第8ページへ  第9ページへ   第10ページへ   
第11ページへ 
 第12ページへ   
第13ページへ  第14ページへ  第15ページへ 

第16ページへ  第17ページへ   
官庁WevServer
日本は、今
飯田 章のホームページへ
「日本は、今」 トップへ

【147】 混迷の政治、そして日本崩壊              2008.01.16
   - C型肝炎訴訟の和解、揮発油税の暫定税率廃止、子殺し・親殺し -


 前項で、私は、閉塞感の蔓延する2008年の幕開けを、「2008年 停滞・混沌、そして衰退へ」と書いた。ところが、年が明けてから今日までの政治・経済・社会などの出来事を見ると、わずか16日間で14件の身内同士の殺傷事件が起こっているなど、いったいこの国はどうしてしまったのかと、戦慄すら覚える。
 日本の政治・経済は混迷から衰退への道筋をたどろうとしているが、日本人の精神的支柱が揺らいでいる現状を見ると、やがてこの国は崩壊へのシナリオを現実のものにしようとしているのではないかと思えてならない。


 15日、薬害C型肝炎訴訟の原告団と国との和解が成立した。救済対象は後天性疾患でフェブリノゲンか第9因子製剤を投与された人と母子感染者で、約1000人が救済されるという。しかし、C型肝炎の罹病患者は23万人、道はまだまだ遠い。
 それにしても、和解金を提示されても、あくまで一律救済を主張した訴訟原告団は立派だったと思う。「私たちの取り分が減っても、訴訟に加わっていない人たちをも含めた一律救済を」と訴えて、福田首相の議員立法による一律救済を導いたのである。
 さて、国が被告となる訴訟でいつも思うことは、国民を守るべき立場の国が、国民と争ってどうするんだということである。
 困っている人が居れば、それを救済する手段を講じて守るのが国家である。原爆の被害者訴訟にしても、中国残留孤児にしても、HIV感染被害者訴訟にしても、国は自分たちに責任はないと主張し、責任のないところに金は出せないとして争っている。
 責任を問われることを回避しようとする、官僚の論理である。日本国内で起こったこと、日本国民にかかわることには、すべて国家は関わりがあって、どんな場合も当事者なのだ。政治をするものは、『雨ニモマケズ … 東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ、西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ、南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ、北ニケンクワヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ …』というのが、まさに国家たるものの基本的なあり方であることを自覚しなくてはならない。
 当事者としての意識があれば、常に最短距離での解決が図られることだろう。この国は、官僚ありて、政治がない。政治家は、いつも官僚の代弁者でしかないのだから、国にビジョンもないし、夢もない。
 でも、裁判で負けても誰も責任を問われないし取ろうともしない、摩訶不思議な国でもある。


 16日の民主党大会で、小沢代表は「ガソリンの25円値下げを実現する」と宣言し、「生活第一を貫いて政権交代を目指す」とぶち上げた。
 高騰するガソリン価格は国民生活を直撃し、産業界の打撃は甚大である。暫定税率を廃止して、ガソリン価格を下げるのが、何にも優先する喫緊の政治課題である。
 政府・与党は、2.6兆円の歳入不足が生じ、「道路が出来ない」とか、「地方への交付金が不足して、地方の予算が立たない」などと脅迫めいたことを言っているが、毎年35兆円もの赤字国債を連発しているものの言うことか。
 長年、政権に胡坐をかいてきた政府・与党は、ガソリンの値下げを断行することが、第一の政治課題であることに思いがいたせないのだろうか。そして生じた2.6兆円分の歳入減については、節約を断行すること。タダでさえも高給が批判されている中央官庁公務員よりも120~150%も高い給与を取っている独立法人(資料 ①  ② )の整理統合・廃止すら遅々として進まない政府が、2.6兆円の減収で地方へ回す金がないなど、どの口で言えたものか。
 どうしても不足するならば、禁断の借金…国債・地方債の発行をすることだ。どう頭をひねっても、地方への交付金が不足するのならば、得意技を使ってはどうか。そんなことをしたら、今まで莫大な借金を重ねてきたことを棚に上げて、また国の借金が増えると言うかもしれない。しかし、個々でガソリン価格を下げて国民生活を救済し、産業の沈滞を未然に防ぐことと、2.6兆円の国債を発行することとを秤(はかり)にかけたとき、どちらを優先すべきだろうか。
 ガソリン価格を下げることは、国民生活に潤いをもたらすことから、国内消費を向上させるという実質的な効果を挙げるとともに、政治が国民生活を救済するという信頼感を持たせる効果が期待できる。アメリカにせよ、中国にせよ、国民生活の向上や産業の振興は、国を挙げて取り組んでいる。転じて、手を差し伸べるどころか、その向上は自助努力に委ね、国民生活や産業を外国の手に売り渡そうとまでしてきた、日本の政治の貧しさはどうだ。
 ここで、ガソリン値下げを断行することは、政治に対する信頼を、少々でも繋ぎ止める方策なのである。長期政権に胡坐をかいてきた自民党政権に、ガソリン値下げに取り組む政治センスは失われている。政権を奪取しようとする小沢民主党であってこそ、取り組める政治課題ということなのだろう。


 16日、株価が14000円を割り込んだ。日本経済の実力からすれば13000~14000円が妥当なところと言ってきた僕としては驚くことはないのだが、この株安をアメリカのサブプライムローンの影響とする、藤井日銀総裁や町村官房長官の見方が安易過ぎて気にかかる。
 年が明けて、いっ気に16000円から14000円割れまで下げてきたきっかけは、アメリカ発の影響だろうが、日本株の不安定さは東京市場の脆弱振りという致命的・根本的な問題が内在していることをしっかりと認識しなければならない。
 日本の政治に、東京市場をアジアの株取引の中心地にしようという取り組みがない。ナンバーワンでなくていい、オンリーワンなのだから…か(苦笑)。


 子が親を殺し、親が子を虐待して死に至らしめる無残な事件が相次いでいる。今朝のテレビは、「年が明けてから今日で16日間、14件の身内の殺傷事件が起こっている」と報じていた。
 子が親を殺す…、忠孝の道はどこへいったのだろう。わが国には、親や先生には手を上げるなどもってのほかであるという倫理があったのだが、近年は教育者自身が自らの聖域を否定しているのだから、子どもたちも戸惑ってしまう。
 親が子を虐待して殺すとは、動物にも劣る行為ではないか。皇帝ペンギンは-60℃の南極で卵を守り、ヒバリは我が身をおとりにして雛から敵を遠ざけようとする。親が子を守ろうとするのは、動物の偉大なる本能なのである。
 ところが、自分の快楽のために、本能をも否定したのが人間であった。泣き声がやかましいのでクッションで押さえつけて窒息死させた、なつかないので食事を与えず餓死させた…など、鬼畜にも劣る人間が居るのだ。
 昨年末、男と別れた若い母親が虚脱感から4歳と1歳の子どもを部屋に残したまま、家出した。1ヶ月ほどたって、もう死んでいるだろうと思いつつ部屋に帰ると、1歳の子は餓死していたが、4歳の子は生米をかじるなどして生きながらえていたという。その子は、帰宅した母親を見て、「ママ、遅かったね」と言ったという。
 親を殺す子、子を殺す親…。これでも、日本の国の教育は間違っていなかったというのか。

 日本は、衰退から崩壊へと、雪崩を打って転落していくのではないか。日本を救う政治は出現しないのか。



【146】 2008年 停滞混沌・衰退への序章          2008.01.04


 明けまして おめでとうございます。


 今年を展望するキーワードは「停滞混沌 そして衰退へ」だ。なんとも物騒なことだが、今の日本は政治の…政治家の…貧困によって、現状維持は望むべくもあらず、このまま推移すれば、将来は日本崩壊を覚悟しなければならない実情である。内外の現状をしっかりと見つめ、早急にしっかりとした対策を講じなくてはならない。


 国内の状況を見てみよう。現状を打開する政治力を持たない福田政権は行き詰まっている。政府・与党という立場を利して、官僚を使い世論を味方にして政局を運営するべきであるのに、官僚の暴走を許し、世論の離反を招いている。
 例えば公務員改革の挫折に見られるように、政治は停滞どころか後退していて、とても国民の目線に立脚しているとは言い難い。各大臣は省庁の(すなわち官僚の)代弁者で、誰の目から見ても役割を終えている独立法人があるのに、権益を守ろうとする官僚だけに通用する論理でもって、整理統合・廃止を拒否し続けている。その旗振りをしているのが、内閣の調整役である町村官房長官だというのだから、この内閣に期待するのは無理というものだろう。
 『官僚の協力なくしては政治は成り立たないのだから、対立するのでなく、いかに彼らを使うかが政治家の腕の見せどころ』などという欺瞞に満ちた議論がある。官僚は、自らの不利益になっても国益を守るなどといったことは、省庁内の評価を得られないから行うはずはなく、これでは改革は未来永劫行えないことになる。
 官僚の不利益を制して国民の利益を守るのは、政治(家)の役割である。自分たちの利権を守るために政治を停滞させようとする官僚には、それを処罰する立法(法律の制定)をもって処断していくのが、国会(政治家)の責務であろう。
 前に、「政治がだらしないと官僚の不正がはびこる」ことを、清朝末期の宮廷にあった官僚たちの腐敗を例に示した。彼らは、大官から小間使いに至るまで、新王朝の宝物を私することに明け暮れていた。皇帝の側近であった和伸(わしん、ホチエン)が汚職で捕らえられたとき、私財は8億両に達していたといわれる。当時の清朝の歳入は約7千万両だったから、これは国家の歳入の11年分以上という巨額である。政治がその役割を正しく果たさないと、官僚はかくも大罪を働くものなのである。
 もはや機能不全を呈している福田内閣は、7月の洞爺湖サミットを終えた時点で解散総選挙に追い込まれることだろう。先の参院選で民主党に勝たせた民意は、今度は揺り戻すのが普通だが、今の福田政権や政府・与党の体たらくを見せられては、自公政権を選ぶ要素はもはやあるまい。
 この夏、民主党政権が誕生し、政権交代が実現する。自民党政権下での利権や癒着構造は修正される方向への動きを見せることだろうが、混沌たる状態がしばらく以上に続くことは否めない。日本迷走の夏である。


 経済の前途も暗い。トヨタは、2007年、全世界で950万台の生産を達成して、GMを抜き、世界一を達成した。しかし、日が当たっているのは、輸出や海外生産が好調な一部企業だけであり、中小企業のほとんどに見られるように、日本経済は青息吐息…、お先は真っ暗である。
 経団連は、「春闘で賃金値上げを容認する」と好景気感を煽るようにアドバルーンを揚げているが、これも大企業だけの話であって、中小企業は賃上げどころか、存続そのものが問われているのだ。
 地方の没落も深刻である。かつての日本は、国民のほとんどが中流意識という上昇志向を持ち、旺盛な経済力が支えた地方の商工業も元気であった。ところが、中小企業の低迷は地方の景気を衰退させ、購買力を低迷させて商業活動を縮小させてしまった。ここまで疲弊した地方の復活は、至難の業である。ひとつ確実なことは、自助努力しない地方は衰退するばかりだということだ。その意味で、地方政治を司るものの責任は重大だし、良い政治家を選ぶか無能な政治家を選ぶかの差は、夕張や大阪の例を見るまでもなく大きい。
 東証の大発会は、昨年末の終値比616円37銭安の14691円41銭。大発会の株価が下落するのは7年ぶり、下げ幅としては東証発足以来最大となった。僕は、株価が17000円と上昇を続けていた2006年10月,「日本経済の実力から考えれば、適正株価は13000~14000円」と書いた【参照、最下段】。アメリカのサブプライムローンの危うさなども書いたように、当時から歴然たる懸念材料であった。
 今日の株価が指し示すように、日本経済の2008年の展望は極めて厳しい。先世代が築いてきた日本経済の底力は強固で、今日明日に瓦解することはないが、このままでは上昇を望むことは出来ない。むしろ、英国病が進み、果てはアルゼンチン化する懸念も考慮せねばなるまい。
 財務省をはじめ、政府・自民党は、国家財政の危機的状況を招いた自らの失策を改めようともしないで、額賀財務大臣、津島自民税調会長、与謝野自民党財政改革研究会会長らは、「2050年には消費税25%に」などといたずらに国民の危機感を煽り、増税路線を突っ走ろうとしている。しかし、今の日本が、現在の行政サービスを維持していのために増税が必要だというのは、根拠のない話である【参照】。第一、国のムダ使いを改めない限り、増税したとしてもまた同じことが規模を大きくして繰り返されるだけだろう。
 太田弘子経企庁長官は、回復基調を堅持する今日の日本経済は、1965年から70年までの57カ月に
わたって景気が拡大した、いわゆる「いざなぎ景気」を越えたと発表しているが、真っ赤な嘘である。あの頃は国民所得も順調に増えて消費が活発化し、家庭にカラーテレビ、クーラー、自動車が急速に普及して、人々は生活の潤いを実感できたのである。それに対して、今日のこの閉塞感はどうだ。好景気を実感できるのは、永田町とその取り巻きだけではないか。
 原油の値上げや地球温暖化への取り組みなど、今後、日本は熱い取り組みを求められることだろうが、迷走する政治ゆえに、経済の底冷えを好転させる材料は極めて乏しい。


 海外へ、目を向けてみよう。まず、11月、アメリカに民主党政権が誕生する。今日のアイオワ州民主党党員集会ではオバマ上院議員が、大本命のヒラリー・クリントン上院議員やエドワーズ元上院議員を抑えて緒戦を制したが、最終的に誰が民主党候補になるかは予断を許さないところだ。
 対日戦争を指導したルーズベルト民主党大統領を持ち出すまでもないが、民主党はリベラリズムを党是としていて、今のブッシュ共和党政権のように、日本を過分の友好国として遇することは望めまい。
 誕生する民主党政権は、ブッシュ共和党政権との対立軸を顕著にするためにも、イラクやアフガニスタンへの派兵には慎重な姿勢をとるだろう。日米関係を最も基本的な同盟関係と位置づけることは変わらないが、対中国との融和はますます深く、北朝鮮の核問題も直接交渉を進めるなど、現実的効果的な政策を推進することは確実で、日本はパートナーとしての実力をつけないと、露骨に軽んじられることになるだろう。(今でも、「日米年次改革要望書」のように、一方的な関係と言えないことはないが。)
 中国の台頭を、現実的脅威として捉えることも重要である。平和ボケの日本は、政治家までもが隣国の繁栄を喜ぶのがエチケットといった暢気さであるが、世界史が示すとおり、力をつける隣国は脅威なのである。しかも中国は、古来から中華思想の伝統を持ち、易姓革命を繰り返してきた国である。日本のように万世一系の侵すべからざる聖域を崇拝する思想はなく、滅ぼされるものは天命に背いたからであり、制圧したものは天の意志にかなったからなのである。
 この国との外交は、日本が確固たる国力をつけることは言うまでもないが、言うべきことを繰り返して主張し、相手の意思を確認しながら付き合っていくことである。卑近な例だが、中国へ出張した友人が、「飲食店に入ると、いつも飲んでも食べてもいないものが1つか2つはついている。「食べていない」と抗議すると、店主は「いや、食べた」と言ってくるが、なおも「食べていない」と強く言うと、「じゃぁ、訂正するよ」と正規の請求に直してくる。いつも、いつも、そうなんだ」と言っていた。
 中国の外交は、まずは無理を承知でひと当たりしてくる。相手が抗議してこなければそのままでいいし、抗議してくれば反論し、さらに抗議があれば少しずつ譲歩する…というバターンだ。日本人は無理な要求を恥と考えるが、世界では目的を達成する手段をオブラートに包む行為こそが外交なのである。マキアヴェリの語録、「ほかの誰かを偉くする原因をつくる者は、自滅する」「新たに恩義を受ければ、昔の遺恨が水に流されるなどと思うのは、大きな間違いだ」など…を紐解くまでもあるまい。
 日本はIMF(世界開発銀行)と協力してもアフリカ諸国を支援するため、93年からTICAD(アフリカ開発会議)を開催している。平成5年、第1回東京会議には47カ国の参加を得たが、平成15年の第3回横浜会議への参加国は23カ国に減っている。中国が平成18年11月、北京で開催した「中国・アフリカ協力フォーラム」には48カ国が参加し、うち35か国は元首級が出席した。
 日本は、冷戦終結後に国際社会がアフリカへの関心を失った中でアフリカ支援を始めたわけであるが、近年はアフリカの天然資源をにらんで各国がアフリカ支援に乗り出し、TICADの存在感は希薄になっている。昔の恩義を持ち出しても通用しない。現実とその結果が全ての国際舞台に、日本の相対的地位が低下している状況をいかに回復するか、福田・町村・高村ラインには荷が重過ぎるとしか言いようがない。


 政治・経済・国際と見てきた日本の現状に、明るい材料は見当たらない。加えて、福田政権下で教育改革は停滞し、少子化・地方分権・格差是正…と重要案件は山積しているのに、参議院での逆転を理由に、全てがストップしている。
 2008年、低迷する政治のもと、物価高・生活格差はますます進んで閉塞感が覆うなか、日本は政権交代の夏を迎える。


【145】 日本に政治はあるのか  無策どころか、逆行…      2007.12.18


 政治の使命とは何か、国民への奉仕である。政治家の要諦とは何か、リーダーシップであろう。


 今日、「ガソリン価格、12月に155円」と報じられた。平成17年11月…130円、18年11月…137円、19年10月…144円(㈱パワーグリーン社調べ)と来て、12月には155円になるというのである。国民生活の血液とも言うべきガソリン価格の高騰に対し、政府はまるで他人事である。
 金融投機で動くWTI価格(West Texas Intermediate 価格)が高騰を引っ張り、需給で決まる中東価格までが異常な高値をつけているという構図だ。投機マネーが原油価格を押し上げていた間にも、2005年イギリス・グレンイーグルズ、2006年ロシア・サンクトペテルブルク、2007年ドイツ・ハイリンゲンダムとG8サミットは開催されているが、原油高騰に対する抑制策を議題に取り上げる動きはなく、石油大手に対する配慮は見せるものの、世界の人々のサイドに立っての対策は省みられることはなかった。G8が力を合わせれば先物取引の原油価格を引き下げ、投機筋の目論見を粉砕することぐらい、容易であっただろうに…。
 冒頭に示したように、日本国内においても、ガソリン価格の高騰に対する政府の対応は皆無である。対外貿易に影響する為替相場には即座に介入するのに、国民生活に重大な影響を及ぼすガソリン価格の抑制になんらの手も打たないというのは、無為無策のそしりを免れまい。


 … と、11月30日に記したのだが、過日、『福田政権に期待するものはない。しばらくは傍観を決め込む』と書いたので(【142】福田政権スタート)、そのまま放っておいたところ、先日、「ガソリン高騰に対応策。北海道の低所得者に灯油購入の補助」という報道を見て吹き出してしまった。
 これが日本の国の政治か、町村役場の対策と変わらないではないか。


 参議院の過半数を野党勢力に占められていることを理由にして、福田内閣の無能ぶりはどうしたことだろう。
 テロ特措法は、民主党が反対している以上、参議院で審議切れとして衆議院に差し戻し、そこで可決するしか方法はない。会期の再延長をして粛々と時間の経過を待てばよいだけのことだが、しかし、その間にも、テロ特措法の正当性や必要性を国民に訴え、よりその理解を得る広報努力をしなければならない。なのにその成立を支持するという世論は30数%で、ここ数ヶ月間動いていないのは、政府の説得が効果を上げていないということである。
 社保庁の抵抗を受けて、福田内閣の星(?)枡添厚労相が苦悩している。安倍前内閣以来、1年以内に5000万件の宙に浮いた年金を特定することを公約してきたのだが、PC上で名寄せするソフトは以前からあって、データを入力すれば不定の記録を特定することは瞬時に行える。データさえ揃っていれば1年なんてかかる代物ではなかったのだが、しかし、入力するデータがもともとボロボロであったことを年金官僚は知っていて、当時の社保庁青柳親房運営部長は「つかまりようのない記録を幾らいじっても意味はないと、私どもはもともと思っていた」と監視委員会の聴聞に対して述べている。当時の安倍首相から枡添現厚労相に至る「1年以内に全てを明らかにする」との宣言を、意味のないものとせせら笑っていたのである。


 政治が無能だと、官僚の腐敗が進む。清朝全盛期と言われる乾隆帝の治世でも、その晩年には賄賂政治が横行して、苗族の反乱や白蓮教徒の反乱などが起こり、鎖国や思想抑制・禁書などの弾圧が行われた。特に、側近として権勢をふるった和珅(ホチエン)は、失脚した際に没収された私財総額は8億両を越えていたいう。当時の清朝の歳入は7千万両ほどであったから、これは実に国家の歳入の10年分にあたる。ブルボン朝最盛期の王で「朕(我)は国家なり」(L'État, c'est moi)と宣言し、「太陽王」(Roi-Soleil)と呼ばれたフランスのルイ14世の私有財産は2千万両といわれるから、その40倍に相当する。政治がだらしないと、官僚という動物はいかに無法を働くかということの象徴であろう。


 今もわが国には、防衛省・厚労省をはじめ、官庁・官僚の不祥事が多発している。地に堕ちた大蔵省は財務省と金融省に解体され、日本に外交はないとまで言われている外務省、学力低下を招いて恥じない文科省、おびただしい倒産件数や地方経済の低迷を招きながらなおいざなぎ景気を抜いて日本経済は上昇しているなどとウソの観測を掲げている通産省や経企庁…など、日本には信頼に足る行政はなく、なかんずくそれを導く政治もない。
 官公庁のあり方を糺す「公務員改革」に対しても、渡辺担当大臣の独立法人の整理統合の呼びかけに対して各省庁はゼロ回答を繰り返し、政治家(各大臣)は省庁の権益を守る代弁者と成り下がっていて、改革への意識は地に堕ちている。再考を促す渡辺大臣の呼びかけに、町村官房長官は、「やりすぎだ」と苦言を呈する始末である。
 福田-町村ラインが主導する内閣の正体を露呈したということだろう。もはや、この内閣に、日本の再生を期待することはできない。(はじめから、期待していなかったって…。)
 

 では、日本再生への道筋はどうすればよいのだろう。改革への強い意志を持つ総理大臣を立てて、そのリーダーシップの元、責任体制を明確にして、具体的な政治課題を一つ一つ実行していくことである。
 政策立案実行部隊は、意欲のある政治家と関係官僚がチームを組んでこれに当たることとし、総理大臣が管轄する組織として権限を保障するとともに、結果責任も厳しく問うものとしなければならない。
 その意味で、小泉再登板もありうることだし、民主党の岡田・前原らが指導者としての力をつけてきて、政界を編成していくことに期待したいと思う。
 もう、今の「終わった者たち内閣・与党執行部」は、役割を終えている。いや、あと、自民党政権の幕引きとしての役目を残しているか。




【144】 小沢ショック -問われる 民主党の能力-        2007.11.05


 小沢辞任を国会議員や評論家たちが、真相がわからないままに、憶測でいろいろと評論しています。そのほとんどがピントはずれで、聞いていても恥ずかしくなるようなことを大真面目に言っている。
 民主党の国会議員連中が大騒ぎし、民主党の役員連中がまた小沢に辞意撤回を求めたりして…。どうも、平成田舎ドタバタ芝居を見ている思いです。


 小沢一郎は時代を読んで政治をリードする、数少ないリーダーなのでしょう。ただ、「何でこんなことが解らないのか」と思っている小沢一郎は、説明をしないものだから、周囲が彼についていけない(苦笑)。
 ねじれ現象に停滞している国会を見て、民主党にも責任があるのじゃないかと国民は思い始めています。民主党の連中は「解散総選挙に追い込む」なんて、選挙をすれば必ず勝てると浮かれているけれども、参院選のゆり戻しも当然あるでしょうから、このまま総選挙でもすんなりと民主党が衆院過半数を取れるという雰囲気ではない。


 小沢一郎は、今度の衆院選で民主党が勝つのは、まだまだ難しいということを肌で知っているのです。それで政権奪取の方法のひとつとして、大連立を構想したのですね。
 さすがに自民党はしたたかで、それを警戒した首脳たちは伊吹幹事長から福田首相に「連立だけは話題にしないように」と念を押させ、その話を潰してからも、『小沢から言い出したことだ。閣僚ポストまで相談しあった』なんて、一部のマスコミと一緒になって情報操作をしている。
 それに対して、アホぞろいの民主党は、小沢を守り、対外情報宣伝をしなくてはならないはずなのに、小沢を責めて説明しろとか言い、詰め腹を切らせようとしている。
 開会以来、1本の法律も成立しない膠着国会の現状をみると(向こう3年間か6年間、この状態を覚悟しなくてはならない)、これを打開し政治を停滞させない方策を講じることが、自民党・民主党の責任というものでしょう。ならば、大連立は飛躍しすぎているとしても、是は是・非は非とする対応…政策協定ぐらいの知恵は働かせて当然ではないでしょうか。
 ここで小沢に代表を投げ出されたら、民主党は偽メールをつかまされて代表が辞任した、あの痛恨事の二の舞じゃないか。こんな政党が政権を担当するなんて100億年早いわ…と言わなくてはならないけれど、参議院の逆転は政官民癒着の日本の政治に風穴を開けつつあることは確かです。政権交代を実現し、確かな政治を担当していくためにも、民主党の自立が望まれるところです。




【143】 ミャンマーで日本人カメラマン射殺 日本政府の対応は? 2009.09.29


 民主化運動の騒乱が続くミャンマーで、取材中の日本人カメラマンが ミャンマー国軍兵士によって殺害された。


 今日のサンケイウエブは「ミャンマー軍事政権治安部隊による反政府デモ鎮圧を取材していた映像ジャーナリスト、長井健司さん(50)が死亡した件で、長井さんが治安部隊員から至近距離で銃撃されていたことが28日、明らかになった。…略… ヤンゴン中心部でトラックから続々と降り、銃を手に反政府デモ鎮圧に向かう治安部隊員。一斉に逃げる群衆の後方で短パン姿の男性が、部隊員に1~2メートルの距離から銃撃された。前のめりに倒れ込む男性。あおむけになって数秒、右手のビデオカメラを群衆らに向けた後、こときれた。…略… ミャンマー外務省は「流れ弾に当たった」と発表していた。」と報じている。


 映像を見ると、明らかにミャンマーの兵士が背後の至近距離から長井さんを狙い撃っている。たとえ日本人であることを知らなかったとしても、ミャンマー国軍兵士が、取材活動中の日本人を殺害したのだから、日本政府は断固たる姿勢を示して当然だろう。

 (日本人であることを知らなかったとしても…と書いたが、ミャンマー軍事政権は反政府デモが始まった1週間ほど前から私服兵士をデモ隊に紛れ込ませ、ビデオ撮影などして首謀者・扇動者を特定して、逮捕・拘束しているのだから、日本人ジャーナリストと知りながら国際報道陣への警告として、見せしめに殺害したのかもしれないと考えるのは、うがちすぎた見方だろうか(苦笑)。「日本は抗議や対抗措置をしない国だから」と見透かされている…exclamation & question


 ここ10年ほど、ミャンマーへの経済援助は、世界の国のうちで日本が群を抜いて第1位である。1962年の軍事クーデター以来、45年にわたって人民を抑圧してきた軍事政権を、日本は一貫して援助し続けてきているのである。
 ミャンマーの歴史を簡単に見てみると、14世紀にビルマ人によって建国されたコンバウン朝ビルマが、1826-1886年にかけての英緬戦争に敗れて、イギリス支配下にあったインドの一州に併合されたが、大東亜戦争時、1942年に進駐した日本軍とともにアウンサン将軍(アウンサンスーチー女史の父親、「建国の父」と呼ばれるが1947年に暗殺)が義勇軍を率いて独立戦争を戦い、1943年、バーモウを元首とするビルマ王国を建国した。
 日本の敗戦後、再びイギリスの支配下に置かれたが、1948年、ビルマ連邦として独立。中国軍の侵略を受けるなどして不安定な正常が続いたが、1962年、ネ・ウイン将軍が軍事クーデターを起こして政権を確立した。1990年5月に実施された総選挙で、アウンサンスーチー女史らの国民民主連盟ら民族政党が、軍事政権側は政権の委譲を拒否。以後、数度にわたる民主化要求運動が繰り返されてきたが、軍事政権の強圧的な取り締まりによってその都度数千人の血が流されてきた。スーチー女史の軟禁は、1989年以来続けられている。


 民衆が求める民主化への運動のさなかに、取材活動中の日本人が、ミャンマー国軍兵士によって殺害されたこの出来事に際して、日本政府は、ミャンマー軍事政権が少なくとも納得のいく説明と態度を示さない限り…、さらには、ミャンマーの国民と国際社会が求める民政移管への道筋を開かない限り、まずは即座にこのODAや無償資金協力を中断すべきであろう。


 思い出されるのは、フォークランド紛争。1982年、内政に行き詰まったアルゼンチンのガルチェリ大統領(軍総司令官を兼務)軍事政権は民衆の不満をそらすために、当時イギリスが統治していたフォークランド諸島にアルゼンチン軍兵士を上陸させて占拠する。
 イギリスのマーガレット・サッチャー首相は、「たとえ一人であったとしても、助けを求める自国民が居れば、イギリスはこれを見捨てることはない」という有名な演説を行い、200隻の艦隊を派遣…。3ヵ月後、アルゼンチンは降伏して、フォークランドは今もイギリスの統治下にある。アルゼンチンのガルチェリ大統領は失脚して、アルゼンチンでは民政移管が実現した。


 国民の名誉と生命・財産を守らずして、何の国家か。自国民がミャンマー国軍兵士によって不当に殺害されているのに、何のリアクションも起こすことができない政府に、存在意義はない。「事態をよく調べ、国際社会の動向を見極めて判断」と語る町村官房長官の言葉は、まるで第三者的で「自国民が国軍兵士によって殺害された」という当事者意識が感じられない。
 福田新政権のスタートに課せられた、大きな試金石である。「人の命は地球より重い」、1977年日本赤軍によるダッカでの日航機ハイジャック事件で、犯行グループが高額の身代金と日本で服役中の過激派や爆弾魔などを解放するよう 要求した時に、福田康夫現首相の父で当時の福田赳夫首相が言った言葉として記憶されている方も多いだろうが、情緒的な言葉でテロリストたちを釈放した判断は、国際的な批判を浴びた。福田新首相、まさかオヤジの轍を踏むことはあるまい。


【142】 福田政権スタート -確かな国家観も未来像も示さずに―     2007.09.26


 330対197、自民党が奈落の縁(ふち)でとどまった瞬間だった。麻生太郎が自民党の希望の星というわけでは決してないが、福田康夫圧勝では自民党は派閥談合の政党であったことが露呈され、国民の信頼感に躊躇が生じたことであろう。


 安倍辞任の報せが永田町を走るまで、福田康夫は本気で首相になるなどの考えを抱いたことはなかった。安倍前首相の退任表明は、彼にとってまさに「緊急事態」であった。
 安倍退任を受けて、側近の衛藤征士郎から出馬を促された福田康夫は、自らも総裁選に出馬する意向があった、派閥の会長である町村信孝の了解を、1時間半にも及ぶ会談で取り付けると、町村派幹部が早速、福田支持を各派に働きかた。安倍-麻生ラインから冷や飯を食わされてきた丹羽・古賀派や山崎派、谷垣派は素早く反応して、結果的に福田本人とと古賀・山崎・谷垣との会談で、党内の福田氏への流れを形づくった。
 町村派、丹羽・古賀派、山崎派、谷垣派…と支持を表明する中、乗り遅れまいとする議員たちは次々と福田支持に回り、結局、麻生派以外の8派閥全てが福田を支持することになった。福田の抱負も政策も聞くことなく、それが自らの政治理念に合致するのかどうかといった判断もないままに、雪崩を打って福田支持にまわり、昨日に小泉前総理の擁立に走っていた議員が今日は福田の後ろで拳を突き上げていたのである。
 派閥談合と批判されても仕方のない状況であるが、一方では小選挙区制となり、公認や選挙資金などで党執行部の力が強くなったことから、生き残りを賭けた議員たちの必然の行動といえるのかもしれない。


 総裁選の前日、私は友人に送ったメールに、
 『 自民党は 古い時代の姿のほうが、みんな 居心地がいいのでしょうね。
   個々の議員も 党も、利益誘導型政治で 票を稼いできた自民党ですからね。
   理念や政策で人心をつなぎとめる政治は 体質に合わないのでしょう。 』
 と書いた。
 この政治体質を改めるには、やっぱり政権交代しかないということなのだろう。


 330対197と予想外に麻生票が多かったことは、圧倒的な票数を政権運営のバックボーンとするつもりであった福田康夫の思惑にとって、大きな誤算であった。
 新総裁となったのちも、新しい政見は何もない。「図らずも…」「自分で望んだことはない…」などと、どこかの農水大臣と同じようなトーンで、まだ繰り返していた。確かに2週間前までは、総理大臣になるなどとは夢にも思っていなかったことだろう。
 しかし、総裁選が始まったときには新総裁に選出される流れであったのだから、それから1週間を経て、「戦後レジゥムからの脱却を目指し、憲法を改正する」とまで明確でなくてもいいから、日本をどのように…どのような国へと導くつもりか、自らが描くビジョンを示すべきではないか。今になってもまだ、「自立と共生、信頼ある政治」と語る、福田康夫が描く国家像は見えてこない。


 前近代的民主主義から脱却できないままに、政治腐敗や格差問題をかかえ、一向に存在感を示しえない日本…。今、続出する政治とカネの問題の解消に明確な方向を示しえず、国と地方や大企業と中小零細企業の格差は底辺の下落に歯止めが効かずに開く一方で、実体なき景気回復の掛け声ばかりを虚しく叫ぶ日本…。中国の政治経済両面での台頭という現実の前に、もはや日本の独自外交は国際社会での評価を受けないばかりか、東アジアを舞台とする「6カ国協議」でも蚊帳の外である。
 週明け、国会が再開され、福田新内閣総理大臣の所信表明演説が行われる。今日の政治不信を招いたのは、長期政権の上にアグラを掻き続けてきた自民党の体質そのものであることに気づかずに、彼はまた「政治不信を一掃し、政治に信頼を取り戻す」と繰り返すことだろう。
 この福田新政権に、国民は多少のご祝儀をこめながらも50数%の支持率を示しているが、私としては、確かな国家観も国民生活の未来像も示しえない政権に期待するものは何もない。
 政権交代へ、民主党は確かな道筋を開くことができるのか。しばらくは静観して、この国の歩みを眺めることにしようと思う。




【141】 自民党総裁選  - 自民党政権幕引き内閣への戦い -  2007.09.20


 安倍首相の突然の辞任を受けて、自民党総裁選出レースが追い込みの様相です。麻生太郎、福田康夫のマッチレースですが、自民党の国会議員はナダレを打って福田支持に回り、追い込みとは言うものの事実上は福田総裁誕生が決定的です。


 麻生太郎は、安倍首相の辞任を前に相談されていたとバラして、一挙にワルモノになってしまいました。「何で止めなかった。無責任辞任の首相と同罪だ」と総スカンを食って、流れは一挙に福田康夫へ…。総裁選告示の2日前まではポスト安倍の大本命だったのですが、まさに一寸先は闇…ですね(苦笑)。
 麻生太郎は、頭に浮かんだことをそのまま口に出していますね。漫画思考の男だからそれも仕方ないけれど、頭から一度腹に落として、それから口にするといいのに…。でも、それでは彼の持ち味が出ないかも知れません。
 総裁選を意識して出版したのであろう彼の著書『とてつもない日本』にしても、日本の現状について、論拠の浅い、国民にとって耳障りの良い言葉を羅列しているだけで、分析力や説得力に乏しいものとなっています。日本は今どうすることが必要で、自分はこの日本をどうしていきたいのかといった覚悟が見えてこない著作で、本のページ数の少なさが物語るように、日本を預けるのは今ひとつ厚みが足らないといったところです。


 福田康夫は古い自民党そのもの…。自民党政権の幕引き内閣としては、まさにうってつけの役どころでしょうか(苦笑)。
 政策も何も発表しないままに派閥単位で議員のほとんどが福田支持を表明…、これで幹事長に旧体制の象徴のような古賀 誠なんてことになったら、小泉・森・小渕・橋本・村山・羽田・細川・宮沢・海部・宇野…とさかのぼって、竹下内閣のころ様相です。省庁の権益や個々の議員の既得権は守られるという図式でしょう。
 しょせん自民党は、江戸時代の封建幕藩体制の政党なのですね。みんなで集まって相談し、少々後ろめたいことも「みんなで渡れば怖くない」という談合体質が 安心の条件なのでしょう。だから、テレビカメラに向かうと、ひとりひとりは「領収書は1円から」なんて言っているのに、党の総務会での討議になると「5万円からだろう。政治なんだから」などと、民意から乖離した決議を堂々とできるのです。個人の意見が確立していない、談合集合体なのですね。
 

 この総裁選を、解散総選挙…の視点から見てみますと、今年末にはないと思いますが…、来年春か…秋か…、福田総裁の下で 衆議院選が行われることは確実です。
 特に小泉チルドレンの面々には、自民党の公認が取れるかどうかが死活問題です。だから、テレビカメラの前で小泉決起の要請文を読んでいた片山さつきが、翌日には福田康夫の後ろに並んでいて「ガンバロー」と出陣式の拳を突き上げている(大笑)。
 熱烈な福田支持をアピールして、自民党公認を勝ち取ろうという、彼女たちの戦いでもあるのですね。
 その点、小泉決起で小泉チルドレン30数名を集めたのに一転福田支持を固めた、育ての親の武部元幹事長に弓を引き、「アンタには もうついてけやんわ」と集会場で席を立って、北海道へ向かったという杉村太蔵くん(北海道は彼の郷里で 次回は 北海道の小選挙区から出たいと思っているらしい。武部も北海道…ですね。)のほうが、生き方としては潔い。
 比例代表も自民党は前回ほどの票は取れるわけがないから、太蔵君の生き残る道はもともとないのだろうけれど、潔さ=長生きの秘訣とはいかないところが、人生の難しさですね。


 ただ、福田政権に期待するものは何もないことも事実です。

 
 挙党体制…すなわち自民党議員全体の協力体制をつくるのでしょうから、各議員やグループの権益を補償していくということになり、族議員は復活して、公務員改革は大きく後退することになります。小泉改革により、利益誘導型の政治を改めようという考え方が芽生えてきたように思いますが、福田政権下では議員の既得権はしっかりと保護され、例えば国家公務員共済年金の見直し=年金一元化など話題にも上らなくなることでしょう。

 また、アジア重視の美名のもと、中国・韓国におもねる外交が展開され、保障としての巨額ODAが復活して継続的に支払われていくことになるでしょう。私は【138 安倍政権の役割】で、『日本の戦後を総括して、日本の歴史を取り戻し、民族の誇りを再確認し、教育や文化や日本の形を再構築することは、極めて大切である。日本のこの部分が確立しなければ、対外援助は賠償になり、技術協力は贖罪のための奉仕になる』と書きました。福田政権下において、対中韓外交は確実に謝罪外交が展開されます。ご存知の…媚中派・親韓派議員の復活です。対外援助の何%が、彼らのフトコロに還元されるのでしょうか。
 福田康夫は、官房長官時代に拉致被害者に冷たかったという批判を払拭するためにか、「拉致問題は私の手で解決する」と謳い上げていますが、おそらく再開するであろう対北朝鮮人道支援を何百億円か支払わされるだけで、彼の手で奪い返すことのできる被害者は一人も居ないでしょう。
 拉致問題は、残念ながら、北朝鮮の指導者か国家体制が変わらないことには、一歩も前には進まない問題です。今の北朝鮮には、もはや拉致問題は存在しないのです。
 北朝鮮は「テロ指定国家の解除、経済援助…」などを条件に核放棄を宣言し、もはや旧式となっていて稼動しているのかどうかも疑わしい寧辺(ニョンビョン)の核施設へのIAEAの査察を受けることに同意していますが、現在の核開発の拠点は他所に移していて、外交の切り札たる核を放棄することは永久にありえないでしょう。何らかの結論がほしいアメリカはそれでも妥協しようとしていますし、日本は蚊帳の外です。

 福田康夫に、大東亜戦争の歴史を見直そうという意識はないでしょう。靖国へは行かず、戦没者慰霊施設を新しく造ればよいと主張しているのですから、日本の戦争犯罪という問題に正面から取り組もうという意欲はなく、方法・手段で切り抜けようとしています。
 国の指導者に、国のために戦い死んだ人たちの名誉を回復しようとする気概がなければ、私たちの父や祖父は永遠に犯罪者であり、またはその片棒を担いだものたちとなります。日本の歴史を糺さないかぎり、子どもたちに反省と謝罪を教えなければならず、今日の日本の繁栄はアジアの人々の犠牲上に築かれたものであるという罪過を背負っていかねばなりません。
 東京裁判で裁かれた日本の罪科が、国際法に鑑みて犯罪であったはずがないという、各界で認められている戦後の数多(あまた)の検証を、時の内閣は世界へ発信していく責務があります。
 誇りのないところに、意欲も気概も生まれません。戦後日本の奇跡的な復興は、戦前の日本が育んだ人々によって成し遂げられてきましたが、戦後の日本で育った若者たちは、どこかひ弱で…独善的で…排他的です。その反面、実社会で耐える力に乏しく、粘り強く物事を解決していく力に欠けています。これは、日本が誇るべき歴史を否定し、犯罪国家として自らを卑下しなければならない国のあり方に大きなかかわりがあると思うのは、私だけでしょうか。


 もはや この自民党に期待するものは、何もありません。心置きなく政権交代を目指すことができるようです。


 なんだか「福田政権誕生」のコメントのようになってしまいましたが、安定…を求めて、福田を選出…。その福田が、ママならない国会運営に、持病のカンシャクを起こして、解散…、総選挙…、政権交代…という運びでしょうね。


【140】 安倍首相辞任2 -最後まで無策だったの首相周辺-   2007.09.14


 昨13日辞任を表明した安倍晋三首相は、その日の午後慶応義塾大学病院へ入院した。検診に当たった日比紀文教授は、「1カ月以上前から、食欲不振や胃もたれなどの症状が弱い状態だが始まっていた。非常に疲れが進み、食欲が落ちている。少なくとも3~4日の入院が必要」と述べている。
 尾籠な話で恐縮だが、 政治評論家の中西輝政氏(京大教授)が、昨年の政権発足時に「安倍晋三は大事な局面になると下痢便をもよおす」と書いていた。 生来、消化器官が弱かったのだろう。
 それでも首相の職責は厳しいもので、今回の辞任についても、国民は政権を投げ出したという見方をしている。誰かが、「売り家と 唐様で書く 三代目…辞任である」と言っていた。そうか、かつて私は2代目の脆弱さ…と書いたけれど、2代目でなくて3代目だったのだ。
 う~ん、体をボロボロにしながら、遠くの大きな課題を見つめて全力投球を続けてきた安倍首相にはちょっと気の毒な気もするけれど、世間から見たらそういうことなのだろう。


 ただ、安倍晋三の辞任を、国民が冷ややかに眺め、英紙フィナンシャル・タイムズが1面で「武士道ではない。臆病者だ」と報じたほどの酷評に晒したというのは、やはり官邸側近をはじめとする安倍首相の周辺の問題だろうと思う。
 福岡の友人から、『国内外的にも倒れてほしかった。パートじゃないんだから…』とメールが来た。そう、安倍退陣に、男の花道を用意し、政治的空白を作らない方法があったのではないかと、私も思うのである。
 この3代目に、せめて唐様と書く習字じゃなしに演劇を習わせて、国民も、身内の内閣も、小沢一郎も、アメリカのCIAも…、皆んなを煙に巻く迫真の演技…、本会議場で倒れるぐらいの演出をしてほしかったというわけだ。そうしたら、小沢民主党は一挙に悪者だったのに…(笑)。
 本会議場で代表質問を受けている最中…、長妻議員の70何か条か用意していたという年金問題の質問に、最初は、「断固許せない。責任者の厳正な処罰と、少しでも横領の疑いのあるものは全額支給することを 職を賭してお誓い申し上げる」なんて、どうせ倒れてチャラになるのだから、思いっきり国民受けするようなことをブチ上げて、10条ぐらいに来たら、「ウウッ…」とか言って その場に崩れるように倒れ込む…。そのまま担架に担がれ、救急車で病院へ…。
 これなら国民も、「安倍さん、かわいそう。ここまで真剣に国民のことを考えていてくれたのに、ロクでもない大臣たちや小沢一郎に、命を縮められて…」なんて同情し、全てを許すだろう。歴史に残る宰相になっていたかもしれない。
 

 相次ぐ辞任者を出した閣僚の身体検査の杜撰さに象徴されるように、首相周辺の無能振りにはあきれ返る。
 今年4月号の文芸春秋に、こんな記事が掲載されていた。『佐藤栄作政権以来40年にわたって首相秘書官室で実務を支えてきた女性職員が退任の意向を漏らした。小泉前首相が、この春定年を迎える彼女を、安倍内閣の船出への置き土産として4年間の定年延長手続きを取ったものだが、安倍の政務秘書官・井上義行の「よろしくと、向こうからの挨拶がない」という鼻息に、辞任の意思を固めた』というのである。
 内閣官房室勤務を含めて官邸勤務は5年にも満たず、永田町や霞ヶ関には全く顔が利かないという井上が、19人の歴代首相に仕え、官邸に出入りする人間のほとんどが世話になってきたというベテランをないがしろにするというこの構図に、お坊ちゃま官邸の脆弱さを見るのは私だけだろうか。若手の実務者がベテランを敬愛して学び、ベテラン職員が若手の実務を補完してこそ、組織は安定して機能するというものだろう。
 しかも、この実務者たちは、「戦後レジゥムからの脱却の重要性」も、「テロ特措法延長の必要性」も国民の理解を得るような説明ができず、アメリカ下院議会では歴史的な検証も行われていない「南京大虐殺による日本非難決議」すら回避できなかったという、無能集団である。安倍首相の最後の花道を華々しく飾れといったところで、無理というものか。
 

 本会議場での昏倒…ということならば、今頃は慶応病院のベッドの上で、「喫緊の難問が山積している現在、国政を一刻も停滞させることはできない。ここは、危機回避的に『麻生幹事長』に政権を担当してもらって、難局を打開してほしい」なんて、唐様の禅譲書をしたためることができたのではないか。
 政局は、安倍批判から、一気に福田康夫支持に傾いている。ここは、派閥政治、利益誘導といった旧来の政治文化に逆戻りすることなく、改革の到達点を見つめ続けて内政に果敢な決断と強い指導力を発揮し、国際社会で堂々と行動することができる指導者の登場を求めたい。
 自民党政権幕引き内閣…と揶揄されようと、内政・外交に不退転の決意と責任を持ってあたる内閣総理大臣を望むものである。




【139】 安倍首相 辞任   なぜ今なのか…?       2007.09.12


 「(インド洋での海上自衛隊の補給)活動を継続するため、民主党の小沢代表に党首会談を申し入れ、率直な思いと考えを伝えようとしたが、実質的に断られた。国民の支持・信頼の面でも、力強く政策を前に進めていくことは困難な状況だ。ここは自らがけじめをつけることによって局面を打開しなければならないとの判断にいたった」。
 午後2時から始まった記者会見で、安倍首相はこう述べて、総理大臣の職を辞することを明らかにした。


 異常な事態である。国会が開催されて所信表明演説を行い、その2日後…、今日は各党の代表演説を受けようという日であった。
 冒頭の辞任の弁も整合性がない。国際公約であると言った「テロ特措法」の継続も日程が難しくなるばかりだし、「職を賭して実現する」と言ったはずなのに、まだ、職を賭して取り組んではいないではないか。
 そもそも所信表明演説とは、これから自らが行なおうとする国政に対しての考え方を述べるものであり、政権担当に対する決意の表明である。改めて各種の施策を実行することを宣言したあとの、突然の辞任に対しては、国民はもとより各界の理解を得られるものではない。


 突然の辞任は、海外各国も驚きの表情を示している。アメリカにしても、今日の午前中にシーファー駐日大使が与謝野官房長官を訪ねていて、その場では辞任のじの字も話していない。2週間前に内閣改造を行い、新しく任命された閣僚は失われた自民党への信頼を回復しようと、意欲的な取り組みを始めたところであった。新内閣が発足して16日で総理大臣が突然に職を辞することは、政治の機能麻痺を助長する以外の何者でもない。


 安倍首相の肉体的・精神的な健康状態に、極めて重大な障害が生じたとしか考えられない。代表質問に答えることができない体調ということか。
 それであったとしても、今この時期に…というのは納得できないところである。通例では、入院するまでは政権を手放さず、病院のベッドの上から「辞任」を表明するものだが、安倍首相の場合は、政権に対する執着心が限界であったということなのか。質問に答えながら壇上で倒れる政治家の姿…を期待するのは、ドラマの世界か(苦笑)。


 午後3時、テレビは、小沢民主党代表の記者会見を伝えている。「私の40年の議員生活でも はじめてのこと」と述べて、ことの唐突さを表現している。


 いずれにせよ、安倍首相の「戦後レジウムからの脱却」を、大きな期待をこめて支持してきた私としては、誠に残念である。安倍晋三の身によほどの事態が生じているのであろうし、道半ばでの苦渋に満ちた残念な決断であろうと察するものだが、後継の政権が、戦後日本の最大の課題を忘れずに継承して、しっかりと取り組んでいってもらいたいと思う。




 「日本は、今」トップページへ