【寺子屋騒動4. 昭和49年1月】           寺子屋トップページへ


  2回目の授業     −叱り方のコツ−               2005.12.22


 第1回目の授業終了後にうなだれて帰っていった3人は、果たして姿を見せるのだろうか。学習塾というのは、授業に魅力がなかったらもちろんであるが、理由のいかんを問わず、生徒が「イヤだな」と思ったら辞めていってしまう。何をしていても、明日になれば生徒はまた登校してくる学校とは、根本的に違うところである。
 小5の授業が終わった6時20分、「こんばんわ」「どうも…」とか言いながら、3人は元気よくやって来た。吉田 満は、弟を連れてきている。
 「先生、弟もええかな?」。最初の授業で「私語をするな」「背筋を伸ばせ」「頬杖をつくな」と叱られまくって、次回、出て来るのか…と危ぶんでいた3人が、スッキリした顔を揃え、しかも最も学習意欲の感じられない満が、弟まで連れてきた。
 後日、満のお母さんに会った際、「最初の授業から帰ってきたときに、『どうだった』と聞いたら、『ずーっと叱られとった』と言うんですよ。これは続くのかなと思ったのですが、先生の叱り方がいいって…。これは叱られるかなと思っていると、間髪をいれずに『コラーッ』とくるから、叱られてスッとすると言っていました。
 いつもあんまり喋る子じゃないのですが、それから授業のようすを、『こんなこともわからんのかー。お前、学校へ何しにいっとんのじゃー。お前らなんか生きとるだけ無駄じゃわ』って、先生の口調を真似しながら話すんですよ。それを聞いていた弟が『僕も行く』と言い出しまして…」と話してみえた。
 子どもは悪いと知りつつ、いたずらをする。叱ってくれるのを待ちながら…。それを叱れない大人を、信用しない。叱り方のコツ…? 本人には、頭から足の先までがビ〜ンと痺れるように叱って、まわりのみんなからは、叱られている姿が可愛くこっけいに見えるような叱り方をすることだろう。
 「弟は何年生や?」「今、6年…」。6年生は、今はひとりの生徒も居ないけれど、担当の高井先生は授業プリントを作成しながら、生徒がやってくるのを待っている。「よっし、明日から来い」ということで、生徒は計6名になった。


 今日は金曜日だから、英語から。吉田 満の弟の毅(つよし)も、「帰りは、お兄ちゃんと一緒に帰る」と言って、授業に参加している。毅にとっては、英語の授業はチンプンカンプンだったと思うのだが、配布された中2の兄たちと同じプリントをじっと眺めながら、60分をおとなしく座っていた。
 「なかなか集中力があるじゃないか」と思いながら、このまま座らせておくだけでは可哀相だと、数学の時間の初めに、黒板へ5題の分数の計算問題を書いて、「プリントの裏へ式を書いてやってみろ」と、中2の3人と一緒にやらせてみた。1/3÷2/3ー2/3×(5/6−1/2)といった問題だから、小6の毅にも十分に解けるはずだ。


 5題中の正解は、落合と毅(弟)が2題、土井と満(兄)は1題しか合っていない。「満ゥ、兄貴の面目、丸つぶれやないか」とからかってみても、満は全く堪(こた)えている様子はなく「エヘヘヘ〜」と笑っている。答えが合っているかどうかは、神のみが知ることで、人智の及ぶことではないと思っているようだ。だから、できてしまって時間が余っても、見直そうともしない。こいつらにはまず、計算というものは「運」を試すものではなく、100%…自分の力で結果を出すものだということを自覚させることから始めねばならない。
 数学にとって、計算力は基本的に大切である。この日から毎回の授業の初めの5分間を使って、小学校段階からの計算問題を繰り返し練習することになった。
 章くんは言う、「計算というのは、解るとか…難しい…とかいうものと違う。足す・引く・掛ける・割るの約束の通りにやれば、誰でも正解するものだ。また、計算問題は100題やれば、100題とも正解で当たり前。2〜3題は間違っても仕方がないと思っているのは、心に油断があって、1題やれば1題間違う。全問正解が当たり前という気持ちを持て」と。
 毎回の授業では、授業内容が決まっているので、小学校段階の計算を復習し直している余裕はない。
 「次の時間から、授業の最初の5分にやる5題の問題で3題以上間違ったら、授業が終わってから残れ。そこで、5題の問題を繰り返し、3題ができるまで家に帰さん」。
 一難去ってまた一難…とはこのことか。果たして3人は、次回から、その日のうちに家に帰ることができるのだろうか。



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