【寺子屋騒動5. 昭和49年1月】           寺子屋トップページへ


 計算問題 補習  − 5題中3題以上合わなければ、家に帰さん −   2006.01.03


 3回目の授業。もう3人は、10年ほど在籍しているような気楽さである。「先生、今日の計算問題、解けやんだら泊めてもろてこいって、オヤジが言うてました」。
 とか言いながら、5題の計算問題が始まった。時間は5分…、5分たったらすぐに答えだけを合わせる。授業の冒頭のここでは、解法の説明はいっさいしない。
 (1/3−3/4)÷5/4−2/3 といった、項が4つほどの問題だと、今の彼らは5分でせいぜい3題が解けるかどうかである。鍛えられていない。これでは、いちおう出した答えが全て正解でないと、家に帰れない。
 「ほいっ、正解の数を報告せい」とそれぞれに言わせて、出席簿に記録していく。正解数は落合2題、土井1題、満は0である。満は、正解なんてどうでもいいと思っているのだ。だから、ろくろく計算もせずに、適当に答えを書いている。
 「お前ら、みんな、今日は泊まりや」と宣言して、中2数学の単元「三角形の相似」のプリントに入っていった。
 

 60分の授業が終わって、いよいよエンドレスの補習授業が始まった。章くんが5題の問題を黒板へ書き、生徒たちはプリントの裏を利用して解いていく。
 「ほいっ、5分経った。答えを合わせる」。「同じ説明を2度は言わんからな。1回で、必ず理解するんやぞ」と言いながら、今度は章くん、その解法を丁寧に説明しながら黒板へ書いていく。時間はたっぷりある。明日の朝、ここから学校へ送り出せばいいのだから…。
 例えば、3/4×(1/3+1/2) の場合、
  (1) まず、計算式は、=で頭を揃えて、計算する部分だけを書き出すのでなく、
     体の式を正しく書いていくこと。
  (2) どの部分から計算するのか、順序を確認すること。
      計算順序の約束は、 @( )の中、 A 掛け算(×)・割り算(÷)、
     B 足し算(+)・引き算(−) だから、
      上の式では( )の中の 1/3+1/2 から計算を始めるのだが、
      もちろん、これら計算の約束を、生徒たちに問いかける形で確認させていく。
   (章くん)「落合、計算の順序を言うてみぃ」
   (落合) 「( )の中からやろ…」
   (章くん)「お前、誰に向かって言うとるンじゃ。正しい言葉で、はっきり言え」
   (落合) 「まず( )の中から先に計算します」
   (章くん)「ということは、土井、上の式はどこから計算を始めるんや」
   (土井) 「1/3+1/2の部分からです」
  (3) 1/3+1/2 の計算のしくみを考えさせる
   (章くん)「満、分数の足し算と引き算をするときに、まずしなければならないこと
        は、何やった」
   ( 満 )「?、?、?…」
   (章くん)「じゃぁ、1/3+1/2 は、このままで足せるのか。
        … ン 足せない? なら、どうすればええんや」
   ( 満 )「あっ、通分するンや」
     ・ 満は、少々言葉が乱れていても叱られない。
   (章くん)「そう、まず通分や。じゃあ、落合、なぜ通分するンや
       ここは この説明の核心部分…。満には荷が重いから、落合へ…。
   (落合) 「?、?、?…」
     ・ 章くん、黒板へ長方形を3等分した図と2等分した図を描いて、
   (章くん)「ほら、1/3+1/2は…?、1/3+2/3はどうや」
     ・ しばらく黒板を見つめていた3人は、口々に、
   (みんな)「1/3+1/2は足せない。1/3+2/3は3/3で1や。
       分数は、分母が同じでないと、足したり引いたりできないンや」
     ・ と、真理を言い当てた。 もちろん、これほど最短距離で結論に至ったわけ

● 章くんが黒板へ書いた 計算式 
 (頭をそろえて、式全体を正しくかく)
  3/4×(1/3+1/2) ←順序
= 3/4×(2/6+3/6)  ←通分
= 3/4×5/6        ←約分
= 5/8
(2行目の( )中の分母は1本に書く)

      ではないけれども、いつも「な
      ぜそうなのか」を問いかけ、考
      えさせ、理解させることを原則
      とした。
       「分数は通分しなくては、大
      きさを比べられない(単位分数
      の意味)」を理解した彼らは、
      これで偉大なる数学の真理に一
      歩近づいた。



 章くんは思う、普通の日常生活を送れる子どもが、今の教科書の内容を理解できないはずがないと…。
 それでも、授業の内容についてこれないものが出るのは、教えるほうが悪い。教師はプロなのだから、子どもが聞きたいと思い、興味を持つ授業をしなくてはならない。この人の話を聞かないと損をする…、次はどんな面白い話をするのだろう…といった、生徒の興味をつなぎ、集中力を途切れさせない授業を工夫しなければなるまい。
 訓練によって伸ばしていくことはできるが、平均的に見て小学校の低学年で集中できるのは10分間、高学年で20分間、中学生で30分間だろう。だから、授業を行うものは、小学校の1年生の子には、10分ほどの思考や学習をさせて次は10分のお話や簡単な作業、そしてまた10分ほどの思考や学習…といったメリハリを持たせ、子どもを飽きさせないように授業を組み立てていく。小学校中学年、中学生についても、波長の長さが違うだけで、メリハリを持たせるのは同様である。
 また、子ども自身の考え方や姿勢を造っていくことも大切なことだ。例えば「何のために勉強するのか」を考えさせて学習に目的を持たせたり、日常生活で自分の役割を果たしていける子どもであるように育てていかねばならない。自分のことが自分でできないものに、立派な学力をつけろといっても無理なことであり、仮に恵まれた素質で高い学力を持ったとしても、確かな人間性を基盤にしたものでなくては、才能が人生を誤らせたりして、大成することはないのである。
 この点などは、家庭の協力を得ることが欠かせない。いや、むしろ父母を教育して「厳しく育ててください。自分のことが自分ででき、我慢することを覚え、世の中や人のために進んで働く子どもに育てることが、その子自身のためなのです」と理解させる、家庭で実行させることが大切である。だから、章くん、生徒の家庭との連絡は密にして、生活計画表を渡したり、遅刻したりするときでも必ず連絡を入れるよう依頼してきた。


 1題の説明に約30分を費やして、ていねいに数や式の仕組みを解明した。2題目からは、3人に黒板へ計算式を書かせてチェックしていく。
 補習1回目5題の正解数は、落合・土井が1題、満は0で、一向に変わりばえがしない。3人の顔には、正解してやろうという気魄がない。もちろんまだ、3題正解しないと家に帰れない…といった緊迫感もない。
 合格ラインを誰もクリアしなかったから、第2回目の5題だ。「計算式をきれいにしっかり書けよ」と言いながら、章くんは『こいつら、今度も絶対に合格しないな』と確信している。3人とも、合格しなきゃという気持ちがない。合格しないと帰さないと言った章くんの言葉をタカを食って聞いている。「次回はホントに帰さんぞ…とか軽く脅して、もうすぐ帰りだ」と思っている。
 2回目終了。正解は、落合2題、土井1題、満は0と、全然進歩はない。時刻はすでに10時を回った。3人は、「まぁ、今日はここまでにしよう」と章くんが言い出すものと、帰り支度を始めている。
 「10時になったから、みんな、家へ電話を入れよ。『まだまだかかるけれど、帰りは先生が送ってくれるから、心配せずに、家の人は先に寝ていてください』…と言え」
 3人の顔に、ちょっと緊張感が走った。家に電話を入れる、落合、土井の口調は少し悲痛…。でも、満はどこか嬉しそうだ。


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