【寺子屋騒動6. 昭和49年1月】           寺子屋トップページへ


 「俺、みんなができるまで帰りません」  − 男、落合 −      2006.01.10


 3回目、落合2題、土井・満1題、正解。「満ぅ、やれば出来るやないか」とエールを送ると、「フフフ…」と下を向いて笑った。
 4回目、落合3題、土井2題、正解。満はまたまた0に逆戻りだ。満は、計算なんてしていない。適当に足したり引いたり掛けたり割ったりして、浮かんできた答えを書く。だから、同じ問題を10回解いてみれば10回とも答えが違う。でも、平っちゃら…。
 落合は3題正解して、合格だ。時刻はそろそろ10時30分になろうとしている。落合3題、土井2題…と正解数が上がり、今日の補習の目的は達成したと言える。でも、章くん、甘い顔を見せない。
 「落合は3題正解で帰ってよし。土井と満は、次の問題…」と、黒板に5回目の問題を書いていく。
 「先生、俺もみんなができるまでいます」、落合が、友達としては当然だけれど、なかなか泣かせることを言う。『じゃぁ、お先に帰ります』なんて言ったら、落合は見捨てられるところだった。勉強なんて出来なくたっていい、良い友達であれば…と章くんは思う。人間として大切なことは、仲間を裏切らないことだ。
 落合が残ると言い出すことは、章くんの目論見通り…。章くんは落合を人間として信頼していたということだ。落合が残れば、あとの2人は落合に対して済まないという思い…時刻が過ぎれば過ぎるほど申し訳ないという思いが強くなる。落合の友情に報いるためにも、正解しなくてはならない。満も、ちょっと目つきが変わった。
 5回目、土井4題、満1題、正解。土井4題の正解は大金星だけれど、これには訳がある。時刻も遅くなってきたこともあって、問題をかなり易しくしているのだ。同じ4つの項がある問題とはいっても、初めは(1/3−3/4)÷5/4−2/3 といった問題だったけれど、このころは 2/3×9/4+3/4÷8/9 ぐらいにしている。
 ちょっと鍛えて、問題レベルを下げれば、土井の実力で4題の正解は当然のことと、章くんは思っている。土井は、四則計算が解らなくて不正解であったわけではない。今まで、問題に取り組む姿勢が甘かっただけなのである。学問に対して、この向き合う姿勢は大切だ。同じ1時間の授業を同じ先生から受けたとしても、生徒自身の姿勢が出来ているかどうかで、結果は大きく違う。その姿勢を、みんなに少しずつでも身につけさせていかねばならないことを思い、エンドレス補習を課しているわけだ。
 「土井、帰っていいぞ」「いや、みッちゃん(満のこと)を待ってます」。土井も、男であった。
 6回目、満2題、正解。7回目、落合と土井が、満を教え始めた。「みっちゃん、そこはひっくり返して掛けるンや」とか言ってもらって、さすがの満もぷっくりした白い顔が赤らんで来ている。満3題、正解。
 時刻は11時。「ようし、全員合格」。3人の家は、教室から自転車で5分少々…。が、「お前たちの家の人に送っていくといったから、先生も一緒に行くぞ」と、章くんも一緒に外へ出る。歩きの章くんがいるから、3人は自転車でスイーと行くわけにはいかず、押し歩いて付き合っている。「かえって、足手まといだな」と思っていたことだろう。
 途中に「玄海ラーメン」の店がある。章くんの高校の1年後輩である中山くん夫婦がやっている店だ。玄海ラーメンというだけあって、トンコツ出汁のこってりした味付けが人気を呼んでいるのだが、トンコツが苦手な章くんは、開店のときに1度顔を出したきりで、とんとご無沙汰であった。
 「あれっ、めずらしいなぁ。息子さんたち?」「こんなアホみたいなン3人もつくるかい」とか言いながらカウンターへ陣取る。
 「遅くなりついでや、お前ら12時までに帰ったらええやろ。ラーメン屋へ寄ったというのは、家の人には内緒やぞ、ええか」「うん、わかった」と、章くんと3人は共通の秘密を持つ仲間になった。
 10分ほどで、3人はペロリと平らげた。「よし、お前ら、もう帰れ」「えっ、家まで送ってくれるのと違うの」「アホ、何を甘えたことを言うとンのじゃ。中2にもなって、家わからんのか」。
 「ご馳走さまでしたぁ〜」。3人は、1月の、もう日付が変わろうかという深夜の寒気をついて、ピューと元気に帰っていった。

 
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