【寺子屋騒動8. 昭和49年2月            寺子屋トップページへ


   生徒募集大作戦  − 月謝も、いきなり2倍の値上げ −     2006.01.15


 いつも霞か雲を食べて生きているような章くんだけれども(ときどき、人も食っている)、月々260万円もの赤字(笑)には、ちょっと考えた。
 「これは、生徒を集めるしかないなぁ」ということで、ケンジロウやヤッチンを集めて、連日、作戦会議を開いたけれど、会議に名を借りたドンチャン騒ぎを繰り返すだけで、いっこうに良い知恵は浮かばない。『電柱貼り歩き作戦』も25名が限度だった。
 そんなある日、満のお母さんがやって来て、「いつも遅くまですみませんなぁ。この間は、ラーメンまでよばれたそうで、ホントに申し訳ありません」…。ゲッ、『家の人には内緒やぞ』と口止めしておいたのに、筒抜けじゃあないか。
 「先生ところは、月謝もすごく安いのに、ラーメン食べさせてもらったりして、ええンですか?」
 章くんは、教育を金儲けの手段に使ってはいけないと思っている。だから、講師のみんなの分と事務所経費が出ればいいということで、月謝は月額2500円としていた。
 「月謝、安すぎますよ。きょうび、2500円の月謝って、逆にこの学習塾の中味は大丈夫かなぁ…って、みんな疑いますよ」と満のお母さんは笑う。
 そうか、月謝は安ければ良いというものではないのか…。章くん、早速、月謝の値上げに踏み切った。『来月から、月謝を値上げさせていただきます。現行2500円→5000円』。いきなり2倍の値上げである。それでも、約50名ほどになっていた受講生の間からは、ひとりの退講者も、一件のクレームも出なかった。「2倍でも安いわ」という満のお母さんの感想の通りだったのだろうか…。しまったなぁ、3倍にしておけばよかった。


 しかし、あと225万円が不足。いかに理想の教育を掲げても、赤字が溜まると続かない。三重県教育センターが生き延びるためには、最低120名の生徒を集めなければならないのだ。経費を稼ぎ出すための、章くんの生徒募集大作戦が始まった。
 とにかく相手にしっかりと訴える宣伝が必要である。相手とは生徒とその家庭、訴えるものは自分たちが目指す教育とその実践方法だ。それを、しっかりと伝えるためには、どうすればいいのか。
 子どものいる各家庭へ、「三重県教育センターの紹介」の文書を出せばよいのではないか…と、章くんは考えた。今でこそ、就学児童の居る家庭には、新学期の前になると、おびただしい数の学習塾の案内や、教材、参考書などのDMが届くようであるが、昭和48年のこのころには、学習塾の案内書を生徒の家庭へ直接送るというような試みは、少なくとも三重県津市のような地方都市ではまだなかったのである。
 問題は、生徒の名前と住所をどうして調べるかだ。これも、今は名簿業者などが揃っていて、「津市の○○年生まれの子供の名簿が欲しい」などというと、それなりに揃えてくれるようであるが、当時はそんな名簿業者などというものは存在しなかった。いや、ジャの道はヘビで、成人式用の晴れ着のDMなどは、当時も送られていたようだから、それなりの業者に費用を出して特に注文すれば、アルバイトを雇って市役所の住民台帳を閲覧し、写し取ってくるようなことも出来たようである。
 が、それは一着がン百万円もする晴れ着のDMだから、多額の費用をかけて名簿を揃えることも可能であったのだろうが、2倍に値上げをしたといっても、やっと5000円になった月謝を稼ぐために、現在も月額225万円の赤字を抱える三重県教育センターに出来る投資ではない。
 代わりに章くんが考えたのは、学校の「児童生徒名簿」を入手する方法である。児童生徒名簿は、各学校ごとに作成されていて、生徒それぞれに配布されている。門外不出の機密文書でも何でもないのだから、それを借り出したところで問題はない。章くん、教育関係のコネを生かして、津市内各小中学校の名簿を集めた。
 と、こう書くと簡単なことのようだけれども、そう簡単に全校の名簿が集まったわけではない。親しくしていても、「日ごろの付き合いは別にして、塾の募集に使うために、我が校の名簿を貸すわけにはいかん」と正論を述べる正義漢もいたし、それではと別の先生に「お願いします」と言ったら、「何で、○○さんに頼まんのや」と怪しまれたり…。
 年下の先生ならば「やかましい。うだうだ言うとらんと持って来い」と言えば済むのだけれど、当時の章くんはまだ弱冠28歳である。同級生や、まして後輩のみんなは、新卒の僻地赴任で遠くの学校に飛ばされていて、津市内には帰ってきていない。市内にいるのは先輩諸兄ばかりで、それなりに苦難の連続であったのだ。
 また、いくら章くんでも、市内の全校に、こんなこと(塾の募集に使うために生徒名簿を貸してくれということ)を頼める先生が居たわけではない。知り合いのいない学校の分は、何でも言える親しい先生に、「あの学校の名簿を借りてきてくれ」と搦め手から攻めたり、PTA役員を探すなど、さまざまな努力を重ねたのである。


 2月下旬、やっと名簿を揃えて、案内書を印刷…。満のお母さんに、「1通15円で宛名を書き、封入までお願いできませんか」と、近所の達筆のお友達も誘ってもらって、1万通ほど(市内の全小4〜中3生の8割ぐらい)の封書ができあがった。



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