【寺子屋騒動9. 昭和49年2月            寺子屋トップページへ


  学問することの喜びを  −三重県教育センター 受講生募集のご案内−


 2月下旬、津市内の小3〜中2の生徒をもつ家庭に、「教育は、時代や洋の東西を越えて人類普遍の課題ですが、今わが国の教育の現状を見ますと…」と始まり、「…子供たちに学問することの喜びを知らしめ、生徒それぞれの秘める心霊に点火して、その将来に渡る人間形成を図る教育を実践して参ります。…」と綴られた『三重県教育センター 受講生募集のご案内』が郵送された。
 その日から、教育センターの電話は鳴りっぱなし。教室へ来訪する入講申し込み者も引きをきらず、生徒用の机や椅子の数が20人分しか用意していないのだから、講座によってはすぐに満杯になってしまった。
いつの時代も、どんな場面でも、子を思う母の愛は強い。「どこかへ詰め込んでもらえませんか」「もうひとつ教室をつくったら…」とか、圧倒的な迫力である。
 『中1ですか…、一杯になってしまいましたので、小4講座に空きがありますから、そちらへどうぞ』というわけにもいかず、補欠で受け付けることになったのだが、翌日から毎日、「空きましたか。何番目になりました?」と電話での問い合わせがかかる。ゴルフ場のエントリーじゃないのだから、そう簡単にキャンセルが出るような性質のものでなく、「申し訳ありません、補欠の12番目です」と答えると、「昨日も12番目だったじゃないの。ちっとも進まないわねぇ」とお叱りを受ける。
 「ええい、机が入るだけ入れることにしよう。もう机も椅子も入らんとなれば、皆さん納得してもらえるやろ」と章くん、コクヨ三重支店に机と椅子を追加注文。3人掛けの机を10脚並べて、30人定員の教室が出来上がり、補欠の10人に入講案内を送った。
 その2日後、「私、ちょっと旅行に行っとったら、もう受け付け始まってますんやてなぁ」と新中1講座に申し込みに来た赤塚知子のお母さんは、「実は、30名にしました定員も、もういっぱいになってしまいまして…」と言う瀬川さんに、「机をひとつ、横へ引っ付けて貰えばよろしいですやろ。家から持ってきますから」と押し切って、入講を承諾させてしまった。まだ5人、補欠で待っているというのに…。
 割り込み入学というわけには行かず、章くん、更にコクヨへひとり掛けの机を6脚追加注文、赤塚知子までの6人を収容した。これで中1は36名…。
 もちろん、定員一杯となったのは中1と小6の講座ぐらいで、あとの学年には空席もあったけれど、章くん、いちおう当面の目標…150名を達成して、首の皮がつながった。


 3月半ばの日曜日、津市中央公民館の講堂を会場に、生徒とその父兄、約300名が出席して、三重県教育センターの授講の方針を説明する「受講説明会」が開催された。
 「私たちは、教室での教科の指導はもちろんですが、それだけでなく、課題学習として家庭での学習も指導し、良い学習習慣を修得させるように努めます。また、子どもたちの日常生活にも積極的にかかわって、全身全霊を以って子供たちの学習と生活の指導に当たります。
 … ご家庭にお願いしたいことは、決して子供たちを甘やかせることなく、自分のことは自分で出来る子供にしてやっていただきたい。子どもは、「少し寒く、少しひもじく育てよ」と申しますが、物事に耐えてくじけず、自分の力で将来を切り開いていくことのできる子供に育てていただくことが、子供たちの未来の幸せにつながると思います
」と章くんの話は続く。
 子どもの指導が成功するかどうかに対して、家庭の協力は必要不可欠である。学校においてすら、教師に対する父母の信頼がなくては、生徒指導の実は上がらない。生徒の前で「あの先生は…」と父母が不信感を漏らしたりしたら、子どもはその教師を信用しなくなる。ましてや学習塾は、「あの学習塾はアカン」と言われれば、即、辞めていってしまう。特に、章くんのように『頭でわからんときは、体で覚えろ』など厳しい指導をする場合は、生徒とその家庭の理解と支持が欠かせない。
 叱られ、残され…、時には頭を張り飛ばされて、子どもたちは「今日は3発、喰らった」と言いながら家に帰っていく。そのときお父さんお母さんが、無条件に「それはお前が悪いからだ」と子どもを叱る信頼関係が構築されていることが必要なのである。
 教育の場に「体罰」は必要か。章くんは「何が良くて何が悪いかをわかって、なお悪さをする子どもには、百万言を費やすよりも、一発で済ませる」ことが、より良い方法だと常々言っている(http://www.ztv.ne.jp/kyoiku/Kyuoiku/k14-totsuka.htm)。もちろん、相互の信頼関係が前提である。子どもの納得や信頼がないままの体罰は、単なる暴力でしかない。子どもに、「もう1発、お願いします」と言わせるぐらいでないと、学習塾で張り飛ばすことは難しい。
 時には章くんも、ちょっとやりすぎたかな…と反省することがあったけれど、そんなときは逆に子どもたちの明るさと逞しさに救われた。状況は、子どもたちのほうが理解しているのである。
 章くんの話は続く。「受験勉強は、過ぎたる負担を子どもたちに負わせるとの議論がありますが、果たしてそうでしょうか。およそ学問に志を立てるものは、たかが受験勉強ぐらいで音を上げていてはいけません。受験は子どもたちにとって目の前にある現実なのですから、皆さんの先輩がそうであったように、苦もなくこれを乗り越えて、確固たる未来を築いていって欲しいと思います」。受験勉強ぐらいで、弱音を吐くな…と言うのである。
 勉強に当たっては、何よりも強い気持ちを持つことが大切である。人に解ることが、自分に解らないはずはない。先輩たちはみんな、この道を通っていったのだ。時には困難で苦しい道かもしれないけれど、逃げ出すのでなく、自分もその道を歩くことができることを喜びと考えろ…と言うのだ。


 この「受講説明会」に、掃き溜め3人衆が手伝いに来てくれた。「お前らは、我が三重県教育センターの恥なんやから、人前には出せない」と言ったのだが、日曜日に開催したこともあって、何もすることがない3人は朝早くからやって来た。会場準備を終えて繰り出した「あずまや」の昼食が目当てだったのか。それぞれカレーうどんとカツ丼を平らげて、3人とも大満足であった。
 この年以来、新中3生が受講説明会を手伝うのが恒例となる。


 4月1日、新年度の授業が始まった。


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