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  思い出の卒業生たち  − 中高一貫校の才媛 − 金 児 由 衣 その1


 昭和58年8月、中2数学の講座に1人の女の子が入ってきた。講座の連中は興味津々…、というのは、彼女は東海地区の名門私立校である、高田学園の生徒だからである。


 高田学園は津市内にあるが、有名大学受験を目指して全国から生徒が集まる、6年制の中高一貫教育校である。中高6年間の学習内容を5年間で学習してしまい、高校3年の1年間は大学受験に充てるカリキュラムを組んでいて、例年、東大合格者7〜8名を出している。だから、公立中学の進度に合わせて授業をしている章くんの塾「三重県教育センター」では、学習進度が全く合わないために、高田の生徒は採ってこなかった。津市内には高田学園の生徒たちばかりが通う学習塾があって、高田の生徒たちはそこに集まり、学校の進度に合わせた授業を受けている。
 ところが、章くんの教室にやってきた女の子…金児由衣は、大学受験だけを目指して、わずか定員120名ほどのガリ勉たちと6年間を過ごすのはいかにもつまらなく思えて、中学3年を終えた時点で、公立の津高校を受験したいというのである。このあたりの解説には、多分に、12才から18才までの多感な6年間を、大学合格を至上命題として勉強漬けにし、クラブ活動や学校行事を極力制限したりするこの私立校の行き方に批判的な、章くんの主観が入っている。


 実は、章くん自身も高田学園の出身である。章くんの時代には、まだ高田は6年制を採っていなくて、高田中学と呼ぶ3年制の中学であった。高田高校もあったのだが、ほとんどの生徒は中学3年を卒業すると、津高校を受験して進学していった。章くんとしては、自分の母校に対して批判的な意見を述べるのは心もとないのだが、高田中学の3年間は、12才で中学を受験し合格してきた80名(当時は2クラス)が机を並べていて、何事にも行儀のよい…ほどほどにレベルの揃った子どもたちの集まりといったクラスであった。
 章くんは思う、多感な青春の日々は、こじんまりとした集団ではなくて、腕白坊主から薄幸の美少女までが混在している、大きな集団の中でさまざまなことを経験することが、人格形成には大切なことだと。
 大学受験にしても、押し寿司のように型の決められた学習システムの中で与えられた課題をこなすのではなく、いろいろな生徒のいる中で自分の学問のスタイルを見つけ、好きな本を読み、先輩に教えられ友人と語らいながら参考書や問題集をこなして、自から学力を積み上げていくことが、将来に向けても重要なことである。受験勉強なんて、何がたいへんなものか。お仕着せの勉強しか出来ないものは、大学受験に合格したら目標を失ってしまう。学問することの意義と喜びを見出したものは、生涯に渡って学び究明する姿勢を失わない。
 章くんが中学生のころは、男の子のクラブ活動の花形は何といっても野球部で、章くんは入学式の日に入部届けを出した。私立学校だから学区外通学で、章くんは電車と汽車を乗り継いで、片道1時間30分をかけて通学していたので、野球部の練習を終えて家に帰ってくると、午後8時を回る日々が続いた。
 母上は、中学生になったら帰宅時間が遅いのは当然といった感覚だったから、何も言わない。「夕食の分のお弁当も持っていく?」といった調子であった。
 ところが、もともと1学年80名(うち男子は3分の2)の少人数だし、みんなどちらかというと運動よりも勉強のほうが得意な生徒たちである。また、学校としても勉強に主眼を置いていたこともあって、当然ながら弱い野球部であった。章くん、中3になると、テニス部にも入って大会にも出場したし、生徒会長になって県下の中学校の交流キャンプに参加したりしたが、どこか消化不良気味の中学生活であった。
 津高校へ進むと、生徒数は6倍の480名、実にいろいろな奴がいた。県下全域から集まってきていて、「お前、ニーチェも読ンどらんのか、資本論は…」と言う奴から、「3限目になると、ニコチンが切れて…」とか言って、部室へ走りこんでくる奴など、今も付き合いをしている連中が多い。テニス部、水泳部、新聞部に籍を置き、2年の秋には生徒会執行部にいて学力テスト反対の全学ストライキを敢行し、新聞に載ったりした。
 3年の秋、喫茶店でタバコをくわえているのを先生に見つかり、みんなを逃がし、「3年1組の飯田です」と自首して、1週間の停学をくらった。呼び出された母上は、「麻薬やあるまいし、タバコぐらい…」と言って、校長を苦笑させた。
 章くんの高校生活は充実していて、思い出は尽きない。ひとえに、素晴らしい友人に恵まれたおかげであると思う。やはり、青春はさまざまなたくさんの友達のいる集団の中で過ごすことが、何より大切ではないのか。その中で、勉強することも含めて、自分の生きる道を見つけ、切り開いていくのが大事なのだと思う。


 だから章くんは、高田中学の受験を目指して教育センターへ通ってきて、見事に合格を果たした小6の生徒にも、「やめとけ、公立中学から津高校へ進んで、自分の力で東大を目指せ」と指導・説得してきた。中には、松井和洋のように、合格した高田を辞退して進んだ公立中学校でイジメに遇って、「洋服を汚して帰ってきます。高田にはいじめはないでしょうに」とお母さんに恨まれたこともあった。「それも越えなくてはならない青春の1ページです」と章くんは呑気なことを言っていたが、本人や家族にしてみれば、しなくてもよい苦労だと思ったことだろう。試練を越えて、松井は津高校から東京工業大学へ進学していった。


 さて、本編の主人公の金児由衣は、自分から「高田を辞めて、津高校へ乗り換える」というのだから、章くんの主旨にぴったりである。
 高田学園では6年間一貫教育が建前だから、途中で他の高校を受験するといえば、よい顔はしない。それでも、受験してはいけないとはいえないので、受験に必要な書類は揃えてくれる。しかし、他校の受験に失敗したから、また復学させてくれというわけにはいかない。複数の高校を受験しておいて、本命の津高校に失敗したら、他校へ進学するか、浪人するかである。
 が、せっかくの進学校の高田学園を退学しての受験なのだから、津高校合格以外は考えられない。金児由衣にとっては背水の陣であり、事情を知りながら預かる章くんにとっては、絶対に落とすことの出来ない受験生であった。



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