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思い出の卒業生たち  − シンガポールにいます − 金 児 由 衣 その3


 金児由衣の自宅がある「つくしが丘」は、章くんの帰路の途中にある。「先生、質問」としょっちゆう居残りしていた金児を、章くんはときどき、「乗っていくか?」と帰り道に車に同乗させて送ってやったりした。だから、章くん、金児とは 学校のことや家庭のことなど、さまざまな話をしている。
 金児由衣はひとりっ子。お父さんは大手の証券会社の支店長で、全国を転勤で飛び回っているから、金児は現在、つくしが丘の自宅で、お母さんと2人で暮らしている。自宅は4年ほど前、お父さんが津支店長の時に購入したものだ。
「お父さんは、もともと津の人か」
と章くんが聞くと、
「いえ、四国の高知です。津に転勤して来たときに、住みやすいところやと思もたンです。退職したら、津に住むつもりなンです。私も、津はいいところだと思います」
と言う。金児一家にとって、津はお気に入りなのだ。
「お前、学校の帰りに来とるンやから、パンかじったぐらいで、夕食食べてないよなぁ。こ
 れから家に帰って、食事か?」
「お母さん、寝てることも多くて、ご飯にありついたりありつかなかったりです。」
「ええっ、ご飯作らずに、お母さん、もう寝とるのか?」
「うちのお母さんは、寝るのが趣味ですから…。食べたかったら、私が自分で作ります。」
 教育評論家といった皆さんは、「子どもの教育には、三度の食事をきちんと取ることが大切で」とか言い、最近では『食育』なる言葉ももてはやされて、学力低下を克服しなければならない学校でも、「食事を教育する」とかいった主客転倒な研究が大真面目に行なわれている。子どもがしっかりするためには、三度の食事を保証するかどうかではなくて、「食べたけりゃ、自分で作れ」と教えることだ。
「ちょうど俺も腹減ってるんだ。何か、食べていこうか。遅くなるとお母さんが心配するから、電話を入れろ」
と気遣う章くんに、
「お母さん、もう寝てますから…。それに、数学の成績がぐんと上がったから、教育センターへ行く日は遅くなっても安心しています」
と、金児は笑う。調子のよい金児の口調につい乗せられて、章くん、生徒たちとよく行くラーメン屋やファミレスでなく、遅くからの客で賑わう寿司屋の「なかい」へ立ち寄り、寿司盛りと付け合わせを摘んで帰った。
 翌日、お母さんから
「昨日は、豪華なお夕食をご馳走になったようで…」
と、お礼の電話を貰った。
「私の食事に付き合ってもらったようなことで、ちょっと遅くなったりまして申し訳ありません」
と言う章くんに、お母さんは
「教育センターへ行っている日は、私も全く心配しておりませんので…。これからもお任せいたします」。
かくして金児由衣は、他の何人かの生徒とともに補習授業を始め、夏のキャンプ、サーキットの花火見物、春と秋の遠足、冬の百人一首大会、テニス、ソフトボール…などなど、教育センターの行事や生徒たちのイベントのほとんどに顔を見せるファミリーになった。
 特に金児由衣は、ほとんどの授業の日に居残っていったから、章くんの夜食にはよく付き合っている。
「先生、質問あるんですけど」
「じゃぁ、飯食いながら聞こう」。
 割烹「銀波鈴」の女将きよみちゃんに
「お茶漬け、お願い」
と電話を入れると、
「由衣ちゃんですか。2人前ね」
と笑いながら、勉強机まで用意してくれた。


 章くんの夕食を相伴しながら栄養をつけた金児由衣は、ぐんぐんと成績を伸ばし、翌年の3月の県立高校入試で、見事、津高校の合格を果たす。もちろん点数は十分であり、情緒的にも安定していた金児の合格は、心配する材料は何もなかった。
 『午後の紅茶』を貢いでもらった堀田正志たちと一緒に津高校で3年間を学んだ金児は、慶応大学文学部へ進学する。
 堀田正浩も、1年浪人して、慶応大学経済学部への合格を果たした。2人は、章くんが東京の出版社の会議などで上京すると、教育センターの他の卒業生たちとともによく顔を見せた。金児と堀田とは、お互いがそれぞれに結婚してからも、家族ぐるみの付き合いが続いていた。


 彼女たちが大学を卒業してから、10年余を経たある日、章くんのパソコンに1通のメールが届いた。
 「堀田くんが亡くなりました。ノイローゼが昂じて、自らの命を縮めたそうです」
 堀田正志が心を病んでいたとは、うかつにも章くんは全く知らなかった。卒業生のみんなには、『何かあったら、連絡して来いよ』と言って来たのに、死を選ぶときも、堀田正志は何も言っては来なかった。『俺は、心の奥底では、堀田に信頼されていなかったか』と章くん、おのれの無力が恨めしかった。
 数日しての金児のメール…「通夜と告別式に行ってきました。子どもが小さいので可哀相でした」とあった。


 今、金児由衣は、2人の子どもとともに、ダンナの赴任先のシンガポールで、2年目の夏を迎えている。




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