今日投票の津市長選で、近藤現市長の三選が決まった。近藤氏32000票、対立候補の小倉昌行君は23000票で、堂々の圧勝である。 1 2 3 4 人 口 四日市29.0 鈴 鹿 18.8 津 16.4 松 阪12.4 面 積 @熊野 260 A松阪 210 B四日市197 C上野 195 D鈴鹿 195 E尾鷲 193 F伊勢 178 G名張 130 H亀山 111 I津 102 以下略 出荷額 四日市 174 鈴 鹿 152 上 野 39 津 38
この市長選を一言で論評すれば、県都津市に胡坐(あぐら)をかく、津市民の政治オンチがもたらした結果ということだろう。三選を果たした近藤氏は篤実温厚で信頼に足り、市政に向かう姿勢も真摯である。だが、2005年の市町村合併特例法の期限を控えて、地方自治が大きく様変わりしようとしている現在の市政を担当するものとしては、津市を県都として県政の中心にすえて構想を立案しようとする積極性が見られない。岡村市政以来、この30年間、道路一本通らなかった津市を、岡村市政を引き継ぐ近藤氏に、相応の批判票を積み上げるでもなく、無条件に委ねる津市民の太平振りには、あきれを通り越して感動すら覚える。この先、時代の流れに取り残された津市の地盤沈下は免れまい。
近藤市政の過去2期8年間は、時代の見えないサイエンスシティ建設がメインテーマで、景気の低迷する今、その未来は閉ざされたままである。もちろん現在が悪いから全て悪いというわけではなく、むしろ津市の将来については必要な布石であろうが、次の一手が成り行き任せでいかにも手ぬるい。企業の誘致に際しても県や国との連携に手をこまねいていて、状況の打開に前進の兆しが見られない。IBMなどの世界的企業の誘致を計画しているというが、アメリカの景気が爆発的に良くなるなどといった神風が吹かない限り、近藤市長の任期中に実現の可能性はなかろう。津市の年間予算にも匹敵する425億円の資金を投入して、景気が悪いから仕方がないというのならば、見通しがつくまで近藤氏は今回の市長選で話題になった退職金の受給を凍結するなど、決意を形に表すべきであろう。
三期目の最大の懸案である市町村合併にも、周辺市町村からそっぽを向かれているのが気がかりだ。「津市には、中核市形成への意欲が見られない」「いずれ周辺から頼みに来ると思っている」「合併問題で、津市の対応は冷たい」という声が、周りの行政担当や議会関係者から聞こえてくる。合併が避けて通れない時代の要請であることを意識できず、県都の首長としての自覚を欠いた、近藤市長の姿勢は問われるところであろう。行き着くところは津市との合併しかないのかも知れないが、周辺市町村の人たちが言う、『金もない、人もいない、将来もない。プライドだけ高い津市には何の魅力もない!』は、われら津市民にとって、愕然とする指摘である。
三期目に入る近藤市政の課題を挙げてみる。
先ずは、津市の現状を人口・面積・出荷額から見てみよう。 【三重県立図書館資料】
(万人)
(平方Km)
(百億円)
ここから浮かぶ課題は、
@ 産業構造の改編
町の活性化とともに、財政基盤の確立のためにも、確かな製造業を据えた産業構造を確立することが肝要である。県庁を初めとする県の機関や、三重大などの国の機関に頼る構造から…、職業別人口比における公務員の異常に多い状況から…、物を作り出し、販売流通を促し、津発の創造交流が発信できる都市への構造変換を図るときである。
A 市域面積の拡大
市域の総面積が県下13市のうち10番目、下から4番目で、松阪・四日市・上野・鈴鹿などに比べると、実に半分の広さしかない。このことは、工業・商業の隆盛を図り、人口を増やして市の活性化を達成するには致命的な問題である。
B 市町村合併
津市が、産業を振興し、人口の増加を図るためには、市域面積の拡大、すなわち近隣市町村との合併は緊急の課題である。しかし、現在、津市が市町村合併を行うとき、第一の相手であろう安芸郡の各町村との関係は、こと合併に関して必ずしも友好とはいえない。少なくとも、安芸郡内の町村に津市と合併することが必然だという観念がない…というのが不思議である。
市町村合併の問題は、県都津市として避けて通ることのできない問題であり、合併特例法の期限は2005年と、期限のある話である。津市は、「合併問題検討会」をフル回転して、この問題に遅れをとらないよう具体的な行動に入らなくてはならない。合併のメリット・デメリットを検討し、正しいリーダーシップと配慮を持って、近隣の市町村に提案を行なうことが必要である。近隣の市町村とその人々の疑念や不信感を払拭する努力をすべきであって、資料・情報を正しく伝えて信頼を得、胸襟を開いて呼びかけを行うことは、合併の中心となるべきものの責務であろう。
2、「生活環境の整備」
@ 津港周辺部の整備
中部国際空港への三重県側のアクセス港として、国の予算に港湾建設費用の一部が認められた。中部国際空港への海上アクセスの発着点として、津市の新港建設が新規事業に採択されたのである。04年度の完成を目指し、今後三年間で約十九億円をかけ、津市中心部の贄(にえ)崎地区の海岸にターミナルや桟橋などを整備する。
利用者は果たして確保できるのか、また採算の問題など、津港アクセスの道はむしろこれからこそが厳しい。
当面の津市の課題として、津港周辺の整備を進め、人々が集まる地域を造らねばならない。周辺には駐車場を初め新しい仕事を創ることができるが、従事する人たちへのレクチャーをしっかりして、人々が気持ち良く集まり利用することができる地域作りを実行することだ。利便性をPRして、たくさんの人たちに利用してもらうよう、経営努力が大切である。海上アクセス便や遊覧船などを中心に、観光スポットとして売り出すなどの新機軸も工夫することが必要だろう。
ゆめゆめ第三セクターなどといったお定まりの転落コースにだけには陥らないよう、今から官民の知恵を絞り、責任体制を確立していくことが肝要である。世界に羽ばたく海上アクセスが、世界に向かって恥をかくことにならないよう願いたい。
A 海岸道路の建設
海上アクセス港「津港」へたくさんの車を呼ばなくてはならない近未来を見越して、伊倉津から白塚まで続く堤防を利用しての、海岸道路の建設を提案したい。いずれ中勢バイパスが完成するということになったが、松阪から鈴鹿へ抜ける車は市内を走らなくなるだろうけれど、津市内に入る車の、市部への出入り口で生じる渋滞の緩和にはつながらない。津海岸道路の建設を本格的に検討することが急務であろう。
3.「学術・文化環境の整備」
@ 独自の教育プログラムを
学力低下が懸念される「新指導要領」が、いよいよこの4月から全国の小中学校で実施された。地方分権法案の成立を受け、地方の時代といわれる現在、地方自治体は主体性をもって地域の特性を生かした独自の教育プログラムを作成して、この問題に取り組む必要があることは、かねてから提言してきたとおりであるが、遠山文科相も、各教育委員会と学校はそれぞれの工夫で教育レベルを維持する努力をなすようとの通達を発している。
愛知県犬山市などですでにその取り組みが始まっているように、学習事項を整理して独自の教育プログラムを組み上げ、研究の体制を整えて、教育先進市「津」を掲げ、学力低下必至の現状に敢然と立つ姿勢を示すことが必要である。
新指導要領が実施された結果、世の児童生徒や父兄に、『勉強は、「学習塾」で習うもの』と言われ、塾通いの児童生徒が増えたならば、公教育は…文部省と教育委員会そして学校は、教育の場における敗北宣言を余儀なくされ、もはやどこにも存在意義はない。そのような事態を招かないように、今、公教育がなさねばならないことは何か、その真価を賭して考えねばならない命題である。
A 祭り、銘菓、タウン誌、市民講座 … 市民文化を大切に
文化の継承と新しい価値観の創造は、地域の民位を維持し向上させるために、必要不可欠な事項である。
ために、地域のオリジナリティを掘り下げ、津市の歴史的民俗的伝承を表現した「祭り」を実現することを考えたい。津祭りのソーラン踊りは、参加者も年々増えて隆盛を見せていることを評価するものの、地域のオリジナリティを掘り下げ、津市の歴史的民俗的伝承を表現した催しとは言いがたい。地域の伝承を基底に据えた津の祭りのあり方を、ぜひ考えてみたい。
津市を代表する「銘菓」はあるのだろうか。市民の自発的な津市を発信する「タウン誌」はどうだろう。その充実を図り、市民が幅広く参加できる「市民講座」を実現して、地域の発展向上を実現することに努めたい。
B 高田本山、津城址、皆楽公園 の観光整備
高田本山は貴重な歴史的文化的遺産であり、人々の信仰と親しみを集めていることは、多くの事跡とお七夜の賑わいを見ても理解されるところである。津城址、皆楽公園とともに、観光地としての開発を行い、アクセス港としての津港や御殿場海岸とともに、観光客の誘致を図りたい。
4.「行政の目的と責任」
行政の目的は、住民へのサービスである。そのためには、市職員が、公務員としての本義をよく理解し、誇りを持って公職を全うすることである。
行政の責任は、住民の満足を得ることである。住民の満足とは、市からのサービスに満足するといった短絡的なものでなく、その市に住むことを喜びとする津市を実現すること、津市の市民であることを誇りとする住民意識を実現することである。
人を育てることに、意を用いる津市でありたい。現在と将来の津市を託する人材を、プログラムと機関を整備して育て上げることである。
同時に、津市が県都として政治的立場を強化するために、津市から国会議員を選出することも、政治オンチの津市が手がけねばならない課題であろう。人材を育てることのできない津市の足引き体質は、教育プログラムの改編によって改めねばならない。人材を選出することのできない津市民の意識レベルは、津市政に古参議員のボス支配を許し、利権構造を温存する旧体制のままである。市民の意識の近代化と、市政への参加を促して、レベルアップを図らねばなるまい。
産業・生活・教育文化にわたって、高い理想を持ち、市民とともにそれらを着実に形にする行政を実現してほしいものである。
【8】三重県とその市町村は、独自の教育プログラムを! 関連→三重県のページへ
−学力低下を招かないために− その2 (その1からお読み下さい) (1.19)
【7】三重県とその市町村は、独自の教育プログラムを! 関連→三重県のページへどうぞ
− 学力低下を招かないために − その1 (1.14)
【6】 祝!「津港」の建設に国の予算 (12.24)
提案 − 津海岸道路の建設を −
中部国際空港への、三重県側のアクセス港として、四日市・松阪・鳥羽などが具体的な要件を満たせないままに現在に至っているが、その中で津は早々と輸送管理会社として両備運送(岡山県)を決め、先日、内示された国の来年度予算に、港湾建設費用の一部が認められた。ある会合で、その決定を報告する近藤津市長の顔も喜びに満ちていた。
中部国際空港への海上アクセスの発着点として、津市の新港建設が新規事業に採択されたのである。04年度の完成を目指し、今後三年間で約十九億円をかけ、津市中心部の贄(にえ)崎地区の海岸にターミナルや桟橋などを整備する。
津から輸送船を出して採算が合うのか…と、ずっと心配してきた。津・松阪近辺からは最寄のアクセス港と考えられるが、伊勢・鳥羽・志摩地区の人は鳥羽港からフェリーで知多半島へ渡るルートを選ぶだろうし、四日市ならば名古屋港へ行くか、名港大橋トリトンを渡って湾岸道路から知多有料道路を走って直接行くほうが、時間も費用も、また荷物を持っての移動などにも便利である。伊賀や紀州の人たちは、もちろん関西空港へ行く。
すると、この津港アクセスを利用する人は、1日に何人いるのだろうか。また1日に何人以上の利用客があれば採算が合うのだろうか。そう考えると、津港アクセスの道は決して平坦とはいえない。
国の予算も付き、開港への道のりはほぼ均らされたといえるが、厳しいのはその先の道である。津港周辺の整備を進め、人々が集まる地域を造らねばならない。周辺には駐車場を初め新しい仕事を創ることができるが、従事する人たちへのレクチャーをしっかりして、人々が気持ち良く集まり利用することができる地域作りを実行することだ。利便性をPRして、たくさんの人たちに利用してもらうよう、経営努力が大切である。海上アクセス便や遊覧船などを中心に、観光スポットとして売り出すなどの新機軸も工夫することが必要だろう。
もうひとつ、長年に渡って提案してきたことであるが、伊倉津から白塚まで続く堤防を利用して、道路にすることである。津市に出入りする車が渋滞するようになった昭和40年頃からこのかた、津には市を貫く1本の道路も建設されていない。岡村市政の失われた20年間は、津市の大きな停滞であった。もうじき中勢バイパスが完成するということになったが、松阪から鈴鹿へ抜ける車は市内を走らなくなるだろうけれど、津市内を南北に走る車の、市部への出入り口で生じる渋滞の緩和にはつながらない。しかも、これからは海上アクセス港「津港」へたくさんの車を呼ばなくてはならないのである。津海岸道路の建設を本格的に検討してはどうだろうか。
さまざまに夢が膨らむ「津港」の建設であるが、赤字運航会社のつけを市の税金で補填するなどという、お定まりの転落コースにだけは陥らないよう、いまから官民の知恵を絞り、責任体制を確立していくことが肝要だろう。世界に羽ばたく海上アクセスが、世界に向かって恥をかくことにならないよう、一層の決意を願いたい。
【5】井上四日市市長 三泗鈴亀地区の合併に意欲! (12.13)
昨日の四日市市議会で、井上四日市市長は、三泗鈴亀地区(三重郡、四日市、鈴鹿市・郡、亀山市)の合併に向けて、「実現に努力する」との意欲を示した。「私のリーダーシップが巷間云々されているようですが、全力を以って実現にあたる」と語り、並々ならぬ決意表明であった。時期は未定としても、北川知事は鈴鹿市の出身であり、この合併には推進役として動くことだろうし、三市二郡の合併は事実上決まったと考えても良いだろう。
三泗鈴亀地区(とさらには桑員地区も加えて)の市町村が合併して、人口50万人を超える北勢市(仮称)が実現すれば、三重県では突出した地区となるばかりでなく、政令指定都市としてさまざまな施策を実施することができ、中南勢地区と北勢市との地域格差は大きく開くことだろう。
かねてから提言してきたことであるが、津市は安芸郡の各市町村を初めとして久居市・一志郡を、さらに松阪市・飯南郡を含めた地域との合併も視野に入れて、具体的な取り組みを始めるべきである。北・中・南勢、伊賀、紀州を大きな地域のまとまりとする三重県にあって、中勢地区の責任を負わねばならないのは津市であり、県都としての地位にふさわしい市を実現することが自らの責任であることを自覚して、早急な取り組みを始めなければならない。手をこまねいていて、河芸町が北勢市へ、松阪のみならず三雲町も南勢市への合併を決めたとなっては、津市に市政はない。どちらかの市に入れてもらうことが適当といわれかねない。
B 津市は、近隣市町村との合併を急げ 1 (7.7)
手元にある「三重県統計書」を見ると、平成11年12月現在、津市の人口・出荷額、そして面積は以下の通りである。
人 口(万 人) @四日市 29.0 A鈴鹿 18.8 B 津 16.4 C松阪 12.4
出荷額(百億円) @四日市 174 A鈴鹿 152 B上野 39 C 津 38
面 積(平方Km) @熊野 260 A松阪 210 B四日市197 C上野 195
D鈴鹿 195 E尾鷲 193 F伊勢 178 G名張 130
H亀山 111 I津 102 (市部のみの比較)となっている。
すなわち、津市は、人口において鈴鹿市に24000人ほど少ない第3位、ところが生産額は鈴鹿市の4分の1程度で、上野市に次ぐ第4位であり、人口の割に製造に関わる人が圧倒的に少ないということである。
このことは、町の活性にも深く関係することであり、活力ある津市の構築のためには、確かな製造業を据えた市の産業構造を確立しておかなければならなかった訳であるが、失われた過去20年の空白は、津市の現状に大きな影を落としている。
今も、我が津市にとって、工業の誘致、商業の確立は、達成しなければならない至上の課題である。しかし、市域の総面積が県下13市のうち10番目、下から4番目で、松阪・四日市・上野・鈴鹿などに比べると、実に半分の広さしかない。このことは、工業・商業の隆盛を図り、人口を増やして市の活性化を達成するには致命的な問題である。
津市は、県庁と三重大学がなければ、何の取り柄もない町である。落ち着いた住みよい町であることはその通りだろうが、丸の内・津駅・新町地区ともに地盤沈下を起こしている町を、落ち着いたと表現するのは、座して死を待つようなものである。津市は、市勢の拡大増進について、もっと真剣に取り組み、考えるべきある。
市地域面積の拡大、すなわち近隣市町村との合併は緊急の課題であることを提言したい。
C 津市は、近隣市町村との合併を急げ 2 (7.20)
先日、安芸郡河芸町の行政の責任者である友人と話をしていたら、「河芸町は、市町村合併を急がねばならない課題に挙げてもいないし、合併という話が出るときは、津市よりもむしろ鈴鹿市といっしょにという話のほうが圧倒的に多い。津市は、合併の話に積極的ではないし、これまで津市と一緒になった地域は必ずしも満足していない。」と言う。
安芸郡内のある町村の先の議会議長からも、「津市は、合併の話に冷淡だ。いずれ、近隣市町村のほうから頼みに来るだろうと思っている。」という話を聞いた。津市が市町村合併を行うとき、まず第一の相手である安芸郡の各町村との関係は、こと合併に関して必ずしも友好とはいえない。少なくとも、安芸郡内の町村に津市と合併することが必然だという観念がない…というのが不思議であった。
自治省は、今、3300余ある全国の市町村を1000程度にまとめたいとしている。地方分権法案が成立して、さまざまな場面で地方自治体が取り組まねばならない事柄は、従来に比べて飛躍的に増加しようとしている。これからは、人口5千人や1万人が一つの単位として行政を行うことには、無理や無駄が生じてくる。市町村の合併は、時代の急務なのである。
三重県としても「伊賀市の実現」に向けて支援体制を整えた。まぁ、三重県がすることだから本気のほどはいかがなものかと、ちょっと頼りない見方をしてはいるのだが、県が体制を整えて検討に入ったということは、市町村合併の問題が避けて通ることのできない事柄であるということである。
津市は、「合併問題検討会」を設置して、この問題に遅れをとらないよう具体的な行動に入るべきである。安芸郡を第一として、久居市・一志郡を含めた合併を視野に入れて、そのメリット・デメリットを検討し、正しいリーダーシップと配慮を持って、近隣の市町村に提案を行わなければならない。近隣の人々の疑念や不信感を払拭する努力をすべきであって、資料・情報を正しく伝えて信頼を得、胸襟を開いて呼びかけを行うことは、合併の中心となるべきものの責務である。
A 中河原海岸の怪(2001.6.25)
6月下旬のある夕刻、津市の中河原海岸を散策した。梅雨の晴れ間のさわやかな風がわたり、干潮なのだろう、波打ち際は100mほどの彼方に引いていて、姿を現した干潟に水鳥たちが群れている。
今、のどかな光景が広がるその辺り一帯で、昭和30年7月28日、市立橋北中学の女子生徒が水泳の授業を行っていたところ、大惨事が起こったことをご記憶の方も多くみえることだろう。
その様子を伝える文章を、以下に引用する。「静かだった海を突然大波が襲った。生徒達は次々と海底へ引きずられてゆき、36名が死亡、生存者は9名という悲惨な事故となってしまった。この日は天候も良く、遠浅のこの海岸では子供でも足がつくはずだった。地元の人は「澪(ミオ)に違いない」と言った。澪とは、遠浅の海岸に大きな川が流れ込むことによってできるすり鉢型のくぼみのことで、川の流れと波がぶつかって、「タイナミ」と呼ばれる津波が発生することがあるのだ。
ところが、生存者の一人である中西弘子さんは、津波ではない恐ろしい体験をその時していた。助けを呼ぼうと海岸の方へと急ぐ弘子さんの足にその時、何かがからみついた。確かにそれは人の手で、その手が弘子さんを水中に引き込もうとしたというのである。
昭和20年7月、日本は第二次世界大戦の真っただ中で、アメリカ軍の空襲は津市にも被害を与え、250人の市民が焼死した。火葬しきれなかった遺体は7月28日、海岸に埋められたという。生徒達の事故があった日と、空襲で犠牲となった人々が埋められた日は、奇妙に一致する。弘子さんや他の人が見たあの防空頭巾の人々は、その犠牲者たちの霊なのであろうか。現在この海岸は、遊泳禁止となっている。」
その惨事のことも知りつつ、目の前の水鳥が遊ぶ光景に誘われて、ズボンの裾を膝の上まで折り曲げ、干潟を渡り波打ち際まで行こうとした私は、突然、砂地の中へ両足をめり込ませた。膝を越えて腰近くまでぬかるんだ砂の中に吸い込まれるようにはまり込んで、、踏ん張りようもなく沈んでいく。あわてて両の手を届く限り伸ばして体を支え、ゆっくりと片方ずつの足を引き抜き、潟の上に這い上がった。
少し落ち着いて干潟の様子を見てみると、砂地の上を川のように海水が溝状に溜まっている部分があり、その部分の砂地はトロトロで、手を突っ込んでみるとズブズブと入っていく。干潟になっているときだったから、手をついて足を抜くこともできたし、その様子を見ることもできたけれども、潮が差して海水に覆われた状態で足を取られたら、手をつくことも、足を抜くこともできなかっただろう。
今日も干潟は穏やかで、水鳥たちが群舞する光景はのどかである。砂地の中に1人の人間が消えたとしても、全ては波が洗い流して、あとはまたいつもと変わらない光景が繰り返されたことだろう。
@ 津市の中心街活性化について (6.16)
現在、わが国では、年間20万軒ずつの小売店が減少しています。小売店の時代は終わったと言わねばなりません。今、小売店として独立して営業できるのは、他店にない商品を扱うなどの独自性を出せる店だけで、一般の小売店は単独では生き残れません。
今日、中心街の活性化を図ることができるのは、街の人と行政が一体となった大規模改革しかないのです。すなわち、街を良くしようと自らの社会的生命や財産を賭して心から希求している人と、失敗したら責任を取ることを明確に誓える行政とが、一体となって取り組む問題です。
街の人は、補助金ばかりを求めて、自らの金銭・財産は供出することなしに、街の活性化を実現しようとするのであれば、本末転倒した話で、100%失敗に終わります。活性化を求める人は、資金の何割かを自分たちが負担することを当然とし、資金がなければ行政の援助のもと融資を受けてつくり出すなどの努力をしなければなりません。そのうえで、消極的な人の土地建物などを充分な手当を支払って買収し、確固たる目的意識を持つ人たちが一致団結して事に当たることです。もちろん、失敗すれば、借金が残ることを覚悟しての取り組みです。
また、行政は、担当者の責任を明示してことにあたり、専門家集団の活性化計画立案・市場調査・リサーチを徹底して、120%の成功を見込んだうえで実行をすることです。行政は、結果に対して責任を取らなくてはなりません。失敗すれば、引責退職、あるいは減給とボーナス停止・降格・融資の保証人に名を連ねることなどは、街の人たちが自分たちの財産や信用を失い借金を負うことを考えれば当然でしょう。
計画の実施は、大規模なものになることでしょうし、大規模な改革をしなければ活性化は実現しません。町の基本設計から始め、商業区・娯楽・飲食・文化教養・駐車場などを、効率的に建設しなければなりません。フオーラム・勉強会・講習会・祭り…などを企画して、市民の意識も変えていかなければなりません。新しいものを取り入れ、若い人材を育て、産業や企業を興そうとする市民性を育てること、また津市民の閉鎖性を打ち破る意識改革なども大切です。
ひとたび凋落の兆しを見せた市街の活性化は容易なことではありません。自ら資金を提供しても活性化を実現しようとする志のある人と、責任を明示しての行政とが、がっちりとスクラムを組み、不退転の決意を持って取り組んでこそ成功への道が開ける課題です。