【120】 語り継ぎたい日本の歴史  ― A級戦犯とは、何だ―

                 (中條高徳・渡辺昇一、致知出版)  2006.05.08


 第2次世界大戦における罪科について、連合国が日本を裁いた「極東国際軍事裁判所」の誤謬については、『119 昭和史の常識』で取り扱ったので、ここでは繰り返さない。
 その裁判で、特にA級戦犯として絞首刑になった人たちが祀られていることを理由に、日本国の首相が靖国神社へ参拝することを問題視する風潮を考えてみたい。


A級戦犯
 日本は太平洋戦争の遂行を、立憲君主制をとる民主国家として手順を踏み決定した。1人の独裁者とその側近が起こした戦争ではない。今、A級戦犯として、参拝することをを問題視されている人たちは、当時の国際法や文明国の法律に照らして、個人的な罪を問われる存在では決してない。
 A級戦犯とは、『119 昭和史の常識』で述べたように、日本の戦争当事者の罪状を裁判を開いて明らかにすると記されているポツダム宣言が出された時点には成立していない、「平和に対する罪」「人道に対する罪」という事後法によって有罪とされている。事後法によって罪を問うというのは、いわゆるデッチアゲであって、法治国家としては絶対に行ってはいけない恥ずべき行為である。
 「非戦闘者を無差別に殺戮する」という人道に対する罪は、一瞬のうちに婦女子を含む何万人もの一般市民を殺戮した原子爆弾の投下、無差別の都市爆撃を行ったトルーマンやマッカーサー、20数万人の捕虜を長期間抑留して極悪な条件下でシベリア開発に使役し、数万にも及ぶ犠牲者を出したスターリン等をこそ裁かなくてはなるまい。
 戦争中の局面においては、時に非人道的な行為がなされたことは、いずれの戦争を見てもそうであるように事実であろう。しかし、それは戦争という非日常的な状況の中の出来事であったということであり、また、国際法に照らして違反する罪状があるならば、彼我の区別なく正常な法廷において第三者の手によって裁かれることが妥当であろう。
 「極東国際軍事裁判所」においてA級戦犯とされたもののうち、生き残ったものは、のちに首相(岸信介)となって日米安保条約を改定し、法相(賀屋興宣)として国会・内閣で活躍し、日本が国連に復帰したときの外相(重光葵)として総会で演説しているものなどがいる。彼等の活躍について、国際社会は当時も何らの異議をも挟んではいない。
 絞首刑に処された7名の名誉についても、全く同様であろう。命を失ったものだけが、太平洋戦争の責任を背負っていかねばならないというのだろうか。
 昭和27年にサンフランシスコ講和条約が結ばれ、日本が主権を取り戻した28年、社会党の堤シズエ女史らの尽力によって、4000万人の人が国会へ「戦犯の方面赦免を求める請願書」を提出している。戦火に遭い、辛酸をなめた国民の半数もが、「ともに戦い、一番苦労した戦争当事者を救え」と立ち上がったのだ。今、中国の政府指導者は「日本国民も、中国人民とともに、戦犯たちの被害者である」といった妄言を吐いているが、当時の日本人は、戦犯とされた人々がこの国のために戦ったことについて、揺るがぬ信念を持っていたのである。
 繰り返すが、立憲君主制をとる民主国家が開戦を決議したのである。国家が決めたことにしたがって、政治家や軍人の本分を尽くして任務を遂行した。結果は、敗戦であった。任務遂行の責任を、戦勝国があとから定めた規定によって問われ、有罪となった。A級戦犯とは、そういう存在なのである。
 まさに、彼等が有罪となった根拠はただひとつ、戦争に負けたことでしかない。


従軍慰安婦問題
 「私は韓国の済州島で婦女子を強制連行して、日本軍の慰安婦にした」と書いた「従軍慰安婦問題」が吉田清とかいう男の捏造手記であったことは、今や既に明白なことであるが、日本の政治の奇妙なところは、それから10年もしてから、宮沢喜一内閣の官房長官河野洋平大臣が「慰安婦の募集に官憲の関与が明らかになった」という談話を発表したことである。
 これはまた、全くの捏造である。河野官房長官が「明らかになった」と語った根拠が、今日に至っても何一つ… 文書一枚も公表されていないのが、その明らかな証拠である。


教科書書き換え問題
 1982年6月、朝日新聞が「文部省が検定で、戦前、日本の大陸侵略とあるのを、進行と書き改めさせた」と報じた。中国・韓国からも抗議があり、他のジャーナリズムも一斉にこの問題を報道した。
 ところが、詳細に調査してみると、ひとつとして大陸への侵略を進出と書き改めた教科書はなかったのである。
 ここでまた、理解に苦しむ事態が生じる。当時の鈴木善幸内閣の宮沢喜一官房長官が、「今後の教科書検定は、アジア諸国の感情に配慮する」という談話を発表したのである。何でもかんでも頭を下げて謝ってから…という、謝罪外交のはしりであった。
 史実であるかどうかは関係なく、異論を挟み抗議をすれば必ず謝ってくるという日本に対して、中国・韓国が歴史カードを提示してくるのは、これからである。


南京大虐殺
 中国の南京市には「南京大虐殺記念館」があって、中国各地からの見物客とともに、日本からの修学旅行の高校生らも訪れて、あとで「感想文」を書かされたりするという。日本の教育現場の一端を象徴する話ではないか。
 館内には「300000」の数字のレプリカが、そこここにはめ込まれている。日中戦争のもと、松井石根師団が南京市に進駐して殺戮した市民(30万人)を顕示する数である。
 南京市街戦で日本軍によって殺戮されたという人に関しての証言を見ると、東京裁判でアメリカ人のマギー牧師が「たくさんの虐殺が行われた」と言った証言が有名である。「何件見ましたか」と尋問すると「1件です。走ってきた支那人の青年が『止まれ』と言われて止まらなかったので撃たれた」と言う。「強姦は?」「1件」。「略奪は?」「1件」と答えている。
 ティンパリーというイギリス人の記者は「数万人が死んだ」という記事を書いているが、彼は蒋介石政府から金銭を受け取っていたことが判っている。
 大虐殺の証拠として公表されている写真143枚についても、東中野亜細亜大教授が検証したところ、全てが捏造・合成または関係のない写真であったという報告がなされている。
 現在までの調査で、日本が入城するまでの南京市民の数は約20万人、日本が占領してから1ヵ月後には25万人に増えている(南京学会調べ)。そもそも30万人も殺戮する人間はいなかったし、何万人かの虐殺と呼ばれるような行為が行われたとするならば、そんな現場へ市民が戻ってきて人口が増えることなどあろうはずがない。
 南京大虐殺を構成する捏造文書やインチキ写真は、現在、膨大な数に上っている。日本政府は、そのひとつひとつを検証し暴露し、出版物にまとめて世界に公表するとともに、相手に抗議することを、日本国と国民の名誉を賭けて行うべきだろう。
 この問題で、国家としての品格が傷つけられていることも勿論であり、名誉を喪失している人たちも数多くいるのである。


竹島問題
 竹島問題を国際裁判所に持ち込むことを、韓国が拒否しているのは、負けるのがわかっているからだ。この先、何年間議論しても互いに譲ることのない問題だろうから、国際的に判断を下す機関に委ねるのが最良の方法であろう。
 李承晩ラインによって一方的に囲い込んだ竹島に、既得権を積み重ねようとしている韓国に対し、日本はこの問題を国際的に認知させることが大切である。彼我の正邪を明らかにして、国際社会に正論を展開していくことも、世界の信頼を得るうえで重要なことである。


憲法改正
 占領下においては、日本に主権がないことは明らかであり、言論思想の自由のない時点で成立した憲法は、民主的成立の要件を備えていない。だから、現憲法は無効である。
 理念としても『国の安全を他国に委ね』る憲法は間違っていることは明らかだし、現実の問題としても、自衛隊を軍隊として認めていない矛盾など、改正しなければならないことは自明であろう。
 もし、自衛隊を軍隊でないとすれば、行動基準ひとつ定めることはできない。軍隊は基準に定められた行動を行い任務を遂行する。例えば、湾岸戦争当時、航路を離れ、警告を無視して飛び続けた民間航空機を撃墜した米艦艇の艦長は、無罪であった。自衛隊を軍隊として認めて法律の整備を行わなければ、今後も海外へ派遣されるであろう自衛隊はたまったものではない。
 戦後60年を経て、日本を取り巻く内外の状況は、憲法を制定したときと大きく変わってきている。現状をつまびらかに直視精査して、憲法を見直すのは、現代の日本に生きる国民の責務である。



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