【128】
「カラマーゾフの兄弟」第1巻 
      (ドフトエフスキー、亀山郁夫訳、光文社文庫)        
2008.01.04


 光文社から新訳が出たというので、学生時代以来、30ン年ぶりに「カラマーゾフの兄弟」を読んでみました。ロシア文学の登場人物の名まえの煩雑さは尋常でなく、前回も自分で、これが父親でその長男がこれで次男がこれ…その愛人が…と相閑図を書いて読んだものですが、今回の新本では「しおり」に主な登場人物を書き出してありました。


 この第1巻でドフトエフスキーは、『裁判所では 悪人を裁くことは出来ない。懲役刑を受けても務め上げればいいだけで、悪人は心から悔い改めることはないから 悪いことをするものは減らない。悪人を裁くことができるのは教会だけで、神に対して不正を行うものは恐れおののかなくてはならない。教会の力は、悪を根絶することが出来る』と、登場する教会の長老に語らせています。
 作家という人たちの人間を見る目は鋭いですね。いたるところでハッとしたり、なるほどとうならされる表現・記述があります。


 再読なので、30年前に読んだときよりも中身に入っていけています。前回は、飲んだくれの父親フョードルが殺害され、犯人は息子であるカラマーゾフの3兄弟の誰かなのか…というミステリーじみた展開に、難解な人名と格闘しながら 筋書きを追うのがやっとだったようでしたが、今回は 国家か教会かの裁判論争とか、清純な美女カテリーナが、父が使い込んだ公金の穴埋めをしてくれたアリョーシャに宛てた恋文の一行、『私はあなたの家具になります。あなたが踏んで歩く絨毯でもかまいません』(相手に、自由に生きて良い。私は不平は言わないの意味)という表現に感動したりしています(笑)。


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