【読書231】 『竹林 はるか遠く』             2013.09.29
      (ヨーコ・カワシマ・ワトキンズ 著&監訳、 都竹恵子 訳、 ハート出版)


 1945年7月29日の真夜中、ソ連兵が満蒙国境を越えるという知らせを受けて、当時11歳であった擁子は姉の好(こう、16歳)と母との3人で、身につけられるだけの荷物を持って羅南(ラナム、現在の日本海に面した、北朝鮮とロシアの国境付近の町)の家をあとにした。満州鉄道に勤める父とともに、擁子は生後6ヶ月で母・兄・姉とともに羅南に移り住んでいて、日本を知らない。

 日本の敗戦によって、満蒙に移住した日本人のうち、兵士や民間男子の多くはソ連軍の捕虜となってシベリアへ抑留され、婦女子は独力による引き上げを余儀なくされた。帰国までには、抗日パルチザンの執拗な追跡、日本を憎む韓国人たちの迫害、強盗・略奪・強姦に遭うものも多く、欠乏する食料、襲い来る寒波など、筆舌に尽くせぬ困難を越えなくてはならない帰国行であった。
 擁子たちも、頭を丸坊主にして男の子に変装しながら、苦難の末、羅南〜京城〜釜山と下り、福岡から日本に帰り着いて京都に留まる。しかし、彼女たちの住まいは「京都駅」の構内であった。
 「京都駅」に住みながら、母は「学問は大事です」と言って、擁子と好を学校へ入れる。母は、片時も離さなかった風呂敷の端に、貯金通帳といくばくかの現金を縫いこんで隠し、途中の何回かの検問の目をくぐってきたのだった。
 学費は1年間分を払い込んだものの、暮らしは日々の食べ物を拾い集める毎日であった。戦災を受けなかった京都では、擁子が通う学校の子どもたちは小ぎれいな服装をしていたけれど、擁子はつぎはぎの服と口をあけた靴を細縄で縛って登校していた。
 そんな京都駅で寝起きする日々の中で、母が亡くなる。………。


 擁子は長じてアメリカ人と結婚しアメリカに渡るが、この本は、1986年(昭和61年)にアメリカで出版され、アメリカ教育課程の副読本として採用されている。戦争の恐怖とその中を生き抜いた少女のたくましさが、多くの子どもたちに感銘を与えているが、出版が戦後16年を経た後であった理由を、筆者は「あまりに悲惨な思い出なので、しばらくは書くことができなかった」と語っている。


 戦争という過酷な現実にあっての、人びとの悲しみや苦しさを世の中に伝え、平和を願うというこの物語を、2006年の秋、ボストン近郊の在米韓国人たちが、「日本人を被害者として書いており、長年の日帝侵略が朝鮮人民に与えた苦痛の歴史を正確に書いていない」「強姦についても写実的で、中学生の読み物としてふさわしくない」と猛烈な抗議を始めた。
 日本の慰安婦を捏造し、少女像までアメリカ国内に建てた韓国人たちが、自分たちの生々しい歴史を暴かれると声をあげたのだ。韓国内を逃げ回る日本人の帰国者を、当時の韓国人がどのように扱ったか…事実をしっかりと見ることだ。この本にも書かれているように、日本人をかくまえば、自らの身が危なくなるのを省みずに、日本人の逃避行を助けた韓国人も大勢居たことも事実である。
 個々人のレベルでは、韓国にも心優しく人格高潔な人はたくさんいるのだろうが、政治・経済・軍事となると、歴史を捏造し、政治的目的のために反日を叫び、残忍を極める韓国軍の行いなど、首を傾げざるを得ない場面が多い。その国民性は、1000年以上に及ぶ中国の属国として、屈辱的な臣従を余儀なくされてきたという日々と、李承晩以来の反日教育で培われたのだろう。屈折してきた鬱憤(「恨」の精神構造といわれている)が、反日という目標を与えられて血が滾(たぎ)っているというのが現状である。中共の反日も教育のなせる結果であることは同根だ。
 戦後65年をかけて続けられた反日教育で大きく育て上げられた国民感情なのだから、これはこれから根気よく世界の現状を見せながら修正していくしかないのであって、今は本気で相手にせずに放っておくしかない。深入りせずに、是々非々の関係を続けることだ。
 リスクを覚悟で火中に飛び込もうとする人は、個々の責任で突撃すれば良い。珠玉を得るか、泥舟に乗ることになるかは、その人次第だろう。


 「強姦についても写実的で、中学生の読み物としてふさわしくない」というセリフは、最近どこかで聞いたことがある。そう、松江市教委「はだしのゲン」の閲覧制限を市内各校の図書館に指示したときの理由にあった一文である。松江市教委は他にも「特定の思想傾向が強い漫画で、旧日本軍の兵士が首を刀で切り落とし、女性に乱暴して惨殺するなどの描写が「まるで軍全体の方針であったかのように描かれている」などの点で、歴史学的に間違いがある」としている。
 「はだしのゲン」は、中沢啓治による自身の原爆の被爆体験を元にした自伝的漫画として描かれたものだが、漫画としてもレベルが低く、読んでみて楽しくも感銘もない。ただ、戦争の無残さ、過酷さ、悲惨さが、グロテスクなタッチで繰り返し描かれていく。
 少年ジャンプに連載されたが、連載当時の読者アンケートでの支持は高くない。ジャンプでの連載は程なく打ち切られるが、反戦争・反原爆・反天皇というスタンスが当時大きな存在となった左翼勢力に評価され、松田道雄らが中心となって刊行した『市民』、共産党系の『文化評論』、そして日教組の機関紙『教育評論』で連載を続行した。学校への漫画持ち込みを厳禁とする教師が多い中、「はだしのゲン」だけは校内で堂々と読める唯一の漫画となった結果、1980年代の子供達の間に「ゲン」が広く浸透することとなったといわれる。
 松江市教委の閲覧制限に異を唱えた皆さん、「殺戮・強姦場面が出てくるから、中学生に読ませるな」という在米韓国人が間違っていますか、殺戮・強姦の場面を繰り返して描く『はだしのゲン』が間違っていますか?


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