ゴルフのページ     その17

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2014年
コース ティ グロス 平均 パット そ の 他
 23  09/06  白山V  King  42 38 80 84.4 34 1942 黒、途中から青ティ
 22  08/30  白山V Queen 42 38 80 84.7 37 1862
 21  08/13  白山V Queen 40 39 79 84.9 31 1782
 20  08/06  白山V Queen 41 45 86 85.2 36 1703
 19  08/02  白山V Queen 41 37 78 85.1 34 1617
 18  07/26  白山V Queen 38 41 79 85.1 38 1539
 17  07/22  白山V Queen 39 39 78 85.5 34 1460
 16  07/19  白山V  King 38 45 83 86.4 37 ドライバーを替えました
 15  07/13  白山V  King 40 50 90 86.6 37 1299
 14  07/06  白山V Queen 41 48 89 86.4 37 1209
13 06/28 白山V Queen 40 48 88 86.1 36 1120
12 06/21 白山V  King 42 41 83 86.0 38 1032
11 06/07 白山V Queen 41 41 82 86.3 36 949
10 05/30 三重 Fenix 46 41 87 86.7 35 867
05/25 白山V Queen 43 41 84 86.6 38 780
05/17 三重 Fenix 42 42 84 87.0 31 696
05/04 白山V Queen 42 39 81 87.4 34 612
4/26 白山V Queen 41 44 85 88.5 38 531
4/19 三重 Fenix 43 44 87 89.2 39 446
2/11 三重 Fenix 48 44 92 89.8 39 359
01/25 三重 Fenix 45 47 92 89.0 34 267
01/12 白山V Queen 44 41 85 87.5 32 175
01/01 三重 Fenix 45 45 90 90.0 39



 スコットランドの古老たちは、こんな冗談を言い合っているとか。
「そういえば地球の裏側にニッポンという国があって、そこではゴルフによく似たスポーツが流行っているらしいね」
「なんでも、天気が悪いとボールを動かしていいとか、ОBを打ったら前から4打目を打つゲームらしい」「」





   
【128】 コースレート74.4  - 白山V King チャンピオンティ -  2014.09.06 

 白山ヴィレッジGCは女子プロゴルフ協会の認定コースとかで、文字通り女性的なコースである。箱庭的なこじんまりしたホールが続き、そのやさしさが人気を呼んでいるようだ。
 キングコースのコースレートは、フロントティで68.8、レギュラーで70.3、バックティでは72.8である。クイーンコースは、フロントティ67.0、レギュラー68.5、バックティでは70.8だ。
 ところがどどこかで、キングコースにはコースレート74.4のチャンピオンティがあると記してあったのを見た。白山ヴィレッジGCも、三重県下の名コースとして挙げられる伊勢CC73.5、桑名CC74.8、四日市CC75.4などと肩を並べる難しさではないか。白山ヴィレッジを馬鹿にするんじゃねぇ! (今日知ったのだが、コース所定のコントロールカードにも「チャンピオン74.4」と記してある)
 僕は最近、自分でも認めなければならないほど飛距離が落ちてきているのだが、だからこそ今回っておかなくては、将来ではチャンピオンティ挑戦の意欲も湧かず、ゴルフにならんのじゃないかと思い、早速挑戦することにした。

 今日は、「私はもう120は叩かない」と豪語(?)する扶美ちゃんと2人で、午前6時53分、インからのスタート。前の組は4人組で、普通のプレー振りだから、前を空けるなどといったことはない。扶美ちゃんは、ティショットを打った後はクリーク・6番・7番・サウンドウエッジを引っさげ、その4本だけを自由自在に操ってグリーンまでたどり着く。だからプレーは早くて、先日6時30分の朝一番にスタートしたときには、ハーフを1時間40分で回ってきて、本来スループレーのはずが「50分、待ってください」と言われた。

 スタート前に「バックティの使用いいですか」とマスター室の許可をもらいに行き、『Chyampion』とプリントしたリボンを受け取った。これをカートのどこかへ吊り下げて、使用許可をとっているという証にする。
 アメリカでプレーしたときも、スコットランド、アイルランドなどでも、「ティマークはどこから打っていってもいいかい?」と聞くと、みんな事も無げに「好きなところからどうぞ」という答え。それぞれの腕前とプレースタイルで、それぞれが決めれはいいことだといった調子である。日本の場合には、ゴルフ場が混雑していて各ホールで待つことも多く、プレーは遅いのにバックティを使いたがるなんて輩も居たりして、その対策に「バックティ使用許可証」なんて制度ができたのかもしれない。

 10番はティグラウンドが縦長の一枚で、今日のブルーティはかなり後ろの方に置かれていたが、その後ろにまだ40ヤードほどの余裕があった。普通、ティの案内がフロント、レギュラー、バック、チャンピオンとあるのだから、4色のティ表示が置かれているものだが、ここは白と青の2色で、その後ろのチャンピオンティにはティマークが置いてない。スタート時には後続の組もいなくて、「青ティの後ろのドン詰まりから打つなんて、妙なおっさんだな」なんて奇異に思われることもないからと、ティグラウンドの一番後ろに行って、そこから打った。
 右はOBだから、少しドローをかかけて打った第一打は、ドローがかかりすぎて左のラフに飛び込んだ。ところが行ってみると、ボールは芝の上に浮いている。残りの距離は190ヤードほどの上り。「えぃっ」とクリークを一閃すると、ややトップ気味の当りが幸いしたのか、ボールは手前からトントンと転がって乗っていった。2オン2パットのパー! 『コースレート74.5も、たいしたことないなぁ』と口笛を吹きつつ12番へ…。
 11番は521ヤードのパー5。ここもティグラウンドは1枚もので、ブルーティが置かれた箇所からさらに50ヤードほど後ろの最後方部…、570ヤード地点からティショットを放つ。
 セカンドをクリークで打ってサードショット地点へ行ってみると、まだ160ヤードほどが残っている。手前のバンカーに入れるのを警戒し、十分にキャリーのある高い目の球を打つつもりの5番アイアンを左に引っ掛けて、逆芽のラフへ。寄せきれず、4オン2パットのボギー。
 12番はレギュラーティから343ヤードの打ち下ろしで、ちょっと飛距離自慢のプレーヤーならば、前の組がホールアウトしてからでないとティショットを打たないというホールだ。昨今の僕なんかでも、残りは60〜70ヤードほどのアプローチである。
 いつものティグラウンドへ行き、後ろを見渡したのだが、青マークの後ろは20ヤードほどティグラウンドがあるだけだ。『これじゃぁ、とてもコースレート74.4なんてならないなぁ』と思いつつ視線を後方延長線上にやると、80ヤードほど後ろにあたりの潅木を切り開いた一角がある。今まで、そんなところにティグラウンドがあることも知らなかった一角で、行ってみるとレギュラーティの横に置いたカートの上を打っていくロケーションだ。
 カートに乗って後ろを見ている扶美ちゃんが「当てないでよ」と言っている。「カートの前に隠れて…」と言いつつ放ったティショットはすこし擦った当りだったが、かなりの下りのホールだから220ヤードほどは飛んだろう。右のラフに潜り込んだボールを探しにかかったのだが、いつものティグラウンドから打ってないのでどのあたりまで飛んでいるのか見当がつかない。それでついつい広範囲を歩き回らなければならないことになるのだが、あの木の方向…と目印をつけて歩いていくと、ほぼ見つかる。
 この時期のラフは長くて粘る。そのラフにすっぽりと潜り込んだボールの、いつもの残り距離はアプローチだが、今日は200ヤード近く残っている。しかもホール右側にある3本ほどの木の上を越えていかなければならない。いつもはティショットがその木を越えて行くから、気に留めたことはない木が、今日はラフから高い球を打って上を越えなくてはならない障害物になっている。チャンピオンティから打つと景色が違うというのはこのことだ。
 残りは200ヤードの打ち下ろし。4番アイアンで少し打ち込み気味にショットしたのだが、それでもラフからのショットはボールが上がらず、木に当たって下に落ちた。第3打はやはりラフからの70ヤード、サウンドウエッジを一閃するも、グリーンに乗っただけで12mほどの距離を残し、2パットのボギーだ。
 13番186ヤードのパー3は、ティグラウンド最後部からの距離表示で、これ以上後ろには打つところはない。クリークで打つも、トップ気味の当りは左手前のラフで、ここも寄せ切れずボギー。チャンピオンティからの挑戦なのだから、安易なミスをしていてはいけないのだが…。
 14番は450ヤードを超えるミドル、レギュラーティからでもセカンドでウッドを持たなければならない。今日のティは、なお30〜40ヤードほど後ろから打つのだから、480ヤードはあるだろう。『セカンド、届かんだろうなぁ』と半ば諦めながらのティショットはまずまずの当りながら、240〜50ヤード残っている。クリークで打って、50ヤードほどのアプローチが寄らず、またまたボギー。
 15番、茶店の横のティグラウンドから打つ、右ドッグレッグの439ヤード、難しいホールだ。右ドッグレッグを右サイドのラフに打ってしまい、フェアウエイへ出して、残りは70ヤード。3オン2パットのまたまたボギー。
 
 
16番、606ヤード、パー5。レギュラーティからでも谷越えでプレッシャーのかかるショットを要求される、第1打が難しいホールだ。だから、このホールのチャンピオンティからのティショットはどれほどのものか…と楽しみにしていた。
 いつものティグラウンドの後方左手、一段高いところに3畳ほどの小さなスペースがあって、ここへは階段を上っていく。前を見ると、まだセカンド地点には前の4人組が居る。前の組は普通のペースで回っているのだろうが、僕たちは2人組だからどうしても毎ショット待つことになる。
 さすがに谷越え606ヤードのティグラウンドからの景色はなかなかの迫力で、良いショットをしないとこの谷を越えないな…と緊張が走る。
 と、そこへ、バタバタとエンジン音を響かせて1台のカートがやって来た。「やっと来たか」、カートを運転しているのはマスター室で見かける顔だ。「そこのティグラウンド、ティマークが置いてないでしょう。そこは使用しないでください。」
 僕は、スタートの11番で白と青の2色しかないティマークを見たとき、『通常、チャンピオンティは使用させないんだな』と思った。そこで毎ホール、自分で最奥部の地点へ行って、そこからティショットを打ってきたのだ。だから、このマスター室くんの言うことも、彼の仕事としてはもっともなことと思い、「そうか、そうか」とレギュラーティへ降りていった。
 扶美ちゃんが、「なんでバレたんかなぁ。15番が茶店の横からのティグラウンドから、おばちゃんがご注進に及んだのかなぁ」と笑う。「『いつもと違うところから打っとる人が居るよ』と、おばちゃん、びっくりして電話したんかな」と僕。
 笑いながら打ったレギュラーティからのティショットは、目の覚めるようなナイスショットで、セカンドショットはちょっとトップ気味でラフに入りザザッと止ったけれど、それでもサードショットの残りは140ヤード、7番アイアンでパーだった。青マークからでは値打ちがない(笑)!
 17番183ヤードパー3は、クリークのティショットが左のバンカーに入ってボギー、18番378ヤードはセカンドの6番アイアンを引っ掛けて、バンカーに入れてボギー。チャンピオンティもレギュラーティも、同じじゃないか(笑)!
 チャンピオンティ6ホールのうち1パー5ボギー。あとのレギュラーティ3ホールは1パー2ボギー、チャンピオン+レギュラーティ混合のこのハーフ、2パー7ボギーの43。今の飛距離では、チャンピオンティからはアプローチが利かないとボギーになる。やはり、昨今の僕のゴルフの課題は「アプローチ」だ。

 さて、幻のチャンピオンティ使用について一言。ティマークが置いてないということは、現在は使用していないということか。研修会を初めとして、希望者には使用許可を与えてこそ、クラブメンバーのレベルアップにつながるというものだろう。
 使わせまいとする意図を汲み取って、今日の僕は自主的に(勝手に…とも言う)ティグラウンドの最後部に行ってティショットを打っていたのだが、前は4人組でショットごとに待ち待ちで、遅延プレーをしていたわけではない。
 使用を認めたら、腕もないのに使用したがる輩が増えるという言い分もわからないではないが、ならば、早朝スタートして、チャンピオンティから打ちながら、遅延することなくホールをこなしていくプレーヤーを、「まぁ、いいじゃないか」とやり過ごす度量はなかったのか。(…というのは、ありえない期待感か?)
 「フルバックティから打ってるのが居るよ。(たいして上手くもないけど…と言ったかどうかは定かでないが)」という連絡を受けたとしても、ぺプルビーチやスパニッシュベイのように、勝手にバクティから打っている僕たちを知らん振りする選択はなかったのか。バタバタとカートを走らせて来て、「打たないでください」と言っていくのはいじましい。(…というのは韓国的言い掛かりか?)
 より度量のある選択があってもよいのではないかという気がする。そんな余裕が見られれば、クラブライフもより和気藹々としたゆとりある倶楽部になると思うのだが…、僕のいつもの妄想に過ぎないか。

 
【127】 昭和天皇のゴルフ (田代泰尚、主婦の友社)          2014.07.14 

         (表記には、文章を簡素化するために敬語の使用を少なくしています)

1番ホール
  日本のゴルフの草分けの昭和天皇

 昭和天皇(当時は皇太子)は、西園寺八郎(宮内省式部官、明治の元勲西園寺公望の娘婿)の薦めにより、ゴルフクラブを握ることとなった。
 宮内省関係者にゴルフを理解するものが居らず、八郎は東宮傅育官らを開場3年目の東京ゴルフ倶楽部駒沢コース(大正3(1914)年6月創設)へ案内して、「ゴルフは心身を鍛錬することができるとともに、紳士であることが求められ、帝王のスポーツにふさわしい」という納得を得られたという。
 皇太子にお使いいただくゴルフクラブはどうするか、すぐさま三井物産ニューヨーク支店長の井上信(1918年日本アマチャンピオン)らに献上クラブ3組を揃えるようにと依頼すると、在留邦人ゴルファーたちは非常に感激してクラブ選定委員会を組織し、当時最高級のスラセンジャー社製のクラブ3セットを選んで、日本へ発送した。
 新しいクラブを手にした皇太子は、西園寺八郎らから高輪東宮仮御所の芝生の庭で手ほどきを受けられた。次いで、新宿御苑の広い芝生場において、ご学友達とともにロングショットの練習に励まれた。
 昭和天皇の初ラウンドは、大正6(1917)年8月19日、箱根仙石原ゴルフコースにおいてであった。その後は箱根のコースとともに、大正7年1月に完成した田子の浦砂山運動場(海岸の砂浜15000坪に造成した数ホール)にても、秩父宮、高松宮、ご学友らとともに、ラウンドを楽しまれている。


2番ホール  東京ゴルフ倶楽部の創設と黎明期の日本ゴルフファー

 大正3(1914)年、上野公園で新しい産業時代の到来を告げる「大正大博覧会」が開催された。この前年の12月、井上準之助(日銀総裁、大蔵大臣)が主唱し、30人の発起人が「東京ゴルフ・アソシエーション(後の東京ゴルフ倶楽部)」の創立趣意書を発議している。
 大正3年1月22日、コース建設の鍬入れ式。計画では全長2300ヤード9ホールだったが、6月に6ホールが完成して仮開場された。その後間もなく、大正博覧会の迎賓館の払い下げを受け、什器備品から赤じゅうたんまですべてそのまま移築して、クラブハウスとした。

 日本人ゴルファー第1号は水谷叔彦、海軍機関学校を卒業後、英国の海軍大学に留学し、1896(明治29)年、友人の手ほどきでゴルフクラブを手にしてブラックヒースに出かけ、自らの日誌に『ゴルフィングを為す』と書き残している。
 同じ頃の1899(明治32)年、新井領一郎(日本産生糸を持ってアメリカに渡り、日本初の生糸直輸出を実現した実業家)があニュージャージー州アトランティックシティにあるノースフィールドコースでゴルフを始め、ニューヨーク在住の日本人商社マンたちにさかんにゴルフを勧めたとある。ゴルフ関係の本には、日本人による日本人のための(東京ゴルフ倶楽部)駒沢コースを開いた井上準之助を「日本のゴルフの父」としているものが多いが、その井上にゴルフを勧めた新井領一郎は「日本のゴルフの祖父」というべきか。
 その後、プリンストン大学に留学していた赤星六郎が、留学中、1924年パインハースト・スプリングトーナメントに優勝。後輩にあたる近衛文隆も同大学ゴルフ部のキャプテンを務め、帰国している。残念ながら、近衛は第二次世界大戦でシベリアに抑留され、客死(この顛末は別項に掲載)。もし近衛が生還していれば、日本ゴルフ界はアメリカにもっと早く近づけたという人もいる。


3番ホール  ヨーロッパ訪問と海外初ラウンド

 大正3(1914)年、ヨーロッパを戦場として第一次世界大戦が始まった。この年、日本で開催された大正博覧会は746万人の入場者を記録して7月31日に終幕した。
 皇室では、①大正天皇の心身の状態が悪化。②1917年1月に裕仁皇太子の妃選びが始まり、久邇宮邦彦王の第一女良子女王がご予定と発表、1919年6月ご内定との沙汰書が出された。③裕仁皇太子がヨーロッパに外遊して見聞を広めるべきだとの声が高まる。などの動きがあった。
 第一次大戦を終了したイギリス王室では、「日英同盟」の相手国というだけでなく、身内同士(いとこたち)の争いのあと、同じ君主制を執る日本皇室の皇太子を招きたいとの意向もあった。

 大正10(1921)年、3月3日、裕仁皇太子はお召し艦「香取」に乗船し、随艦「鹿島」の先導のもと、横浜港を出立した。随伴する閑院宮載仁殿下以下随員35名、艦隊乗組員1883名。
 6日沖縄、10日香港、18日シンガポールに入港。ここでの晩餐会のため、船内ではスープを飲むときに音を立てる皇太子のために、食事マナーの特訓講習会が行なわれたとある。
 
 28日、スリランカのコロンボに到着。総督夫妻と西園寺八郎式武官をお相手に、リンクスで海外初のゴルフを楽しまれた。
 船旅の途中は、フランス語や英語の会話、フランス革命史、欧州政情などのご習得のほか、毎日デッキゴルフを楽しまれた。

 5月9日、ポーツマス港に入港。英国王室晩餐会やケンブリッジ大学での特別講義、日本人会の歓迎会、地方の公爵家の訪問などをこなされたのち、29日、アディントンのゴルフ場にて、皇太子殿下のために催されたイギリスのプロ名手の模範競技を観戦されたのである。

 5月31日、パリ着、フランスは非公式訪問であった。それでも9日間にわたり、大統領晩餐会、パリ見物、大統領同伴のオデオン劇場でのマクベス観劇などをこなされている。
 6月10日からはベルギー訪問。15日、オランダへ。20日夜、パリに帰着。

 パリで皇太子は、郊外の「ラ・パンリエ・ゴルフ場」において、7月2日、西園寺八郎・井上子爵・前田公爵、5日には皇太子・八郎・前田公爵と東久邇宮・井上子爵・前田みなこ・クラブのプロの2組でラウンドされた。
 「ラ・パンリエ・ゴルフ場」は、現存するのか、どこのゴルフ場なのか、判然としない。「ラ・パンリエ」= La Banlieue(ラ・バンリウ…郊外)の意味かもしれない…とある。


4番ホール  日英同盟の終結と希土戦争

 裕仁皇太子がヨーロッパ外遊に出かけた当時の大きな外交上の出来事は、「日英同盟」の解消であろう。
 日本の対中国進出によってアメリカや中国は日英同盟の廃棄を望み、そんな中で1912年、英帝国議会が開かれた。ロイド首相をはじめとする英国首脳やオーストラリア、ニュージーランドは継続を主張するが、アメリカ、インド、南アらに加えて、カナダは万一日米戦争の場合に自国が対米戦争に巻き込まれる恐れがあるとして強硬に反対、日英同盟に代わるものとして日米英華による四カ国会議を提唱した。
 第一次世界大戦で自治領に多大な負担を強いたイギリスは発言力を低下させ、アイルランド独立問題を抱えてアメリカと揉めたくない。大正10(1921)年11月、英米日仏伊によるワシントン軍縮会議が開催された。

 これに先立つ大正8(1919)年、イギリスの援助を受けたギリシャが、トルコのイズミールに侵攻した(希土戦争)。トルコは現在の領土の3分の1に減少、残りはギリシャ、フランス、イタリアなどに分割統治されることとなった。これに対してムスタファ・ケマル(のちのアタチュルク)はアンカラ政府を樹立、22年にはイズミールを奪還してギリシャ軍は総崩れ、イズミ-ル陥落の混乱の中、積荷を捨てて難民を救助した日本の船があったという。攻勢のトルコ軍は、ダーダネルス海峡の北を守る英仏駐屯軍を攻撃する構えを見せた。
 「日英同盟」には「同盟国の一方が交戦中のときは、講和の成立まで同盟は継続する」との項がある。「希土戦争」終結まで、同盟は継続された。
 第一次世界大戦の敗戦で弱体化していたトルコの領土を奪おうと侵攻したギリシャは、国内でクーデターが起こって王政派と共和派が暗闘を繰り返し、またアナトリア地方のギリシャ正教徒130万人を受け入れて経済は破綻した。混迷は今日まで続いている。


【今日はここまで…。続きは、また近日…】


【ゴルフ126】 茶店に『持ち込み飲食厳禁』と張り紙するゴルフ場
 2014.07.14

        
 先日行ったゴルフ場で、不可解なものを見た。茶店の入り口に『持ち込み飲食厳禁』と書かれた紙が貼られている。ン…、「飲み物などを持参している者は、茶店に入るな」ということか。
 このゴルフ場は、サービス業の本義が解っていないのではないか。それとも、ゴルフ場とはサービス業ではないと思っているのか。
 ゴルフ場のサービスに対しての本末転倒というものだろう。客の満足・納得を得てこそのサービスであって、金儲けを前面に押し出しては客の反発を招くだけだ。
 そもそもゴルフ場の「茶店」とは、プレーヤーが随時休憩するために設けているものであろう。夏の暑いときはクーラーに一息ついて持参のペットボトルを飲み、寒い冬には暖房に暖められながらポットのお茶を飲む。人心地ついたところで、「炎天下で食べるカキ氷は最高だね」とか、「じゃぁ甘酒、温ったまるよなぁ」などと言いながら、おねぇさんの成績が上がるようにとの付き合いを込めて注文するのだ。それを頭から『入ってくるな』と言われては、何の注文も出来ない。

 このゴルフ場は、フロントやポーターの人たちは親切だし、挨拶もしっかりしてくれる。しかし、この貼り紙を貼らせているということは、上層部の連中がゴルフ場のありかたが解っていないのだ。ゴルフ場とはゴルファーに快適なプレーをしてもらうための施設であり、会員達に豊かなクラブライフを満喫してもらうための場所であり、古い会員は新しい会員を育て、技術やマナーを向上させていくところだ。それでこそ、そのクラブはゴルファーから高い評価を受け、営業成績を上げることができるというものだろう。
 この貼り紙を見て、そんなことが頭をよぎった。ちなみに、僕はまだこの茶店に入ったことがない。


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飛距離自慢の幼稚園、   スコアにこだわる小学生
景色が見えて中学生    マナーを身につけ高校生
歴史が分って大学生    友群れ集う卒業式
         スコットランドの古歌(夏坂 健 ゴルフエッセイより)