飯田 章の趣味「ゴルフ」について、記録・エッセイ・独善的ゴルフ論などを記していきます。
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● 久保谷健一 プレーオフを制す【第70回日本プロゴルフ選手権】 (5/19)


 奈良県のKOMAカントリークラブを舞台に行われた、「日本プロゴルフ選手権」のファイナルラウンドを観に行った。
 8時半ごろに出かけるつもりだったのだが、午前3時過ぎに目が覚めてしまって、6時半に出発! ギャラリー駐車場からシャトルバスで15分。KOMAカントリークラブの入り口で降りて、登り道を10分ほど歩く。8時過ぎに、会場に着いた。
 今日のお目当ては、韓国の新鋭「ホ・ソクホ(SK・ホ)」。華奢な体からロングドライブを放ち、小技もうまい。トーナメントリーダーで、この最終日を迎えている。メンバー表を見ると、今日は12時25分のスタート。まだ4時間もあるではないか。
 練習風景を見たりもしていたのだが、いまいち迫力がない。東コースの1番パー4をこの大会のために練習場に使っているので、ギャラリーは左の土手から見物する。選手の背中姿をやや離れて見るばかりで迫力もない。
 スタートは7時25分から始まっているのだが、見るべき選手もいなくて、手持ち無沙汰だ。12時ごろまで、上野市へでも戻って何か食べてこようと思い、シャトルバスの乗り場へ戻る。まだ9時、次々と詰め掛けるギャラリーの波に逆行して歩いているのは、他にはいない。前から来る人波の中に、歯医者の輝ちゃんが居た。「もう帰るの? もう終わったン?」(笑)と聞くので、「今頃から何しに行くの? 中村寅吉の優勝や!」(笑)と教えておいた。
 車へ戻ると、待っていたように大粒の雨! 輝ちゃんたち、気の毒だ。上野の町へとってかえして、コーヒーとトースト・サラダで朝食。また車へ戻り、「空海の風景(司馬遼太郎)」を読んで、2時間ほどをつぶす。この間も、雨は間断なく降り続いている。
 11時30分、西の空がかなり明るくなり、雨は小粒になった。再度、会場へ向かうが、駐車場は順次満車となるので、だんだん遠いところになる。その駐車場へ入ろうとする車が、次々とつめかけ延々と並んでいる。逆方向からその道路へ入って、並んでいる車の横を反対方向に走り、最初に停めていた駐車場へ入る。雨はやんだ。並んでいた車は、結局、駐車場に入れずに、道路へ放置したままで、みんな会場へ向かったらしい。帰路、バスの車窓からのぞいていたら、延々と路上駐車の車の列があった。
 
 最終組は−7の2人、「ソ・ホクト、小山内 護」のペアリング。小山内は1番バーディでスタートするものの、2番パー4で右の斜面からシャンクを続けて2OBの「9」。ソ・ホクトくんは、絶妙のアプローチを見せて1・2・3番をしのぎ4番でバーディ。エンジンがかかるかと思ったところが、7番で左の林へ打ち込み2回の暫定球。最初のボールが助かっていたものの、木の根元でアンプレアブルを宣言してボギー。ところが、次の8番パー5で乗らず寄らず入らずのなんと云う事はないボギーを叩いたところから、急に精彩がなくなった。気持ちの張りが切れたのか、見ていても情けないゲーム運びとなった。このあたりはまだまだ若いというところか。
 お目当てのソ・ホクトが見られたものでなくなってしまったので、何の興味もなくなってしまった。尾崎将司や片山晋呉の優勝争いなんて、見る気もしない。
 ゲーム観戦に興味がなくなると、このコースのしんどさが急に体にこたえてきた。1980年に月ヶ瀬渓谷の山間を切り開いて造成したこのコースは、高度経済成長期にたくさん造られた他のコースと同じように、山あいの地に27ホールを開く無理があった。山間という地形上仕方がないのだろうが、アップダウンは厳しく、コースの左右のどちらかは傾斜面である。ギャラリーの歩行路はラフだから、凹凸や傾斜は厳しくて疲れる。選手諸君も、打ち上げ打ち下ろし、左右OBのホールが多くて、大変だろうと思われた。
 最終組がインへ折り返すところでコースを後にして、家に帰った。テレビをつけると、片山と久保谷のプレーオフが始まったところだった。


 それにしても、PGA【日本プロゴルフ協会】も、もう少しコースの選定に意を用いてはどうか。アップダウンが激しく、左右OBのホールが随所にあるコースでの開催はいかがなものだろう。プレーする条件は選手の全員が同じ条件だとはいうものの、しっかりした戦略的なコースで、プロの技を十分に発揮できる舞台を設定するべきだ。PGAは開催の4年前に会場コースを決定し、コースの整備を指導するのだが、コースの選定に時間をかけて、プロトーナメント…しかもこの大会は公式戦である…にふさわしいコースを選ぶことの重要さを認識してほしい。
 このごろは、コースの整備に労力と費用がかかり、さまざまな条件をクリアしなければならないトーナメント会場を受けるゴルフ場は少ないと聞いている。トーナメントを受けたからといって、コースのグレードがさして上がる訳でもなく、プレー料金を高くできることもない。
 ギャラリーの歩行路も確保できず、観戦に便宜を図りにくく、ギャラリー駐車場や選手・メディアの宿泊所もないようなところでの開催は、反省の余地があるであろう。このような大会運営を続けていては、会場へ足を運ぼうというフアンも少なくなってしまう。


 第70回のこの記念大会は4年ぶり10回目のプレーオフとなり、久保谷健一が片山晋呉をくだして初の日本タイトルを手にした。なかなか結果が出ずに苦労した久保谷の栄冠を讃えたい。



● 祝! 丸ちゃん 米ツアー2勝目!    (5/13)


 丸山茂樹が、アメリカ テキサス州のTPCフォーシーズンズ・リゾートGC(7017Yパー70)で行われた「ベラリゾン・バイロン・ネルソン・クラッシック」において、2位に2打差をつける14アンダーて堂々の優勝を飾った。大会ホストのバイロン・ネルソン翁から、「スマートなプレーをするグッドプレーヤーだ」と讃えられて、満面の丸ちゃんスマイルであった。
 11番で池に捕まった後も、中継が始まった12・13・14番と2〜5mのパーパットをことごとく沈めて耐えるゴルフに、丸山の成長の跡がうかがわれた。
 丸山が1勝目を飾った昨年7月のミルウォーキーオープンは、全米オープンの前週でタイガーなどのビッグネームが欠場した大会での優勝であったが、今回はタイガーもミケルソンもエルスも、ランキングトップ3揃い踏みの大会で、価値のある勝利であった。丸ちゃんの強さの源である持ち前の明るさに、この一勝で弾みがつくことだろう。ますますの活躍を期待したい。
 前週には韓国の崔京周が優勝している。2週連続のアジア勢の優勝に、アジアンパワーの台頭も楽しみだ。
 優勝賞金86万4000 ドル (約1億1232万円)の凄さにも驚いたが、2位に入ったベンクレイン(アメリカ)はツアー3戦目、マネーランク136位のまだシード権も持っていない26歳の新鋭とのことだったけれど、プレー後の挨拶に帽子をとったときの見事な禿げっぷりに、『こいっぁ、タダモノではない』と米国ツアーの奥の深さ(?)を実感させられた。


 ネルソン翁は1912年生まれの今年90歳。生まれつき血友病に似た血の固まりにくい体質であったために早くに引退しているが、健康にと始めたゴルフの魅力に夢中になり、18歳でサウスアマ選手権に優勝。翌年プロに転向してからは全米オープン・全米プロ・マスターズを含めて26勝。1945年には11試合連続優勝。この年の120ラウンドの平均ストロークは88.33のツアー新記録。その中でプロードムアで行われた試合では、「62・68・63・66=256、29アンダー」の4日間競技の世界新記録を樹立している。
 ネルソン語録を紐解いてみると、「言い訳は、進歩の最大の敵」「すぐにクサる人がいる。彼は実社会でも成功しない」と、寸鉄人をさす。



● 中日クラウンズ観戦記  −ちょっと長くなってしまいましたが−       (2002.05.06)

7番グリーン
 早朝5時50分に起きて、6時半には車を走らせていた。いつもならば寝る時刻である。連休のさなか、早朝の高速道路はスイスイ。名古屋西インターまで40分はかかっていない。名古屋の市内で少し混雑したけれど、8時前に和合ゴルフ場に着いた。
 駐車場に入るところで長蛇の列。整理の手際の悪さで、なかなか車が進まない。昨日の雨で、路面はグショグショ。入場ゲートまで歩いただけで、靴はドロドロ。
 第2ゲートから入ったので、2番ホールの第2打地点へ出た。第3組、星野英正・室田 淳・尾崎健夫がプレー中。一顧だにせず、ドライビングレンジへと急ぐ。弱冠17才で全英オープンのベストアマに輝いた、イングランドの星『ジャスティン・ローズ』が、今日のお目当てである。あふれる才能がどんなものか、これから世界に向けて大きく羽ばたく可能性を見てみたいと思ったのである。
 トーナメント会場のドライビングレンジは華やかだ。いちばん手前で打っているのは小達敏昭。かっこうばかり気にしていて集中力なし。一球打つごとに周囲を見回す。2階で打っているのは横田真一。打ち方にセオリーなしを身をもって示してくれるプロである。アプローチなんか、ぜんぜん違う方向へ構えておいて、ピンの根元へ打ってくる。「また、ごまかしたね」とプロ仲間から声がかかる。片山晋呉がやってきた。ヨッ、オハッ…などと声をかけまくって歩いてくる。態度の大きい男である。真ん中に陣取って打ち始めた。
 しばらくすると尾崎将司が現れた。練習中のプロたちはみんな手を休めて、「おはようございます」と挨拶する。「ウッ」「オッ」と言葉にならない応えを返して、一番奥に位置を占めた。尾崎将司に対しては、プロ連中はみんな必要以上の意識を働かせる。それだけ周囲に対する威圧感があるのだ。だからこそ、尾崎将司の責任は重い。
 経済の高度成長と歩を一にして急増した、日本のゴルフ人口とトーナメントの賞金額! ゴルフが市民のスポーツとなろうとしていたその時期、スバ抜けた飛距離とスケールの大きなゴルフで、大いにゴルフ人気を盛り上げた彼の功績は大きい。だからこそ、紫のラメ入りシャツのボタンをみんな外して胸元をはだけ、くわえタバコでフェアウエイを闊歩して、TVのインタビューにタメ口をたたく姿は、当時急増したゴルファーの多くに、好ましからざる影響を与えた。どんなに暑い夏の日でも、タイガー・ウッズが胸のボタンを外しているのを見たものはいないし、テレビに写る自分のくわえタバコの姿を見てタバコをやめたというジャック・ニクラウスの話を、彼に話して聞かせる人は日本ゴルフ界にいなかったのだろうか。
 片山晋呉だけは、尾崎を無視した。挨拶もせず、無視した。ちょっと、片山のことを見直した。
 でも、お目当てのジャスティン・ローズの影も形もない。まだ9時、ローズのスタートは10時40分。来るのが、早過ぎた!


 暇つぶしに、小達敏昭のスタートを見に行った。小達が気になるのは、彼が夏目雅子の弟だからである。1番のティショットはハーフトップのライナー。まだ、周囲を見てゴルフしている。なりふりかまわずゴルフをするようになると、強くなると思う。
 またドライビングレンジに戻って、練習風景の見物。目の前で打っているのは、ディネッシュ・チャンド。真っ黒い人だから、インド人だろうか。練習場の左サイド150Y・200Yほどのところに松の木が植えられている。8・9番と4・5番アイアンぐらいか、その松の根元にドスンドスンと球を集める。この練習を見ていて気づいた。決して大振りしない。クゥオーターからダウンブローに正確なショットを繰り出す。
 宮里優作くんが現れた。アマチュアだから「くん」付けで呼ぶ。ずんぐりむっくりで首がない。丸山茂樹が今日から特別出場したのかと思った。ローズに次ぐ2位、日本人選手中のトップで最終日を迎えた21才のアマ選手の周りを報道陣が取り囲む。練習中も2台のTVカメラが回り続けている。
 ジャスティン・ローズの練習風景この宮里くんと同じ最終組なんだから、もう現れてもいいんじゃないかと視線を移すと、いたいた…。 奥のほうでウェッジを振っているのは、まぎれもないジャスティン・ローズ! ギャラリーのひしめく北階段を避けて、南側の小道から練習場へ入ってきていたのだ。さっそくローズの真うしろへ移動する。
 丹念にウェッジの調整をするローズ。その練習を見ていて、また気づいた。ウェッジもやはりダウンブローに打って、ボールをつぶすようにフェースを入れていくものだと思っていたけれど、ローズのウェッジは全て手前からフェースが入っている。少々のダフリはものともせずに、きっちりと距離を出している。トップ気味のほうが、ショットの精度はいいのだと思っていたが、それほどナーバスに考える必要はなさそうである。
 アイアンのショットは、糸を引くようなという形容がぴったり。ドライバーは、初めの2・3発は右にふけたけれど、徐々に修正していって仕上がりは完璧!


 最終組3人のスタート時点のスコアは、首位のジャスティン・ローズ−13、2位宮里くん−9、3位タイ桑原克典−7。弱冠21才の初出場ローズの逃げきり成るか、アマチュアの宮里くんはプロを抑えるか…が、今日の焦点である。今日はこの最終組に18ホールをついて回る覚悟を決めた。
 1番368Yパー4。桑原のドライバーはグリーン手前30Y、宮里くんはもう10Yほどのエッジ。2人のナイスショットを見てもローズはアイアン、120Yほどを残す。そこから高い弾道のセカンドをピン手前に止め、アプローチをオーバーして3オン1パットの桑原や、寄せ切れず2オン2パットの宮里くんと同じくパーであった。
 2番513Yパー5、桑原はフェアウエイウッドで、ローズはアイアンで2オンしてバーディ。
 3番476Y、右ドッグレッグの長いパー4である。ロングアイアンのセカンドショットを少し引っ掛けて、グリーン左のバンカーに落とした桑原・宮里くんに対して、ローズはフェアウエイの右サイドから、右側からせり出している池を越えての見事なアイアンショットで2オン。宮里くんの球はアゴ近くに止まっていて、傾斜のきつい斜面にスタンスをとり、深いバンカーから打ち出さねばならない難しいショット。出ない! 4オン2パットのダブルボギー。この時点で、首位のローズと宮里くんとの差は7打と開き、勝負の結果は見えてしまった。
 4番172Yパー3で、ローズはバンカーに入れたものの、あわやチップインというパー。恐るべき21歳に死角なし!
 次の5番365Yパー4では、残り80Yほどのショットに、宮里くんと桑原のショットを待つ間をぬって、クリーンまでピン位置を確かめに行く気力の充実振り。ローズの快進撃が続く
 
15番 ローズのセカンドショット
 差はいっこうに縮まらないままインに入って、13番197Yパー3。宮里くん、バンカーからバンカーを渡り歩いて沈没。ここからTV中継が始まっている。
 16番367Yはグリーン手前で急激に左へ曲がる名物ホール。ショートカット気味に狙った宮里君のティショットは少し右に出てグリーンまで50Yに止まった。桑原は60Y。ここでローズはまたもやアイアン、90Yを残す。ローズ、桑原のショットはともにグリーン手前のバンカー。ここからローズは1パットのパー。ここまで宮里くんを逆転して2位につけていた桑原は、ザックリして出ず。さらにホームランして5オン1パットのダブルボギーで轟沈!
 終わってみれば、ローズは−14と2位に5打の大差をつけて堂々たる優勝。2位P.マークセン(−9)、3位D.ウィルソン(−8)で、日本選手は4位に宮里くんと手島多一がしがみついたのがやっとという状況であった。宮里くんはプロ連中を尻目に、日本選手中最高位の成績である。


 ジャスティン・ローズと日本選手とは、何が違うのか。この強さを、あふれる才能という一言で片付けてしまうのは易しいけれど、その結論では安易すぎる。
 まず第一に挙げられることは、日本のコースは易しすぎて、彼らが活躍の舞台とするコースは厳しいということであろう。後述するようにゴルフの成立過程が異なる日本と欧米とでは、コース作りに対するコンセプト(概念)が違う。
 社用や接待などで使用されたり、スコアのよいことを喜ぶゴルファーを前提とした日本のコースは、流れがよく易しく造られている。対して、神の造り給もうた自然がゴルフコースであるとする彼の地のそれは、フェアウエイはどちらへ跳ねるかわからず、伸ばし放題の草地がラフである。厳しいコースを当たり前のものとして、そこでプレーするための練習を積み重ねるものと、そこそこに打っておけばそれなりのスコアになる安易なコースでプレーしてきたものとでは、ゴルフに対する取り組み方も、当然のこととして結果も違う。
 彼の地のゴルフは、あるがままの自然に挑む人間の営みというべき発想と行動が根底にあり、そこに存在する自然とどのように取り組むかが、ルールやコースづくりの基本となっている。コースは自然の美しさをいかに生かし、なおかつ戦略性に富んでいるものが評価される。プレーヤーは一日をそのコースにひたり、挑戦することを喜びとする。
 日本では、「今日はいくつで回ったか」が最大の関心事であって、スコアが伸びないとゴルフをする意欲もなくすと言う。ひっきょう、コースは易しく、そこそこ打っておけばスコアのまとまるコースが多くなり、技量を磨くも表彰式のの姿勢も甘くなってしまう。
 第二には、歴史の違いであろう。イギリスでのゴルフの誕生が、羊飼いの少年たちがウサギの穴へ球を入れる遊びから始まったという庶民性…底辺の広さに対して、日本でのゴルフは、伝えられたそのときから上流階級の手慰みであった。
 日本のゴルフは、スポーツとしての取り組みよりも、どこかに金持ちの遊びとしてのくすぐったさが内在してきた。学生スポーツの中に位置づけられていたはずの、大学におけるゴルフ部の活動にしても、恵まれた環境の中にいる一部学生のものという一面をいつも引きずってきた。
 ゴルフを取り巻く周囲も、日本は甘すぎる。経済の繁栄の結果としてゴルフ業界が潤い、トーナメントの賞金額が高騰してきたことを、プレーヤーの責任に帰する気はないが、日本国内にしつらえられた高額の金額が踊る舞台で、選手層が薄いためにいつも同じ顔ぶれのプライベートコンペのような試合をこなしていけば、そこそこの収入を保証されている日本のプロは、技術も気構えも過保護すぎる。少し活躍すれば、マスコミは無批判にチヤホヤし、用品を供給する会社は自社製品を提供する。加えてムラ社会の日本では、オープンな議論や研鑽がなされにくい。昨今、改善の萌芽は見られるものの、この土壌からは、役員もプレーヤーも含めてゴルフ界に足跡を残す人物は出ない。


 今、日本のゴルフ界は、市民のスポーツとしてのゴルフを確立する時期にきている。ゴルフ用品の価格やプレー代金の低下が見られる現在は、むしろ大きなチャンスと捉えるべきではないか。
 15年ほど前、ホームコースの経営者に、「ジュニアの組織を充実させて技術指導をしたり、廉価でプレーできる日を設けて底辺を拡大し、ゴルフをスポーツとして確立することを考えるべきだ」と話したところ、「やりたいのだけれど、収益の問題がつきまとう」という返事であったことを覚えている。一人の経営者には荷が重いことなのかも知れないが、ゴルフ界全体で考えるべき課題であろう。
 日本のゴルフが、誰もが気軽に楽しめるスポーツになり、自然と一体となって取り組める素晴らしさを誰もが共有できるものになれば、底辺の拡大とともにその奥底はもっと深いものになり、人々の人生にもより大きくかかわるものになることだろう。そして、日本のプロ選手の技量も大きく飛躍して、世界を舞台に活躍することだろう。


 一昨年、僕はこの和合をプレーして、スコアは「72」であった(和合のパーはアウト35イン35のトータル70だから、2オーバー)。今年の大会で、並み居るトッププロの何人が、僕を超えることができたか。
 ちなみに「73」以上をたたいたものは、第1日19人(99人中)、2日目40人(97人中)、3日目7人(61人中)、4日目14人(61人中)である。
 3日目の予選通過カットラインは「143」だから、72×2=144の僕は1打及ばず…ということになる。もうちょっと、練習しよう。



● 「忙しいからゴルフができないなんて、気のないものの言い草」   (4.5)


 忙しさにかまけて、ゴルフから遠ざかっている。盛んにやっている頃は、「忙しいからゴルフができないなんて、気のないものの言い草」と思っていたが…。
 昨今の私は多忙であると、自分でもそう思う。3月末などは、27日の夜に書き上げた原稿を持って、28日に早朝から金沢へ走り、午前中に用事を済ませて午後は大阪で会議。夜、遊覧船の夜桜見物がかすかな休息で、翌29日から31日まで2夜3日間徹夜してしまった。
 こんな調子で日々を過ごしていると、ゴルフへ気持ちが向かわない。やらないでいると、やろうという気持ちが起きてこない。忙しいといっても、週に1・2回のゴルフぐらい、昼間の5〜6時間なんとでもなると思われるが、今は日々の用件を棚上げしてゴルフ場へ向かおうという気持ちがない。


 忙しいことを言い訳にするゴルファー諸君に(自戒を込めて)、夏坂ゴルフエッセイの中で見つけた、「バハ・カリフォルニア選手権」の4回優勝をはじめ、アマ競技に9回の優勝記録を誇るマージョリー・ローが、まだヤングママであった1976年、パームGCのレディース選手権に出場したときの話を紹介しよう。
 『 …。彼女の自宅は、7番ホールに隣接している。6番ホールまで来たところで、フロントから使いが走ってきて、いちばん下の娘が足を骨折したので、至急帰宅して欲しいとのこと。そこで一人の選手にボールの見張りをたのみ、もう一人の選手と共にフェアウェイを横切って自宅に急行、娘を病院に入れると、再びコースに戻ってプレーを続行した。
 10番ティに上がったところで、今度は近くのハウスから「電話が入ってるわよ!」。走って受話器を取ると、もう一人の娘がマリファナ所持で、いま校長室に拘束されているという知らせ。ティショットを待ってもらってすぐさま駆けつけ、校長にお詫びを入れてから大急ぎUターン、10番をスタートした。
 14番のグリーンを終わらせたところに、またまた車がやってきて、別の娘が学校でハシカの発疹に見舞われ、全身ブツブツで大騒ぎ、すぐに来てくれとの伝言。マージは次のショットを待ってもらって再び学校に飛んで行き、ハシカの子を家に連れ帰ってベッドに寝かせると、またフェアウエイを走って15番ティヘ。
 懲りもせず根気よくマージの帰りを待っていた他の選手たちもえらいが、本人もすごい。東奔西走、目の回る忙しさの中で「76」。メダリストに輝き、その表彰式が始まった瞬間、時計を見たマージは、「ごめんなさい。駅へ子供を迎えに行く時間なの」。

この「プレー中座事件」は、州のゴルフ連盟で問題にされた。競技委員会の結論は失格だった。すなわち規則37の7、「競技参加者は、はなはだしく遅れることなくプレーしなければならない」に抵触するというのだ。
 だが、クラブ側はこの決定に激しく抗議した。「骨折した子を、その場に転がしておけというのか。マリファナに溺れようとする子を、黙って見逃せというのか。ハシカの子を放置して、生徒全員をブツプツに感染しても知らないというのか。ルールはルールだ。しかし、彼女は立派に母親の大役をこなしながら、かつゴルファーとしても偉大な成績を残している。われわれは、マージに心からの拍手とメダルを贈りたい」。すると連盟は、今後あまり中座しないというマージの誓約書をもらうことで、決定を撤回した。
 この出来事を報じた地元紙のT・ウイッツ記者は、こう書いている。「連盟の判断を歓迎する。ゴルフから、ヒューマニズムとユーモアを奪ったならば、あとに何が残るのだろう」。
 今日もマージはプレーを続けている。
「おばあちゃん、きょうもゴルフに行くの?」
「そうだよ。でも何かあったら、すぐに途中で戻ってくるからね」。 …。』


 春風駘蕩…ゴルフシーズンの到来というのに、マージの活躍に感嘆しながら、私は、忙しい忙しいと「気のないものの言い草」を繰り返している。忙しくとも、付き合いや遊びはちゃんとやって、夜中、仕事は人の見ていないところで睡眠時間を削ってやり遂げるものだとは理解している。忙しいなどと口走るのは恥ずかしいことだとも思っているのだが、近頃、人間が甘くなってしまって困ったものである。




● 本田武史選手の4位が意味するもの
   
              (2/15)


 ソルトレークオリンピックの男子フィギァ個人で、本田武史選手が4位に入賞した。ショートプログラム2位の成績を引っさげての決勝だから、フリーの今日は悪くてもメダルを狙っての演技であったはずだったと思われるが、結果は4位。男子フィギュアでは過去最高の成績とNHKテレビは称えている。
 世界の第4位という成績が素晴らしいものであることは間違いないと思うが、ショートプログラムの2位をもとに、「不安定な4回転ジャンプは1回だけにして、苦手なものは避け、確実な演技と表現力で勝負する」というのが、フリースタイルを前にしての、本田選手のコメントであった。
 結果から言うわけではないが、このコメントを聞いたとき、本田選手のメダルは無理だなと思った。チャレンジャーとしての気迫に欠けている。世界の桧舞台…挑戦せずして、結果が出せるわけがない。2位を獲得したショートプログラムに臨んだときの本田は、挑戦するものとしての意欲にあふれていた。だからこそ4回転・3回転のジャンプを次々と決め、ステップや広げた手の指先にも躍動感がみなぎっていて、見るものの感動を誘ったのである。
 守りに入った今日の本田のスケーティングから伝わってくるものは何もなかった。いつ失敗するかという不安感のほうが先に立ち、上を目指すもののオーラは消え去っていた。本田が、今以上の世界を目指すならば、生来の気の弱さを克服して、常に挑戦者であることを忘れてはなるまい。
 ロシアの2強、ヤグディン、フルシェンコも、王者でありながら意欲的なスケーティングで見る者を魅了したし、特にショートプログラム3位のアメリカ ティモシー・ゲーブルの3つの4回転ジャンプを入れて次々と難しい技に挑んだ演技は、挑戦する躍動感にあふれていて、終了後もしばし観客は感動の余韻に浸った。
 本田選手の結果を見ていて、ふと、もう15年ほども前になるだろうか、当時、ジーン・サラゼン翁を迎えて行なわれていた、ゴルフトーナメント「ジュン・クラッシック」最終日の18番パー5の光景を思い出した。トーナメントリーダーであるセベ・バレストロスに1打遅れていた中島常幸は、このロングホールのフェアウエイからの第2打…残り230ヤードを、アイアンで刻んだのである。
 後年、中島は、「あの1打を刻んだことから、僕のゴルフは大きく前進した」とコメントしたが、グリーンの前には池があり、230ヤードのショットを左足下がりのライから打たねばならない難しさはあったとしても、1打ビハインドの距離的に届くショットを刻んだことに、何の意味があったというのだろうか。それこそが中島の弱さであって、類いまれな素質を持ち、青木 功よりもはるかに若くしてアメリカに挑戦した彼が、花開くことなく帰国せねばならなかった原因だったのである。
 可能性のあるところ、挑戦しないものに、未来に広がる道はない。本田も中島も、今の自分ではこれぐらいのもの…と自からを知っているのかも知れないが、今に満足するのならそれも賢明だけれども、新しい世界に羽ばたこうとするのなら、いつもチャレンジャーとしての姿勢を持ちつづけることが必要だろう。
 「いつか日本アマを取るぞ!」と思っていた頃は、ハンディもぐんぐんとあがっていったものだが、目標を失った今は、ゴルフをするのが苦痛である…という私の実感は、ちょっと世界が違うか?
 ついでに、100分の1秒…1000分の1秒を争う世界に、2秒も3秒も及ばない選手が行く必要はないのではないか。参加することに意義があると言うのなら、僕も日本アマに出場させてよ!
  

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