● ベースボール グリップ 完成 間近か!     (7.25)

   伝説の黒人プロ「ジニー・ウィリアムズ・スピラー」について


 パットさえ少し直れば80は叩かない(ホント久しぶり)。今年になってから、ベースボールグリップにしている。

 タイガーウッズが国民的英雄として迎えられている今日までの長い年月の間、ゴルフの世界にも過酷な人種差別が続いてきた。史上初めて黒人選手としてマスターズに出場したリー・エルダーや全米オープンの優勝者として出場枠を手にしたカルビンピートに対して、森の中からライフルで狙うとの脅迫状が送られて来たのはほんの20年ほど前のことで、彼以前の黒人選手たちは出場できる試合などほとんどなかった。
 プロゴルフ協会(PGA)は、その規約において「白人のみ、コーカサス人種のみ」と定め、黒人を締め出していた。これに対し黒人達は、全米黒人協会を作り、黒人専用の私的なゴルフコースでプレイをしていた。1930年代までの黒人ゴルファーは約5万人で、彼らのために国内に約20のコースがあったと伝えられている。
 1950年代になってPGAの規約が改正され出場できる試合が見られるようになったが、その数少ない試合でも、ロッカールームは別でレストランへは立ち入れないといった差別を、彼らは受け続けてきた。マスターズに出場したリー・トレビノが、駐車場で靴を履き替えてコースに通った話は、今に語り伝えられている。
 伝説の黒人プロ「ジニー・ウィリアムズ・スピラー」は、1937年、ロスアンゼルス・オ
ープンに出場するため会場へ行ったところ、彼の顔を見た関係者から「白人選手に限る」と冷笑され、ゴルフ界に自分の居場所は従業員としてだけであることを知らされる。
 1949年、黒人だけのトーナメントが開催され、ジニーはその2日間、「66」「68」のスコアで見事優勝する。以後5年間、超難関コースで開催されるこの試合で、彼は常に60台のスコアで優勝し続け、試合数の少なかった当時にはよく行われた賭けゴルフ興行でも、白人プロを相手に負けたことはなかったという。しかし、このジニーにしても、コースの管理人以外の職にはつけなかった。
 1994年、彼は孤独のうちに老人ホームの一室でその生涯を閉じる。ゴルフは公平なゲームであることを根底としているはずなのに、そこに関わる人間の醜さが悲しい。この天才ジニーが、生涯、ベースボールグリップであった。




● 世界で一番パットが上手いといわれた男は          (7.23)

   史上最高のパターの名手 南アの ボビー・ロック


 今日のラウンド、3パットのダボからスタートしたアウトは、バーディも1つあり、9番でまた3パットをしたけれど「40」。インは、究極の球筋を求めて打っていこうと心がけ、10番から3ホール連続の4OB(爆笑)! それよりもいけないのは5ホール3パット(悲哀)で、「48」。
 球筋を求めている今、OBは仕方ないかなと思うけれど、パットは克服しなくてはならない課題である。1ラウンド、せめて32パットぐらいにはしたい。そのためにはアプローチを磨くことも課題だが、とりあえず3パットを極力なくするパット力を身につけることが急務である。


 アメリカツアーのバットの名手レオ・ディージェルは言う、「パットの下手なものほど、傾斜がどうの目がどうのとグリーンを読む。読めば読むほど判らなくなる。カップの向こうに行ったり来たりして、結局ミスでは怒るぜ、まったく。さっさとミスをするほうが、重いものを引きずらず、リズミカルなプレーができる」と。その彼が、史上最高のパターの名手と言うのが、南アのボビー・ロック。まさに天才の一言につきる男と、手ばなしのほめようである。
 5歳でゴルフを覚えて間もなく、父親の友人からプレード型のヒツコリーシャフトのパターをもらったロックは、後生大事に手入れをしながら、ついに生涯、その1本だけを使い続けたという。あまりによく入るので、仲間たちほ恐れと畏敬を込めてそのパターに「ガラガラ蛇」という異名を献上した。
 なにしろ、8歳でハンディ14、18歳でプラス4になったロックには、南アを逆さに振っても敵がいない。そこで21歳のときプロに転向すると、豪州、ニュージーランド、英国を転戦、2年間で7勝をあげた。当時の「ゴルフ・イラストレイテッド」誌を見ると、「ゴルフではストローク数の半分がバターによって占められるのが常識。ところがこの新人は、ガラガラ蛇と呼ばれる古ばけたパターを自在に操り、この常識を変えようとしている。彼の18ホールでの総パット数は、この1年間というもの、ただの一度も28打を超えたことがない」とある。
 1947年から参加した米ツアーでは、2年半の短い期間に優勝13回、2位10回、3位7回。49年に出場した全英オープンに優勝、翌年も連覇、合計4勝を挙げている。さらに驚くべきは、20年間で一度もベスト10位から落ちたことがない実績の凄さである。それもこれも、パットに優れた者は常に勝つという格言の証明にほかならない。
 その彼が、『パッティングには、1つだけコツがある』という。いわく『あまり狙いすぎないことだ。直感で決めたラインを大切に、大体の方向に打てばよろしい。案外真っ直ぐなラインが多いものだ』。
 天才ボビー・ロックにほ、確固たる信念があったようだ。つまり、人間の直感力とは天与の本能、これを侮ってはいけない。自分は本能だけを忠実に守ってきた。これがコツなのだ、と。生涯1本だけのパターと寝食を共にすることで、バターは彼の肉体の一部に昇華したのだろう。
「浮気者はパットが下手!」と言われては、猛練習をするしかない。




■ 全英オープンが映し出したもの     (7.22)


 昼夜の生活が逆転しているような毎日で、全英オープンをほとんど連夜見ていた。丸山茂樹選手の健闘は特筆もので、日本のファンを沸かせてくれた。実力はまだメジャーというわけにはいかないが、調子が良ければ優勝争いをするレベルまで来ているのだから、もう一段階のレベルアップを図って、優勝争いの常連の仲間入りを果たしてほしい。
 テレビのナショナル画面が、そのマルちゃんが、タバコをくわえながらフェアウエイを歩く姿を映し出していたのは、ちょっと残念! 一般の職場でも、昨今はタバコをくわえて仕事をしているビジネスマンはいまい。トッププロのマルちゃんの姿は、多くのアマが見るわけだし、青少年ゴルファーの目標なのだから、考えなければならないことであろう。
 また、これから世界で活躍する彼としては、タバコ愛好家の姿は欧米の人々の支持を得られない。タバコを悪いといっているわけではない。トッププロとしての立場を思うならば、自粛することを考えてほしいというわけである。




● パットからスコアが崩れる        (7.3  復帰第4戦  美杉CC)


 吹き抜ける風が涼しい。この日、津市では水銀柱が31℃を示し、台風から吹き込む南風の湿気で、うだるような暑さであったとか。さすがに標高800mの美杉CCは、そんな下界よりも4〜5℃ほど気温が低く、カートでのラウンド中はほとんど汗をかかなかった。
 気持ちが集中しないせいか、パットが悪い。この日も3パットが6ホール。上がりの17・18番
で3パットしてダボ・ダボ! 気持ちが充実していないと、すぐに3パットする。ショットはリズム、パットは自信…と、解かっているんだけど。
 



● 「世界ゴルフ紀行」、雑誌『英雄神話』で紹介!    (6.27)


 お馴染み「世界ゴルフ紀行」が、徳間書店発行のスポーツ雑誌『英雄神話』で紹介されました!
 今年1月に創刊された『英雄神話』は、スポーツ界において名声を上げた人物・名場面・名勝負をクローズアップしながら、著名作家が各競技・対決への熱き思いを綴り、また、当時の世相や流行、新製品・新情報などを紹介しています。毎号、素晴らしい写真が掲載され、格調高い文章が綴られていきます。
 毎月1・15日発行、各号580円。今号(第12号/6月15日発売)はタイガー・ウッズ特集号で、「そのときタイガーは変わった、戴冠式の舞台、培われた天才、PGAツアーがもたらすもの、孤独な勝者、未来をつくる自然の王者」など、多方面からタイガーの過去・現在・未来を解き明かしています。
 この号の情報コーナー(50P)「編集部のお薦めHP」のページに、我が「世界ゴルフ紀行」が紹介されています。おかげでアクセス数も増え、国内の多数の皆さんや海外の方からもメールをいただきました。友達が増えていくことが実感されて、勇気づけられています。




● 復帰 第3戦 球筋が決まらない!  双鈴GC関コース   (6.25)


 フェアウエイの左サイドを狙ってティショットを打っているのに、右の林へ打ち込む。グリーンの右サイドからドローをするはずが、そのままスッポ抜けて右のラフへ。球筋が定まらない。
 20年ほど前、シングルになる直前にハンディ8の先輩に、「ハンディ10と9の違いは何か?」と聞いたことがある。彼の答は「球筋!」。フックを打とうと思えばフックに…、間違ってもスライスを打ってはいけないということである。今は、フェードのつもりがさらに左へ行くボールになり、ドローを打ったのにまっすぐ抜けていったりする。精進しないのだから当然か!
 ちなみにハンディ5と6の違いは、「5はスコアを作ってくることができるが、6は歯止めがきかない」。これは、僕の定義!




●「90叩いたら3000円の商品券を差し上げます」というラウンドの結果は?(6.5)


 物語として、出来すぎたラウンドでありました。「今日は、インターネットで約束したので、90以上叩くわけにはイカン」と宣言しての1番は、アプローチでチョロして5オン3パットの「8」でスタート! 4番でもまたトリがきて、アウト(中)は「46」、ヤバイ!
 43で回らなければ罰金だぁと気合を入れ直したイン(東)も2・3番でダボ。5番ボギーのあと8番でまたダボ。ここで7オーバー!
 最終9番 476ヤード パー5。パーで上がらなければ、90になってしまう。ドライバーはナイスのフェアウエイ中央。3番アイアンでグリーン手前50ヤードのところへ運び、サンドウエッジのアプローチを2mにつけてバーディ! やればできるジャン!!

トータル
パー 36 パー 36 72
スコア 46 スコア 42 88





 でも、3000円の商品券は、飯田 章のホームページ11111番目のゲストに差し上げることにしたいと思います。11111番目を引き当てた方は、メールでご連絡ください。
 今日現在、10465番のゲストです。リンクから入ると番号表示が違うようです。URLのhttp://www.ztv.ne.jp/kyoiku/を貼り付けてお入りいただくと、10000番台の番号が表示されるようです。11111番をゲットしていただいたゲストの方は、複数のお申し出があると困りますので、念のために印刷しておいてくださいね。もちろん送料も当方で負担してお送りします。再起記念の商品券を、どうぞゲットしてください。




● 「90」叩いても、練習場より鴨川の床席   
(5.30)
  
 「91」を叩いたその日には、これからぁ練習するぞ!と密かに決意したのだけれど、その後はいっこうにクラブを持つ気配がない。一昨日も、夕方、練習場へ行こうかなと思って出かけたところ、まだ暑いしなぁと決心のつかないまま走っていたら、鈴鹿峠を越えていた。京都の友人に連絡したら、食事でもしようということになった。
 5月だというのに、鴨川べりにはもう床席を張り出している料理屋がチラホラ見える。この15日、葵祭りに来たときにはまだその気配もなかったのだが、「6月1日からじゃなかったの」と尋ねると、「なんか、季節が早ようなってきましてなぁ」というこたえ。鴨川に映る床席の灯かりは、京都の夏の風物詩…。今年も大文字の送り火まで、焦がれる京都の夏が始まった。
 厳選した国内産大豆とこだわりの天然名水で仕込んだおぼろ豆腐はこの店の自慢で、生姜と薬味のだし汁でスルリといただく。何杯でもお代わりを頼むことができる。あとは、刺身も揚げ物も、指先ほどのものを盛り合わせる京都の料理である。
 濃い藍色に染まった東山の稜線が空の闇に溶け込んで、川面を涼風(すずかぜ)が渡る。「もう一軒、行く?」「練習しなくちゃ、いけないんだけど」と、私はまだ往生際が悪い。




● 半年間ゴルフしとらんでも「90」は叩かん…と言ってたじゃない!  (5.27)


 新しいクラブを持って、コースに出た。先日、松坂屋を歩いていたら、アイアンセット(ピンアイ3のカーボンシャフト)とドライバー(ミズノ300E)が安かったので思わず買ってしまった。過去と決別するための買い物であると自分に言い聞かせて!
 昨日、その新しいセットの調子を確かめる目的もあって、久し振りに練習場へ行った。いつの間にか、受付も自動になっていて、「3月から変わってるんですよ。」と笑われた。
 新しいアイアンは、カーボンシャフトのせいか、軽くてボールがふけてしまう。ヘッドに任せて振れない。ドライバーは、当たると飛ぶが、球筋が安定しない。
 本日の1番パー5、ティショットはほとんど空振りの引っ掛けチョロで、カート道路左の池へコロコロと入ってしまった。4オンして早速3パット、OBが1つで「9」!。このハーフ、新しいアイアンはふけるし、3パットは6ホールで「50」。
 インは使い慣れたピンアイ2。スチールシャフトで重いので、カーボンにしようと思って新しいアイアンセットを買ってきたのだが、この重さがクラブに任せて振れる。グリーンにも少し慣れてきて、3パットは2ホール。バーティ1つと左へ引っ掛けたOBが1つあって「41」。


 トータル「91」は公約違反である。やってないから3パットするとかアプローチが決まらないとか言い訳には事欠かないが、ここは一言、「ゴメン。次回90叩いたら、飯田 章のホームページ11111番目のゲストに、3000円の百貨店共通商品券(貰い物ですが)を差し上げます」。次のラウンドの予定は、5月31日(金)の予定…、結果をまた見てください。




● 中京レディース・オープン観戦記「シン・ソーラ 涙の逆転優勝」
 (5.26)



 中日クラウンズ(名古屋 和合GC)、日本プロ選手権(奈良 KOMA.CC)と出かけて、少し観戦疲れが溜まっているけれど、招待券を貰ったので、「中京テレビブリヂストンレディースオープン」(中京ゴルフ倶楽部・石野コース)のファイナルラウンドを観に行った。
 ゴルフ場の駐車場まで乗り入れOK、クラブハウス立ち入りOKの招待券だったので、朝8時ごろに着いて、まずレストランでコーヒーを飲んだ。前後左右のテーブルに、お馴染みの女子プロの顔が揃い、パンとコーヒーの軽食を摂ったり、朝定食をしっかり掻き込んだり、思い思いの戦闘準備を整えている。聞くともなく聞こえてくる彼女たちの話は、ふつうの女の子やおばさんの会話と同じだ。「そのピアス、素敵ね」とファッションの話から、「ねぇ○○さん、見なかった?」「まだよ。あの人、いっつも遅いから…。人を待たせるの平気よね」と女の陰口を聞かせてくれたりして、何となく微笑ましい。
 試合は、首位と4打差の1オーバー5位タイからスタートしたシンソーラが、18番でエッジから7mをパターで放り込むバーディ。この日5アンダー67をマーク、通算4アンダーの逆転で実に6年ぶりとなる嬉しいツアー2勝目を飾った。
 腰痛やカート事故で故障したひざを抱えて、今年は予選落ちを繰り返し、選手活動を断念することも考えてきたという最中(さなか)での優勝であった。インタビューで流した涙には、苦しかった日々の思いが詰まっていたのだろう。
 シン・ソーラとは、一昨年の雪印レディース(桑名 涼仙CC)の際、一緒にカメラに写った一枚のショットがある。もちろん私は彼女のファンであって、頼んで撮ったツーショットの写真である。いま、それを眺めてみると、シン・ソーラは立派なオムニになったと思った。オムニは、韓国語で世話好きの頼れるおばさんの意味である。年が寄ったからということでなく、一回り大きくなって信頼感のある存在になったからである。
 2位に入った久保樹乃は、一昨年の雪印レディースで見たときは、まだまだプロとしてのスウィングでないように思ったが、ずいぶんしっかりしてきた。一流の安定感にはまだ遠いが、ゆっくりした今のスゥイングリズムを大切にして、大成に向けて精進してほしい。大山志保には、17・18番のボギーは良い経験になったことだろう。
 芳賀ゆきよ(15位)の活躍を、実は期待していたのだが、最終日はちょっと残念。でも復活の兆しが見えた。坂上晴美(27位)は、もっとゴルフに打ち込め。米山みどり、野呂奈津子も27位。以上、中京勢の活躍の報告でした。




● サム・スニード 逝く!   (3.24)

 ツアー通算81勝、内メジャーが7勝という大記録を持つサム・スニードの訃報がもたらされた。先のマスターズでは元気な姿を見たのだが、享年89歳。私たちがゴルフをかじり始めたのは、パーマー、二クラウス、ゲーリー・プレーヤーの時代で、彼ほど美しいスウィングの持ち主はいないといわれたサム・スニードの勇姿は、実のところ記憶にないが、ビッグネームの逝去は一つの時代の終焉を告げるようで淋しい。ご冥福を祈る。
 



● 青木 功、米シニアツアーで4年ぶりV
    (5.20)



 日本ゴルフ界に慶事が続く。米ゴルフシニアツアー、インスティネット・クラシックの最終日、前日3位の青木 功が7アンダーの65をマークし、通算15アンダーで逆転優勝した。青木のシニアツアー優勝は1998年のベルサウス・シニアクラシック以来4年ぶり9度目、59歳での快挙である。
 シニアツアーは、年齢との戦いであるという。プロの場合、50歳でツアーへの参加資格ができるが、日本シニアブロ選手権に金井清一や高橋勝成がシニアに転向していきなり連勝したように、この50歳の新人が圧倒的に強い。昨日までレギュラーツアーで戦っていた現役なのである。そしてあとは年齢との戦いになる。だから青木 功が、59歳という年齢で勝ったことは素晴らしい快挙だ。しかも米国シニアツアーでのVであり、この意味でも価値は高い。先週の丸山茂樹の優勝も、青木 功が米国ツアーへの道を切り開いたことを抜きにしては語れない。


 アメリカに渡ってからの青木の生き方は素晴らしいと思う。日本国内で破竹の進撃を続けていたころの彼の言動は、先週の中日クラウンズ観戦記に記した尾崎将司と同じく、人を喰ったような口調や、バンカーショットに失敗して砂を叩いたらボールがそのバンカーへ戻ってしまって2ペナの罰打がつくところ、「クラブを落とした」と主張してペナルティなし…など(ペナルティを課さない競技委員会もあきれるが)、ちょっと納得しがたい部分が多かったという印象であった。
 ただ、青木にしても尾崎にしても、あの時代の日本のゴルフ界そのものが未成熟な面を多々持っていたことを考えると、仕方のないことであったのかもしれない。選手の言動を教育する以前に、協会の体質や役員の教育を必要とする時代であったことなど、ゴルフを取り巻く環境が整備されていなかったということなのだろう。
 今もゴルフ界には、経営するゴルフクラブを倒産させて預託金を返せず、たくさんの会員に迷惑をかけているのに、連盟の役員に居座っているものがいたり、アマチュアの選手の中にも、ゴルフが強けりゃ少々のことは許されるといったところがある。もちろん、ルールのことでPGAに問い合わせたところ、ルール委員を担当いただいているということで、お忙しい仕事の合間をぬって転送された電話を会社でとって丁寧にお答えいただいた方や、トーナメント会場で協力いただいているボランティアの皆さんなど、尊敬すべき方々も多い。願わくばそれらの努力が、ゴルフ界の自浄能力となるように、また若いゴルファー諸君の健全な成長につながるように、配慮を続けてほしいものである。
 人として敬愛され、そしてゴルフプレーヤーとしても強い選手が輩出してこそ、日本のゴルフは盛隆期を迎えることになるのだろう。


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☆ 5月19日までのものは、第1・2ページに記しています。
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