■ 楓橋夜泊の
寒山寺
中国江南水郷紀行
④
2009.09.21-24
【物見遊山176-1】
第3日目、午前7時起床。
朝食を終えて部屋に戻ると7時45分、そろそろ通勤ラッシュが始まる時間です。
窓の外の交差点は、人、自転車、オートバイ、車が、私が信号よ…といったカンジで行き交い、見飽きないバトルです。
この写真、どちら行きが青で、どちらが赤か、
わかりますか? →
この大きな較差点を、悠々と斜めに横断してくる人がいたりして、その達人振りにも感心させられました。
8時に出発。今日の第1番目の訪問先は、「蘇州刺繍のお店」です。
蘇州刺繍の糸は実に髪の毛の十分の一の細さ、その色は100色以上におよび、豊かなグラデーションを表現することができるといいます。
絵画や写真かと見まがうほどの、豊かな色彩と立体感のある生き生きとした蘇州刺繍の仕上がりは「蘇繍」と称され、湖南の湘繍、広州の粤繍、四川の蜀繍とともに中国四大刺繍のひとつとされています。
← 大作、「鶴の群舞」です。
ここ「蘇州刺繍研究所」は、世界遺産に登録されている環秀山荘内にあって、初代所長は刺繍大師の称号を持つ顧文霞さん。研究所の工芸師はアートレベルの刺繍ができ、質の高い蘇州刺繍を制作しているそうです。蘇州刺繍の工芸師は10万人とも言われますが、アートレベルの蘇州刺繍ができる工芸師は多くはいません。
蘇州刺繍研究所にはピンからキリまで各種の作品が揃ってますから、仕上がりと価格の概ねの基準がわかります…と、後日に調べた案内書にありました。
こちらは茶色の
トラ猫です。
裏に回ると、灰色のトラ猫に
変わりました。
驚きの刺繍を見てください →
1枚の布に描いた刺繍なのですが、表と裏で色が違うのです。
猫好きの章くん、もう少しで買いそうになりました。
「梱包して、お宅まで送ります。中味を確認してからお金を払ってください。」と勧められます。
もうひとつ、この猫よりも一回り大きい梅の花の刺繍がとても美しく、「値段は?」と聞くと、「定価は80
万円のところ、50万…40万…、26万…」まできて、これも買いそうになったけれど、他との比較もしてみなくっちゃ…とすんでのところで思い留まりました。
帰ってから、インターネットの通販サイトを調べたら、金魚…9800円、猫…48000円、少し大きい花が69000円でした。
製作レベルが違うのでしょうが、審美眼の無いものには不可解な世界のようです。
まぁ、気に入ればいいのでしょうけれど…。
展示されていた作品の中で、一番大きなものです。→
値段のことを言って申し訳ないのですが、芸術家レベルの人が2~3年かかる作品で、500万円ほどするそうです。章くん、写真を撮るだけ…というのが悲しいですね。
旅行社の安いツアーはみやげ物店への立ち寄りが行程に入っていて、参加の皆さんには不評でしたが、章くんは、自作の旅行ではこれらのところには寄らないでしょうから、いい機会なのではないかと思いました。
今回のツアーで立ち寄った「シルクの布団」、「黄金の淡水真珠」、「精緻な陶芸作品」、そしてこの「蘇州刺繍」と、それぞれ十分に楽しかったですから…。
次の訪問先は除夜の鐘で有名な「寒山寺」です。
この寺は、南北朝時代、梁(南朝)の、武帝の時代(510年ごろ)に「妙利普院塔院」として創建されたとされています。寒山寺という現在の寺名は、唐代の貞観年間(627年 - 649年)に風狂の人「寒山」がこの地で草庵を結んだという伝承によるとか。
襄陽出身の張継が、有名な「楓橋夜泊」を詠んだのは8世紀中頃のことです。
伽藍の創建は8世紀から9世紀にかけてのことで、全盛期の寒山寺の面積は広大で、巷間で「馬に乗って山門を見る」と言われるほどでした。当時、北方から訪れた旅行者の多くは、まず寒山寺を参詣してから蘇州の市街に入ったといいます。
寒山寺の入り口のすぐ前を流れる大運河 →
北京市通州区から浙江省杭州市までの約1,800キロメートルを流れる大運河…。春秋戦国時代に呉王「夫差」が建設に着手し、隋の「煬帝」(569-618)が本格的な工事を進めて610年に完成しました。
古今を通じて、政治の中心地華北と経済の先進地江南、さらに軍事の拠点涿郡(幽州、いまの北京)とを結ぶ中国物流の大動脈です。蘇州からは、南東へ杭州、西は楊州を経て洛陽へと通じています。
日本では聖徳太子が遣隋使を派遣した頃に、1800キロにも及ぶ大運河を開くとは、中国という国の底力を見る思いがしました。章くん、機会があれば是非この目で見てみたいと思っていたので、感激です。
大運河の岸辺へ駆け寄ったときは、積年の念願がかなう一瞬でしたが、章くんの熱い思いを知ってか知らずにか、運河の水は今日も滔々と流れていました。
山門を入るとすぐに、赤い本堂(大雄宝殿)が
ありました。 →
← 境内の灯篭や水瓶などに、赤い布が付けられていました。
この赤い布は、どんな意味があるのだろうと思って調べてみると、昔、中国では赤は魔よけの色とされていたとありました。
神社の柱や欄干が赤く塗られているのも、病気や地震などの悪いことが起こらないようにといった魔よけの意味が込められているそうです。
昔の赤ちゃんは、男の子でも赤い産着を着ていました。雛人形を飾るときも、魔よけの意味をこめて、赤い毛氈を敷いているというわけですね。
ご本尊の釈迦如来像です。→
寒山寺は、南北朝時代の510年ごろに創建されたとされています。「寒山寺」という現在の寺名は、唐代に風狂の人「寒山」がこの地で草庵を結んだという伝承にちなみます。
詩人「張継」が、有名な「楓橋夜泊」を詠んだのは8世紀中頃のこと、伽藍が整えられたのは8世紀から9世紀にかけてのことです。以後、伽藍の盛況をみた寒山寺でしたが、明から清の時代にかけて、度々戦火や失火によって消失を繰り返しました。
現在の寒山寺は、清末の1906年(光緒32年)に再建されたもので、それ
ぞれの建物はいずれも比較的新しいものです。
← ご本尊の後ろ側に、見事な透かし彫りがありまし
た。
如意輪観音の半跏思惟像でしょうか。
屋根の上にも、いろいろなものが
います。 →
瓦の形が面白いですね。
寒山寺を一躍有名にした、中唐の詩人で政治家でもあった張継の七言絶句「楓橋夜泊」の歌碑がありました。
月落烏啼霜満天、
江楓漁火対愁眠、
姑蘇城外寒山寺、
夜半鐘聲到客船、
月落ち烏(からす)啼きて 霜天に満つ
江楓(こうふう)漁火 愁眠に対す
姑蘇(こそ)城外の寒山寺
夜半の鐘声 客船(かくせん)に到る
【訳】
月は西に落ちて、闇のなかにカラスの鳴く声が聞こえ、霜を降らす厳しい寒気があたりいっぱいに満ちている。
運河沿いに繁る楓の葉が揺れ、その向こうに点々と灯る川漁のいさり火を見ながら、旅の愁いのなかに私は浅い眠りにつく。
折から、姑蘇の町はずれの寒山寺から、
夜半を知らせる鐘の音が、私の乗る船にまで聞こえてきた。
鐘楼。 この2階に、有名な寒山寺の鐘が吊り
下げられていて、有料で誰でも撞くことができます。 →
日本の鐘ほど厚みがないのでしょうか、音は軽めのような気がしました。
一音聞けばひとつの煩悩が消え去るといわれる寒山寺の鐘ですから、大晦日には大変な賑わいで、その一番目を誰が撞くかは大問題なのだそうです。
近年はセリが行われているというのも、中国らしいなぁと思いました。
もともと中国には除夜の鐘を撞くという習慣はなかったそうなのですが、1979年に藤尾 昭さん(大阪池田市の日中友協会副会長)という方が、舘山寺へ除夜の鐘を聞きに行くツアーを企画し、中国側のバックアップもあって、以後、定着したものだそうです。
大晦日、鐘楼下の境内は賽銭でうずまりますが、それを拾う人はひとりもいないと、ガイドの唐さんが言っていました。ン…、今
年は、「舘山寺の賽銭を拾うツアー」を企画しようか…(笑)。
← 「普明宝塔」。2階まで登ることができます。
境内東端、最奥に所在…。1995年12月に建てられた高さ52メートルの木造の五重の塔で、唐の楼閣式仏塔を模したものです。
2階の回廊から…。→
イラカの波の向こうに
見えるのは、やっぱり
マンションです。
←
塔内の仏様に参拝する女の子
中国の信者さんは熱心ですね。まさに五体投地です。
塔の基壇の四隅に、4匹の獅
子の像が配されていました。→
それぞれの獅子は鞠(まり)とかいろいろなものを前に置いていますが、章くんはこの小獅子をあやす像が気に入りました。
怖ろしい形相をしていますが、どこかに子どもをいつくしむ慈愛が感じられます。
← お昼を、蘇州市内のホテルに入って取りました。
有料道路の料金所で待機する
パトカーです。 →
車体に「公安」と書いて
あります。
宝石店へ寄りました。
玄関横に、ヒスイ(と説明の人が言っていました)の大船が置いてありました。「幾らぐらいすると思いますか?」と言うので、「2億円」と言ったら、「当り!」。
でも、何もくれませんでした(笑)。
← この龍…、叩くとチーンと高い音で響きます。
説明係のニイちゃんが章くんの袖を引いて、ヒスイの香合を買えとしきりに勧めます。思い切って、特別に1万円にするので、是非どうだと言います。
緑濃い光沢のあるもので、高さは10cmほど。値打ちなものだなとは思ったのですが、旅先の衝動買いでは、これまで何度も痛い目に遭って来ているので、ここもググッと踏ん張りました。…、買ってくれば良かったかなぁ。
その3 太湖遊覧
その5 世界遺産「豫園」
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