【182】倉越高原・開田高原「サイアムガーデン」   (181からの続きです)

 


 県道256号を黒沢分岐まで戻り、再び県道20号に乗って北へのぼりました。


 羽入で473号に入って、また御嶽山の山腹を行く九十九折の道を走ります。   →


 この道、素晴らしい紅葉が、次々と現れます。


← 右の山も、左の山も、錦の衣をまとっています。
 さっき走ってきた道が、すぐ下に見えています。

 
 
 
 






  

 
← 御嶽は信仰の山。登っていく道の両側に、
 たくさんの霊場・修験場がありました。


何かしら、厳かな雰囲気が漂っています。







 この見事なカラマツの林はどうでしょう。↓ 
 
 
 でも、もうかなりの葉が落ちて
 いますね。         ↓

 
 















 神王原の分岐点です。 ↓ 

 左が今登ってきた道、真ん中はさらに上へ(霊峰
ライン、スキー場のあたりで右に降りる御岳ブルー
ラインで開田高原へいたる)、右は倉越高原へ至る
道(倉越パノラマライン)です。
 章くんは、右の道を選び、倉越から20号へ降り
て、さらに開田を目指します。

 
 
 

      
さらに色づいた山道がつづきます。 →



 倉越高原を下っている途中、大きな眺望が広がる箇所がありました。
 眼下の視界いっぱいに、開田高原や寒原高原など御嶽山の裾野が続き、秋が広がっています↓。

 ↑ パチパチと撮った写真をつないでみました。左の山は御嶽三岳のうちの継子岳でしょうか。中央は乗鞍岳。(その右に穂高連峰がのぞいていました。)この写真からははみ出してしまっていますが、右のほうに木曾駒ケ岳が見えます。乗鞍岳の少し左の手前が開田高原です。
 写真だと奥行き感がいまひとつ伝わりませんが、御嶽山の山すそがはるかにつづき、その一面が一斉に秋の衣をまとっていて、見渡す限りの雄大な秋が広がっていました。


← さらに下っていくと、また御嶽山の全容が見えて
 きました。道は、ヘアピンカーブが続きますが、
 道幅はおおむね対
 向可能で、それほ
 ど走りにくい道で
 はありません。


山肌は秋一色! →



 『木曽御岳山には魅力的な道路が4つある。御岳スカイライン、御岳ブルーライン、倉越パノラマライン、霊峰ラインである』と書いているサイトがありました。
 今日のドライブでは、御岳スカイライン(黒沢~田の原)、霊峰ライン(黒沢~神王原分岐の途中まで)、倉越パノラマライン(神王原分岐~県道20号まで)という3つのルートを走り、なるほどと納得しました。決してスピードを楽しむ道ではありませんが、素晴らしい眺望が随所に開け、特に今の紅葉の時季は、次々と目を見張る美しい風景が展開されます。




 開田高原に着きました。


       
開田高原からの御嶽山 →
 



← 当然、秋真っ盛り…。




 新しい農業形態のテストパイロットを模索しているという開田高原ですから、いろいろな施設があるのでしょうが、たどり着いたのが午後4時…。


  日帰り入浴できる施設、
   町営の「やまゆり荘」へ行ってみました。→



 今日は時間がなくて、お風呂に入る気はなかったのですが、開田高原の案内図かなんかあるんじゃないかと思って立ち寄ったのです。
 目指す案内図、ゲット!


 入手した「開田高原地図」をもとに、ぐるりと走ってみました。
 でももう、店じまいを始めているところもあって、ちょっと遅かったですかね。


 時間もそろそろ4時30分…。開田高原の中の道から、国道361号へ下ることにしました。


← 361号線から見た、御嶽山です。


    木曽福島へ
     南進中 →



 午後4時25分、山間の地ですから、夕暮れが早いです。


 高原内にある、町営「木曽馬の里」(木曽馬牧場)は、北海道の道産子や宮崎県の御崎馬とともに日本在来種の一つ「木曽駒」を飼育する牧場で、乗馬体験などが出来ます。
 木曽駒は、かつては木曽郡全体で7千頭余りが飼われていましたが、農業の機械化などにより、昭和48年頃には全国でもわずかに40頭余りに激減しました。その後、保存会なども保護活動を行った結果、現在では全国で約150頭余りに回復。この内50頭ほどが「木曽馬の里」で飼育されています。
 木曽馬は粗食に耐え、性格がおとなしくよく働くことが特徴で、昭和58年に長野県天然記念物に指定されました。木曽馬最後の純血種といわれている「第3春山号」は 開田郷土館に剥製として保存、展示されています。


 でも、今日はもう時間が遅いので、お馬さんに乗ることも出来ず、帰途につくことにしました。


 
午後4時39分、御嶽山 最後の一枚です。→


 暮れていく秋空に、霊峰御嶽はその雄姿を屹立させていました。なだらかに裾野をどこまでも広げ、お山に拠るもの全てを包み込んで、今日を終えようとしているようでした。


 361号線を木曽福島へ向い、19号と合流した後、一旦、塩尻方面へ走り、途中で再び361号へ右折…、権兵衛峠を越えて伊那ICから中央道へ乗るつもりです。 


← 権兵衛トンネル。午後5時17分、章くん通過!


 木曾と伊那を結ぶ361号は、冬場になると権兵衛峠は凍結通行止め。雪の無い時季でも通行不能は珍しくなく、通行できるときも動物が横切り、神経をすり減らす細い曲線路が続く、ワイルドな道でした。
 2006年にトンネルが開通してからは、それまで2時間ほどもかかっていた木曾と伊那の往来は、30分に短縮されました。


 5時31分、伊那ICから中央道に乗り、渋滞を避けながら走って、7時45分に名古屋の納屋橋に着きました。



         
夕食をとろうと、納屋橋のタイ料理店
          「サイアムガーデン」に寄りました。→


 この店は、最近、名古屋の夜御飯突撃隊の知人に教えてもらいました。タイフリークの章くんとしては、見過ごすことの出来ない店です。


 料理担当もウエイトレスの女の子もタイ人です。対応も、料理の質も上品で、なかなかにしっかりしています。
    
 土曜日の夜というのに予約もしてなかったものですから、電話を入れたら「1時間ほどあとに…」とのことで、席についたのは午後9時になろうかとしている頃でした。
 9時オーダーストップ、10時30分クローズですから、ギリギリセーフでしたね。トムヤムクン(海老のスパイシーサワースープ)、パット・パクブン・ファイデーン(空芯菜のオイスターソース炒め)、プー・パッポン・カリー(カニのカレー風味卵ソース炒め)、ムー・カオ・パッ(豚肉入りタイ風炒飯)に、ジャスミンティを頼んで、時間いっぱい、お腹もいっぱい…。
 

 ということで、今日の報告は「プー・パッポン・カリー」で締めくくりとさせていただきます。




【181】 馬籠宿寝覚ノ床・御嶽山           2009.10.24


 今朝も3時45分に飛び起きました。天気予報は『晴ときどき曇り、この先だんだん下り坂』と聞いて、今日しかないか…と車に飛び乗りました。


 伊勢道~東名阪~伊勢湾岸~東海環状と走り、土岐JCTで中央道へ…。久しぶりの中央道…、土岐から入ってほどなくは、カーブの多い道だなと思いました。


← 中央道「恵那SA」、5時51分、夜が明けてきました。
 
  中津川ICで19号線に
 降りて、北へ走ります。→


 午前6時35分、
「馬籠宿」へ寄りました。


← 馬籠は坂の町…。急な坂道は、表土の流失を防ぐためでもある、石畳で舗装され、その両側に宿屋や土産物店が並んでいます。


 
馬籠宿は中山道43番目の宿場(中山道六十九次)で、木曽11宿の一番南に位置しています。


   まだ7時前。常夜灯に明りが点っていました。→


 この常夜灯の横に水車小屋があります。その前の旧道は直角に曲がり、少し下がったところでまた直角に曲がっています。このような構造は枡形と呼ばれ、侵入した敵の勢いを防ぐためのものとされていました。
 明治28年と大正4年の火災により、古い町並みは石畳と枡形以外はすべて消失しましたが、その後復元されて現在の姿となっています。


 1882年(明治25年)中山道に変わって木曽川沿いに国道が開設され、さらに1912年(明治45年)国鉄中央線が全線開通したことにより、馬籠、妻籠は全く人通りが絶えます。両村は陸の孤島化し、村の経済は急速に寂れていきました。
 長い間の貧困生活のなかで、外部からの刺激もないまま江戸時代そのままの生活を続けてきた両村が、観光地として脚光を浴びだしたのは、日本が高度経済成長期に入った頃でした。
 馬籠は島崎藤村の生地として、藤村記念館を訪れる人が飛躍的に増加するようになりました。記念館の入館者数の推移は、1955年(昭和30年)8658人が、1981年(昭和56年)には42万4432人になりました。(馬籠観光協会 パンフレットより)


 馬籠は昔は水の便が悪く、ひとたび火事を出すと大火になり、用水に苦労した宿場だと記録にありますが、現在は側溝に豊富に水が流れ、今日も流水の瀬音が聞こえていました。


   お店屋さんはもちろんですが、商売をしていない家も、
  古い町並みを守り、草花を置いています。       →



 『木曽路はすべて山の中にある』…とは、島崎藤村の代表作「夜明け前」の冒頭の一文ですが、訪れてみると、木曾の山深さが実感されます。
 古い町並みが続く石畳の坂道を歩きながら、四方を高い山に囲まれて、閉塞的な日々を暮らす木曾の生活は、藤村の感受性に自然への愛着と深い内面を見る目を植え付け、育んでいったのではなかったのかと、ふとそんなことを思いました。
 彼の生家跡に建てられている「藤村記念館」は、まだ早朝なので開いていませんでした。


 7時20分、馬籠宿を後にして、19号線を北上しました。


8時20分、「寝覚ノ床」に到着。
 国道横のレストラン駐車場から見下ろした風景です↓







 
 
 名勝「寝覚ノ床」の横を
 JR中央本線の特急が走っていきました→

 








 寝覚ノ床は、木曽川の水流によって花崗岩が侵食されてできた自然地形です。
 かつてこのあたりは急流でしたが、上流に設けられた木曽ダム(1968年に運用開始)などにより水位が下がったために、水底で侵食され続けていた花崗岩が水面上にあらわれたものです。ということは、40年以上前には、この奇岩は陸上からは見えていなかったのですね。


          下の川原まで降りてみました。


 「寝覚ノ床」の命名の由来は、浦島太郎の伝説に関係します。『
浦島太郎は竜宮城から地上へ帰ってきましたが、まわりの風景は変わっており、知人もおらず、旅に出ることにしました。旅の途中、木曽川沿いの風景の美しい里にたどり着き、竜宮の美しさを思い出し、乙姫にもらった玉手箱をあけました。玉手箱からは白煙が出て、白髪の翁になってしまいます。浦島太郎には、今までの出来事がまるで「夢」であったかのように思われ、目が覚めたかのように思われました。このことから、この里を「寝覚め」、岩が床のようであったことから「床」、すなわち「寝覚の床」と呼ぶようになったのです』とありました。(パンフより)


← 下流方向をパチリ…。
この下流の先に「裏寝覚」なる名勝があるとの矢印に従い、山道を歩いて行ってみました。15分ほど行ったところで、通行止め…。歩経路も崩れて危なそうでしたから、引き返してきました。水の瀬音が聞こえていましたから、巨石の間を水が急な流れとなって下っていくのでしょう。
 でも、通行止めならば、「裏寝覚」の矢印は外しておいてほしいですね(笑)。



 上のレストランへ戻って、朝食にしました。紅葉シーズン…、レストランの歓迎と書かれた「まねき」には、30組ほどの団体名が書かれていました。でも、午前9時のこの時点で、『○○さん、渋滞で昼食キャンセルです』との連絡が入っていました。


        ↓ レストランの窓から  →








 9時40分、寝覚ノ床レストランをあとにして再三度19号へ…、御嶽山を目指します。   →


 程なく「元橋」の信号で左折して県道20号に入り、10時ちょうど、道の駅「三岳」に寄りました。


 15分ほどで出発…、黒沢から県道258号に折れて、御岳湖の北岸を登ります。


 この橋(→)を渡って、帰りは対岸を走って下ろうと思っていたのですが(南岸を走るほうが、対岸の山に日が当たるので、紅葉がキレイですから)、でも曲がり角を見過ごしてしまい、帰りも同じ道を戻りました。 


← 湖畔の木々は、もうすっかり色づいていました。


 三合目からは、道は「御岳ドライブウエイ」に入ります。このあたりに来ると落葉松(カラマツ)も黄金色に染まり、足元の熊笹の緑との対比がキレイでした。↓


 


 










← 九十九折の道の途中から…。


 遠く、中央アルプスが広がっています。




 
 
 11時40分、7合目「田の原」(2180m)に着きました。車はここまでです。
 一帯に広がる自然林の中には遊歩道(デッキロード)が敷かれています。途中にある展望台からは、中央アルプスや乗鞍岳の山並み、開田高原を望むことができます。




← 遊歩道途中の展望台から。


 左3分の1にある、ちょこんと高い山が乗鞍岳
右の山々が中央アルプス木曽駒です。



 ところどころ破れている敷き板に、足を突っ込まないように注意しながら歩いていたら、いつの間にか駐車場から600mの地点にある御嶽神社奥社礼拝所に着きました。
 この田の原へは、今までに何度か訪れたことがありますが、礼拝所まで来たのは初めて…。御嶽神社の三神に参拝してきました。


 ここ田の原(2160m)から、山上の奥社は見えています。頂上の剣が峰(3067m)までは約3500mの距離で、所要時間は3時間とのことです。章くんならば、6時間…ですかね(苦笑)。


 午後0時40分、田の原を後にして、開田高原へと向いました。


← 御岳スキー場のゲレンデから、
 中央アルプスを望みます。






 
 
    
下り道の途中で、御嶽を振り返りました。 →
 

 ここは撮影ポイントなのか、たくさんのカメラマンが、三脚を立ててカメラを構えていました。
 




← 1500mよりも上は、すでに120%…、
 このあたりは、100%の紅葉でした。




 
牧尾ダム →






      ほぼ満水状態…、今年の名古屋の飲み水は
     大丈夫なようですね。

 
 
← ダムのすぐ下の谷です。
 目の覚めるような紅葉でした。  →





 

 

← 道端の鮮やかな朱色…、ウルシの木です。

 
 時刻は2時…。御嶽山の南麓の道、「御嶽スカイライン」を走って開田高原に向います。…、明るいうちに着けるのでしょうか?






【179】  白山スーパー林道 2009       2009.10.11

 【写真にカーソルを当てたとき、手の形に変わったら、大きい写真にリンクしています】
  
 午前3時過ぎに、我が家を出発! 今日も、先週の3日にたどった道を走ります。


      伊勢自動車道から東名阪、伊勢湾岸道を走り、
       名港大橋を午前4時07分に通過しました。 →


 
岐阜美濃JCTで東海北陸道に乗りました。


← ひるがの高原SA、午前5時54分


 今日は大日ヶ岳がくっきりと見えて、天気予報の通り晴れそうです。







 
午前6時29分、白川郷ICに到着…、1000円!→


 曇ってる。


← ICから出たところの交差点を右折、国道158号を少し戻って、旧白川街道沿いの「合掌造り集落」へ入りました。



 「萩町合掌造り集落」を少しブラブラしたあと、「合掌造り民家園」へ行ってみました。


 6時50分、「民事園」は、早朝なのでまだどこの展示館も開いていません。飲食店も開いていないので、コーヒーを飲むことも出来ない。
 駐車場だけがオープンしていて、道端に停めた車に「そこへ停めないでください」と叫んでいます。
 章くん、ちょっとあたりを歩いてみようと思い、駐車場のおじさんから見えないように、とある建物の反対側へ車を停めてブラブラしてきました。
 だって、どこも開いてないのに駐車料金だけ払え…はないでしょう(笑)。


 ここ「合掌造り民家園」は、観光のために新しく
 造った合掌造りが並んでいて、生活感がありません→



 午前7時10分、見物を切り上げて白山スーパー林道のゲート前に行くと、すでに15台ほどの車が並んでいました。ゲートが開くのが午前8時とのことでしたから、しばらく車の中で休憩です。
 

 たくさんの車が詰めかけていたからか、午前7時45分にゲートを開けてくれました。


← 上り口のところは、ご覧のようにまだ青葉です


 ゲートから先しばらくは、かなりきつい勾配の登り坂が続きます。


右は山、左は脱輪すると転げ落ちそうな急峻の山肌で、高所恐怖症の章くん、ちょっとビビリながらの運転でした。   →





← 登り道の途中の駐車場帯に車を停めてパチリ…。谷あいから雲が湧き上がってきて、大きな景色です。


 遠くの山の名前は定かでないのですが、方向からすると富山県との堺の山々でしょうか。




           
標高1200m、白川郷展望台駐車場 →


 かなり紅葉していますが、まだ本格的とまではいかないようなので、一瞥して先を急ぎました。


 登るに連れて、山肌の木々の色合いが変わっていきます。


← もうすぐ、白山スーパー林道の最高地点。
  このあたりの紅葉は本格的…、見事です!



 
「三方岩駐車場」
 (1400m)へ
  着きました。→



 車を停めて、あたりを散策してみることにします。




← 駐車場から、三方岳(1736m)への登山道が有りました。登山の用意をしてきている人もたくさん居て、山へ入っていきました。


 章くんも、展望が望めるのではないかと、途中まで行ってみることにしました。


   ナナカマドもすっかり色づいて
   いて、赤い実をたくさんつけて
   います。         →



← 「三方岩駐車場」が下に
 見えています。



 まわりの山々は、すっかり色づいて、きれいな紅葉風景でした。
 左下に見えるのは、「三方岩隧道」、このトンネルの途中に岐阜県と石川県の県境があります。章くんはこのあと、このトンネルを抜けて、石川県側のスーパー林道を走ります。


← 登山道の途中、前が開けた地点がありました。赤く色づいたナナカマドの上に、山々が折り重なって続いています。富山県側の山ですね。


 章くん、ここで引き返すことにしました。登ってくる人たちは登山の装備をしているのに、章くんはいつものサンダルで来てしまったのです。岩と濡れ落ち葉と急勾配の登山道…、滑らないように歩かねばならず、ちょっと疲れました。


 車に乗り込み、三方岩隧道をくぐって石川県側へ抜けました。


     抜けて直ぐの駐車場から、
      冠雪した白山連峰が見えました。→
 








← トンネルから少し下がった「とがの木台駐車場」


 白山を遠望できるビューポイントです。






 後ろを振り返ると、山肌一帯が見事に色づいていました→


   そこで、靴に履き替えて、ちょっと登ってみることに
  しました。




 色づいた木々の間から、紅葉の山々…、その向こうには冠雪した白山連峰…が広がり、ホント、きれいな景色でした。

 
 









 
 
     また100mほど下って、
           国見山展望台からの風景です。→



    急峻な山のはるか下のほう…、谷あいに
   川の流れが光って見えます。山深いのですね。



← 「ふくべの大滝」です。


 以前来たときには落水は一筋ぐらいだったので、今日の水量は多いと思いましたが、最盛期には水しぶきが道路にまで飛ぶほどだとか。
 ただ、ここは駐車場が狭くって、混んでくると駐車待ちの車が道路にまで溢れて、渋滞を引き起こします。


 ここから下へのしばらくの間、道路の対岸の山肌には幾筋もの沢が刻まれていて、水量の多い時季には無数の滝が流れ出る光景を目にすることができます。


        「親谷園地駐車場」が見えてきました。→


 この駐車場から歩くと、親谷の湯(温泉)と姥ヶ滝に行くことができます。



← が…、温泉と滝へ行くには、この急な階段を下に見えている川べりまで下りて、そこからさらに川沿いの道を500mほど歩かねばなりません。


  川沿いの道は、岩を削って
 つけられています。   →

 
 




← 姥ヶ滝


 幾筋にも分かれて流れる水が、老婆の白髪のようだというので、この名がつけられたそうです。
 でも、白く細かい流れで岩肌を下る水の様は、老婆の髪というよりも、蚕糸のようにつややかに光っていました。
 
 
 

  滝の足元には、
 川底から湧き上が
 る湯を引いた露天
 風呂があります→



 章くん、タオルを持参しなくて、この日は入れずに帰ってきました。残念…!


 後日、貰ったメール…『姥ヶ滝、懐かしい。あの露天風呂は、人がいなければ最高ですが・・・、何処からも丸見えなので・・・ 』とありました。確かに見ているほうも恥ずかしそうでした。入浴希望の方はバスタオルを2枚持参していって、1枚を腰に巻いて浸るって配慮が必要かも…。


 さらにもう少し下って、「蛇谷大橋」まで行ってUターンしました。

最盛期の紅葉(パンフレットより)
  このあたりの紅葉は、
 やっと3分というとこ
 ろです。      →



 途中で引き返せば、通行料は片道分でOKです!
 


← 帰り道も、運転しながらパチリパチリと撮ってきました。




  もう2週間もすれば、
 一帯は紅葉まっ盛りでし
 ょうね。


 
  県境の三方岩トンネルを抜けて、岐阜県側に入ってきました。これから下りです。↓

 
 
 
  樹間から「鳩谷ダム」の
 ダム湖が見えます。  →



 白川は、もうすぐですね。


 


← 白川の町なかで、158号から360号に曲がると、道端に合掌集落が並んでいました。
 この家々は、今も実際に生活していて、ちょうど刈入れが終わった後の稲束が、馬木にかけて干してありました。


 時刻は11時50分。紅葉の秘境「天生(あもう)峠」へ向います。





【180】  紅葉の秘境「天生峠(あもうとうげ)    2009.10.11

 白川郷から国道360号に入り、天生峠(あもうとうげ)の紅葉を見に行ってきました。

 天生峠は、岐阜県飛騨市と大野郡白川村の境界上に位置する標高1,290mの峠です。神通川流域の飛騨市から庄川流域の白川村へ抜ける国道360号の途中、白川村と飛騨市の境界にあり、白川郷からの標高差は約800mにもなります。

 峠に至る道は狭く、急坂・急カーブが連続する山岳路がつづきます。大型車(長さ8m以上)は通行不能…。普通車についても、積雪期である冬期は通行止め(例年、11月半ば~5月末は閉鎖)になるほか、元もと地盤が弱いために無雪期も度々崖崩れによって通行止めになることが多い道路です。

 峠一帯にはブナをはじめとする落葉広葉樹の原生林が広がり、知る人ぞ知る…紅葉の名所です。


 【写真にカーソルを当てたとき、手の形に変わったら、大きい写真にリンクしています】

 
 国道158号を富山のほうから南進すると、白川郷集落に入る手前に、ほとんどヘアピンカーブのような左折があり、360号に入ります。

 入って程なく、道沿いに合掌造りの家々が見えてきます。このあたりの合掌造りには、日常、人が暮らしています。


360号に入ってしばらく走ると、右に矢印が出ていて「展望台」と書いてあります。よくパンフレットなどに載っている、合掌集落を一望する写真が撮れるところです。


    これがその展望台から見た風景      →
    (パンフレットより。雪の頃の夜景ですね)





←合掌集落を抜けると、道の両側に木立が続く、山道へ入っていきます。時刻は11時50分…。


 このあたりの道幅はまだ、ときどき対向するのにスピードを緩めなくてはならない程度の狭いところがありますが、運転に支障のある狭さではありません。
 でも、はじめから、中央の白線はなかったですね。


      8m以上の大型車は、
       「通行不能」と表示がありました。→





← このあたり、ちょっと狭くなりました。


 でも、舗装の状態も良く、ガードレールもしっかりしていますから、走りやすかったです。
 狭いところは、対向車が来ないか見通して、来ていれば広いところで待つことが必要です。


 一部、ヘアピンカーブが続くところがありますが、安房峠の旧道で鍛えた章くんの山岳ドライブテクニックは、全く問題にもしません(笑…?)。


← 道端に、滝が落ちていました。


 この360号は、平成6年に大改修工事が行われたそうです。
 それ以前にこの道路を走った人は、対向もできない狭い道で、舗装もところどころ途切れて悪く、何よりもガードレールも無いところも多くて怖ろしかったと言います。
 大改修以来、とても走りやすい道になっています。標高差をつめていく峠道ですから、ヘアピンカーブなどは仕方ないですが…。


    上り坂の途中…、遥かに白山連峰が遠望されます。→


 傍らに立っている案内板によると、左から御前峰(2702m、白山の最高峰)、剣が峰(2677m)、大汝山(2684m)、真ん中あたりに妙法山(1775m)、右3分の1あたりに野谷荘司山(1793m)、右端に三方岩山(1736m)です。


 「案内板」は、かなり以前から立てられていたようで、大改修工事前にこの道を走った人の話の中にも出てきました。ここからの眺望は、その頃から素晴らしかったようです。


← 登ってくると、木々もかなり色づいてきました。


 道路状況はかなり良いと思うのですが、それでも白川から飛騨古川へ向かうのに、タクシーに360号を走ってくれと言ったら、Noと言われたと何かの記事で読んだ覚えがあります。
 地元のタクシーも敬遠する道路ということなのですね。



 12時30分、天生峠(1260m)の広場に着きました。


   地元の人(だと思うのですが)が、テントを張って、
   おでんやおにぎりなどの軽食と、山菜、きのこなどを
   売っていました。
               →


 なめこのビン詰めが200円でしたから、とても安いんじゃないでしょうか。


    ちょうどお昼…。章くん、おにぎり350円、
   けんちん汁300円、おでん350円、
   しめて1000円でお昼をあげました。   →



 気温は9℃…。暖かい食事がありがたく、みんな美味しかったです。


 お腹も膨れたところで、テントのお兄ちゃんに、「天生峠の紅葉の見所は、この一帯…?」と尋ねて、「山に入って30分ほど歩くと、天生湿原があります。そのあたりが見所です」と教えてもらいました。

 湿原へ入る道の入り口に、管理テントがあって,500円の入山料が必要でした。
 このあと歩いた山道は、きちんと管理されていて歩きやすく、その管理料としての500円は安いと思いました。




 天生峠から籾糠山への登山ルートです。全行程6.2km、登り3時間、帰り2時間もみておけば十分のようです。           →


 章くんは、図の中の赤点のところを歩いてきました。天生峠駐車場を出発したのが12時40分、天生湿原へ着いたのが1時10分。湿原を回って、1時40分にカラ谷原生林へ入り、2時にミズバショウ群生地に着きました。
 帰りは2時10分に出発、もと来た道を、紅葉・巨木をじっくりと観賞しながら、3時10分に駐車場へ戻りました。


← 探訪路は、写真の通りよく整備されいて、先週歩いた西穂高岳の
 ような自然のままの登山道と違って、とても歩きやすい道でした。



 山道の途中で、1箇所、視界が開け、白山連峰が見えました。  →

 
 


← 結構な山道なんですよ。


 でも、章くんが往って帰ってこられる道ですから、ほとんどの人には適度なトレッキングルートといったところでしょうか。






   天生湿原に着きました。
    標高1400m、
    視界いっぱいの紅葉です。 →

  






← 天生湿原の中洲に「匠屋敷」と名づけられた、小さな祠がありました。

 伝承によると、ここで生まれた「トリ」と呼ばれた生まれつき手先の器用な少年が、後に、かの有名な「止利仏師」となったといいます。「止利仏師」…、確か、法隆寺の釈迦三尊像を手がけたのでしたよね

  
   あたりの紅葉は、
    120%といったところでしょうか。→




← 湿原の草花も紅葉し、まわりの景色と相まって、秋一色です。






   湿原の歩経路も、板が渡して
  あったり、丸太の輪切りが並べ
  てあったり、よく整えられてい
  ました。         →

 

 ↓ このあたりが、湿原の最奥部(登山道の入り口)です。


← ベンチが置かれていて、湿原を歩いた人、これから登山道へ向かう人、戻ってきた人たちが、思い思いに休憩していました。


 ここから奥へ入れば、巨木が立ち並ぶというブナの原生林です。




 ここまで来て、この秋真っ盛りを探訪しないということは考えられないでしょう。


       章くん、急な階段を下って、天生ブナ原生林へと
      足を踏み入れました。             →

http://4travel.jp/traveler/akkiy363672/pict/17296113/src.html


← しばらく行くと、黄色く色づいた山道の傍らに、カツラの巨木が点在していました。何という太さ…。


   どれぐらい太い
  のか、横に立って
  みるとよくわかり
  ますね。   →



 巨木に抱きついてみると苔むした幹と葉がよい香りがする…、この時期だけ、特に甘い香りを放つ…と聞いたのですが、鼻が悪いのか、デリカシー不足なのか、章くん、トンと甘い香りは嗅げませんでした。
 




← さらに進むと、今度はブナの大木が並んでいます。


 どれぐらいの大きさなのか、やっぱり横に並んでみましょう。 →



 
 


← 巨木が次々と現れるこの森は、自然のパワーを実感できるところです。


 大きな木のパワーって、ホント、見るものを元気にする、不思議な感動があります。



 カラ谷分岐の案内板にしたがって、ミズバショウ群生地に向い、右折しました。

 ミズバショウの季節は終わっているのに、なぜ群生地へ向かったかというと、この自然公園のパンフレットに「ブナの巨木」と書かれていたから、その1本を見たいと思ったのです。




あたりの木々は、鮮やかな黄色に色づいていました。足元の落ち葉が、カサカサと音をたてます。




← 木漏れ日に輝く、この黄金色の
 見事なこと…。





   ブナの巨木の原生林です。→

 


← なかでも、いちばん太いヤツ!


 気づいたら、あたりに人影は見えず、話し声もしません。ゆっくりと自然に浸ることが出来た時間でした。


 でも、このあたりも熊の出没地域です(苦笑)。ガブッとやられたら、行方不明で処理されるでしょうね。


 では、引き返すことにします。
  


     原生林をかき分け… →


← さっき下った階段を上って…。

 
 

   天生湿原に戻って
  きました。    →
 
 


← 帰り道…。
 今度は、湿原の西側の歩経路をたどって、帰途につきます。



 紅葉をただ見るだけでなく、その山懐に分け入り、足で歩き、肌で感じた探索でした。
 自然に、少しでも近づくためには、やはりその中に分け入っていくことが大切なのだなと思いました。


   無事、駐車場に戻ってきて、生還のお祝いに
  テントで串焼きにしていたヤマメをガブリ…!  →



 午後3時15分、車に乗り込み、飛騨古川に向かって出発しました。




 天生峠までの登りは白川村を走ってきたのですが、峠から下りは飛騨市内です。路肩の土止め、ガードレールなど、よく整備されていました。
 対向車が来ても、問題なくすれ違うことが出来る広さです。数箇所のヘアピンカーブは、どうしようもないのでしょうね。
 360号から471号~41号と走ります。


     午後4時10分、飛騨古川に着きました。 →


  飛騨の匠の技を伝える古い町並みがつづき、市内を豊かな水が流れる古川…。相変わらず落ち着いた雰囲気の町です。
 古川でちょっと休憩をして、午後7時前、高山ICから東海北陸道に乗りました。




 あとは滞ることなく走って、午後11時半過ぎに家に着きました。









【178】
新穂高ロープウェイ ~ 西穂山荘       2009.10.03


 一昨年、新穂高ロープウェイで山上駅(西穂高口駅)から見た「西穂山荘」があまりにも近かったので、「あそこまで行ってみよう」と思ってから2年…。昨年は天候にも恵まれず、西穂高口駅まで行きながら引き返したりしたのですが、今日、「午後から晴れ!」の天気予報を信じて走ってみまし
た。 
 
【写真にカーソルを当てたとき、手の形に変わったら、
 大きい写真にリンクしています】



 中部山岳の紅葉も気になるこのごろですが、この5~6日、ずっと雨続き…。今日土曜日は高速料金が1000円…、天気予報も『午後から晴れ』…、我が家を午前3時45分に出発しました。


 出発を祝って、十四夜の月が雲間から顔を出しました。
 明日は、中秋の名月です。            →


 有料道路は、伊勢自動車道(津IC-関IC)~東名阪(四日市IC)~伊勢湾岸道(豊田JCT)~東海環状(岐阜美濃JCT)~中部北陸自動車道(飛騨清見JCT)~中部縦貫道(高山IC)と走ります。
 伊勢湾岸道~東海環状と通るのはちょっと遠回りになりますが、これはもちろん全線合計1000円を達成するためです(笑)。


← 東海環状「深山トンネル」


 このトンネルを抜けると、岐阜県です。
 

    岐阜「美並」のあたりで、夜があけてきました。→


 空の雲と地上の霧がつながっていますから、雲行きはまだ怪しいですね。


 「ひるが野高原SA」で休憩して、コーヒーを飲みました。今日は「大日岳」も、ミルク色のベールに包まれています。


← 7時15分、高山ICに着きました。
 
 3時間半もあれば新穂高ロープウェイに着くかなと思っていたのですが、ここまでもう3時間半かかっています。
 
 

 
 高山からは、国道158号で平湯峠を潜り抜け、安房トンネルの前を直進して471号に乗って栃尾の交差点にやってきました。


     浦田川の橋の上で信号待ちをしているところです。→


 ここを右折して、県道475号を登れば、ほどなく「鍋平駐車場」です。


 午前8時58分、鍋平駐車場に到着。走行距離は339Km。→


 早くに出てきたおかげか、雨模様の天候のせいか、駐車場の車はまばらでした。
 出発から5時間少々、予定よりも2時間ほども多くかかっています。でも、この時点で雨はほとんど上がりました。
 駐車場で仮眠…のつもりだったのですが、予定していた始発のロープウェイにも乗り遅れていて、長袖シャツに着替え、靴を履き替えて、あわただしく出発しました。気温は9℃…。


← ロープウェイ乗り場



 ハイシーズンの土曜日ですが、雨続きだったからでしょうか、お客さんの姿はまばら…。

 9時15分発の章くんたちが乗ったゴンドラの乗客は15~6人でした


 ロープウェイは、鍋平駐車場の横の「しらかば平駅」(標高1308m)から、山上の「西穂高口駅」(2156m)まで、全長2598m・標高差848mを7分で登ります。


 動き出して1分もすると、ゴンドラは雲の中に入って、あたり一面は真っ白…。
 でも、また1分ほどすると、今度は低い雲の上に出て、視界が広がりました。
 目の下に雲海が広がって、章くんたち、山の素人には日常お目にかかることのない絶景です。


      
ゴンドラの中から、雲上世界をパチリ… →
  
朝日を受けた「焼岳」が見えます。 山肌もっすっかり秋色…。


ゴンドラの下…。足元の木々も、色づいていました。 →

 
 










       








 ↓ 西穂高口駅に着きました。早速、
展望デッキに上りました。


 傘ヶ岳・立山の方向も雲が切れて、山頂が見えています。
 この展望台に、10人ほどのカメラをぶら下げたスタッフがいて、「無料で、お手持ちのカメラのシャッターを押しますよ」と声をかけてくれます。
 依頼すると、自分の首にかけているカメラでも1枚撮り、章くんのカメラでも2回シャッターを押してくれました。


      
焼岳も、すっきりとその姿を現しました。→

 
 10分ほどの展望を終えて下りようとすると、出口に先ほど兄ちゃんのカメラで撮ってくれた写真が焼かれて、紙のケースに入れられ展示されています。
 1枚1000円…、「沢口靖子と一緒に写っている写真なら買うけどなぁ」と笑って、買わずに下りてきました。お兄ちゃん、ゴメンね!


     駅周辺の「千石園地」から見た、西穂高岳 →


 山頂まで、くっきりと見えています。


 西穂高口駅舎内で「登山届」も提出して(2km先の「西穂山荘」まで行ってくるだけなんだけど…)、いよいよ登山道に入ります。


 案内書によると「西穂山荘」までは、約1時間30分ということです。ということは、章くんは3時間ですかね(笑)。


← いざ、出発!




 
山道は、秋たけなわ…。→


 熊笹や針葉樹林など常緑樹の間に、色づいた木々が彩りを添えます。このあたりはまだ、周囲の景色に目をやる余裕がありますね。


← 登り始めのあたりは、ぬかるみには木の歩道が敷かれ、石組みがなされて、歩きやすいです。


 山道の左右はすぐに急勾配の谷が落ち込んでいます。
 谷からは、霧が湧き出してきていて、視界は全く利きません。         →


← 途中、何箇所かの高い木の上のほうに、「西穂高口駅⇔西穂山荘」と書いた案内板が、高さを違えて2つ掲げられていました。
 冬、雪が積もったときの案内板ですね。
  

 
 歩き始めてから20分、登りが段々ときつくなってきました。→



 やがて、登山道は整えられた道ではなくなりました。
 よじ登り、超えていくしかない、登り道が続きます。だんだんと足が上がらなくなります。

 平らな、腰を下ろせる石を見つけると、全て休憩…

  
 このころになると、次の次のロープウェイで上ってきた組にも抜かれました(苦笑)。


 岩場の間を清水が流れていました。手を切るような冷たさです。→


 この岩場をピョンピョンと飛ぶように上っていく男の子たちや、平地を歩くがごとくに行くおばさんなど、世の中には信じられない人たちがいるものです。


 もうくたくたになって…帰ろうかと思ったとき、目の前に山小屋が見えました。


 11時55分 到着! ここまで、2時間10分かかっています。(案内書には1時間半と書いてありました。)
 3時間はかかるかと思っていましたが、案外早く着きましたね(笑)。


    登山者でにぎわう 
      「西穂山荘」→



 章くんを抜いていった皆さん、昨夜から宿泊している方々…、たくさんの人たちで山荘はにぎわっていました。

  

← 美味しいという評判の「カレーライス」を食べました。
 評判どおり、美味しかったです



 水道から出る水が、1リットル100円です。雨水を溜めて、熱湯消毒して作るのだと、山小屋につめているお兄ちゃんが言っていました。


 章くんが山荘前で休憩していると、上高地からの登山道を70歳代かと思しいご夫婦が上ってみえました。→


 「お疲れ様です。何時間ほどかかりましたか」と聞くと、「ゆっくりと6時間ほどかけてあがってきました」とご主人が答えてくれました。奥様は息が切れて、話すことも出来ないようなご様子でした。
 普通は4時間ほど…と言いますから、奥様を気遣ってゆっくりと登ってみえたのでしょう。
 でも、章くんならば、8時間ほどかかるでしょうね(笑)。


 カレーを食べて、元気回復…。この西穂山荘が、今回の目的だったのですが、現在時刻は12時20分…。
 いつもの章くんならば、「遅れりゃ、山荘で泊まればいい」というところですが、明日、家に用事があって、どうしても今日中に帰らなくてはなりません。
 下りの最終ロープウェイは、山上駅を午後4時45分発であることを確認し、この山荘を2時に下ればOKと判断して、行けるところまで上を目指すことにしました。

 
 

 と…、山荘から西穂高方面へ歩き出したら、いきなり大きな岩場にかかりました。↓

 前を行く、30人ほどのおばさまご一行が大渋滞…。 →

 章くんは、ゴルフでも道路でも、前がつかえているのは全然気になりません。周囲の風景を眺めたり、写真を撮ったりして待っています。

 
おばさまたちは、先に上がった人が手を引っ張り、後ろの人がお尻を押し上げたりしながら、この岩を越えていきました。




 大岩を越えたところから山荘を振り返ると、ガスが昇ってきていて、白い靄(もや)がかかっていました。    
      →


← さらに、岩を登り、倒木を越えて、急勾配の山道が続きます。


↓ 這松帯のなかに、ナナカマドが鮮やかな紅色を記しています。


 この頃から風が強くなり、下から霧が吹き上げられて、章くんたちが歩いている稜線を越えていきます。


 這松帯の薮漕ぎ道…、大きな岩をよじ登るところ…、礫岩が続くガレ場…と、まだまだ難所が続きます。  →


 章くん、ヘロヘロ…。おばちゃまたちにも置いていかれてしまいました。





← 前方の山が、霧の中にかすんでしまいました。


 天気予報は、午後から晴れるということだったのですが、山の天気はわかりませんね。


大休止をとっていたおばちゃまたちにやっと追いついたのですが、このあたりからガスと風はさらに強くなり、前方が見えなくなりました。


 少し前にすれ違った下山中のパーティは、「上は雲も切れていて、良い眺めでした」と言っていましたが、西穂高岳まではあと1時間…、当面の目標である「独標」まででも30分ほどはかかります。
 時刻は午後1時10分、山荘から40分ほど登ってきています。ここから戻って、山荘1時50分…。それからの下山が2時間とすると、ロープウェイの山上駅へ午後4時前ということになります。



  下りのロープウェイの時間も気になる章くん、ここで
 引き返すことにしました。             →


 
 おばちゃまたちも引き返すようです。ただ、彼女たちは今夜は山荘泊まりで、明日は天気も良さそうだから、また朝から再チャレンジだと言っていました。
 泊まるわけにはいかない章くん、残念ながら、今年の穂高挑戦はここまでです。


 ガスと風はますます強くなってきて、帽子が飛ばされそうでした。



← ようやく「西穂山荘」が見えてきました。お昼よりもガスが濃くなって、かすんでいますね。


 ちょっと休憩して、午後1時55分、ロープウェイ山上駅(西穂高口駅)へ向かって出発しました。



 こんなところを登ってきたのか…と感心しながら、岩場や倒木の続く道を降りていきました。


 下りが続くと、膝が突っ張りきれなくなって、ともするとガクッとのめりそうになります。それをこらえて、また一歩…。次第に膝が笑い出します。

 それでも、下りは上りに比べて、スピードは速い。出来るだけ小刻みな休憩を取り、膝の負担を軽くしながら降りてきました。
 往きはガスに覆われて真っ白だった谷も、霧が上がって、山肌一面の紅葉を見せてくれていました。


それでも、下りは上りに比べて、スピードは速いです。出来るだけ小刻みな休憩を取り、膝の負担を軽くしながら降りてきました。


  もう10分も歩けば「西穂高口駅」
 です。周囲の景色を眺めるにも、余
 裕が出てきました。      →

  
 「千石園地」の水芭蕉池…です ↓。


 生きて帰ってきましたね(笑)。


 4時15分発、下りロープウェイに乗って降りてきました。
2階建てのロープウェイは1・2階とも満員…。運行も30分に1本の定期運行でなく、お客さんが溜まったら出発する臨時便を続発していました。


           
いわし雲の広がる空を往くゴンドラ →
 
← 昨夜もほとんど寝ていない章くんはクタクタ…。駐車場の車で、ちょっと休憩しました。


 日ごろ、何も鍛えていないことの酬いでしょうね。さすがにシンドかったです(苦笑)。


 奥飛騨温泉郷をちょっとぶらっとしたりして、午後5時30分過ぎ、帰途につきました。


← 西の空に、鮮やかな夕焼けが広がっていました。
 
 
  うしろ…、穂高
 の山の上に十五夜の
 大きな月が顔を出し
 ました。
  今夜は、中秋の名
 月です。



← 平湯峠への登り道から、うしろを振り返って、北アルプス連峰の上のお月様を撮りました。


 
左下の明りは、安房トンネルの料金所です。
 

 

  帰り道、東海北
 陸道「ひるが野高
 原SA」で休憩し
 ました。   →



 上り線(一宮方面)に隣接して、外部施設である複合商業施設「クックラひるがの」がオープンしていて、連結通路を通り、徒歩で行くことができます。
 章くん、その食堂街の一軒に入って、「海鮮丼」&「けいちゃん(=鶏)焼き」を食べました。


 帰りは、東海北陸道~東名~東名阪~伊勢道と走って、全行程669Km、午後10時50分に帰宅しました。


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