慶祝  皇室に親王殿下ご誕生          2006.09.06


 午前8時27分、秋篠宮紀子妃殿下が、男児をご出産された。皇室にとって実に41年ぶりの男児の誕生であり、天皇皇后両陛下、秋篠宮両殿下をはじめ皇室の皆様方お喜びはいかばかりかと拝察するものだが、同時に国民にとっても多くの意味を持つ慶事であり、こころからのお慶びを申し上げたい。
 親王のご誕生によって、皇室は… いや日本は、向こう何十年の間の、皇統継承者を得たわけであり、国民はひとしく安堵の胸をなでおろしている。
 男系男子と定める皇室典範の規定が、現代にそぐわしいかどうかの議論はあろうが、ここまで東宮、秋篠宮家に男子の生誕がなかった現実を踏まえて、女子相続やむなしとせざるを得なかった議論や世論も、ひと時の安息場を得たというところであろう。ここは時の氏神に感謝を捧げつつ、皇統を守る方策を探ってほしいと望むものである。
 それにしても、日本という国と国民にとって、皇室がいかに深く根付いているかを改めて認識させられた慶事であった。様々な不祥事や陰湿な事件の多い昨今であるが、親王ご誕生の一報は全てを吹き飛ばして、人々に笑顔をもたらした。今日のご生誕に寄せられた日本国民の慶びをみても、皇室は国民の象徴…すなわち心の拠りどころなのである。
 新宮の将来には、皇室典範の整備にかかわる諸問題を始めとして、秋篠宮家からの皇位継承者であるから、様々なご苦労がついてまわるのではないかと杞憂している。その意味をも含めて、皇室の安泰と繁栄が図られるよう国民的な英知の結集を期待するものであるが、その議論は改めてということにして、今はただ、新親王殿下の健やかなご成長とご一家の弥栄(いやさか)をこころからお祈り申し上げたいと思う。




【114】 小泉首相 本日(8月15日、終戦記念日)靖国神社参拝    2006.08.15
       ― 世界が認める靖国参拝にするために ―


 小泉首相は、今日午前7時41分、靖国神社を参拝した。小雨の降るなか公用車で靖国神社に到着、モーニング姿で「内閣総理大臣 小泉純一郎」と記帳し、本殿に上がって祭壇の前で「一礼」して参拝した。昨年10月の参拝では、大阪高裁が傍論で違憲の判断を示したことからスーツ姿での社頭参拝にとどめていたが、今年6月、首相の靖国参拝をめぐる訴訟で、最高裁が「首相の参拝に法的利益侵害はない」として上告を棄却したことを受け、昇殿参拝したものであろう。現職首相の終戦記念日の参拝は、昭和60年の中曽根康弘元首相以来21年ぶりである。
 首相の終戦記念日の参拝に21年もの歳月を要したということに、日本の国の揺らぎが深刻に感じられる。なぜ、日本の首相が、それほどの長きに渡って靖国神社に参拝できなかったのだろうか。ひとえに、中韓からの反発や抗議がその理由であり、それを当然とする国内の批判勢力が反対を唱えるからである。
 まず、靖国参拝に反対する国内の人々の主張とは、妥当なものなのだろうか。
 靖国神社へは昭和34年から戦争裁判受刑者が次々と合祀され、中韓が反対の理由とするA級戦犯といわれる人たちの御霊は53年に14名が合祀されたが、54年の大平首相、55・56年の鈴木首相の参拝に対しては、何の批判も抗議もない。国内の反対勢力も、この時点ではひと言の異議も唱えてはいない。彼らが反対を叫び出したのは、昭和60年8月15日の中曽根元首相の公式参拝を、中国が批判してからである。
 今日、自民党加藤紘一議員はテレビの前で「A級戦犯の祀られている靖国への参拝は、対アジア外交を崩壊させ…」と媚中派らしい反対論を繰り返していた。彼が靖国反対を唱え出したのは、ここ4年ほどのことであって、A級戦犯合祀後の大平・鈴木首相の参拝に対して、ひと言の反対も行なってはいない。
 すなわち、彼らの反対は、「A級戦犯が祀られている靖国に参拝することがいけない」というのでなく、「中韓が反発抗議するから、参拝に反対する」ということである。「中韓が反対するのを押し切って参拝すれば、対アジア外交を崩壊させる…」というのだ。


 それでは、「中韓が反発し抗議するから、参拝はやめるべき」なのか。
 日本の国や国民を守るために戦い、命を失った人たちを顕彰し御霊を慰めるのは、残された者たちの務めである。それぞれの家族や縁者が個別に慰霊しているのに合わせて、国家としてこれを祀るのもまた当然のことであり、国は知らないというのでは戦没した人たちの霊は浮かばれないであろう。
 靖国参拝は日本の戦没者を慰霊する行いであって、中国や韓国が靖国参拝を批判するのは、全くお門違いなことなのである。
 中韓は、「先の大戦を指導して中韓を侵略し、日本国民にも多大な苦難を強いたA級戦犯が祀られているからダメだ」と主張する。A級戦犯とは、今や周知のように極東国際軍事裁判(東京裁判)において、第2次世界大戦当時にはなかった「平和に対する罪」によって裁かれ、有罪になった人々である。この裁判の正当性は国際的に疑義が持たれていることも今や周知の通りだが、絞首刑7名・終身禁錮刑16名・有期禁錮刑2名の判決を下して結審。絞首刑によって死亡した人たちが靖国神社へ合祀され、禁錮刑の人たちはサンフランシスコ講和条約の第11条「(東京裁判判事国の)一またはニ以上の政府の決定及び日本国の勧告に基づけば、赦免・減刑・仮出獄させてもよい」によって、直ちに日本政府は各国政府に働きかけ、全ての戦犯とされた人たちを釈放した。東条英機らの絞首刑になった人たちも、もしそこまで生き延びていれば釈放され、A級戦犯であった岸信介(のちに首相)・賀屋興宣(同法相)・重光葵(同外相)らのように、多くが戦後の日本で活躍したことだろう。
 すなわち、A級戦犯とはその成立が疑問視される東京裁判において、事後法によって裁かれた人々であり、有罪とする判決には正当性がない。さらに、A・B・C級戦犯は連合国の軍事裁判所判決においては有罪であるが、日本の国内法には何ら抵触しておらず罪はない、それどころか、昭和28年、主権を回復した日本は衆議院本会議において、「戦争犯罪の受刑者の赦免に関する決議」を全会一致で可決し、極東軍事裁判における全ての戦犯の無罪を確認し、その名誉を回復している。【参照


 そもそも中国・韓国の抗議は妥当なものなのか。
 中韓の抗議は「A級戦犯は侵略戦争を指導し、わが国人民を苦しめた」というものであるが、戦時下においては平時には考えられない行為が行われる例は、枚挙にいとまがない。極めて遺憾なことが多かったのも事実であるが、戦時下のことは講和条約によって全てを清算するというのが国際的な共通理解であって、国家レベルで今さらこの問題を繰り返して取り上げるというのは、近代民主的法治国家としてははなはだしく正統性を欠いたことであり、国家観が疑われる行為である。
 もし「侵略である」と、今、問題にするのであれば、世界の国家間の戦闘は侵略の歴史であって、アレキサンダー大王の東征やローマ帝国の拡大の頃から、インカ帝国を滅ぼしたスペインの行為、ネイティブアメリカンを殲滅していったアメリカ建国も、アイルランドを植民地化したイングランドの侵攻も…、中国がチベットやベトナムへ攻め入ったのも…、世界の戦いのほとんど全ては侵略であり、これら全てを問題にしなければならない。
 しかも、日本が韓国を併合し、中国へ進出した頃の世界は、帝国主義全盛の時代である。アジアの諸国はほとんどが西欧列強の植民地となり、韓国は中国(清)の属国、その中国はアヘン戦争でイギリスに領土を割譲し、仏独などの進駐を許していたし、日露戦争で日本がその勢力を追い払うまで満州はロシアの半植民地であった。
 当時、世界は資源や領土を求めて他国へ侵攻することを、非とはしていないのである。プラトンがその著書「国家」の中に記したように「正しい事とは強い者の利益にほかならない」を国是とした時代であり、まさに「力は正義なり」の時代であったのだ。
 今、中韓は「あの戦いは侵略であって、わが国人民は大いなる苦しみを受けた」と抗議を繰り返すが、国家間においては正当性を欠く抗議である。アイルランドがイギリスに侵略を受けたと抗議し、「クロムウェルの墓に参るな」と主張しているだろうか。インドがイギリスに、ベトナムがフランスに、インドネシアがオランダに、かつての植民地統治を侵略であったと抗議しているだろうか。近代国家の正当性を無視して、もし抗議したとしても、統治した各国は「植民地政策は未開の国に文明をもたらした。その利益に対して対価を支払え」と、一蹴されるどころか、むしろ感謝と対価を払えと要求を突きつけられることだろう。国家間の付き合いとは、そのようなものなのである。
 「アイルランドとイギリス…。もう100年以上も前のことだ」と言うかもしれない。時間が経過すればよいのか…、違うであろう。解決策は時間の経過ではなく、ケンカは手打ちで水に流すものであり、国家間の争いは講和条約でそれ以前のことは全て問わないとするのである。サンフランシスコ講和条約、日中・日韓の平和条約が締結されている現在、なお過去の問題を持ち出して日本の内政に干渉する中韓の態度は、近代国家として著しく正当性に欠けるものである。


 では、今後、日本は「靖国問題」と、どのように取り組んでいくべきか。
 世界に向けて「靖国問題」を発信して、日本の総理大臣が祖国を守る英霊の御霊に参拝することの意味を説き、日本の歴史認識を説明していくことが必要である。
 中韓には、どんな説明をしても受け入れられることはあるまい。中韓にとっての「靖国問題」は、歴史の事実を問うことでなく、政治カードだからである。彼らの政治体制と時代環境が変わらない限り、中韓がこの問題に理解を示すことはない。だからひとつには、世界とともに中韓の政治体制を変革していく働きかけをすることであろう。またひとつには、アメリカとの連携やアジア諸国との強い連帯によって、日本の国際的地位の向上や発言力の強化を図っていくことだ。
 そのために国内的には、歴史の検証を行い、国民の理解と認識を深めることが必要だろう。戦争というものの定義と性格、国際情勢、日本の立場と状況、戦闘の事実、そして戦後処理と問題点…を掘り下げ、日本の国の真実をもとに日本の歴史を構築することが必要である。
 国際的には、まず確かな日本の主張をしっかりと発信することだ。発言が曖昧であったり、主張が揺れる国は信用されない。確たるスタンスを示しながら、彼我の同異点を明らかにして解決に邁進することだ。具体的には、日米友好を機軸に据えてG8諸国との関係を進め、特に
アジア諸国との外交に留意するべきである。
 中韓は雪解けを待つしかないが、東南アジア諸国の支持なしに日本の将来はない。アジア各国の独立を勝ち取り、脅威の経済力を身につけ、戦後60年間に一発の銃弾も撃たなかった日本に対する、彼らの期待は多大である。日本は政治的な付き合いと経済的な交わりを持って、友好を深め、経済的な援助を行なって、相互の信頼を確かなものにしていかねばならない。
 世界が認める靖国参拝となれば、中韓の異議も霞んでしまう。


 日本の国の首相が靖国神社を参拝することに異議を唱えることは、政治的にも、歴史的にも、明らかな間違いである。反対を主張する政治家や評論家、ジャーナリストたちは、将来の歴史の審判を受けることだろう…と書けば、やや厳しきに過ぎるだろうか。
 大切なことは過去のしがらみや恨みを引きずることではなく、将来をどのように建設的に築いていくかということである。そのために日本は「靖国問題」に取り組み、第2次世界大戦の総括を含めて、日本の国としてのスタンスを築き、子々孫々に伝えていくべき歴史を明示することだろう。




【113】 消費税10%は、国民を欺く大増税             2006.08.02
  ― 日本は本当に財政危機なのか、本当に増税は必要なのか ― 


 ポスト小泉の動きがあわただしくなり、その政策論争がかまびすしい。それらの議論の中に「消費税を10%に」という主張が、実施時期をいつにするかぐらいの違いはあっても、おしなべて掲げられている。
 谷垣財務相の「来年にも2%、後は段階的に…」という具体的な主張は、現在、欺瞞だらけの財政政策を推進する財務省のトップとして、責任を取ろうという自爆的発言と理解するとその趣旨がよく解る。次期政権を担うであろう安倍晋三内閣官房長官すら、消費税の引き上げはやむなしとしている。
 民主党も引き上げに異議はないし、マスメディアや経済評論家までが、反対するどころか、連日のように「日本は財政危機だ」「増税しかない」と報じている。そのため多くの国民はすっかりマインドコントロールにかけられ、「財政赤字をなくすためには、増税は当然」と思っているようである。


 世界中のどこを探しても、日本が経済危機を迎えているという議論は全くない。日本の大借金…経済危機…は、増税のための日本政府のデマであり、国民は騙されているのである。
 信用できない政府の経済数値であるが、2005年6月末で日本には795兆円の債務(租負債と呼ぶ)がある。この数字は本物だ。国民負担率といわれる、債務を名目GDPで割った数字は、この租債務795兆円を分子にして計算すると150%を越えていて、これだけを見ると先進主要国の中では突出して高く、財政は危機的な状況である。政府やマスコミが取り上げる数字はこれだ。
 しかし、同じく2005年6月末、わが国は推計480兆円の金融資産を保有している。以前、世界の格付け会社が日本国債を一斉に格下げしたとき、いみじくも財務省が反論したように、「日本は世界最大の貯蓄超過国であり、国債はほとんど国内で、極めて低い金利で安定的に消化されている。また、世界最大の経常収支黒字国であり、世界最大の外貨準備国」であるのだ。
 つまり、795兆円―480兆円=315兆円が、日本の負債(租負債に対して、純負債と呼ぶ)であり、財務省の反論のように、世界の財政状況を見るには、この純負債を使うのが常識である。純負債で国民負担率をみてみると65〜75%程度と、他の先進主要国並みで問題はない。ただ、1995年当時の負担率が、16.9%と超優良国であったことを思うと、政治・財政のあり方を厳しく問い直す必要があるだろう。
 デフレ期に緊縮財政を採った小泉内閣の経済政策が正当だったかどうかは、別に議論することとして、今、財政危機をいたずらに叫び、増税を実施しなければならない状況は全くない。財政危機=増税(消費税10%)は、財政当局の陰謀でしかない。増税しなくても、正当な政策を実施していけば、財政の健全化は十分に可能だからである。


 財政再建に際して声を大にして言っておかなければならないことは、財政支出の無駄と不正をなくせということだ。
 ばら撒きの地方交付税、まだまだ多い無駄な公共事業、特殊法人の整理・民営化などの問題は、いずれも税金の無駄遣い、無駄な歳出の削減に直結している。総額21兆円もの税金が地方に交付され、これを頼りに地方では不必要とも思われる大庁舎、大ホール、空港建設などの公共事業が行われていることは周知の通りである。
 公務員の定員削減と給与の見直しも、喫緊の課題であろう。いずれも、民間企業並みの水準に整備することだ。長年のお役所仕事が簡単に民間レベルの効率にレベルアップするわけがないと諦めてはいけない、中期・短期・毎年度の数値目標を定めて一歩一歩確実に目標を達成していくことである。
 中央も地方も、職員のレベルを上げていくことを考えなければなるまい。専門知識の蓄積とともに官吏としての倫理観も確立させることだ。
 例えば、5年前に新聞紙面を賑わせた「外務省機密費」…、外務省には使途を特定せず領収書も要らない公金が潤沢に用意されているという疑惑だ。自民党外交関係合同会議は、「関係者に調査した結果、疑惑なし」という報告書を了承している。自民党平沢勝栄衆議院議員は、「私は三年間大使館勤務を経験しているが、在外大使館でも東京でも、外務省の機密費が無駄に使われていることは常識だ。こんなウソの報告を信用してはダメ」と言う。外務省の出先機関である在外大使館が、日本からやってきた国会議員、有名人、課長以上の役人を超豪華に接待していることは誰でも知っている。大使館員の中には、うまい酒が飲めると嬉々として接待の場を設営しているものもいることも事実だ。(平沢勝栄のホームページより)
 今も続々と不正の事実が出てくる社会保険庁、地方では4億余円もの裏金をつくり、処理に困って一部を捨てたり焼却していたという岐阜県…など、公務員の不祥事はあとを絶たない。これで、国民に消費税を10%に上げろと言うのは言語道断であろう。
 さらにもうひとつ、公務員の責任体制を明確にすることが、国民の信頼を得るためには、ぜひとも必要だ。不正・不祥事が見つかったら、ことの顛末を明らかにして、損害の補填や刑事責任の追及を含めた責任者の処分を明確に行ない、国民・住民に報告することだ。住民の意識も向上し、監視体制が形成されるだろう。


 消費税の増税など、税率アップによる財政安定策は、江戸時代に享保の改革において徳川吉宗が行なった年貢徴収方法の変更(定免法から有毛検見法へ)に見られるように、基本的に市場の活性を促すものでなく、変化していく社会に適応した方策であるとは言い難い。
 純負債ではないとはいうものの、租負債795兆円は、わが国にのしかかる重い足かせである。諸政策を成功させて日本経済に活力をもたらし、景気の上昇によって税収の増加を図っていくことこそ、日本の明日に課せられた大きな課題であろう。安倍新政権も、野党各党も、マスコミも、経済学者も…、増税などといった詐術を掲げるのでなく、日本再生によって歳入を増やす、足腰の強い国家経済を確立する方向で、方策を掲げてほしいものである。







● 誰が見ても 負けだろう 亀田興毅!     2006.08.02


 「ニューチャンピオン カメダァ」というコールを聞いてビックリした。世界ボクシング協会(WBA)ライトフライ級王座決定戦【同級2位亀田興毅×同級1位フアン・ランダエタ(ベネズエラ)】をテレビで見ていた結果に…である。
 1回にクリーンヒットのダウンを喰らい、11回にも連打を浴びて膝を揺らしダウン寸前、足はもつれてクリンチに逃れるのがやっとであった。相手のランダエは12ラウンド終了後も手を上げてファンに応える余裕…。亀田がリードしたラウンドって、あっただろうか。
 毎日ネットの記事…『フットワークが乏しいから、かわされると追い切れないし、せっかく好打している右ジャブも十分に使いこなせない。下り坂の外国人ばかりと対戦してきた「温室栽培」のマッチメークでキャリアを重ねてきたが、それでは真の実力はついていなかった。
 独特のパフォーマンスで対戦相手を過度に挑発し、マナーが悪いとの声にも、世界タイトルを手に入れれば、そうした批判をはね返せるはずだったが、疑問符のつく判定で「作られたスター」のイメージはむしろ強まってしまった。これは亀田にとってはもちろんだが、日本ボクシング界全体にとっても不幸なことだ』に尽きるだろう。
 この項を書いている横で、NHKテレビが「微妙な判定」と伝えている。日本で行なう(TBSが企画する…かな)世界戦で負ける日本人選手はいない…ということか




【112】 富田メモ『昭和天皇A級戦犯合祀にご不快感』と靖国問題   
2006.07.15


 昭和53年から63年まで宮内庁長官を務めた富田朝彦氏(故人)のメモが公開され、その中に、『昭和天皇が昭和63年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)について「あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと不快感を示された』とする内容が記されていた。A級戦犯合祀は昭和53年に行なわれているが、昭和天皇は50年以降、靖国神社を参拝されていない。
 メモの内容は、『(昭和天皇が)「私は或(あ)る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが」「だから私(は)あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などとお話しになった』としている。「松岡」「白取」は、A級戦犯として祭られている松岡洋右元外相、白鳥敏夫元駐イタリア大使を指すとみられ、そのほかにA級戦犯合祀をした当時の松平永芳宮司を嘆く内容が記されている。


 報道では、「A級戦犯を合祀してから、私は参拝していない」と昭和天皇のお言葉が伝えられているが、この表現は、今日の報道(特にこのメモをスクープした、中国寄りとされる日経新聞)の問題点を端的に示している。伝えた側は「富田メモに書かれたとおりの言葉」というのだろうが、これでは昭和天皇はA級戦犯を否定しているという報道である。
 昭和天皇の御心が、東条英機元首相以下、絞首刑になった人たち皆に対して不快感を覚えておられたのか、さらに戦後に保釈された岸信介元首相たちを含む全てのA級戦犯を嫌悪されていたのか、翻って、国連を脱退した松岡洋右や日伊軍事同盟を結んだ白鳥敏夫たち特定の個人を忌諱されたものなのか、それを推し量ることは出来ないが、国策としての太平洋戦争を遂行し、戦後の日本の復興にも尽力した、A級戦犯といわれる人々を一括りにしてのご感想とは、到底思えない。
 この報道を受けて、靖国参拝に反対する議論が高まるかも知れないが、仮に富田メモが昭和天皇のお言葉を真にそのまま伝えているとしても、A級戦犯の人たち全てを否定された表現ではないし、ましてや日本国民が靖国に参拝することを否定された表現では決してない。ましてや、御自らのご発言でなく、その真意もうかがえない今、昭和天皇のお言葉を論争の愚にすることは避けねばならないことであるし、一部の外国の靖国参拝反対の口実に利用されることにも深い警戒感を注ぐべきであろう。
 昭和天皇も今上陛下も、春秋の例大祭には勅使を派遣され、靖国神社に対する重視の姿勢を示し続けてこられた。靖国神社現宮司の南部利昭氏の就任に際しては、今上陛下から「靖国のこと、よろしく頼みます」と直接、お言葉を賜ったと伝えられている。宮中と靖国神社とのかかわりは、儀式の上でも、追悼・謝恩という心のつながりの上でも、長く重い事実がある。


 昭和天皇のご真意もうかがえず、「A級戦犯を合祀してから、私は参拝していない」などといった一片のメモの文言から、靖国参拝を問題視しようとする、現在のわが国の土壌そのものが問われるのではないだろうか。
 靖国神社を中韓の一部の人たちが問題視する事実はあろう。だからと言って、国が定めた戦争を遂行し犠牲になった人々に感謝と敬慕の念をささげることをためらう国民がいるだろうか。
 「A級戦犯」というものの欺瞞については、既に何度も説明して来た。
小泉首相の靖国神社参拝についてhttp://www.ztv.ne.jp/kyoiku/Nippon/112syowatennou.htm
 
語り継ぎたい日本の歴史 http://www.ztv.ne.jp/kyoiku/Dokusyo/120katari.htm など)
 昭和天皇が、A級戦犯といわれる人々を全て否定されていたとは、誰も思うまい。ならば、「A級戦犯が合祀されているから、私は行かない」というこの表現の危うさも理解できることだろう。天皇陛下が個人の考えを述べられることはない。だから『合祀されている人々の中に、私の意思にそぐわない人がいる。だから私は行かない』とあからさまに言われることはないが、松岡・白鳥や一部の政治家・軍人など、陛下をも欺き、虚偽の報告を上げ続け、ご意向をないがしろにし続けた人たちに参拝することは出来ないと考えられたこともあろう。公人としての昭和天皇の、精一杯の意思表示であったのではないだろうか。





【111】 北朝鮮 ミサイル7連発  
―日本再軍備に恵みのミサイル―  2006.07.15



 北朝鮮が7月5日、長距離弾道ミサイル「テポドン2号」を含む計7発のミサイルを発射した。7発は、ロシア沖の日本海に着弾した。


 技術的に検証をしてみると、この着弾地点、ロシア沿海州沖ピョートル大帝湾の付近は、北朝鮮がミサイル実験を行う上で近隣諸国との問題という点からはもっともトラブルが少ないと予想される場所で、そこに実に的確に撃たれている。もちろんロシアには事前通告をしていただろう。
 スカッド、ノドン、テポドンと射程の異なる3種類のミサイルを7発も次々に発射したことで、実験データの収集、またミサイル輸出のためのセールスポイントも途上国などの潜在的な購買層に十分アピールするだけの結果を出したといえる。7発の連射は、ミサイルの一斉射撃も可能であることを見せつけて、日米の防衛システムに対する牽制の意味も込められていた。
 政治的にも、イラク問題・イランの核・イスラエル問題など厄介な課題を抱えるアメリカに、北朝鮮問題に妥協を求めたタイミングだったといえる。事実、アメリカはクリストファー・ヒル国務次官補が急遽中国入りして、打開策を模索している。


 このように7発連射の北朝鮮の意図は、いちおう所定の目的を達したかの感もあるのだが、反面、今回の事件は日米の対北朝鮮強硬派の勢いを増長し、日米同盟を強化させる方向へと流れを加速させてもいる。
 北朝鮮が日本へミサイルを撃ち込むことの必要や利点はないし、その可能性もない。だから、北朝鮮のテポドンは夏の夜を彩る花火のようなもので、華やかながら実害はない。
 むしろ、日米は持っている全ての情報収集能力を発揮して情報を入手、スカッド、ノドン、テポドンすべてのデータの蓄積をすることができた。アメリカでは国防総省が進める、北朝鮮やイランの弾道ミサイルからNATO諸国を守るためのミサイル防衛システム配備や、ポーランドとチェコに新たに迎撃ミサイルシステムを導入するという年間100億ドルのプロジェクトにゴーサインが出ることだろう。
 日本国内でも、日米同盟強化や自衛隊強化論が強くなり、憲法改正への世論に拍車がかかると思われる。北朝鮮は戦略的判断に基づいて今回のミサイル発射に踏み切ったのだろうが、結果として日米同盟強化や自衛隊強化を求める勢力に願ってもないプレゼントを与える形となった。北朝鮮が失った最大の財産は、戦後日本の60年間に脈々と築かれてきた中韓への贖罪論を崩壊させつつあることだ。日本の軍備構築にとっては、まさに「恵みのミサイル」だったといえるだろう。
 日本は、北朝鮮のテポドンの後押しを得て、これから憲法改正・軍備の整備へと向かうことになる。いわゆる右傾化などといった軽い言葉で形容できる変革でなく、近代民主主義国家のあるべき姿としてのシビリアンコントロールを機能させた、周辺のアジアの国々にも支持・信頼され、かつ、最新の軍事防衛力を持つ国家に成長しなくてはならない。安倍新政権の第一番目の課題となった。


 蛇足ながら、この政治的変革期にあって、テポドン騒動の最中に中国を訪問して、胡錦涛国家主席に面会してもらって喜んでいる、小沢一郎民主党代表に危うさを感じる。山崎拓、加藤紘一、二階俊博など、日本の方向を危うくする媚中派と呼ばれる政治家たちのしどろもどろ振りは、中国にどんな尻尾を掴まれているのかと勘ぐってしまうが、今後、交流協議機関を開設するなどのはしゃぎぶりには、対中外交を政治のカードにする危うさを知らないはずはない小沢一郎にして中華の威光に呑まれたか…、あるいはボケたか。目の前のニンジンにかぶりつくのではなく、地に足をつけた政権構想を提示しなければ、政権交代は絵に描いた餅に帰してしまう。









【110】 ドイツ ワールドカップ 宴のあと             2006.07.12


 世界中を熱狂の嵐に巻き込んだ、「FIFAワールドカップ・サッカー ドイツ大会」が、『イタリアの優勝』と『ジダンの頭突き』で幕を閉じた。
 ドイツの準決勝戦の日、ブランディングブルグ門に集まった市民の数は100万人だったとか。何事もお上のお達しの通りがありがたく、人々が群れをなして行動することを嫌う農耕民族に比べて、いつもは獲物を求めて各地に散っている人たちが、大切なときには一堂に集まって議論し、みんなが参加して物事を決めていく狩猟民族らしく、自国の試合に人々は集まって応援をするわけだ。


 欧州や南北アメリカの人たちにとって、このワールドカップはオリンピックの比ではない。その熱狂ぶりを、ドイツ在住の友人のメールの行間から垣間見てみよう。
『 この1ヶ月、ドイツ中が第二次世界大戦のあと初めてといってよいくらい、愛国心で一つにまとまったように思います。これまではヒトラー後遺症から抜けきれないドイツであって、国歌を歌ったり、国旗を掲げる事をどこか遠慮するきらいがありましたが、期間中は国中に黒・赤・黄(こちらではゴ―ルドという)の国旗がはためいていました。アパ―トの窓、バルコニ―、車に翻る国旗、Tシャツ、アクセサリ―、カラ―ペイント、レストランでの3色メニュ―…などなど。
 そして、あちこちに設けられた巨大スクリ―ンの前では、人々を集めて各国との親善交流、出店、奇抜なファッションショ―などが連日連夜繰り広げられ、ホスト国としてのドイツの姿がそこにありました。
 今回のドイツでのW杯開催は、無骨で融通の利かない、ケチで頑固なドイツ人という印象をすっかりフレンドリ―に変えてしまっただけでなく、ドイツ人がおおっぴらに愛国心を表に出すきっかけを作ったように思います。ドイツの国歌をスタジアムだけでなく各家庭でも大きな声で歌う姿を見て、圧倒されました。あの念仏のような「君が代」のメロディーは、試合前、ちょっと気分が落ち込んでくる(?)ようにも思われますが、逆に、ドイツの国歌「ダス・ドイチュランド」は気分が高揚する…そんな感じです。


 ドイツの国歌をご紹介しましょう。
 大戦時の反省から一番は歌う事が禁止されていますから、 国歌斉唱の際には三番の歌詞が歌われます。
 1:  ドイツ すべてに上回るドイツ  全世界に冠たる国であれ
    国家の保護のために力を合わせ マースからメーメル、エッチュからベルトまで
    すべてに冠するドイツであれ
 2:  ドイツの女性、忠誠、ワイン、詩歌は その古き良き評判で全世界に維持される
   我々の優秀な行いは命の限り我らを陶酔させる ドイツ人女性、ドイツの信頼、
   ドイツワインとドイツの歌よ
 3.  団結、正義(権利)、そして自由を 我らが祖国ドイツのために
   その為に我らは心を通わせ手をつなぎ全力を尽くす
    団結、正義、自由は成功(幸福)の礎 幸運の輝きの中で栄えよ!
   栄えよ ドイツの祖国!


 皆んな、ドイツが3位になるなんて思ってもいなかった、ドイツは弱いという評判だったから。だから一層、人々はボルテージを上げたのですね。
 W杯が、もっと続いて欲しかった…。急に寂しくなりました。今度は2年後のヨ―ロッパ・カップです。開催国はどこだっけ??
 おっと、日本は関係なかったですね。どうも私はドイツ人になりかけているのかなぁ〜。
 

 
PS. ジダンはなぜ怒ったのか?
  こちらで口の動きから想像した人がいます、
  どうも彼の妹が売春婦だとかいわれたみたい??? 』


 ジダンでなくても、怒るよなぁ。家族を侮辱されて、これで頭突きを食らわさなきゃ、男じゃない!







【109】 FIFAワールドカップ ブラジル戦を控えて         2006.06.22
       ― マスコミは 日本の実力を 正しく伝えるべき ―  


 ドイツで行なわれているFIFAワールドカップも、予選リーグの日程が8分通り消化されて、決勝リーグへ進むチームが続々と決定している。世界のひのき舞台で戦う各国チームの華麗で力強いプレー振りは、サッカーファンならずとも見惚れてしまう。
 体力・体格ともに劣っている日本の選手たちに、基本的に体の強さや大きさが要求される競技に勝てというのは、気の毒な気がする。世界のスター選手たちは、物心がつく3歳4歳の頃からボールを友達にして育ってきている。こう言えば語弊があるかもしれないが、サッカーしかない環境の中で、サッカーこそ命という大人たちに囲まれて大きくなってきた。彼の国々では、ワールドカップとは国の威信と人々の夢をかけた、国を挙げての祭典であり、サッカーの試合はそれが結晶する一点なのである。日本の選手たちのサッカーとは、基礎体力と土壌が違うと、この大会を見れば見るほど思わされた。
 緒戦のオーストラリアとの試合でも、日本はクリーンヒットのシュートはほとんどなく、相手のシュートがうなりを上げてゴールをかすめていくのに、耐えに耐えていた90分であった。間違って入ってしまったような中村俊輔のゴールの1点を、虎の子として守りに入っていたが、見ているほうとしては、勝つ気がしなかった試合であった。彼我の実力の違いゆえであろう。
 冷静な戦力の分析もなく、テレビを始めとするマスコミに煽られて、国を挙げての熱狂振りは悲しいほどであった。サッカー解説者などの関係者が「予選突破」と叫ぶのだから、みんなが「勝て…勝て…」と拳を突き上げるのは無理もないことだ。
 しかし、対オーストラリア戦の戦力を比べてみても、オーストラリアはヨーロッパの一流リーグのレギュラー選手がズラリと揃っていた。イングランドのプレミアリーグで活躍するビドゥカ、ケーヒル、キューウェルや、スペインリーグでフレーしているアロイージなど。
 これに対し、日本勢は中村俊輔がプレミアより1ランク落ちるスコットランドリーグで健闘している程度で、イタリアに行った柳沢は活躍することもなく帰国したし、ドイツの高原も補欠で、むこうでは1点も挙げていない。ドイツとの練習試合で2ゴールを決めたので、ハンブルグに居る友人から「どうなってるんだ」とメールが来た。
 イングランドに行った川口はプレミアリーグより格下の1部リーグでもポジションを取れず、デンマークに移籍しても鳴かず飛ばずで帰ってきたし、中田英はセリアAで生き残れなかった。現在はイングランドのプレミアリーグのボルトンでプレーしているが、他のチームからのオファーはなかったのである。
 また、クロアチアは、1998年のパリ大会では3位に入った強豪で、長かった内戦時代にサッカーしか国民の楽しみはなかったとというお国柄だ。0―0の引き分けに終わって、日本選手たちは大健闘と言うべきだろう。
 サッカー関係者ならば誰もが知っている戦力不足に頬かむりして、予想はと聞かれ、「1―0で日本勝利」などと答えているのは、専門家としていかがなものか。ホントのことを言ったら、マスコミやサッカー界から、袋叩きに遇うから…というのが、冗談でないところが不気味だ。


 今日になってもまだ、新聞紙面やブラウン管からは「ブラジルに3―0で勝てば…」「もう勝つしかない」といった言葉が聞こえてくる。ブラジルに3―0で勝てるのならば、オーストラリアにも、クロアチアにも、負けてはいないだろう。予選突破が決まったブラジルは2軍が出てくるかも知れないが、それでも勝てはしないというのが、冷静な判断である。
 太平洋戦争で、本土決戦までを戦った日本の姿がチラついた。初めから勝てる戦いではないことは専門家ならば誰もが知っているのに、戦力の比較を隠して、「2―0で日本勝利」「予選突破」などの言葉だけが何の裏づけもなく飛び交う。オーストラリアに粉砕されても、「クロアチアに勝てば…」と言い、格上のクロアチア戦にやっと引き分けたあとは、「ブラジルに3―0以上で勝てば…」とまだ幻を引き摺るのは、サッカーだから許されることなのか。ほとんど可能性がない状態に追い込まれていても、戦力の分析を言わずに、「神風が吹けば…」「戦艦大和が出撃すれば…」と言い続けた、大戦末期の状態もこのようであったことだろう。
 かの大戦において、日本は1942年6月のミッドウェー海戦の大敗北において命運は尽きていた。空母と多くの艦載機を失ったこの敗北は、翌年になり前線が延びきった日本陸海軍をじわじわ痛めつけることになる。大本営は、ここまでの勝利に沸く国民感情に水を差さないように、この海戦における敗北の事実をひた隠しにし、マスコミは一切の報道をしなかった。以後は連戦連敗、インパール作戦、レイテ沖海戦、沖縄決戦…と敗退を続けてもなお負けを認めず、「カミカゼ特攻」「本土決戦」と言い続けて、結局、国土を焼け野原と化すのである。
 たかがサッカーのこと…、太平洋戦争までを持ち出すことはないのかも知れないが、このマスコミの姿勢や体質は不気味なものがあることを少し言っておきたいのである。先のライブドア問題の報道でも、時代の寵児と持ち上げたホリエモンを、逮捕されたとなったら「川に落ちた犬は叩け」とばかり、寄ってタカってのバッシング…、株価の高騰に一役買った自らの責任には頬っ被りして…である。
 終わってみれば、今度はジーコの作戦を問い、サッカー協会の強化策を問い、選手のミスを問うことだろう。戦力の分析を言わずに、「予選突破」と煽った自らの責任には頬っ被りをしてである。日本のマスコミは、これでいいのだろうか。正しい情報をもとに、事実を事実として伝える勇気を持つことを考える必要があると思うのだが…。






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