【128】 
憲法改正への「国民投票法」、国会で成立        2007.05.14
     − 憲法を改正することは、必要なのか −


 憲法改正の手続きを定める「国民投票法」が14日昼の参院本会議で、自民、公明両党などの賛成で可決、成立した。1947年の憲法施行から60年を経て、改憲に必要な法的環境が整ったことになる。
 成立した国民投票法は与党が提出した案で、国民投票の対象を憲法改正に限定し、賛成票が有効投票総数の過半数を占めた場合に改憲案を承認するとし、公布から3年後に施行されるが、施行まで(2010年まで)は憲法改正原案を提出したり、審査したりできないと定めている。
 投票権年齢は原則18歳以上だが、公職選挙法などの関連法が改正されるまでは20歳以上と定め、また、公務員や教育者が地位を不当に利用して投票運動をすることを禁じているが、罰則は設けていない。さらに、参院憲法調査特別委員会では法案可決に際し、施行までに最低投票率の是非・公務員や教員の地位利用禁止の範囲・公職選挙法や民法との整合性を検討することなど、18項目の付帯決議を採択している。
 憲法は96条に改正条項を設け、国会の憲法改正発議には衆参両院でそれぞれ総議員の3分の2以上の賛成が必要であることと規定しているが、与党は現在、衆院では3分の2以上の議席を確保しているけれど、参院では半数をわずかに上回る議席数だから、実際問題として改正には民主党の協力を得ることが不可欠になる。
 この法案が成立したことの意味は、憲法改正への機運と議論が具体的な段階に入ったということであろう。


 それでは、憲法を改正することは、必要なのだろうか。


 まず、現行憲法の制定過程を振り返ってみると、昭和21年、GHQの意向を受けて松本烝治国務相(当時)を座長として「松本委員会憲法改正案」が2月にまとめられたが、GHQはそれを「極めて保守的」とした。そこでGHQ民政局が7日間で書き上げたのが「マッカーサー草案(全92条)」であり、象徴天皇制、戦争放棄などを規定していて、前文も含めこの案を基に現行憲法が起草されたのである。
 押し付けられたものだからとか、7日間という短期間で作られたものだからという理由で改正を論じる必要はない。現行憲法が謳う理念と内容が、日本の現状に鑑みてどうであるかが、判断の基準となるべきであろう。
 その点で、前文の『平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した』という部分は、国際社会での現実味に欠け、責任感のない自分勝手なお人好しに過ぎると言わねばならない。
 同様に、第9条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】の1項『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』という文言は、湾岸戦争・アフガニスタン・イラクと派兵要請を受け、近隣に北朝鮮や中国という軍備拡張国家が存在する現実に対しては、あまりに空疎である。
 第2項『前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。』にいたっては、わが国に自衛隊が存在することは内外が等しく認めるところであり、著しく整合性に欠けていて、もはや形骸化しているといわねばならない。いや、後述するように、日本の国防に大きな障壁となっているというのが現実である。


 世界の現状をざっと見渡してみても、戦闘の続くイラク、アフガンをはじめ、イスラエル・パレスチナ、チェチェン、コソボ、エチオピア・エリトリア紛争、ソマリア内戦など、今も世界から争いは尽きない。イラン、北朝鮮などの核開発はますます進み、ニカラグアなど南米に誕生している反米国家の成立は新たな紛争の火種を予感させるし、フランスのサルコジ大統領の選出はヨーロッパ先進国にもナショナリズムが高揚していることを意味している。
 日本を取り巻く東アジアの状況を見ると、まず北朝鮮には200基以上のミサイルが東を向いて据えられ、早晩、核弾頭が搭載される可能性も大きい。切り札となった核開発カードを、金正日政権が手放すわけがない。政権のほころびに伴う暴発などが起これば、日本はかなりの被害を覚悟しなければならないだろう。
 韓国は08年イージス艦を配備する予定であり、日本を標的とした対地巡航ミサイルを登載するという。この韓国の措置はまことに理解に苦しむが、防衛上日本も直ちに9条を改正してトマホークを搭載しなければならない。対日戦を想定しているという韓国軍の近代化は侮れない。配備予定のF15Kは、日本のそれを凌駕する高性能機である。
 中国は8割以上を占める貧困層の救済のためにも経済を向上させねばならず、そのために日本の技術と経済援助は不可欠である。現在、温家宝首相の日本訪問に象徴されるように、小泉政権下のギグシャクした関係を修復することに細心の注意を払っているが、日本に事前通告なく東シナ海油田の掘削を開始しているし、すでに3兆円に登る日本からの円借款を受けながらアジア・アフリカ諸国に資金供与を行い、日本の国連常任理事国入り反対を画策している。
 その中国の軍事費はここ10年以上10%以上の前年度比伸び率を示していることはよく知られている通りだが、総兵力231万人(日本自衛隊23万人)という世界最多の兵員数を擁する人民解放軍は、日本をはじめとする周辺国にとっての脅威である。
 そして、2008年の北京オリンピック、2010年の上海万博を終えたのち、国内に多くの矛盾や社会不安を抱えた中国は、経済バブルがはじけ、国民の不満が暴発するのではないかと懸念されている。大規模な暴動といった形になるかどうかは別として、人々の鬱積した不満は社会のいたるところで顕在化することだろう。
 そのとき、中国はどこへ行くのか…。国内の不満を外へ向けるために、一例として台湾併合への動きを示すのではないか。台湾保護を宣言しているアメリカはこれを阻止しようとすることだろうし、日本が座して眺めていることは許されない。
 台湾でなく、尖閣列島の占領に出てきたらどうするのか。「どうぞ」と無抵抗で差し出すのか。主権国家のあるべき姿ではあるまい。


 自衛隊は、アメリカを除けば世界のトップクラスの戦闘力を持つといわれている。憲法の縛りによって丸腰でイラクに出されたりしているが、F15を203機も持っていて、中国軍に本土を踏ませることはないという。この自衛隊を軍隊と呼ばず、その力を戦力と呼ばないのは、言葉の遊び以外の何者でもない。解釈ばかりに委ねてきた、まやかしの対応から脱却するべきであろう。
 持っているのに持っていないと言い続けてきた日本は、憲法を改定して、持っているけれどむやみに使わないと言うべきではないか。「日本は先に撃つことはない。しかし、日本に向けて撃ったら、必ず手痛いしっぺ返しを受ける」というのが、防衛力というものだろう。戦うことのできる力を持ち、なお、その力をコントロールして抑止力とすることである。それでこそ世界の一員としての存在を認められ、責任を果たす資格を持つことになる。
 アメリカ、ヨーロッパに対する第3の極として、アジア諸国と政治的経済的な連携を目指す「大アジア連合」構想を推進していくことは、列強に蹂躙された帝国主義の時代にまでさかのぼらなくても、ヘッジファンドに翻弄されたアジア諸国の通貨危機を見れば、これからのアジアにとって不可欠な体制である。日本がこの構想を提唱し、中心的な役割を果たそうとするとき、自国はもちろん、アジア連合の諸国と手を携えて共同防衛をなすことが出来る体制を整えずして、信頼を得ることはできまい。連合体への脅威に対して、『平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、日本は戦力を持たず、交戦権を放棄する』と言えば、「日本は本気か?」と相手にされまい。


 現行の日本国憲法は、日本にアメリカの傘のもとでの平和をもたらし、経済的繁栄を実現してきた反面、国際社会の現実から目を背けさせ、国家や国民としての責務をないがしろにする国民をつくってきた。功罪のいずれに軍配を上げるかはさまざまな議論があるが、制定後60年を経て、その役割を果たし終えようとしている。
 9条に象徴される戦力と交戦権の放棄の見直しについては、上に述べてきた通りであるが、改定の留意点として、現憲法に保障されている「国民の基本的人権」と、「公務員(政治家を含む)を訴追し罷免する権利」の保持を変更しないように見守らなくてはならない。当然、昭和21年当時の政治状況を補うために定めた補則の多くは削除する必要がある。
 国民投票法の3年後の施行までは、憲法改正の草案の提出などは出来ないことになっているから、改定の草案が提出されて、国民投票で審査するのは4〜5年後のことである。この間、憲法改定に向かって、さまざまな草案が作成され、それにかかわる具体的な作業が繰り返されていくことだろう。作成される条項の一つ一つと作成過程を見つめて、新しい日本にふさわしく、さらにその未来を拓く「新日本国憲法」を制定しなければならない。




【127】 いつまで続く、高野連の時代遅れ 2     2007.05.04

    − 高野連の責任、 彼らに教育を語る資格があるのか −



 3日、日本高校野球連盟(脇村春夫会長)は、野球部員の特待生制度を設けていた学校は高知県を除く46都道府県の376校(軟式、硬式両方は8校)で、部員数は計7971人(判明分)であると発表した。
 違反校の部長は引責辞任、該当部員は5月3日から同月末まで対外試合出場を差し止められるなど、厳しい処分が下される。


 この高野連の措置が、いかに的外れで、理不尽なものかということは、先のこの項に記したが、日本学生野球憲章を楯にして、学校と生徒の責任を問い、自らを省みようとしない高野連の態度は、教育を口にする資格はないといわねばならない。
 まず、「学校が特待制度を設けていることは知らなかった」という高野連の弁明は、関係者ならずとも信じるものはいないであろう。
 中学校やリトルリーグの秀でた選手に高校の野球部の部長・監督やOBなどが入部の働きかけをしていることや、勧誘・説得するにあたっては学力試験の底上げのほか授業料・寮費などの減免を提示していることは、関係者ならずとも常識で、例えばスポーツ記者の誰に聞いても知っていたと答えるだろう。それを高野連の誰一人も知らなかったというのだから、教育者とは嘘をついてはいけないことも知らないのだろうか。
 実例として名前を挙げて恐縮だが、仙台育英学園は30年くらい前は大荒れしていて、いわゆる問題を起こす生徒たちが集まる学校であった。それがスポーツで優秀な生徒を全国から集める努力をして、野球、駅伝、バレーボールなどで全国に名を知られる伝統校となり、全校生徒にも気概が見られるようになったという。同時に、東北高校も負けじと優秀な生徒を集める努力を始め、ゴルフの宮里藍、野球のダルビッシュ有などを招請し、結果として高校野球では準優勝するまでなって、生徒たちは東北高校の生徒であることを誇りとするようになったのである。
 このように、特待生制度の活用が、生徒のためにも、学校のためにもなることは事実であり、高野連が言うような非難の的になるようなことではない。子供たちを集めたり、その将来に対して金銭が動いたりするのは、それを処罰することが必要なのであって、特待制度が適用されていたかどうかとは、全く関係のない事柄である。


 脇村高野連会長は、「禁止されているとは知らずに制度の恩恵を受けていた生徒に罪はないのでは…」という質問に、「知らなかったということが罪だ。生徒は実際に金銭的恩恵を受けていて、これがアマチュア憲章違反」と答えている。
 生徒には「知らなかったことが罪。知らなかったでは済まされない」と言いながら、自らは知らなかったで済まそうというのは、これまた教育者の態度としては恥ずべきことであろう。


 さらに、対象生徒の特待を剥奪せよとする処置は、生徒の在学そのものを危うくする。中には、授業料と寮費の減免を受けられずに、経済的な理由で退学せざるを得ない生徒も出るだろう。卒業後に返還をさせるといった条件をつけるなどして、学資を貸与するぐらいの教育的配慮をしてから、処分を考えるべきであろう。


 前項にも書いたが、「部員がケンカをした、万引きをした、無免許運転をした…」とか、「規律を守れない生徒に体罰を与えた」となどいって野球部の活動を全面的に禁止したりするような高野連は、視野狭窄の時代遅れである。学生野球憲章の見直しと適用基準の確立を、外部の意見も入れて急ぐことだろう。
 そもそも日本高校野球連盟(高野連)なる組織は、朝日新聞が後押しして結成した社団法人である。高野連の役員や朝日新聞社は、野球大会を興行してその入場料収入やテレビの放映権料(夏の甲子園大会で5億円とか)など莫大な収益を挙げ、報酬を得ているのに、生徒や学校などの現場だけに責任を負わせて、問題を片付けようとしている態度は、自らの責任を自覚していないし、ことの本質を解決するこという…当事者能力を有しているとは言い難い。
 高野連が反省しないのならば、ほとんどの野球名門校は違反処分対象なのだから、「新日本高校野球連盟」を結成すればよいのではないか。スポーツ界の現状を正しく見据えて、その発展と教育的見地を融合させ、子供たちの才能を伸ばし将来を築いていくことが出来る高校野球を実現したいものである。




【126】 
いつまで続く、高野連の時代遅れ       2007.05.02


 日本高校野球連盟(脇村春夫会長)は、日本学生野球憲章で禁じられている野球部員の特待生制度について、本日午後6時までに学校からの報告を締め切った結果、44道府県の私立334校(7457人)が特例措置を設けていたと発表した。
 発表後に東京都20校と茨城県10校など私立39校が追加申告し、ここまでで高知県を除く46都道府県で特例措置が講じられていたことが判明した。高野連は、最終結果を3日に発表するとしている。
 ことの発端は、プロ野球・西武ライオンズから金銭供与を受けていたアマチュア選手の出身校「専大北上(岩手)」が、憲章違反の制度を設けていたことがわかったのがきっかけで、高野連は4月から全国調査を開始していた。
 特待生制度は、卓球の愛ちゃんなどのように他のスポーツでは認められているが、高野連は学業優秀や経済的な理由以外は、「野球留学やブローカー暗躍の温床となる」などとして認めていない。
 今回の場合、違反があった学校に対しては「〈1〉野球部長の交代〈2〉5月末まで、当該選手の対外試合出場を禁止〈3〉当該選手や保護者に説明し、制度の解約同意書を作成する」などの措置を講じるようにと求めている。申告した学校は、夏の甲子園出場をかけた地方大会には参加できるが、この後に違反が判明した場合、対外試合禁止処分もあり得るとしている。


 結論を先に言えば、角を矯めて牛を殺すような稚拙さである。学業優秀な生徒が奨学金制度を利用し、寄留・寄宿して一流校を目指すように、野球の才能に秀でているものが特待制度を受けてその才能を伸ばそうとすることに、何の痛痒があるというのか。
 保護者や監督などの関係者をも巻き込んで、選手の将来の契約に大金が動くというのは誉められたことでないのも事実だが、それはそんな騒動を起こす側を取り締まるべき問題であろう。過日の西部ライオンズの契約違反のゆえに、高校野球の選手の特待制度もいけないというのは、事大主義(全体に対する見通しもなく瑣末なことを誇大に騒ぎ立てる態度)に過ぎるというものだ。


 他のスポーツは認めていることを、「日本学生野球憲章」を金科玉条として『高校野球には認めない』というのも、高野連の思い上がりだろう。高校野球の人気とレベルを支える、清原・桑田…斉藤・田中…といったスーパースターが現れるのも、特待制度があってこそであることは、野球関係者ならずとも気づいている。特待制度なくして、高校野球の魅力も求心力も維持できない。
 高野連が今日までその事実を知らなかったといっても通用する話ではなく、何をいまさら…と誰もが思っている。責任を取るのならば、高野連も同罪である。
 さらにいえば高野連はこれまで、部長や先輩が練習中に生徒や後輩の頭をこついたとか、野球部員の一人が校外でケンカしたとか万引きをしたとかで、その野球部を活動禁止にするといった措置を繰り返してきたが、これも高野連のお山の大将的性癖(仲間内や狭い範囲の人たちの間で一番偉そうに得意顔に振る舞うこと)である。教育的判断を振りかざしているのならば、高野連として独自の調査をして『こつかれたほうが悪い』となぜ言えないのか…。一人の不始末に野球部全体の罪を問おうというのは、江戸時代の五人組制度と同じ発想ではないか。
 関係者の周知の事柄を今まで放置しておいて、こと社会ネタになったら、現在、特待生として在籍している生徒たちの処遇も示しえないままに処分だけをちらつかす今回の処置に、高野連の事なかれ主義と保身を見るのは、私だけだろうか。


 高野連は、近年の事例を基にして、処置の見直しを検討するべきである。かたくなに「日本学生野球憲章」を楯にしてきた身には、見直しに腰を上げることも出来ないかもしれない。自分で判断できないのならば、「見直すべきか、見直さなくてもよいか」を、まず世の中に問うとよい。「見直すべきだ」という意見が圧倒的多数ならば、外部の人たちも入れての検討委員会を立ち上げ、高野連改革を断行するべきだろう。






【126】いつまで続く 高野連の時代遅れ    2007.05.02


 日本高校野球連盟(脇村春夫会長)は、日本学生野球憲章で禁じられている野球部員の特待生制度について、本日午後6時までに学校からの報告を締め切った結果、44道府県の私立334校(7457人)が特例措置を設けていたと発表した。
 …略…  結論を先に言えば、角を矯めて牛を殺すような稚拙さである。学業優秀な生徒が奨学金制度を利用し、寄留・寄宿して一流校を目指すように、野球の才能が著しいものが特待制度を受けてその才能を伸ばそうとすることに、何の痛痒があるというのか。
 …略…  他のスポーツは認めていることを、「日本学生野球憲章」を金科玉条として『高校野球には認めない』というのも、高野連の思い上がりというものだ。高校野球の人気とレベルを支える、清原・桑田…斉藤・田中…といったスーパースターが現れるのも、特待制度があってこそのことは、野球関係者ならずとも気づいている。
 高野連が今日までその事実を知らなかったといっても通用する話ではなく、何をいまさら…と言うべきだろう。責任を取るのならば、高野連も同罪である。(以下、本文へ)



【125】 米下院の「慰安婦問題」への対処                2007.03.21


   「ザ・レイプ・オブ・南京」の製作、米下院で「慰安婦問題」を可決か…など、
     国際社会を舞台とする 相次ぐ日本非難の動きに、日本は正しい主張を

 
 アメリカのハリウッドで、第2次大戦下の日本軍の虐殺行為を描いた映画、「ザ・レイプ・オブ・南京」の製作が進んでいるという。原作は中国系アメリカ人の反日作家アイリス・チャン女史が書いた同名の1冊であり、これを在米の中国系反日団体があと押しして、映画化に漕ぎ着けたものである。
 「日本を叩くには、アメリカに日本の非難をさせるのが最も効果的」であることを知っている連中は、第2次世界大戦中の宋美齢女史(蒋介石夫人)の先例に習うがごとく、アメリカの政界やマスコミに食い込み、日本非難の餌をまき、ロビー活動を展開している。


 また、アメリカ議会の下院では、旧日本軍のいわゆる「慰安婦」問題に関し、ロサンゼルス選出のマイク・ホンダ議員によって日本非難の決議案が提出されている。アメリカの政府も裁判所も、もう解決ずみとみなしているこの案件を提案・審議・採決しようとする動きは、今まで何回と繰り返され否決されてきているが、今回は先日のアメリカ議会選挙で民主党が過半数を占めたので可決される可能性があり、日本としても座視できない状況である。
 この問題について、先日、安倍首相が「当時、当局や軍による組織的な強制連行はなかった」と国会答弁を行ったところ、「今、日本の首相が明確な否定をすべきではない。河野談話で、日本政府は公式に謝罪しているではないか」という意見が、日本国内の政治家や評論家と称する人たちからも出ている。


 日本人の名誉が問われているこれらの問題に、明確な態度を表明しないことが正しいという主張は理解できない。
 あるテレビの番組で民主党の議員が『安倍首相の(当時、日本の当局や軍による組織的な強制連行はなかったという)発言は寝た子を起こすようなもので、日本に対する反発を招き国益を損なう』と発言していた。経済のためには人間としての尊厳を捨てろ…と言っている、卑俗な論議である。
 日本は戦後の長い間、第2時大戦下の日本軍の行動について、これを擁護したりましてや正当性を主張するような議論を封殺してきた。あらぬ中傷を受け捏造された問題、また、対日講和条約にともなう取り決めにより当事国の政府間ですでに解決済みというのが国際条約上の合意である問題すら、非難を受けるたび、日本政府はことの是非を論じることなく、繰り返して謝罪してきた。
 その結果、それらの事柄は一部の国際社会では歴史上の事実であるとの誤解すら生じることとなったし、「事実はどうであれ、日本は謝ったではないか」という、非を認めた事実が一人歩きしてきている。


 日本も、歴史問題で日本を非難する中国や韓国に対抗して、明確なイメージ戦略とそれを操作する情報戦略を持ち、中国韓国に対しても国際社会に対しても、言うべきことははっきり言うことが必要である。日本の政治家や外交官たちも、中国韓国の外交官たちが国家を背負って口を極めて日本を非難するように、アジアの平穏を乱しているのはいったい誰なのか、百万言を費やして世界に問いかけのべきである。
 だいたい、軍人に対する売春に従事した婦女は日本に限らず、世界各国で当然のように存在したのである。自国にも存在したにもかかわらず日本のケースのみを韓国や中国が殊更取り上げることについては、政治的なカードとして利用するプロパガンダに他ならない。また、帝国主義の時代にアジアやアフリカを植民地として支配してきた欧米列強に対して、過去を保障せよというような要求はどこにもない。戦争や植民地支配は、歴史の一コマなのであって、政治の手段として用いる問題ではないというのが、国際的な通念である。
 アメリカ軍が日本占領に上陸したとき、3万件のレイプ事件が起こったと報告されている。驚いたGHQの要請により、日本政府は各地に慰安所(正式名称は Recreation and Amusement Association)を設置、高見順の日記によれば銀座松坂屋の地下3階には「日本人立ち入り禁止」のクラブがあったという。アメリカ軍の広報官は「米軍の軍規が厳正に行われていたから、3万件で済んだのだ」と公言したとか。


 『せっかく寝ている子供を、今、この時期に起こしてどうする。他にすることは、たくさんあるだろう』という主張は、外交上の難問が生じたとき、わが国でいつも出てきた主張である。論理的な主張を苦手とする日本の政治家や論客たちは、「それが知恵ある大人の処置法である」という何の解決も示しえない…いわゆる先送りを繰り返してきた。その結果、諸外国から、どれほどつけこまれ、既成事実化され、どれほどの国益を損ねてきたことか。
 非難されて黙っていれば、それを認めたことになる。そんなことは、社会では常識だろう。そういう事実はなかったと主張することが大切なのである。
 繰り返すが、「南京事件は、これを報じた写真は全て捏造であると証明されているし、当時の人口が20万とされた南京で30万人の虐殺が行われるわけがない。日本軍の入京後、南京の人口は増えているではないか」と説明すべきだし、「慰安婦問題も、旧日本軍の駐屯した地域のいわゆる慰安所で職を得ていた方々に対しては、事情の如何にかかわらず気の毒なことであったが、そこで働く婦女子を日本の当局や軍が強制的に連行したことはない」という主張を、世界に向けて発信することが、何よりも大切なのである。
 不合理なあいまいさを残す日本への糾弾や非難に対しては、断固としてその非を衝き、論理的な反論を行えば、今まで言いたい放題を言っても何のクレームもつけずに頭を下げてきた日本に対して、中韓も「うかつなことは言えないぞ。変な言いがかりは我が身に返ってくる」と、態度を改めざるを得まい。
 反論が正当であったとしても、当面は中国韓国は反発し、中には「先に謝っておいて、今更何だ」という国もあるかもしれない。しかし、口をつむんでいたら、いつまでもこのままである。日本は、ナチスのホロコーストに匹敵する残虐行為をした民族であり…、婦女子を拉致してセックス・スレィブ(性的奴隷)にするような卑劣極まりない国なのだ…という非難は、いつまでもぬぐえずにより定着していくばかりだろう。
 難問から逃げていて道が開けることはない。主張すべきを主張しないことは、恥ずべき態度である。今までの政治が逃げ回り、避け続けてきたことに、立ち向かうことこそ、日本を構築するための必須条件であろう。




【124】 
柳沢厚生労働大臣の失言問題                 2007.02.10


 「女性は子どもを産む機械」と発言した柳沢厚生労働大臣の発言をめぐって、世間がかまびすしい。一部の反政府勢力や女性団体が騒ぐのは解るけれど、国会を空転させるほどの問題とは思えない。
 柳沢発言は表現の妥当性を欠いていることは確かだけれど、『女性は子どもを宿し、生命を伝えていく人類のメカニズムの中で、神聖で貴重な役割を果たしている』と言いたかったのであろうことは、前後の文脈の中で容易に理解できる。そこまで好意的に理解しようとしなくてもよいけれども、「発言は不適当。申し訳ない」と繰り返して誤っているのだから、「担当大臣として、以後、気をつけてもらいたい」ぐらいの問題だろう。
 それを政争の具とする民主党はいやしい。「誤ってすむという問題ではない」と繰り返し繰り返して謝罪させ、材料として使える間は喰らいつこうとする姿を見て、「ン、これに似たことが、どこかで行なわれていたな」と思った。そうだ、先の大戦での日本の過失をことさら大げさにして、「誤ってすむことじゃない」と今もって持ち出す、どこかの国のやり方と同じではないか。
 過ち(先の大戦の日本の行為は過ちであると検証されているわけではない)はこれを糺し、正々堂々と国政を論じるのが、国会の役割であろう。いたずらに国民の感情に訴えようとする民主党の姿勢は、心ある国民の理解や支持を得られるものではない。むしろ、その手段の稚拙さに失笑するばかりである。
 福島社民党党首が繰り返してこの問題を取り上げるのは理解できるが、先日の小宮山洋子民主党議員の国会質問は3番煎じ4番煎じの出し殻を飲まされているようで、明快な小宮山議員の口調がかえって惜しまれた。公明党の浜四津議員や松あきら議員が柳沢発言を批判していたのは、便乗感があって、納得できない思いであった。
 このままでは、政治家は言葉を失う。「そんな、女みたいなヒステリックに反応しなくても…」と言ったら、またまた国会空転だぁ。



【123】 祖国…って、何だ!                 2007.01.30
  中国残留孤児訴訟、 東京地裁 国の賠償を認めず


 永住帰国した中国残留孤児が「戦後、中国に置き去りにされ、帰国後も苦しい生活を強いられた」として、国に1人当たり3300万円の損害賠償を求めた「中国残留孤児集団訴訟」のうち、関東地方に住む孤児40人(1人死亡)が起こした第1次東京訴訟の判決が、30日、東京地裁であった。
 加藤謙一裁判長は「国が孤児の早期帰国を実現する義務を負うと認めることは出来ない」などと述べ、孤児側の請求を棄却する判決を言い渡した。


 判決を聞いたとき、「祖国とは、一体 何なんだろう」と思った。その過酷な歳月と国に棄てられた無念の胸中を察すると、思わず涙がこぼれた。


 残留孤児たちは、決して自らの意思で中国に残ったわけでなく、抗(あらが)う術(すべ)もなく運命のままに大地に生きねばならなかった彼らの一生は、あまりに過酷であった。中国残留孤児を生んだ状況を、「Wikipedia百科事典」の記述を抜粋しながら、もう一度見つめてみよう。
 1931(昭和6)年9月18日に勃発した満州事変ののち、日本は清のラストエンペラー溥儀を担ぎ出し、旧満州(現中国東北部)に満州国をつくった。建国と同時に満州事変以前より提唱されていた日本の内地から満州への移住が実行され、多くの人たちが国策としての満蒙開拓団に参加して、王道楽土の実現を目指し海を渡った。
 1936年、廣田内閣は「満州開拓移民推進計画」を決議し、計画では500万人、実数では32万人以上の開拓民を送り込んでいる。満州国の首都であった長春をはじめ、はるか北方のハルピンを越えてソ連国境付近に入植した人も多かった。
 しかし、満州開拓に夢を描き、厳しい自然に立ち向かって大豆・高粱などの大規模農地を拓いた人々を、悪夢以上に苛烈な現実が襲った。ソ連が、1946年4月26日まで有効だった日ソ中立条約を一方的に破棄して、1945年8月8日 日本に宣戦布告、翌9日に満州国境を越えて侵攻を開始したのである。これに対して満州国を防衛する関東軍は、日ソ中立条約をあてに1942年以降南方戦線などへ部隊を転進させるなどして十分な戦力を持たず、侵攻を食い止めることは全くできなかった。


 ソ連の侵攻で犠牲となったのが、主に非戦闘員である満蒙開拓移民団員をはじめとする日本人居留民たちである。関東軍司令部が通化(トンホワ)へ移動する際に民間人の移動も検討されたが、邦人130万余名の輸送作戦に必要な輸送手段、水食料、時間もなく、東京の開拓総局に拒絶され、結果、彼らは日本軍の保護もなく満州の荒野に放置され、攻め込んだソ連機甲師団に蹂躙される結果になった。
 ソ連兵の残虐行為については伝える人もほとんど残っていないが、略奪・暴行・強姦・殺傷はいたるところで行なわれ、市民を道路に一列に横に寝かせ戦車の履帯でひき殺したことなどが、当時幼かったわずかな生存者の口から語られている。残留者たちは、その強引な土地収奪経緯から開拓団に恨みを持つ満州族や漢族、朝鮮族によって殺害されたりもしたが、逃げることもできないとの判断から、集団自決により命を失った者も多数にのぼった。
 この混乱の中、一部の日本人の幼児は、肉親と死別したりはぐれたりして現地の中国人に保護され、あるいは肉親自身によって、より多くの生存の機会を子供に与えるためにと現地人に預けられたりして大陸に残り、いわゆる中国残留日本人孤児として、日本語も肉親の顔も、さらには自分の日本名さえも忘れて(もしくは知らぬまま)育ち、『日本人』として差別されて苦難に満ちた人生を送ることとなる。のちに帰国してさえも、今度は『中国人』として日本社会の中で差別されて生活は厳しく、政府の援助も薄くてその苦難は終わってはいない。
 終戦間近か、当局は、この戦争が敗戦に終わること、ソ連の参戦が迫っていること、関東軍に抵抗する戦力はなく満州はソ連の機甲部隊に蹂躙されるであろうことを知っていた。ソ連軍侵攻の翌8月10日、、新京の軍属(主に将校の家族、関東軍の上級関係者たち)はいち早く莫大な資金を安全確保の「武器」として乗せた、憲兵の護衛つき特別列車で脱出して帰国を果たし、犠牲者の中に含まれることはなかった。同日、関東軍が撤退するに当たって弾薬を爆破処分。安全確認を疎かにしたため満州から引き揚げる民間人多数が巻き込まれ死傷するという、いわゆる「東安駅事件」が起きている。


 開拓団員以外でも、ソ連軍が遼東半島へ到達するまでに大連港から脱出できなかった日本人に対し、ソ連は1946年春までその帰国を許さずに極寒の収容所での越冬を強要したため、収容時に家族全員が無事であったものの、越冬中に寒波や栄養失調や病気で命を落とす者が続出し、ここでも家族離散や死別の悲劇が生まれた。この中で、身寄りのない幼児は現地の中国人の養子となって育てられ、成人女性は中国人の妻となってそれぞれ生きてゆく他なかった。
 ソ連軍に投稿した兵士や、非戦闘員である開拓団員の中からも、五体満足な男子はソ連へ抑留され、零下40℃の荒野で粗衣粗食のままシベリア開発の強制労働に駆り出された。その数65万人、そのうち24万人が帰国の夢を果たせず、シベリアの凍てついた土の下に眠っている。
 満州からの集団引き上げは、1946春から一時期の中断を含め開始された。しかし、中国で国共内戦が激化したことや、内戦に勝利して中国大陸を支配した中国共産党政権と日本が国交を結ばなかったという背景もあり、日本政府は1953年に未帰還者留守家族等援護法を施行すると、1958年には集団引揚げを打切った。そして、1959年には未帰還者に関する特別措置法を施行し、給付金を圧力にして家族に死亡宣告を迫り、残留者対策の終息を図るのである。
 1972年、田中内閣のとき日中国交正常化。その9年後の1981年から、残留孤児の日本での肉親を探しが始まり、やがて肉親探しよりも日本への帰国を目的とするようになった。
 中国残留孤児たちは戦後40年近くを経てようやく帰国を果たしたものの、多くは壮年を過ぎてから日本に帰国したために現在でもその約9割が日本語を習得できず、また幼い頃から現地での労働力として扱われて教育を受けなかったり、こども時代は中国人として育てられてきたこともあって、殆ど日本語は身につけておらず、日本での社会適応能力に乏しいとされる。彼らの労働環境は限られていて所得は低く、生活保護を受けている例も多いのが現状である。


 残留孤児は約2700人。その9割に当たる約2200人が全国で起こした集団訴訟の判決は今回で3件目。05年7月の大阪地裁判決は、孤児側の請求を棄却したが、06年12月の神戸地裁判決は、原告65人のうち61人に計4億6860万円を支払うよう国に命じる判決を言い渡し、司法判断が分かれている。
 今日の東京地裁の訴訟では、<1>国は孤児を早期に帰国させる義務を怠ったか<2>帰国後に国が施している自立支援策は十分だったか…が最大の争点になったが、判決は「原告らの損害は戦争から生じた損害とみるべきもので、帰国が遅れたことに国の違法行為があったとは認められず、法的な自立支援義務も負わない」と判断した。


 しかし、上で見てきたとおり、中国残留孤児問題は国策として進められた「満州開拓移民推進計画」がその根底であり、当時の日本は「王道楽土・五族協和」のスローガンのもとに農村青年を中心に、多くの人々をソ満国境へと送り出したのである。
 そして、何よりも国が責任を負わねばならない点は、敗戦が必至であった戦争末期に、その人々に避難・帰国を勧めることもなく、ソ連侵攻が迫る満州に置き去りにしたことである。
 政治家、軍人を含め、国家公務員の行為は国の責任である。敗戦の責任を問うことはできないが、国の施策によって外地へ送り出した人々を、政治や軍務にかかわる者が逃げ出したのち、何の手当てもせずに置き去りにしたことは、大いに断罪されねばならないことである。国が国民を守らずして、何の存在意義があろうか。
 当時、1歳で中国に残された方であっても、すでに62歳の齢(よわい)を重ねている。身よりもない異国に幼い身で棄てられてから今日まで、この年月は筆舌に尽くせないご苦労であったと拝察される。やっと帰国した祖国でも、冷たい現実を突きつけられて、日々の暮らしは苦しい。
 国に、責任があることは明白だ。残留孤児の皆さんには、不幸にして帰国の夢を果たせずに満州の土の下に眠る人々の分も温かく生きていただくことが、日本が国としての責任を果たすことであり、この人々の歴史の上に今日を築くことができた国民の願いである。



【122】  2007年の課題は やはり「教育改革」   2007.01.04
 

 明けまして おめでとうございます。
 今年も よろしくお願いいたします。


 今年いただいた年賀状には、「あの日の日本はどこへ行ったのでしょうか」「大人をも含めて教育し直していかないと、この国の将来はありません」「日本の教育はどうなるのでしょうか」などなど、やはり国家百年の計…教育についてのご指摘がたくさん見受けられました。
 安倍内閣も最重要課題のひとつに掲げている「教育問題」は、新しい教育基本法が成立しましたが、さてどのように改革されるのか、一向に具体的な形が見えてきません。
 しかし、ホンマにこの国の戦後に育った若造どもは、安倍晋三くんを含めてどこか脆弱ですね。明治からこのかた、戦前の日本に育った先輩たちが造ってきた、精神面を含む国家の財産を、戦後育ちの有象無象が食いつぶしている。
 ということは、戦後日本の教育が間違っていたということですね。先日の与党「教育再生に関する検討会(座長、大島理森衆議)」でも、「方向の大幅修正はゆとり教育の誤りを認めることになる」などと、ピント外れなことを言っている。こんな連中が、戦後教育の方向を転換させるなんて大仕事をやり遂げることができるとは思えません。
 日本の改革の根底は「教育の改革」です。経済が上向いても、技術革新を成し遂げても、支える人間が腐ったままでは全てが無に帰してしまい、とても将来の成長を望むことはできません。
 新しい「教育基本法」を成立させた安倍内閣は、教育に魂を入れて、美しい日本を実現するための施策を構築・提示し、実施していくことができるのか。安倍内閣のみならず、日本にとっての正念場である新年であるという意識を持って、2007年をスタートしたいと思います。



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