理科・社会科ノート盛衰記

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★番外 日本写真新聞社の写真ニュース −「写真ニュース」アレルギーの三重の学校−


 章くんが拝命した日本写真新聞社三重支局長という職は、決して親方日の丸のサラリーマン仕事ではなく、独立採算の自己責任制…いつつぶれてもおかしくはないという、浮き草家業であった。
 三重支局というのだから、本社があってその統制のもと、三重県を管理しているのだろうと考えるのが普通だが、日本写真新聞社という本社は東京の八重洲に立派なビルがあり、日本新聞協会の会員だけれど、全国各地域の支局はその本社と取引契約書で結ばれた新聞販売店であった。だから、支局が取材して記事を書くことはない。紙面は全て、東京本社の編集部が作って、刷り上げたものを、支局が契約を結んできた購読先へ郵送する仕組みである。
 支局はひとつの県にいくつかあって、それぞれに担当地区を持っている。例えば大阪には大阪中央支局、住ノ江支局、堺支局、大阪南支局…など13箇所の支局があった。全県1支局という三重は、めずらしい地区であった。


 商品は何かと言うと、『写真ニュース』である。県庁・市役所や駅の待合室などによく貼ってある、あれだ。種類は多岐にわたっていて、時事ネタを報じる「日写ニュース」、交通安全を啓蒙する「交通安全ニュース」、健康をテーマにした「健生ニュース」、政府広報の「フォトニュース」などが一般向け…。そして、学校向けの1年〜6年「教材ニュース」、保健室の「保健ニュース」、図書館へ掲示する「図書館ニュース」などがあった。


 余談ながら、三重県の学校現場は、この学校向け写真ニュースには手痛い記憶があるらしく、章くんが「日本写真新聞社三重支局長」の名刺を差し出すと、各校の先生(特に管理職)はアレルギー反応を起こす人が多かった。
 というのは、三重県は津市に『世界送信』という学校専門の写真ニュースを扱う業者がいて、この人が学校の先生あがり…。教育界の内情に通じていることに加えて、「三重県教育ジャーナル」というタブロイド紙を発行していて、「○○市の☆☆くんはそろそろ校長の候補に…」とか、「□□小学校の△△校長は挨拶もしない礼儀知らず」とかいったガセネタを載せて、年に2回ほど、三重県下の全校へばら撒くのだ。書かれたところで、このジャーナルのインチキさはみんなが知っているところだから、何と言うこともなかろうと思うのだが、校長・教頭先生たちはこれを嫌って、各校とも『世界送信』の写真ニュースを購入していた。どうせ公費…、自分の金じゃないし…。
 いちどなんか、章くんの会社に、
 「津市のО小学校の中川三郎という校長です。わしは来年の3月に退職するので、今さら何を書かれても平気だけれど、新聞を買わなければ書くぞといった商売がまともだと思いますか?」
と電話が入った。
 「それは『世界送信』のことですね。私どもは、新聞協会加盟社ですし、全国の各県に支局を置いて、新聞を購読いただくときには「購読契約書」を書いていただいております」
と話したのだが、中川校長は意を決し、余程の覚悟でダイヤルしたらしく、章くんの話を聞かず、
 「頼みもしないのに勝手に送ってきて、封を開けたから金を払えって、そんな勝手な言い草があるものか。サングラスなんかかけてきて、失礼な…」
と、だんだん興奮してくる。
 会社が違うと説明しても、「写真新聞ニュース」なんて発行しているところはみんな同じ…似たり寄ったりだろうと思い込んでいる様子だし、積年の思いが昂じているのか、最近にひどい目にあったのか、冷静になれない。
 「先生、一度 学校へ伺って、お話をお聞きします」
と言って電話を切ったのだが、よほどの思いであったのだろう。
 聞くところによると、この中川先生だけでなく、同じような思いをしている先生たちは、三重県下には結構いたようである。


 章くんは若輩(当時24歳)だったし、
 「日本写真新聞社は新聞協会に加盟して、倫理綱領を遵守する会社です。購読には契約書を整えてお願いしています」
 と穏やかで論理的に話し、恫喝するようなことも言わなかったから、先生たちも話しやすかったらしく、『世界送信』をはじめとする写真ニュース業者の横暴を次々と打ち明けてくれた。
 「アンタも書かれちゃ困ることの一つや二つはあるやろ」
 と言われたとか、契約もしてないのに一方的に送ってきて、
 「開封したから金を払え。払わないのなら、もとの通りにして返せ」
 と凄まれたとか。
 東京の本社とも相談して、章くん、
 「『新聞に書くぞ』というのには、恐喝・迷惑防止と名誉毀損の訴訟で対抗してください。その程度の相手ならば、訴訟手続きを起こした時点で和解・陳謝するはずです」、
 「一方的に送ってくる相手には『受け取り拒絶』と朱書してポストへ入れればOKです。もし、うっかりと開封しても、支払いの義務はありません」
 と説明し、
 「よろしければ、わが社で訴訟手続きを代行しましょうか」
とまで提案したのだが、そこまで腹を据えて対応しようという校長はいなかった。
 ただ、これらから、写真新聞は三重県の学校では歓迎されざる存在であることがうかがい知れた。

 
 「写真ニュース」は、当時、1ヶ月2回〜4回の発行で800円から1200円。それを6割5分の卸値で本社が発行し、支局が結んだ契約先へ郵送する。平均1000円/1ヶ月の定価で、支局への請求は650円、差額の350円が支局の利益である。
 しかし、章くんが三重支局を担当したとき、ニュースの三重県下の総販売部数は44部。1ヶ月の粗利益は650円×44部=2200円。ガソリンを満タンにもできない。
 章くんは、契約や集金に手間のかかる学校はほとんど相手先に選ばず、企業にDMをかけた。例えば、交通安全を啓蒙する「交通安全ニュース」は、企業の車両管理課や交通安全管理士(車を5台以上保有する企業は必ず置かねばならない)を相手に、購読を依頼した。
 このニュースは、警視庁と交通安全協会が監修しているので、
 「御社の交通安全対策はどうしていますかと聞かれたとき、『交通安全ニュース』を購読していますと言っていただければ、警察関係には納得していただけます」
 というセールストークは抜群の効き目があった。年に1回、車両管理課の担当や交通安全管理士を集めて開催される講習会では、講師の方から「私たちが監修している『交通安全ニュース』が発行されています」とPRしてもらっているから、関係者はこのニュースのことはよく知っていた。三重交通に165部、三重定期60部、津・桑名・四日市…など役所の車両管理課、タクシー会社、病院…などに、10部・5部などの購読契約ができていった。
 健康生活をテーマにした「健生ニュース」も、多部数契約が多かったニュースである。厚生省・健康保険連合会が監修したこのニュースは、企業の厚生課・健康保険組合にたくさんの購読をしてもらった。それらの部署は社員が病気にかかったときに医療費を補填することが仕事のひとつだが、病気にかからないように予防・啓蒙することも大事な仕事である。名古屋銀行180部、百五銀行健保組合の125部や、三重県共済組合、合同ガス、各市町村などに契約をもらった。


 先に書いたように学校には写真新聞に対する根深いアレルギーがあったけれど、幼稚園・保育園には全くそのようなことはなく(他社には幼稚園向けのニュースがなく、市場が荒らされていなかったのだろう)、訪問先のほとんどのところで、園児向けの「フレンド・ニュース」、職員向けの「交通安全、健生ニュース」を契約してもらった。


 また、この日本写真新聞社のニュース販売は、学校・官公庁は担当地区を守らなくてはならなかったけれども、一般企業は地区外で契約を取ってもOKで、章くん、たくさんのDMを作って、中部・近畿のめぼしい企業に発送し、名古屋相互銀行(180部)・名古屋鉄道(120部)・高島屋(70部)・西陣織物組合(45部)・朝日新聞大阪本社(185部)などなど、たくさんの会社から契約を貰った。
 この仕事のいいところは、いったん契約を取れば、あとは自動延長で、しかもほとんどの購読先は年間予算に組み込んでくれているから、4月に1年分の請求書を送れば、5・6月には一括先払いで銀行口座へ入金してくれた。集金に行く必要もなく、送金してくれるのを待つだけ…。1年間、ほとんど仕事らしい仕事もない。
 ちなみに、「健生ニュース」を125部取ってくれていた百五銀行健保組合の年間売り上げは、1000円×125部×12ヶ月=150万円。1部年間1万2千円の教材ニュースを購読してもらうのに、『世界送信』の愚痴を聞かされ、「じゃぁ、手伝いますから断固たる処置を…」と言うと腰砕けになる学校を、章くんが敬遠したのも解ってもらえるだろう。


 付属小学校の富山先生とは、「写真ニュース」がとりもつ縁であった。


 昭和44年、章くんが初めて三重支局を担当したときの部数が44部…、その後、名古屋や大阪の企業を訪問し、せっせとDMを送って、3年後の三重支局の保有部数は1700部となった。
 章くんの1ヶ月の収入は、1部あたりの粗利益350円×1700部=59万5000円。大学を出て就職をした新卒初任給が2万5000円の時代…。昭和47年、章くん、27歳の頃である。


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