理科・社会科ノート盛衰記
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 2. はじめての出版に 噴出する諸問題   − 採算、全面改訂 −


 初年度、「理科ノート」は販売目標の各学年3000冊、1〜6年総合計18000冊を越えて、総合計22014冊を売り上げた。
 これは、「理科ノート」作成にかかわった先生方の、学校の授業に役立ち、三重県の理科教育のレベルを向上させて、現場の先生たちに喜んでもらいたいという熱意…。そうして作成したノートを、みんなに使ってもらおうという小理振の役員・理事・幹事の皆さんの取り組み…。そして、新しい「理科ノート」を育てていこうとする会員の意気込みと現場の先生たちの期待がひとつになって達成した冊数であった。


難し過ぎた(?)初版の内容


 順風満帆で船出した「理科ノート」のようであるが、そのスタートの中には、多くの難しい問題を内蔵していた。
 まず、「理科ノート」を採用した現場のあちらこちらから悲鳴が上がった。内容があまりにもアカデミックで、難しすぎたのだ。三重県を代表するような理科教育のエキスパートたちが、力を入れて原稿を書いたノートだから、容赦なく、厳密な結果を求めている。
 例えば、5年生に「イネの育ち」として、稲の苗を植えて株別れさせ、育てて収穫させる単元があったが、「理科ノート」には、@1本植え A2本植え B3本植え C4本植え D5本植え Eたくさん といった分類がなされ、それぞれを育てて秋の収穫の具合を調べさせる構成となっていた。しかし、学校の授業では、子どもたちに @1本植え A3本植え Bたくさん ぐらいの分類で調べさせるのがやっとで、6種類もの分類は難しいというのが実情であった。
 もちろん、原稿を書いた先生としては、実験方法をいろいろに工夫して、例えば@1本とC4本の組、A2本とD5本の組、B3本とEたくさんの組とグループに分けて栽培させ、記録は全員に取らせて学習を進めるなど、現場の知恵次第だろうと考えたわけだが、ノートに分類があるとそのように実験観察をさせなくてはならないと考えるのも、また無理のないところであった。
 この頃の理科の教科書には、現在の1.5倍ほどの実験・観察が盛られていたのだが、それぞれの経過や結果についても、こと細かに記入していくことを求めていた。理科的な見方考え方を育て定着させるためには、しっかりと設問を繰り返していくことも必要だったのだろうけれども、これだと実験・観察を必ず行わないと記入できない。現場では多くの実験や観察をトバして、教科書だけで済ませているのが実情だが、そんなことは夢にも考えられない理科のオーソリティが作った「理科ノート」だから、授業に厳しい重石を課したのである。


 また、みんなが理科のノートを手がけるのは初めてだったから、絵や図表の描き方も、もうひとつ甘いところがあった。
 例えば、1年生の1学期に「どうぶつ」という単元があって、学校で飼っている動物を通してその可愛さを感じ、愛護の心を持たせるというねらいだが、そこに配した雌鶏の絵に蹴爪を描いてしまったりした。鶏冠の有無ぐらいには注意したのだが、蹴爪の有無までは、製版・印刷にかかわったスタッフは誰も知らなかったのである。描いた絵を編集委員の先生に見てもらえば指摘を受けたことだろうが、書き直し…組みなおしなどと予想外に手間がかかり、最終的には見本発送期限ギリギリに完成したのであって、点検してもらうような時間の余裕もなかった。
 現場の先生たちからは、「間違いを見つけるのも勉強やから」などと暖かいお言葉を頂戴したりしたが、章くんとしては、出版するものの責任として、それに甘えているわけには行かない。2年目に、早速、全面改訂を行うことを決めたのだが、ここに立ちはだかったのが出版費用という大きな壁だった。


採  算


 出版費用で最大のウエイトを占めるのは、「製版代」と呼ばれるものであり、活字を拾って原稿を活版に直し、図表を入れてレイアウトし、版下原稿(印刷の下版)を完成する。これを何度も校正して文字や絵の間違いを正し、OKとなったら、写真フィルムへ焼きつける。ここまでが、「製版」という作業であって、活字拾い・版下作成・校正・写植の完成・青焼き校正…と繰り返される行程が、多額の費用を必要とする。
 絵ひとつが何千円・何万円であり、写真1枚がやはり何万円…表紙に使う航空写真ならば3万〜5万円…。ヘリを飛ばそうといえば、操縦士・カメラマン・機材と撮影・現像・焼付けで、半日飛ぶと30万円、1日飛べば50万円という世界である。
 この「製版代」は、1部刷ろうが100万部刷ろうが、同じだけの金額が必要だ。100万円の版代は1部刷れば100万円かかるが、100万部刷れば1円となり、「出版は部数が命だ」という理由はここにある。
 ただ、版は、1度作ってしまえば、内容を変更しない限り同じ版を何度でも使うことができる。「理科ノート」の場合は、文部省の指導要領が3年間は変わらないから、「理科ノート」も3年間は内容を変更しないということで、版代を3年間に割って計上してもらうよう、ひかり印刷さんとの契約ができていた。
 印刷には、さらにこの写真フィルムを印刷機(大型輪転機)に巻きつけ刷るわけだが、ここでは印刷代・紙代を要し、さらに刷り上げたものを本にするために製本代が必要である。
 当時、「理科ノート」の1学年あたりの印刷代は24ページもの5000部で22万5000円。1冊あたり45円であった。
 

 定価は90円。半額で出来上がるのだからボロ儲けかと皮算用したのだが、現実はそんな甘いものではなかった。印刷原価と売り上げ、そして費用を計算してみよう。
 まず印刷代が1部45円で、各学年5000部、6学年30000部だから135万円。これは「ひかり印刷」さんへ支払う金額だ。
 各学年5000部のうち教師用(赤刷り)が300部で、これは無料で児童用の注文に添付する。印刷屋さんに言わせると、解説など文字数は児童用に比べてはるかに多く、絵や図表も細かいものが多いし、何よりも赤版を1版多く作り、印刷も1色多く刷らなくてはならない教師用(赤刷り)は、作成原価は児童用の2倍以上かかるのに、無料なんて、どんな商売ですンやということになる。
 三重県下全小学校へ配布する見本が440冊。これも無料である。そして、もうひとつ無料で添付するのは、教師用(赤刷り)とともにつける児童用の予備分で、これが200冊ほど。さらに、各学年200冊ほどの在庫は、転入生の追加や編集用に残さねばならない。
 教師用(赤刷り)300部+見本440冊+参考分200冊+在庫200冊=合計1140冊が無料分であって、印刷した5000冊のうち販売可能な冊数は3860冊となる。
 さらに、三重県では章くんの会社「(株)日写三重」が直接学校へ販売するほか、3軒の教材店に「理科ノート」の販売を委託していた。各店への卸値は、それぞれに生活のあることだから、他の教材と同じ利幅を保証することが原則であって、『6.5掛け』=58.5円とした。また、各店の見本は『3.3賭け』=29.7円としたから、これらの教材店が販売する分は、ほとんど利益がない。発送・運賃などの経費を計上すれば、赤字だったかもしれない。
 また、在庫切れを生じると、追加印刷は1000冊単位で5万円。この年は2学年に在庫切れを生じたので、10万円の追加印刷代を要した。


 1学期の総売り上げ冊数は22014冊、売上金額は162万4000円であった。 冊数×定価90円とならないのは、教材店へ卸している(6.5掛けの)分があるからで、全体の4分の1ほどを依頼していた。
 結局、初年度の粗利益概算は、売り上げ162万4千円−(135万円+追加10万円)=17万4千円の粗利益であった。


 経 費


 ここで、利益が出たぞ…と考えるのは素人で、章くんも当初目標を各学年3000冊と定めたのは、6学年で1万8千冊だから定価90円を掛けて、売り上げは162万円…。印刷代は135万円だからOKだろうと考えたのだが、素人であった。ここから、諸経費を差し引かねばならない。
 まずは、直接経費
 @ 荷造り運賃で、ダンボール作成が12000円+運送費が18000円=30000円。
 A 専用の納品・請求書・領収書を作ったり、その他の「理科ノート」にかかわる事務文具・
  消耗品が30000円。
 B 荷造りアルバイト賃、時給600円×2人×8時間×20日間=192000円。
 C そして、小理振への研究助成金(編集還元金…定価の0.75%=1部につき6.75円)が
  22014冊分で148595円。
 @ABCの合計が40万595円で赤字である。


 さらに間接経費
  @倉庫・事務所費、 A自動車・ガソリン費、 B通信・光熱費、 C会議・交際費などで
 あるが、「理科ノート」に直接かかる経費を少なく見積もって1ヶ月に10万円…、1学期で
 40万円といったところか。
  そして、最大の問題は人件費である。編集から校正、出版、そして、入荷、見本作成、受注、
 荷造り、発送…と、多岐にわたる仕事があるが、ここまではアルバイトを入れるなどして、章く
 んがひとりでまかなってきた。章くんの人件費を月額10万円…学期40万円としたいところだ
 が、あえてここでは0円としよう。利益が出ないときは、社長はタダ働きである。


 ただ、集金だけは、学期末の3週間ほどに集中するので、章くんがひとりでこなすことはできない。この「理科ノート」の集金は、現場の先生たちと接して、内容についての意見を聞き、来学期や来年度へつなげる営業活動もしなければならない面を持っているので、へたなアルバイトに任せることはできない。
 将来への先行投資を兼ねて、章くん、マツダのセールスをしていた北野健二くんという営業のプロをスカウトした。北将来は「理科ノート」の販売部門を独立させてその責任者に就くということで、給与もかなり抑えて、この事業に参加していた。
 しかし、人件費を含んでの間接経費は全く出ない。直接・間接経費を合わせると学期あたり80万円、更に人件費…。合計100万円超の経費を賄うためには、3万5千冊〜4万冊(各学年平均6千冊)を売り上げる必要があった。
 こうして、「理科ノート」は当初目標18000冊(1学年あたり3000冊)を上回る売り上げを見せたけれど、学期あたり100万円ほどの赤字を抱えてスタートしたのであった。


 でも、章くん、いっこうにめげる様子もない。章くんは、だいたい金銭感覚が鈍い。この頃、弱冠24歳…、年間300万円ほどの赤字(平均的サラリーマンの年収の5倍くらいか)が蓄積していくことになれば、頭を抱えるものだが、『なんとかなるさ』といった具合であった。それでも、ホントに金銭的に詰まれば「なんともならん」と言わなくてはならないけれど、学生時代から車に乗って走り回っていた章くん、このまま赤字が続いても5年や10年はなんとかなるぐらいの資金は、家にあったのだ。


 全面改訂  −光出版印刷さんの抵抗−


 収支計算はともかくとして(ホントはそれが一番大事だったのかもしれないけれど)、内容の難しさに学校現場がお手上げだったのは、その困惑を考えると放置できない問題であった。
 全面的に改訂することが求められるが、ここでの問題は「ひかり印刷」さんが、どう言うかだ。多額の費用を要する製版代を3年間に割っているのだから、『もし、当初の予定を変更して2年目に改訂するのならば、製版代を一括して支払ってほしい。また新しい版を作らねばならない全面改訂は、そのあとの話だ』と言うことだろう。困ったことになった…と思いながら、章くん、11月の終わりに「ひかり印刷」の社長との話し合いに臨んだ。
 「改訂…? そりゃぁ、話になりまへんな。とにかく最初の版代を完済してもらわな…」とひかり印刷さんは、予想道りの主張を繰り返す。ひかり印刷さんに損をしろと言うつもりは全くないが、赤字事業になお莫大な費用を払い込むほど、章くんもお粋ではない。
 「じゃぁ、その版代は来年以降の印刷費に上乗せして支払っていくことでどうですか」とか、「来年度の売り上げが今年を上回れば、その利益分を上乗せして支払っていくことでは…」と、さまざまに支払い方法を提案したのだが、ひかり印刷さんは「とにかく今年の版代を支払ってもらわないと、来年の印刷はできまへん」の一点張りである。
 ひかり印刷さんは、章くんの家にそれぐらいの資金はあるだろうと見越していたし、特殊な絵や図表を必要とする「理科ノート」の印刷は、一から絵・図表を新しく作らねばならないから、11月になっている現在、他の印刷会社では時間的にできないだろうと判断していたのだ。章くんが年若いから、強く言えば折れるだろうという判断もあったかもしれない。この日の話合いはまとまらず、物別れに終わった。


 やがて年が改まり、1月も半ばを迎えると、1学期見本を出すにはそろそろ準備を始めないと間に合わない時期になってきた。それでも、章くんは何も言わない。ひかり印刷さんは、章くんには直接言わずに、出入りしている付属小で富山先生に「そろそろ印刷を始めないと、間に合いませんが」と伝えていた。
 このとき、章くんの判断はもう決まっていて、『さまざまな提案をしているのに、一切の方法を聞かず、とにかく版代を一括して払えというひかり印刷さんの主張は聞けない。この調子では、将来の付き合いも思いやられるし、お互いに補い合って事業を進めていくパートナーとして信頼することができない』と思っていた。ひかり印刷さんが、章くんの提示した条件のいずれかに同意しないのならば、今後の印刷発注はしないと決めていたのである。
 11月から始めた原稿の訂正と共に、新しい印刷会社も探していて、12月、三重県庁の竹森秘書課長の紹介で、県庁出入りの「アポロ印刷」さんと会い、「来年1月半ばまでに「ひかり印刷」さんから受諾の連絡がなければ、「理科ノート」の印刷をお願いしたい」と、初年度版の現物見本を見せて依頼した。それから作成するとなれば、かなりの強行日程だけれど、アポロ印刷さんは社員40人を抱える大きな印刷会社である。「この程度のものならば、1ヶ月もあれば大丈夫です。よければやらせてください」と引き受けてくれた。


 1月末、ひかり印刷さんには取引停止を伝え、アポロ印刷さんに新しい原稿を渡して、急ぎ新年度見本を作成してもらうよう依頼したのである。


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