第1日 6月26日(土) 憧れのアイルランドへ

 吹きつける強い風がつくった砂丘、そこに密生する潅木を取り除き、草を刈ってできた自然のままのリンクスコース。そのコースで鍛えられたアイルランド最強のプロ「モリス」のスウィングは、決して綺麗とは言えなかったけれど、誰にも負けない勝負強さがあった。彼がアメリカに渡り、近代スウィングを身につけてアイルランドへ帰ってきたとき、その姿を見た人々はささやきあった。「モリスは、変なスゥイングを習ってきて、ゴルフが下手になった」と。
 近代スウィングを寄せ付けない、あるがままのコースと自然環境…。偉大なる我流を至上のものとして譲らないアイリッシュ気質…。今年の旅は、アイルランドを訪ねることになった。メンバーは、章くん、村上隊長、橋っさん、そして荒ちゃんの4人である。


 午前6時、隊長の会社に集合。関西空港までの往路は、橋っさんのセルシオに荷物を積み込んで、荒ちゃんの運転だ。早朝の名阪自動車道は空いていて、快調な走りである。しかし、この道路は自動車専用とはいうものの一般国道で、制限速度は60q/時。まあ、ほとんどの車は80q/時ぐらいで走っているが、はやる心はついついアクセルを踏む足に伝わって、100q/時をはるかに越えるスピードが出たりしている。
「隊長が『走れ』と言うたときは、スピード違反の罰金も会費から出すけれど、好きで走っているときに捕まったら、罰金は自分持ちやぞ。隊長、スピードは?」
「ゆっくり行け!」
と、運転の荒ちゃんにプレッシャーをかけ過ぎたのか、途中のコーヒータイムが長すぎたのか、予定の8時に20分ほど遅れて、関西空港4階の国際線ロビー玄関前に到着した。
 車は、いつものように玄関前にいる駐車屋のお兄ちゃんに預けることにして、
「9日間、幾ら?」と聞くと、
「18000円です」とお兄ちゃん。
「いつものように、12000円にしといてよ。社長にも頼んであるので」
と、章くんたちは粘る。
 実は先年に、この玄関前に待機しているお兄ちゃんたちに車を預けたのだが、その際に、「連絡先は、どこ?」と聞いたところ、「こちらへ」と言って、「代表取締役社長 金小路首相」と書かれた名刺をくれた。今もって『首相』という名前はナント読むの分からないのだが、とにかく、
「金小路社長にも、よろしく伝えといて」
と付け加えると、
「社長のお知り合いですか。分かりました」
と12000円になった。ホントのところは、金小路首相という社長の顔も知らない。
 預けた橋っさんのセルシオは、買ってから2ヶ月の真新しい車である。
「見ず知らずの相手に、頼むってキーを渡すンやからなぁ。車、大丈夫かなぁ」
と、飛行機に乗ってから心配する橋っさんに、隊長のトドメの一言、
「あのセルシオは、この9日間、首相専用車として活躍しとるさ」。


 午前9時30分、ボーデンタイム(搭乗時間)。10時00分、KE(大韓航空)722機は関西空港を飛び立ってまずソウル金甫空港へ。日本から飛び立つ大韓航空機は、西のヨーロッパへ向かう便も、東のアメリカへ向かう便も、全て一度ソウルに降り、そこで乗り換えてそれぞれ金浦空港の目的地へ向かうのだ。
 新しく開港した金甫空港は広い。売店も見渡すかぎり続いていて、「キムチ、韓国海苔、いかがですか。安いよー」と、流暢な日本語で呼びかけるチョゴリ姿の売り子さんに、章くん、「帰りに買うからね」と予約して、ロンドン「ヒースロー空港」を目指した。ソウルからロンドンまではノンストップで飛ぶ。

← 韓国 金浦空港


 この路線は、大韓航空のドル箱路線とか。私たちの乗った便も満席で、乗客の国籍も多彩。またそのいでたちも、旅行者あり、家族連れ、ビジネスマン、学生風、修道女などなど。ドル箱航路は、いろいろな人たちの希望、生活、欲望、夢…を乗せ、洋の東西を結ぶ。飛行機の中で握手をしてもらった女の子
 客の中に3才ぐらいの女の子がいた。両親と12・3才ぐらいの姉、10才前後の2人の兄との5人旅であった。飛行機の中を何かぶつぶつと言いながら歩き回っている。ときどき席に戻ってきて、姉や兄と盛んに喋り、またぶつぶつと言いながらどこかへ行ってしまう。西欧人の理屈好きは、三つ子の時代かららしい。この子とは、アイルランドまで一緒だった。章くんは、途中で2回、握手をしてもらった。


 ソウル金甫空港を飛び立ってから11時間50分。現地時間16時55分、予定通りイギリス、ヒースロー空港へ到着。一行はヒースロー空港で入国審査を受け、さらにアイルランド航空(エア・リンガス)に乗り換えて、アイルランドの首都ダブリンへ飛ぶ。イギリスからアイルランドへ向かう際には、出国審査も何もない。イギリスとアイルランドとの行き来は、国内扱いなのだ。

 ヒースローで約2時間の乗り継ぎ待ち。広大なヒースロー空港の中を、アイルランド航空「エア・リンガス」の発着場を探して歩き、たどり着いたエア・リンガスの待合室で、飲ン兵衛の隊長と荒ちゃんはアイルランド特産のギネスビール、下戸の章くんと橋っさんは世界共通のコーラを飲む。

← ヒースロー空港内、エア・リングスの待合室



     
 19時10分、エア・リンガス177便は、ヒースロー空港の国内線発着場から出発した。


      アイルランドの国の色であるの機体、
         アイルランド航空「エア・リンガス」 →



 ロンドン、ヒースロー空港からダブリンまでは、約1時間15分。この短いフライトの間にも、機内食が出たのにはびっくりした。人間一寸先は闇、いつ落ちるか判らないのだから食べられるときに食べておかなきゃと、美味しくいただきながら窓の外を見ると、アイルランドの海岸線が紋様を描いている。

 午後8時25分、ダブダブリン 午後9時30分リン空港着。実に日本を出てから17時間30分。荷物を受け取り、レンタカーを借りて空港を後にしたのは、ダブリン時間で夜の9時30分。でも、明っかる〜い!
 アイルランド第一夜の宿は、隊長が日本から予約してくれていた「ハーコート・ホテル」。日本から持っていった『地球の歩き方、アイルランド』に記載されているダブリンの地図を見ながら、宿を探す。もう、章くんたちは、海外旅行のベテラン(?)だ。ちょっと迷っただけで、目的の宿を見つけた。
 このホテルのフロントのおねえちゃんが凄い。座ったままで振り向きざま、ルームキーを後ろのボックスへ投げ入れる。「ナイスショット!」と自分で自分を誉める。

← ダブリンの町へ入ったのは午後10時、まだまだ明かるい!

  
「ホテルの駐車場は、どこ?」と聞くと、おねえちゃん、「前の道路だ」と言う。
「えッ、大丈夫か。駐車違反にならないの?」とさらに聞くと、
ノン プロブレム(問題ない)」と、ここでも大物ぶりを見せる。

         ホテルの駐車場は、前の道路だ →
              一番左の紺色のワゴンが章くんたちの車



第2日 6月27日(日)  伸ばし放題の雑草… それがラフ

 「8時に起きようぜ」と言っていたのに、2階の部屋だった橋っさんと荒ちゃんが、6時30分に起こしに来た。
「なんでそんなに早くに起きるのや?」と怒る、朝まるで弱い章くんに、
「俺らの部屋は、1階ディスコのすぐ上さ。アイルランドの奴らは、朝まで騒いでやンの。寝られたもンやないのさ」
と2人は目を腫らして説明する。そう言えば、昨日は土曜日だ。
 このホテルも朝食つきである。オレンジとミルクをコップに取ってきて待っていると、少し黒ずんだ生地の食パンを焼いて運んできてくれた。続いて大きな皿に目玉焼き、ベーコン、ウインナーと焼きトマトが盛られてきた。アイルランド・ブレックファーストだ。
 

 少し早いけれど、どうせ迷うんだからと朝食を済ませた一行はキャディバッグを積み込んで、ゴルフ場へ向かって出発。日曜日のダブリンの朝は人影もまばらだ。通りに佇む朝日に照らされた建物は、みんな石造り。壁面もコンクリートやモルタルが塗られているものは無く、教会も民家もみんな石が貼り付けられている。
  

← アイルランドの都市は石の街だ。

 今日のアイルランド第1戦は、イギリスとの間を隔てるアイリッシュ海に臨む「ロイヤル・ダブリンGC」。ダブリン市外の東北だと判っている。朝日の射す方角が東だから、それに向かって走れば海にぶつかるはずだし。さらに陽光を右に受けて走れば、北上して目的の方向へ行く予定である。


 ヨロヨロっと走っていけば、何とかなるものである。いや、ロイヤルダブリンGCが、いいところにあってくれたと言うべきか。海沿いの道を走っていくと、背の低い草木に覆われた広大な砂地に、赤い屋根が見えた。「クラブハウスじゃないか」と近寄っていくと、草むらの間に突然バンカーとグリーンが現れた。到着!
 「ロイヤル・ダブリンGC」は、浜辺の草地に開かれた36ホール。ロイヤルの名称を冠し、レストランは上着とネクタイを着用していないと入れない。
 予定よりも早く着いた一行は、スタート時間までの間、入念なアプローチとパターの練習を繰り返した。しかし、刈り込んだ芝生の上からの練習が、何もならないことを、すぐに思い知らされる。
 1番、右ドッグレッグのパー4。章くんのティショットはフェアウエイを突き抜け、さっそくラフ。運良く見つかって、おとなしくフェアウエイへ出し、乗せて2パットのボギー。2番で10mを1パットで沈めてバーディ。案外チョロイと思ったんだけど…。
 パー・ボギーを繰り返しながらやって来た7番パー5。7番アイアンでグリーンを狙った章くんの第3打は、グリーンの左エッジに落ち、傾斜に蹴られて左ラフへ転がった。ところが、エッジからひと転びのボールが膝の上まである草の間に沈んでいる。密生する雑草の茎は硬くて、サンドウェッジで力いっぱい叩いてもクラブヘッドがボールに届かず、ボールは微動だにしない。「アンプレアブル…」とつぶやいて、そのはるか後方の浅いラフにドロップ。ショートするわけにはいかないアプローチは、さすがに強くてグリーンをオーバーし、寄せても入らずの2パットで『9』。

     7番 パー5。アンプレアブルの第6打。   →
       
アイルランドのゴルフは この写真に尽きる!!


 ↓ これがアイルランドか? これがアイルランドよ!


 18番、ティショットを打ち終えてセカンド地点へ向かう途中に、突然のはげしい風と雨! どれぐらいのはげしさかというと、章くんの残りは180ヤード、普通4番を持つところ8番で打ってエッジまで届いてしまったというほどの風なのだ。アイルランドでのラウンド中、一行はこの雨と風に付き合うことになる。2〜3日すると慣れてしまったけれど。


 章くん、この日、『88』。後で考えてみれば、初めてのアイルランド・リンクスでこの成績ならば、例年の結果からしても上等なのだが、どちらに転がるか解からない凸凹のフェアウエイ、伸ばし放題のラフ、いたるところに口をあけるウサギの穴…など、あまりのコースのワイルドな状態に、何となく「僕の上品な(?)ゴルフじゃ通用せんなぁ」と弱気になってしまった。これから後のアイルランドのラウンドを通して、ティショットを振らず、集中力や執念に欠けるゴルフをしてしまうことになる。


 ホテルに帰ってシャワーを浴びて一休みした後、食事も兼ねてダブリンの町へ出かけることにした。
「この近くで、美味しいレストランはどこ?」
と、ホテルのおねぇちゃんに訊ねると    
「こう行って、ここを曲がって、ここの裏のここ」
と、地図まで書いて詳しく教えてくれた。     →
 ところが、なぜか目的のレストランにたどり着かず、雨まで降ってきて、通りにあったパスタレストランでスパゲティをつつく羽目になった。おねえちゃんは親切に教えてくれたのだが、聞く方の英語力が力不足なので、目的地にたどり着かないのである。

 街角で緑色のポストを見つけた。アイルランドはイギリスに徹底的に痛めつけられ搾取されてきた歴史を持つ。独立とともに、イギリスを象徴する「赤」を排し、アイルランドの色を「緑」と定めて、アイルランド航空機の機体から空港の内装の色も、市内を走るバスの車体も、ポストの色までも緑に変えてしまった。

← ゴミ箱じゃないよ、ポストだよ!


 信号機の止まれはさすがに赤である。欧米の人たちは概ねそうだけれど、ここダブリンでも歩行者で信号を守っている人など誰も居ない。車が来なければ、赤信号でも平気で渡っていく。自己責任の原則が徹底しているということなのだろうか。

 食事を済ませると、もう夜の10時。でも、あたりは明るくて、まだまだゴルフもできそう。

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アイルランド・ゴルフ紀行 その1

1999. 6.26日(土)〜7.4(日)       その1