タイ・ゴルフ紀行 2007その1 その1     
  

第3日目 12日(月)  ナワタニGC ローズガーデン
 ホテルを出るときは真っ暗だったけれど、
 途中で夜が明け、日が昇った。


 午前5時30分起床。旅先の章くんの朝は早い。


 6時15分、朝食を済ませて、30分が今日のゴルフを手配してくれた梨花ゴルフサービス社のピックアップ予定だから、25分にロビーへ降りていくと、お迎えのチャン君が手を振りながら出迎えてくれた。去年も彼の運転で何度かゴルフ場への送迎をしてもらったので、顔を覚えていたのだ。

 






 約40分でナワタニGC 到着。


         ロビーには「タイランドNo.1」の
                 掲示があった ↓






 1973年開場の歴史と風格を兼ね備えた名門ゴルフコース。1975年にはタイのゴルフ史上に語り継がれるワールドカップを開催している。














 青マークから6902ヤード、コースレート72.5。歴史を物語るように木々は大きく、芝の状態はよく管理されていて申し分ない。



  【拡大】 さすがはタイのコース、
      2月のこの時季にも花でいっぱいだ 【拡大】



  ↓ 1番のティグラウンド







   













  















 
← カップの周りに 半径30cmぐらいの円が描いて
 ある。この中へボールが止まると、キャディさんが
 「OK」とか言って拾い上げてしまう。
  野末さんは「カップインの音が聞きたいから」と言
 ってピックアップを拒否したけれど、カップはプラス
 チック製で、ゴロンと入っただけだった。

 




 ナワタニGCの印象は、よく整備された美しいコースといったところ。花畑や生垣もきれいに整えられている。
 キャディのミチダーさんがつけてくれた、章くんのタイ緒戦のスコアーは、44・45の89。9ボギー4ダブルボギーと、最近の傾向のとおりダボが多い。
 純子ちゃんと野末さんのスコアは、「試合放棄」とか言っていたから、推して知るべし。時差、環境、言葉、体調などが変わる、遠征ゴルフの厳しさにさらされたというところか。
 


 ラウンドが終了したのがお昼過ぎ。シャワーに入って、
昼食だ。
 ここのレストランにも、プ・パッポン・カリーあった。
カレーのスパイスの効いた、パンチのある味だった。

  
  帰り道も、いろいろなモニュメントが、目を
  楽しませてくれる。


 帰りの車の中でチャンくんが、「午後はどうするんだ」と聞いてきた。特に予定もなかったのだが、純子ちゃんたちをガイドしている章くんとしては、彼女たちを飽きさせることはできない。
 「水上マーケットか、ローズガーデンへ行ってみようかと思っている」と言うと、「僕がガイドしようか」と言ってきた。チャンは、自分の車で梨花ゴルフの送迎を請け負っているのだ。午後は仕事はないから、章くんたちの足となってガイドをすると言うのである。



 「幾ら?」と聞くと「2000Bt」と意外と良心的なことを言う。偽ソンブーンのトラウマで、即座に信用しない章くんがしばらく返事をしないでいると、「幾らだったらいいんだ」聞いてくる。その純真さに、「いや2000Btで頼む」と章くん。


 ホテルに荷物を置いて、早速 出発。


← ラーマ[世橋







 「水上マーケットへ行こうか?」と聞くと、「あそこは朝のうちに終わってしまう」と言う。「そうか、朝市なんだ」と納得して、「ローズガーデン」へ行くことにした。


           バンコクの西郊外の道路網 →

  

 バンコクから南西へ約1時間、ローズガーデンはナコーンパトム県サンプラーンという町にある、バラや蘭の花々が咲き乱れる8万5千坪の緑濃いエリアだ。隋所に水上マーケットをかたどった池やタイ風の建築物、レストランのほか、タイ文化を100人を超える出演者が50分ほどのショーで紹介するカルチャーセンター、象乗り体験のできる象センターなどがある。


← 入り口では 象さんが出迎えてくれる。【拡大】

 
 
  500ほどの観客席、館内は冷房も
 利いているカルチャーセンター  →


  
村祭り












   
    ↑ オープニング  農村の夜明け風景【拡大】

    
村の若者が象に乗って出家 水の精たちのタイダンス 結婚式
ムエタイボクシング 村の遊び フィナーレ 【拡大】
































 ショーはタイ農村の夜明けの場面から始まった。村の若者がお坊さんになるべく出家するお祭り、仏教儀式、象も参加する行列。人々が集えば始まるムエタイボクシング。水の精たちのタイ古典舞踊、種まきと収穫の村祭り、結婚式のお祝い、そして最後はタイ各地での民族ダンスで華やかにフィナーレを迎える。

  


 表に出ると、象たちのショーが始まった。

 












   
  ↑大きな材木を持ち上げる 力持ちの象


  奏でられるリズムに乗って 踊る象、
   鼻でフラフープを回す小象 【拡大】




   

← 木々や花々の間に レストランが点在している

  














  
   園内は 花であふれていた 【拡大】



 午後4時、ローズガーデンに別れを告げ、バンコクへと取って返した。

 

← 帰りの道で出会った スーパーカブにリヤカーを
 取り付けた運搬車




  町の歩道に座り込んで
  遊んでいる子供たち →








  

 チャンくんに「マッサージの店を知ってるか」と聞くと、「任せておけ、でもホテルの近くがいいよね」と相変わらず良心的なことを言う。
 連れて行ってくれたのは、バンコク・パレスのまん前のペチャダスパ。「幾らだ」と聞くと「2時間500Bt」と言うのに、章くんはまだ「400Btじゃないのか」と値切っている。
 フロントでの値段は「1時間400Bt、2時間ならば600Bt」と言われた。チャンの誠意を揶揄したわが身が情けない。


 このあと、吉井さんと会って夕食を一緒する約束だ。あまり時間がないので、今日のところは1時間だけ揉んでもらった。

  



 バンコク名物大渋滞に巻き込まれて、タクシーは大往生…。早朝や深夜には10分ほどの距離を1時間近くかかってしまって、吉井さんに会ったのは7時30分ごろになってしまった。


← サラディーン駅前で待ち合わせ。
  町は、キング・イエローのシャツを着た人たちで
 あふれていた。



 (キング・イエロー …  タイの人たちの多くは黄色のポロシャツを着ている。黄色は現国王
  プミポン陛下の色なのだ。なぜ黄色かというと、プミポン国王は月曜日のお生まれ、タイでは
  各曜日に花があてはめられていて月曜日はひまわりの日(=黄色)だからである。同様に、お
  后(きさき)様の色はライトブルー(すみれ色…というべきかな)である。
   黄色のポロシャツの胸にタイ王室のエンブレムマークがプリントされているものも多いが、
  これは1枚売れると幾許(いくばく)かのコミッションが王室に入り、恵まれない人々を救済
  するための基金として使われる。
   タイでは、常時、半分近くの人が黄色のシャツを着ていて、さらに国王の記念日には、町は
  黄色で埋め尽くされる。)

  
  
 吉井さんにご一緒いただいたのは、タイスキレストランの「COCA」。バンコク市内に何店もある店のうち、サラディーン近くのこの店はいつも満員の客であふれている。

 


← 具材は、牛・豚・鶏・魚・野菜と豊富だ。


 
 

 最後に雑炊を作ってくれた。
 ここでもプ・パッポンカリーを頼んだが、万人受けするまろやかな味であった。

  







← 店内は、たくさんの外国人客で
 にぎわっていた。




   
 パッポン通りは今夜もにぎやかだ







 食後は、パッポン通りの屋台店を冷やかして歩いた。  
 ゴルフのシャツを6枚ほど持ってきているのだが、バンコクの暑さに、今日は3枚替えた。洗濯はするとしても、少し仕入れておかなくてはならないかなと、章くん、ポロシャツの店をのぞいてみた。
 1枚を手にとって「幾らだ?」と聞くと、おねえちゃんが大きな計算機に「840」と打ち込んで見せてきた。840Btということか…。まずはジャブだから、章くん、「話にならん」とその計算機をシャツの山の上に放り投げる。と、「幾ら、幾ら…」と計算機を渡して、幾らなら買うのかその金額を打ち入れろと言う。
 「200」と打つと、「ダメ、ダメ」と首を横に振る。「じゃあ、要らん」と立ち去ろうとすると、おおえちゃん、追いかけてきて「OK、OK」と言う。この、一度立ち去るのがコツである。結局、もう1枚との合計2枚を380Bt(≒1390円)で買ってきた。ちょっと高い買い物をしてしまったか…。


 スポーツシャツの入ったレジ袋を提げて、ゴーゴーバーへ入った。今夜も20〜30人の女の子たちが、ビキニ姿でステージで踊っている。界隈には7〜8軒のゴーゴーバーがあるが、女の子たちが居る店(当たり前と思うなかれ…)、デブ専の店、ニューハーフばかりの店など、ここはバンコク、店の中身は多彩である。
 もちろん、野末さんの強い要望でニューハーフの店。「これは男なんだ」と思ってしまうので、章くんはどことなく苦手なのだが、入ってみて、ここでも彼女たちの美しさに驚いた。女の子たちが並んでいる店よりも、格段に粒ぞろいである。
 野末さん、ニューハーフの美しさに開眼…、「もう、死んでもええですわ」。


          その2へ  その4へ  世界ゴルフ紀行トップへ