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第6日目 15日(木) タイ・カントリー
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外はまだ真っ暗。 |
5時起床、5時45分に吉井さんがム〜ちゃんのタクシーに乗って迎えに来てくれる。今朝もツアーについている朝食は食べられないから、昨夜、帰りがけにパンとヨーグルトを買ってきて、ゴルフの準備をしながらパクついた。
今日のコースは「
タイ・カントリー」。タイ随一の格式を誇る、メンバー同伴コースだが、吉井さんのお友達のKoh(黄)さんがメンバーで、今日はご一緒していただける。だから、ゴルフ旅行社に頼むと予約のみで平日4600Bt、週末6400Bt(送迎つきは、各5500,7300B、カート代600Btは別だ)というところを、メンバーゲストとして2800Btポッキリでいいらしい。
午前6時20分、クラブハウスへ到着。プロショップを兼ねたフロントへ行き料金を払う。キャディフィとカート代も入れて、ホントに2800Btだった。
「じゃぁ、すぐにスタートですから」と言う吉井さんの言葉に促されて、1番のティグラウンドに行くと、まだ夜の明けきらない薄靄の中で、パッティング練習をしている人影があった。今日からのゴルフで大変にお世話になるKohさんである。
「おはようございます。今日はお世話になります」とあいさつすると、「おはようございます。よろしくお願いいたします」と流暢な日本語が返ってきた。

Kohさんはタイ経済を動かす華僑一族の3代目、もちろんれっきとしたタイ人である。東南アジアを中心に宝石を買い付け、世界中へ卸している。
ゴルフのハンディは「8」ぐらいだろうか。今日のベットは黄さんと章くんはスクラッチ、吉井さんに6つ出してスタートだ。
まだ薄暗い中をティショットしていった。
それでもキャディさんは、ボールを
ちゃんと見ている。 →

ここタイ・カントリーでも、メンバーは何時に来てもスタートできるし、何時までプレーしていてもよいシステムなのだ。メンバーたちは、おおむね早朝にスタートして午前中にホールアウトしていく。午後の暑い最中にプレーしているのは、ほとんどがビジターの観光客だ。
← 3番のティグラウンドで、ようやく日が昇ってきた。
バンカーの大きいこと 【拡大】→
章くんのキャディのイァンちゃんは、前回、章くんがタイ・カントリーへ来たとき、同伴してくれた天野さんに付いていたキャディだ。天野さんの話をしたら、「今日、午後から来るよ」と言っていた。
途中の茶店の女の子。「撮るよ〜」と言ったら、
とびっきりの笑顔を見せた。 →
海苔で巻いたおにぎりがおいてあった。30Bt、
(タイの価格としては)とびっきりの高価だ。
← 18番 368Yパー4
アウトは4ボギー2ダボの44。インは1バーディ3ボギー2ダボで42。トータル86。2003年にこのコースでプレーしたときには「82」だったのだから、やはり力が落ちているということか。
Kohさんに2つ、吉井さんに1つ負けて、「名刺代わりのご挨拶です」と章くん、負け惜しみを言っている。
、
← シャワー室
立派なジャグジーも完備している →
シャワーのあと食事にしようということになったが、Kohさんが「地元の安くておいしい店にご案内します」と言って、前を走っていく。ム〜ちゃんが懸命にその後ろを追う。

バンコクへ戻る道の途中、左へ曲がって一方通行をゴニョゴニョッと逆送し、小さな集落の中の1軒の前に車を止めた。
Kohさん、7〜8品ほどをあれこれそれと矢継ぎ早やに注文する。「そんなに食べられるかなぁ」と心配すると、「おいしいから大丈夫」とか言ってまだ頼む。
野菜とハマグリの煮物、空心菜のタイ味噌炒め、アヒルの手羽、ブタの胃袋、辛い牛肉のたたきサラダ…、鶏肉を蒸しあげただけのものもタイ味噌のタレで食べるとおいしい。プ・パッポン・カリーも頼んでもらった。

Kohさん、「章さん、明日は何していますか?」と聞くので、「吉井さんにエントリーしてもらった、バンコクGCへ行こうかと思っています」と答えると、「そんな観光客向けの混んでいるコースはキャンセルできませんか? 私のメンバーコース『ロイヤル・ジェムス』に朝一番のスタートを取りますから行きましょう。メンバーカードがありますから、安くできますよ」と言ってくれた。
バンコクGCも、吉井さんの後輩が居るとかで1400Btという特別料金にしてもらっているので「キャンセルできますかね」と聞くと、吉井さん、早速電話を入れて「OKです」との返事。明日はまた、6時25分のスタートが決まった。
Koh(黄)さんは、名前の字が表すように華僑の3代目。お祖父さんが中国南部の沿岸地方「汕頭(スワトウ)」の出身で、その土地の人は海外へ出た人が多かったとのことである。日本でも明治以降ハワイ、アメリカ、そして満州へとたくさんの人々が海を渡って行ったが、当時の農村の貧しさがその背景にあったように、「汕頭は人たちは貧乏だったのですよ」とKohさんは淡々と話してくれた。
タイへ移ったKohさんの一族は、お互いに助け合いながらタイでの産業地盤を築き、今はさまざまな会社を興し活躍している。「みんな、昔の貧乏が怖かったので、一生懸命に働いたのです」と笑い話にしているが、見知らぬ土地での新しい生活には一方ならないご苦労があったことだろう。
今、一族の人たちの中には中国語を忘れた人も多いけれども、ふるさとの風習は現代の中国人以上に厳格に伝えているとも話していた。しかし、自分たちは中国人ではなく、まさしくタイ人であると言う彼の言葉は、タイの国の産業を築き、今のタイ国の形を造ってきたのは、自分たちであるという自信と誇りの表われであろう。
2人の子供はイギリス留学中、Kohさんはタイ語・英語・日本語・北京語・広東語を自由に操る国際人である。「3月末に日本へ行くので、時間があれば電話します」とフレンドリーである。
飲み物代を入れて、一人400Bt。ホントに安くて美味しい店であった。
表で待っていてくれたム〜ちゃん(しつこいぐらい、店内で一緒に食事をしようと誘ったのだが、彼女は頑として車から降りようとしなかった。口説かれると思ったのだろうか)のタクシーに乗せてもらって、ホテルへ戻ったのは2時過ぎであった。
一休みしてから、ホテルの近辺を散策してみた。界隈は、バンコクの人々の生活感あふれる一帯であった。街角の表情をのぞいてみよう。
← 夕食は、ホテルの前のこのレストランでとった。
この写真は夕方出かけるときに撮ったので、周囲が
まだ明るいけれど、食事をしたのはホテルへ戻る直
前だったので、午後9時過ぎだった。
海鮮スープ、グリルドチキン、パン、コーラ+サービス・税で453Bt。洋食レストランはちょっと高い。
夕食453Btを高いと思うようになったのだから、章くんもタイの金銭感覚に慣らされてきたということだろうか。
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