3月29日(日) タカシ、アメリカへ転勤
学習塾をやっていた時代の生徒のタカシが、「アメリカへ転勤します」と言ってきた。「英語、全然喋れないンです」と不安そうだったが、年度替りの超多忙期で激励会も開いてやれず、「アメリカぐらい名古屋のすぐ向こう…、飛行機に乗ったら12〜16時間ぐらいや。名古屋から夜行寝台に乗ったら、12時間では北海道にも着かんだろう。また、遊びに行くわ」と気楽なメールを送っておいた。
それにしても、赤字会社が何でタカシをアメリカへやるのか…。倒産間近の大盤振る舞いか、それとも英語が全く喋れないタカシを自主退職に追い込む深謀遠慮か?
と、冗談はさておき、アメリカは何といっても世界経済の中心地だから、ブータンへ行って「豚マン」を売ってこいというのとはわけが違う。本人の心がけ次第だが、吸収すべき多くのものと会社が期待する大きな市場が待っている。何を学び、何を持ち帰るか…。また、何を成し遂げ、どれだけの業績を挙げてくるのか…。大いに期待しながら、帰国を待つことにしよう。
3月23日(月) くすぶる郵政民営化反対 −鳩山総務相の抵抗−
鳩山邦夫総務相が、「2400億円で作ったものを105億円で売却するなんて、国有財産の投売りだ」といった論調で、『かんぽの宿』をオリックス不動産へ一括譲渡する動きを牽制し、また、東京中央郵便局を38階建てのビルに建て替える計画にも見直しを…と待ったをかけている。
この一連の動きは、小泉改革の象徴たる郵政民営化に対する、改革反対派の反動である。年間30億円近い『かんぽの宿』の運営をどうするかの方策もなく、国民感情に訴えてただ反対を唱えるというのは、嫌がらせ以外の何ものでもない。
昭和8年から使用されてきた東京中央郵便局の旧舎の建て替えにも、鳩山総務相は「重要文化財の価値を有する建物を再開発で取り壊すのは、トキを焼き鳥にして食べるようなもの」と答弁して、再開発計画の見直し要請を明言した。
東京中央郵便局の旧舎は、今現在、重要文化財に指定されているわけでもないし、それをどのように解体処理しようとも日本郵便の裁量である。「トキの焼き鳥」などという例えも感心しないが、昭和8年に建てられた東京中央郵便局の旧舎程度の建物は日本中にたくさんある。今まで文化財に指定していないのだから、文化的価値は総務相がわざわざのクレームをつけるほどてもないはずである。もしもクレームをつけるのならば、日本中の同程度の建物の全部を洗い直すこともしなければならないのであろう。それを、日本郵便を標的としてヤリ玉に挙げるというのは、別段の目的があると勘ぐられても仕方がないのではないか。
3月10日(火) 近頃、テレビを見ないなぁ。
近頃はテレビを見なくなった。ケーブルテレビで、たくさんのチャンネルを徘徊していたのは、何だったのか。結局、何も見ていなかったということなのだろう。
ケーブルテレビで唯一よく見た番組は、毎週土曜日11時からの「パックインジャーナル」。5〜6人のコメンティターが2時間に渡って時事問題を論じるのだが、はじめは視点も面白いかなと思って見たけれど、新左翼といった面々が時の政治や社会にイチャモンをつけるのも、そのうちマンネリ化してしまって、おじさんおばさんの井戸端会議になってきた。
司会の愛川欣也がピント外れな私論を繰り返すし、コメンティターの面々も何を言うかは予測がつくようになってしまった。
たまたま3年ほど前に録画したものが残っていて、先日見てみたら、「小泉政権はもうもたない」なんて言いたい放題を言って、結果を外している。このコメンティターたちはまだテレビに出ているけれど、この手の面々は責任を取らなくていいのだろうか?
3月1日(日) 謙信 死す! −気になる阿部寛という役者の存在感−
NHKの大河ドラマ「天地人」の本日分の放送で、上杉謙信が死んだ。戦国の北陸(越後の春日山)にあって70数戦無敗、織田信長との決戦を前にして、志半ばに倒れた謙信は、自分を毘沙門天の生まれ変わりと信じて、戦乱に明け暮れていたこの世に「義」を貫こうとしたという。
謙信の死はドラマの通過点であって、これから物語は関が原の戦いにおいて家康の不当さを厳しく弾劾する「直江書状」に向けて進んでいくことになるが、このドラマで描かれた謙信のカリスマ性をややオーバーアクションかと思われるほどに演じた「阿部 寛」が、一躍脚光を浴びている。
芸能オンチの僕はこれまで、「あったか我が家に帰りたい」という家のCMぐらいでしか知らず、ちょっとエキゾチックな雰囲気のタレントだなといった認識であった。略歴などをちょっとのぞいてみると、公称186cmと背が高く、それがために相手役の女優とのマッチングが釣り合わないなど、意図せぬ不遇の時代を経て、この謙信役で彼は役者として不動の位置を確かなものとしたようである。(以前から、千両役者であって、僕が認識していなかっただけであったのかもしれないけれど。)
大きな目と気になる存在感…、これからのテレビの顔として、なくてはならない存在となったように思われる。