【137】 
「カラマーゾフの兄弟」 第4巻   
       (ドフトエフスキー、亀山郁夫訳、光文社文庫)        2008.01.20


 去年の夏に読んだ「カラマーゾフの兄弟 4・5巻」の読書感想文を書き込んでなかったので、
 記載するために、今日、再度つらつらと読み返してみた。



 父親殺しの容疑で捕らえられた長男ミーチャ(ドミートリー)の裁判が始まった。


 大酒飲みで女にもだらしなかった父親フョールドを憎みつつも、金に困っていて、その父と折り合いの悪かったミーチャの有罪は揺るがないものと思っていた次男イワンに、もとカラマーゾフ家の下男であったスメルジャコフが、「親父さんは、私が殺した」と打ち明け、フョールドの手元から盗み出した3000ルーブルと封筒を見せる。スメルジャコフは、フョールドが町の女に産ませた息子だという噂が流れていた。下男としてしか扱わなかったフョールドに、スメルジャコフは殺意を抱いたのだろうか。
 カラマーゾフ家の三兄弟は真(自主独立の次男イワン)、善(心清らかな三男アリョーシャ)、美(耽美的な生活の長男ミーチャ)を象徴していると言われるが、スメルジャコフはそのイワンに向かって、「私は、あなたに代わって親父さんを殺したのだ」と告白する。父親をさげずむイワンはスメルジャコフに向かって、日頃、「親父みたいな人間は生きていてはいけない。 … 僕が手を下すべきだ」といったことを繰り返し話してきたからだ。
 イワンは、金の亡者である父親からの仕送りをあてにせず、親戚の厄介になるのも嫌って、自力で大学を卒業し、ジャーナリストになって社会に出た。学費は全てアルバイトでまかなったとドフトエフスキーは書いているが、それは金にこだわらない孤高の性格を強調したかったというよりも、この物語を貫く二面性をここでも描いていて、このニヒルな無神論者の仮面に潜む欲望の正体をさらけようとしていたのである。
 その二面性を父親のフョールドはある部分気づいていて、「お前は俺の遺産を狙っている」と毒づくが、イワンの意識の下にある欲望とは、スメルジャコフによって覚醒される親殺しであった。
 愕然として家に戻ったイワンのもとに、アリョーシャが息せき切ってやってきた。「スメルジャコフが首を吊りました」。


 スメルジャコフが死んでしまったからには、「兄は無罪だ。スメルジャコフがはっきりと『私が殺した』と言ったのを、この耳で聞いた」と証言したとしても、誰もイワンの言うことを信じはしない。みんなは「兄をかばうために、死人に罪をかぶせているのだ」と思うだけだろう。
 ミーチャに今まで冷淡な態度を取り続けていたグルーシェニカは、親殺しの嫌疑をかけられて圧倒的に不利な裁判を闘っている彼を、献身的な優しさで支えようとする。「真実の愛に目覚めた」とこの恋多き女は言い、「あなたが帰ってくるまで10年でも20年でも待っている」と涙する。
 このような状況の中で真犯人なき裁判は進められ、ペテルブルグから来た天才的な弁護士フェチュコーヴィッチの大弁論が展開される。『父たるものよ、汝の子らを悲しませるな』という聖書の一節を引いて、殺されたフョールドがいかに堕落した男であったか、息子たちに対してさえも吝嗇(けち)で、女にだらしなく、下品であったかを述べる。さらに、ミーチャが殺害したという証拠は、凶器を彼が使用したということも実証されていないし、殺害の現場も目撃した人はいない…と。
 法廷には拍手が湧き起こり、その弁護を聞いた人は、誰しもがミーチャの無罪を信じて疑わなかった。
 裁判は、陪審員の協議のため1時間の休廷ののち再会された。そして、下された評決は「有罪!」。


 これが、ロシアの民衆の真意というものだろうか。ドフトエフスキーは評決の前の法廷での世間話で、『(陪審員のうちの多くを占める)百姓どもがなんと言いますかね』とささやかせ、判決後に『お百姓たちが意地を通しましたよ』と言わせている。


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