理科・社会科ノート盛衰記
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 全国図書教材教具協会からのクレーム


 「理科ノート」が、東海・近畿で販売部数を伸ばすにつれて、さまざまな方面からいろいろなリアクションが起こり、風当たりも強くなってきた。
 教科書会社の申し出が一段落したあと、今度は東京の「全国図書教材協会」から内容証明郵便でクレームが寄せられた。
 「全国図書教材教具協会」は、学校関係の教材・教具・図書などを作成出版している、伸学社・同仁図書・若葉出版・日本基準テスト社・明治教材…などが発起人となって設立し、全国の教材の学校納入業者を会員とする同業者組合である。学校へ、発起人が作成出版する教材を納入しようとする業者は、全てこの協会へ加盟しなければならないと定めて、会費は年間3万〜10円、会員数は1500社を擁していた。
 協会は、新規参入などには厳しい資格を問うなど、会員の権利と利益を守ろうとする保守的な一面があったけれども、零細家内業者が多い教材店の健康保険や厚生年金など福利厚生を指導したり、業界の後進性を打ち破る指導を行ったりして、それなりの存在意義はあったと思う。


内容証明郵便


 その「全国図書教材教具協会」から、章くんのもとへ一通の内容証明が届いたのである。


 封を切ってみると、「貴社は、大阪において貴社が発行する「理科ノート」(定価180円)を、案内文に『20円の値引きをして、集金金額は160円で結構です』と明記して販売しています。これは、法律に違反する行為であり、また学校の先生方に違法な行為を行わせるもととなりますので、即刻中止されるよう求めるとともに、貴社の見解をご返信ください」とあった。
 差出人は、この数年前年に、文部省を退官してこの協会へ赴任し、事務局長を努める清本郁美氏、れっきとした男である。文部官僚あがりのキレものと、章くんもその名を聞いたことのある、実力派であった。先に記した、教材業者の保険を整備したり、就業規則を整えたりして、業界の近代化を推進していったのは、この清本事務局長の手腕によるところ大である。
 しかし、このときばかりは、さしもの文部官僚OBもミスをした。相手が悪かったというべきか。


定価販売は、教材業者の勝手な言い分


 この件には伏線があり、数年前から、教材業界では『定価販売』励行を推進してきていて、このころにやっと、全国の学校で教材を定価で購入しようという慣習が定着しつつあった。それまでは、学校教材は子どもたちから定価で集金し、業者に1割引程度差し引いて支払うことが多く、差額の1割は学級費に組み入れたり、時には先生のポケットにしまわれたりしていた。


 昭和36年、大阪府下及び兵庫、奈良、和歌山の各県下の公立中学校の教員が教科書の選定、採択に関して教科書関係の出版業者から金品を収賄した事件…いわゆる「大阪教科書汚職事件」が起こった。一人5千円の商品券を受け取ったことを問われたデッチあげのような事件だが、収賄の被疑者55名、贈賄の被疑者19名を送検して、同年の11月14日、捜査終結という事件である。
 それ以降も、教材費の差額がたくさんになってどうしようと新任の先生が父兄に相談してピンはねだと問題になったとか、その差額がもとで逮捕された先生が出た…など、1割の差額をめぐってさまざまな話が飛び交った。それほど1割の差額は、学校現場にとって悩ましい問題であったことも事実である。
 清本事務局長は、これらの事件を持ち出して全国の学校に文書を送り、「先生方を犯罪に巻き込まないために、定価販売を励行したい」と申し出、1割の差額が罪に問われる…といわれた学校現場は泡を食って定価支払いを受け入れたのであった。
 たかが1割といっても、教材費は40人学級で1学期に40万円ほど…、習字セットとか算盤セットとか値の張るものを買ったときには60万円にもなる。6学年をあわせれば結構な金額になるし、ひとつの学年が3クラスや4クラスの学校ならば総額700万とか800万円とかの金額だ。その1割だから、馬鹿にならない額になる。
 業者にとっては、濡れ手に粟の儲け話であった。1学期の売り上げ総額が1億円の販売店ならば、1千万円の利益が転がり込んだのである。清本事務局長は神様に見えたことだろう。


値引き販売は法律違反ではない  − 値引き分をポケットに入れたら問題 −


 しかし、ここには論理の矛盾がある。1割の差額がどこへいったかわからなくなれば倫理的法律的に、先生は責任を問われることになりかねないが、それをきちんと帳簿に記載し、学級費なり学年会計なのに計上していれば、何らの問題もない。1割の差額を受け取ることが、罪になることはないのである。
 それでも、学校の先生は妙な倫理観があって、たとえ学級費にするとしても、子どもから集めた金の1割をピンはねして計上するなんてトンでもないと言う。そして、業者に定価で支払っている。おかしくないか? そのまま支払うよりは、1割でもまけてもらって学級費に組み入れ、子どもたちのための学級文庫に入れる本を買ったり、画用紙やボールを買う一部に充てたほうが有益なことは、誰が考えても当然のことだと思うのだが、学校は自ら進んで1割の差額の受け取りを拒否しているのである。
 近年、広島あたりで、値引き交渉は当然の商習慣だから、1割の値引きを求める学校が出てきたと聞いたが、学校の先生の倫理観は世間から乖離して潔癖なのか、全国的な広がりにならないのが不思議である。


割引販売が法律違反という根拠は 再販価格維持契約
  −その契約は 出版社と業者間だけのもの −


 さらに清本事務局長は、図書教材を出版物と位置づけ、教材作成会社と協会加盟の販売店との間に、書籍の出版社と書店が結ぶ「再販価格維持契約」を締結した。
 この契約は、書店は再販価格を維持しなければならない…、すなわち、むやみに値引きをしてはいけないというという契約であって、値引き販売は契約違反として裁判にかけられれば負けることになる。「全国図書教材教具協会」は販売店に、「1割引いたら法律違反ですよ」と説いて回ったのである。
 これ以後、この契約を錦の御旗として、業者は「1割引くと法律違反になります」と、先生たちも共犯者であることをにおわすようなトークを重ねて、定価販売を定着させてきたのだ。
 しかし、「再販価格維持契約」は出版社と販売店の間に締結される契約で、契約の対象となる出版物を値引きした業者は契約違反となるが、法律違反ではない。ましてや、値引きを受ける学校や先生を拘束するものではない。しかも、この契約は、契約書が指定する出版物だけにかかわるものであって、工作用具やお稽古道具、習字セット、算盤…などの教材や、什器・学校備品などには一切適用されない。


『三重県の出版社 違法な値引き販売』と機関紙に掲載して全国へ配布


 こうした状況のもと、章くんが大阪へ販売した「理科ノート」は、『1割値引きします』の案内文が付けられていたのだ。
 大阪の業者はびっくり仰天…、自分たちがやっとの思いで築いてきた定価販売が否定されているし、「全国図書教材教具協会」としても全国の定価販売が根底から崩れてしまう。
 そこで、冒頭の内容証明となったわけであるが、念のために、もう一度掲げておこう。
 「貴社は、大阪において貴社が発行する「理科ノート」(定価180円)を、案内文に『20円の値引きをして、集金金額は160円で結構です』と明記して販売しています。これは、法律に違反する行為であり、また学校の先生方に違法な行為を行わせるもととなりますので、即刻中止されるよう求めるとともに、貴社の見解をご返信ください」
 そして更に、全国の会員(業者)と学校へ届けられる「全図教ニュース」なる機関紙に、『三重県の出版社 違法な値引き販売』『鞄写三重 代表取締役○○章氏』の大見出しをつけて、1面の中段に掲載されてしまった。
 心配した知り合いの教材店や学校の先生は、さまざまに連絡をくれたが、章くんは確信犯である。


 これに対する章くんの返信は、
「 … 20円の値引き販売は法律違反とのご指摘ですが、その根拠は『再販価格維持契約』のみかと存じます。貴協会の会員諸兄が、この契約にかかわる物品を販売されたときに法律違反(契約違反というべきですが)となることは解りますが、「理科ノート」はいずれとも再販価格維持契約を締結したことはなく、その契約に縛られる商品ではありません。よって、20円の値引き販売は法律違反とのご指摘は不当なものだと心得ます。
 また、先生方に違法な行為を行わせるとありますが、値引き行為は何ら違法行為ではありませし、値引きした物品を購入することも違法な行為ではありません。むしろ先生方には定価販売を求めるよりも、差額を学級会計帳簿に記載するなどして、適正に処理することをお願いしていくのが、あるべき姿ではないでしょうか。
 過日、貴協会の機関紙に、「理科ノート」の値引き販売が不当なものだとの記事が掲載されましたが、以上申し上げた事由により、謝罪と記事の取り消しを掲載されるよう求めるものであります」
と、送った。


 その後、「全国図書教材教具協会」からは、一切の連絡も、記事の訂正もない。


  
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