ラスベガス・ゴルフ紀行 2003 その1

2003年11月13日(木)〜18日(月    その1   


11月13日(木) 魅惑のエンターティメント・キャピタル ラスベガスへ

 「ラスベガスって、ホントに面白いんだって」と、誰かが耳元でささやいた。「ラスベガス…いいかも」と思っていたら、『バーゲンプライス・ラスベガス 69800円』のチラシが舞い込んだ。運命の糸にたぐりよせられるように、飛行機に乗った。
 成田で乗り換えて9時間半。マッカラン国際空港へ降り立つと、さすがはラスベガス! 空港内にもうスロットマシンが並んでいて、ポケットの小銭を吸い上げようと誘ってくる。

    さすがはラスベガス! 
      空港内にもうスロットマシンが →


 空港から、ラスベガスの街中は近い。送迎用のバスに送ってもらって20分、章くんが滞在するホテルは「フラミンゴ・ラスベガス」だ。

 砂漠の真ん中の一大歓楽街ラスベガスは、ニューヨークマフィアのバグジー(虫けら)・シーゲルによって開かれた。10代のときすでに恐喝・傷害・強盗・強姦・殺人と、考えられる犯罪の全てを尽くしていたシーゲルは組織の命でロスアンゼルスへ移る。当時さびれた田舎町だったラスベガスのカジノに立ち寄った彼は、突然「ここにホテルを建てよう」と思いつく。

← フラミンゴの羽根を形どったネオンが輝く


 当初の予定100万ドルを大幅にオーバーする600万ドルをつぎ込んだ豪華ホテル「フラミンゴ」は、砂漠に降った開店当日の激しい雨にたたられたごとく営業不振が続き、組織はシーゲルの失敗を許さなかった。皮肉にも、彼が9発の弾丸を浴びたことが報じられると、フラミンゴの名前は高まり、砂漠の豪華オアシスを一目見ようと人々が押し寄せたという。
 このように、ラスベガスがここから始まったというべきこのホテルは、今はヒルトンの傘下に納まり、1億4000万ドルをかけた改装も96年春に終了、マフィアとも手を切って健全な経営を続けている。自慢のプールエリアには、フラミンゴやペンギンたちもいて、家族連れの客も多い。3565室、ホテル内にはカジノをはじめ、9軒のレストランと24時間営業のカフェ、さらにテニスコート、フィットネス・スパやウエディングチャペルなどが揃っていて、日本語の話せるスタッフも数名いる。

 運命に導かれるままに、ひとりたどり着いた部屋には、キングサイズのツインベッドがドーンと置かれていた。ひとり旅には、ベッドの大きさがわびしい。「カジノで当てて、この部屋を酒池肉林のハーレムにしてやるからな」と作戦を練る章くんであった。

        キングサイズの大ベッドが、ドーンと!
          ちょっと大きすぎるんじゃないのかい →


 荷物を片付け、シャワーに入って一息つき、時計を見ると午後6時。「腹が減っては、戦(いくさ)はできない」、カジノ制圧の前にまず腹ごしらえだが、章くんの激安ツアーには食事は全くついていない。
 ホテル内のレストランに出かけることにして、9軒のレストランのうちまずはアメリカン料理店へ…。コーラにスープ、エビと卵のサラダ、メインはコショウのステーキ・マッシュルーム添えとパン、デザートがついて45ドル。チップとともに50ドルを渡し、その100万倍ぐらいを取り返しにカジノへと向かう。

 はじめてのカジノで、ディラーと正対するポーカーやブラックジャックは気恥ずかしいし、ルーレットでも賭け方やタイミングに自信がない。気楽にいけるのは、やっぱりスロットマシンだ。


← 客のプライベートを大切にするカジノでは
 写真厳禁! 
  貴重な隠し撮りショット…という割には、
 たいした写真じゃないか


 何10台と並んでいる機械のどれかを選んで勝負をするわけだが、パチンコ台のように釘を読む必要はない。どれでも同じかというと、まずそれぞれの台によって1回の掛け金が決まっていて、5kから500jまでの種類がある。普通は25kか1jのもの、ちょっと豪気な人は3j・5j、明日までに100億円要るという場合は500jの機械の前に座ることになる。
 章くん、気持ちは500j機械との勝負だが、その元金を稼ぐためにとりあえず5jの台の前に陣取って、100ドル紙幣を投入口へ入れる。近頃の機械は、1枚ずつ掛け金(コイン)を入れるものよりも、多くは何ドルかの紙幣を入れて、1枚賭け(PLAY T CREDIT)か3枚賭け(PLAY 3 CREDIT)かの選択ボタンを押し、そのあとスタートボタン(SPIN REELS)を押して勝負を始める。当たったときは、配当金が機械の中の元金にプラスされる。
 1枚ずつ入れるのが好きで、当たったときにはジャラジャラという音を聞きたい向きには、もちろんコインを1枚ずつ入れる機械を選べはよいし、手持ちのコインがない場合には紙幣を入れて「CHANGE」を押せば、その台で使えるコインが出てくる。
 昔のようにハンドルをガッシャーンと引き下ろすこともなく、スタートのボタンを押せば画面が回りだす。ここぞというときに3列のリール(回転する部分)のストップボタンを押し、止まった画面で3列または2列の絵が揃っていれば、絵の種類によって何倍かのコインがジャラジャラッと出てくるか、あるいは機械の中へ溜まっていく。
 章くん、さっぱり当たらない。20回、スタートボタンとストップボタンを押したけれど、T回も当たらない。100jの投資がパーだ。「八百長やないか」と思ったが、ここはアメリカだから、台を叩いたり蹴ったりすると、ボブ・サップみたいなおっさんが出てきて、「ちょっと裏へ来い」と連れられていき、行方不明になるのはまずい。
 さらに100jを投入。結局40回、全然当たらずに「今日はこれくらいでゴメンしといたろかぁ」と捨てゼリフを残して、表へ出てみた。
 ストリップはあふれる光の洪水だ。街中をブラブラと歩くだけでも楽しいが、今夜は時差ボケでボーッとしている。早々に部屋に戻ることにしたのだが、「今夜は、これくらいにしといたろかぁ」とつぶやいていたのは、カジノの負けを根に持っていたのだろう。


11月14日(金) 断崖絶壁「ザ・フォールGC」


 高級別荘地Lake Las Vegas地区に造られたトムワイスコフ設計のリゾートコース「ザ・フォール」が、今日のゴルフの舞台だ。荒涼とした砂漠の丘陵地に造られた18ホール。前半は池の絡む比較的フラットなホールが続き、後半の9ホールはアメリカのコースには珍しいアップダウンのある壮絶な絶景ホールの連続だ。7250Yパー72、コースレートは74.7とある。
 今朝、ホテルから電話を入れてもらって、スタートを取ってもらった。フロントマン君に20ドルのチップを渡して、方々のコースへ電話を入れてもらった。明後日もどこかのゴルフ場をエントリーしてもらわなければならないので、ちょっとチップを弾んだわけだ。

         「ザ・フォール」のクラブハウス →

 ラスベガスのコースは、日によって料金が違う。このザ・フォールでは、オフシーズン(夏場)のウイークディは80ドル、トップシーズン(冬場)のウイークエンドは225j。
 ラスベガスのプレーフィは全米で一番高い。アメリカの普通の都市におけるグリーンフィの相場が30〜60jであるのに対して、ここラスベガスでは100〜250ドル。日本よりも高いといった感すらある。
 その理由としては、ラスベガスのゴルフ場不足と、観光客相手だから客はむしろゴージャスな雰囲気を求めて、料金が多少高くとも受け入れる傾向があること、加えて、もともとは砂漠であった地帯に一からコースを造成したので建設費がかかったことや、コース維持に全米一高価な水を散布せねばならずコストが高くつくことなどを挙げることができる。
 それでもここ数年、ラスベガスではゴルフ場の建設ラッシュが続き、今年辺りからグリーンフィが急激に下がり始めているらしい。素晴らしいコースがたくさんあるラスベガスのゴルフが安い料金で楽しめるようになれば、ここはホントのゴルフ天国になる。
 「今日のプレーフィは120jで、11時に来い」という話だ。ホテルからタクシーで30分ほど、鼻髭の運転手に45ドルの料金に5jのチップを添えて渡す。
 コースに貸ロッカーはないから、ホテルからゴルフウエアーで出かけ、靴はコースで履き替える。
 シカゴから来たというガソリンスタンド経営の2人とペアー。青シャツの太目のおじさんと、白いシャツの銀髪のおじさん。2人とも60を少し過ぎたところか。今はシカゴは寒くてゴルフができないので、ラスベガスへ来たのだと言っていた。デブッちょのおじさんのパワーはすごい。章くんが一生懸命飛ばしても、4〜50ヤード置いていかれる。残り150ヤードをピッチングウェッジで打って、大オーバーしていた。そこからまたグリーンまで5打ほどかかる。ロマンスグレーのおじさんは、飛距離は章くんと同じぐらい。章くんが、「毎年、世界へ出かけてゴルフしている」と言うと、「シカゴのあたりにも素晴らしいコースがたくさんある。また来い」と言ってくれたが、名刺も何にもくれなかった。

← まわりは岩山と砂だけのコース。右の方に、このコースの名前の由来となった「滝(フォール、コース内には7つのフォールがある)」が見える。
 
この砂漠の中に、何で滝があるんだ!

 1番はいきなり150Yほどのブッシュ越えのティショット。2番574Yパー5はセカンドで掘れ込んできている大きな谷を越えなくてはならない。谷の深さは半端じゃなくて、落ちれば死ぬ。

 このコースは、4番・5番・12番のティグラウンドの先や7番・14番のグリーンの手前など、こんな陥没地形が随所にある。13番なんか、フェアウエイの左はすぐに断崖絶壁だ。よろけて落ちれば自力では上がってこれないから、左サイドからはフルショットをしてはいけない。章くんのような高所恐怖症は、左へ行った時点でアンプレアブルの宣言となる。
 スリリングな各ホールに命をかけてまわってきた3人は、なんとかホールアウトを果たしたけれど、シカゴの太目のガソリン屋さんはボールを20個は失ったと思う。「俺はボールはたくさん持ってきたんだ。アキラも、ボールは大丈夫か。やろうか?」などと言いながら、失なっても失なってもバッグのポケットから出してきた。「明日もやるんだが、まだまた大丈夫だ」と言っていた。
 ベストパートナーに恵まれた章くんは、この日86。海外ゴルフの出だしとしては、まずまずというべきだろう。

 ホテルへ戻ってシャワーを浴び、一息つくともう夕方。町へ繰り出して、まわりのホテルをのぞいて歩いてみた。ラスベガスのホテルはどれもがひとつのコンセプトを持って造られていて、1軒1軒がテーマパークなのだ。
 インペリアル・ホテル 隣の「インペリアルパレス」は4重の塔が正面にあって、日本をテーマにしている。まぁ、日本人から見るとちょっと違和感のある日本がそこにあったけれども、4つのバーは「サケ、ギンザ、ゲイシャ、カンパイ」と外人的日本名がつけられている。でも、日本語スタッフがいないというのはどういうことだ。

←「インペリアルパレス」

 「ベネチアン」は文字通りベネチァをテーマにしたホテル。一部工事中で、完成すると全6000室という世界最大のホテルになるとか。ロビーもカジノも何もかもが豪華。2階に運河が流れていてゴンドラに乗ることができる。

         ベネチァをテーマにした「ベネチアン」→

 通りを渡って向い側の「トレジャーアイランド」は海賊たちの巣窟。玄関横で10分間ほどの海賊ショーをやっていた。大迫力だけれど、無料。
 時間も7時になっていて、シーフードレストランで食事をしようと思ったら、ドレスコード(服装規定)があると聞いて、ゾウリ履きの翔くんは自主規制をかけて遠慮した。いつもサンダルで歩いている章くんは、「ゾウリはアラブの正装」と主張しているが、2001.9.11同時多発テロを受けたこの国では、時節柄ちょっとヤバイ。

← 「トレジャーアイランド」前では
 海賊たちが迫力の大活躍


 「ミラージュ」は、玄関の前に火山が火を噴いている。   →

評判のホワイトライオンのショーは、調教師のおじさんがライオンに噛まれて入院中らしい。


 その隣の「シーザーズパレス」の中は、古代ギリシャ、ローマ帝国だ。10万坪の敷地に展開される古代絵巻は、見て回るだけで2〜3日は欲しい。入り口にはサモトラケのニケ像、玄関を入るとミロのビーナスやミケランジェロのダビデ像が並び、ショッピングモールは古代ローマの町並みである。
 食事をどうするか、フラミンゴへ帰ってからゆっくり食べる方がよいのかと考えたのだが、せっかくのラスベガス…違ったところで食べるのが楽しい。それにここはシーザースパレス。章くん、すでにルビコン川を渡っているのだ。

← 「シーザーズパレス」

 ボーイやウエイトレスは、古代ローマ帝国のコスチュームをまとっている。

 アメリカンローストビーフに挑戦、
        しかし、巨大だ! →


 しばらくシーザースパレスをぶらついて、フラミンゴへ戻ったのは午前0時30分を回っていた。でも、ラスベガスではまだまだ宵の口。この町は眠らない…宵っ張りの章くん向きだ。
 フラミンゴへ戻った翔くんは、部屋へ戻る前にカジノに寄って、昨夜の機械の前に座った。「今夜出さなかったら、蹴るぞ」と脅しを入れてから、おもむろに100j紙幣を投入してスタートボタンを押す。でも、全然当たらない。寝る。

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