ラスベガス・ゴルフ紀行 2003 その2

2003年11月13日(木)〜18日(月    その1   

11月15日(土) フーバーダム見学ツアー

 6時半に起きた。朝寝坊の章くんが、なぜロス大地震を誘発するような早起きをしたのかというと、フーバーダム見学激安ツアーに参加するためである。昨日、アメリカにある日本語サイトの旅行社へ申し込んだところ、「午前8時に、ホテルの裏玄関前のツアーロビーでお待ち下さい」とのこと。午前中に終了するこのツアーの代金は38jである。
 章くん、ホントはグランドキャニオンを見るのが希望であった。ただ、そのサンセットとサンライズを見て、各ビューポイントを歩くには2泊3日の日程が必要である。しかし、今回の章くんに許されたラスベガス全日数は4泊6日。19日にはお母様の病院が予定されているから、18日には帰り着かねばならない。それで今回はグランドキャニオンを諦め、フーバーダムでお茶を濁すことになったわけだ。

        フーバーダムの大アーチ(パンフレットから)

 午前7時、フラミンゴのバフェ(バイキング)で朝食を掻き込む。バイキング(ラスベガスではバフェという呼び方が普通らしい)は章くんのような小食のものには不利なように思ったけれど、ラスベガスでは各ホテルが競ってバフェのコーナーを充実させている。もともとは、カジノの客がゲームの合間につまむ食事を提供するためのものであったとかで、各ホテルのカジノに近いコーナーに設けられている。
 ここフラミンゴの朝食バフェは午前6時30分から9時00分まで、ドリンクは各種ジュースからコーヒー・紅茶、肉・卵・野菜の料理、サラダと、フルーツ、プチケーキなどのデザートが並べられ、9j95k。参考までに、昼(ランチ)は9時00分〜2時30分で9j95k、夜(ディナー)は4時30分〜10時00分で14j95kである。内容の充実度に対して、値段が安い。小食の翔くんも納得で、この後の食事はほとんどバフェで済ますことになる。
 午前7時15分、約束の時間から5分遅れで「PARK TOUR SERVICES」のバスが迎えに来た。アメリカのツアーにしては、正確な時間だ。ガイドはカーマン君という米国人、英語オンリーである。


 ラスベガスを出ると荒涼たる砂と岩山の大地が広がり、その中をどこまでも真っ直ぐな片側3車線の道路が走る。ラスベガス市内から北東へ約28マイル、およそ50分、大きな送電線の鉄塔が見えてきた。
 バスはダム堤をゆっくりと走り、ダムの向こう側へ渡ってアリゾナ州の駐車場へ。そこから徒歩で再びダム堤を歩き、ネバダ州へと戻りながらダムを見学するのである。

← アリゾナ側の取水口


 このダムは、1929年のニューヨーク証券取引所の株価暴落が引き金となった世界大恐慌からアメリカ経済を再生するために、砂漠に湖をという掛け声のもと、当時のフーバー大統領がコロラド川の山岳と砂漠の境界地帯に、1931年建設を許可・着工。予定より2年早い1936年に完成し、次のルーズベルト大統領の臨席を以て完成式典が執り行われた。毎日平均3,500人、最大期には5,218 人の労働者が建設に従事し、96人の犠牲者のうえに完成したダムである。

 堤の高さ221m、幅379mのこのダムは、当時としては大きさも発電量も断トツの世界第1であった(現在、高さは21位)。コロラド川の氾濫防止とともに、ラスべガス、ロサンゼルスなどを初めとして、アリゾナ、カリフォルニア、ネバダの3州に給水と電力供給、灌漑を行なっている。

    ダムの下流は、コロラド川が深い渓谷をつくっている →



 上流に広がるダム湖はミード湖と呼ばれ、広さは琵琶湖の2倍。貯水量は350億dといわれ、日本の全ての湖沼、ダムなどの合計貯水量をはるかに越える。ダムの大きさは現在世界第27位だが、総貯水量は依然第1位とか。発電量は150万KWで、日本で名高い黒部ダムは高さ186m、幅は492mと互角の大きさだけれど、貯水量はわずかに2億d、発電量は34万KWしかないことを思うと、このダムがいかに巨大であるかが理解されよう。

← フーバーダムのダム湖「ミード湖」

 加えて驚くべきことは、アメリカはこの巨大ダムを1930年代に完成しているのである。大恐慌のもとに1200万人もの失業者を抱えて、経済再生のために湯水のごとく金をばら撒いたというニューディール(新規まきなおし)政策の一環として、フーバーからルーズベルトにと受け継がれたこの巨大ダム建設は、1936年に完成しているが、その年の日本は「2.26事件」が勃発、科学技術面では三菱重工で国産航空機の製造が始まったところである。70年以上前にこれほどのダムを完成させていた、アメリカの底力には恐れ入る。
 空に向けた2本の太いマフラーから煙を吐きながら、巨大なトレーラーが3台の荷台を引いてダム堤を通り過ぎていく。タイヤの数は24本あった。日本の道路を走ったら、道路が壊れてしまうのではないか。

        日本の道路を走っているトラックの3倍はあるぞ →

 内部の見学は午前9時から午後4時30分まで。15分おきに運行されているエレベーターで施設の底まで降り、発電施設や掘削トンネルなどを見る。料金は大人10j、子ども4j。さすがアメリカ、子どもは大人の半額などと杓子定規なことをいわずに、より安いところが良い。
 警備員があちらこちらにいて、何か物々しい雰囲気だ。9.11テロの直後しばらくの間、見学は中止されていたらしいが、今も警備は厳重だ。確かに、このダムを破壊されたりしたら、アメリカ西部の経済や市民生活は壊滅的な打撃を受ける。テロにとっては、無差別の殺傷だけでなく、ダム、原子力発電所、石油やガスのタンクなど、巨大施設とかライフラインの壊滅も効果的な標的になりうるわけだ。
 入り口でボディチェックと身分証明書の提示を求められ、あわててパスポートを取り出して見せた。持ち物は全て入り口で預けなければならない。女性といえども、ハンドバッグはおろか、ポーチも持っては入れない。カメラはOKとのことだ。

 ダムの底では、巨大な発電機が爆音を立てながら回っていた。全部で8基、発電中のものは上部の赤ランプが点灯している。ランプの横に星条旗が飾られていた。

        巨大な発電機がズラーッと並んでいる →

 ガイドのおじさんが、このダムがどのようにして造られ、今どのように利用されているかなどを、労働者たちの作業を映した映画を交えて説明してくれる。
 ダムが建設される前には水はとても貴重品で、5ガロン(およそ19リットル、ポリ缶約1杯)が15セント、10ガロンが25セントと書いた看板が展示してあった。ダムの建設作業員のギャラが1日50セントだったそうだから、20ガロン(ポリ缶4杯)の水で1日の日当が吹っ飛ぶ。風呂には入れない!
 見学の子どもたちのほとんどは、ここの売店で売っているヘルメットをかぶっていた。別に危険はないのだが、記念に買い求めたのだろう。かぶると気分が出るようだ。
 ダムの全体像の説明を受けたあと通路を抜けて外へ出ると、防水壁の真下。ダムの全容を下から見上げる形になって、のしかかってくるように聳え立っている、巨大なコンクリートの壁の威容に圧倒された。
 建設時の迂回坑を通って操作室に戻り、湖水を水力タービンへ送るパイプの説明などを聞いて見学は終りだ。
 上の入り口までエレベーターでもどり、2階のテラスでコーヒーを飲みながら、ダムやパワープラント、ミード湖などの眺望にふける。観光船が航行し、ヨットや水上スキー、釣りなどが盛んなこの湖を、今では年間100万人以上の観光客が訪れるという。周囲の岩山は乾燥地帯特有の赤茶けた山肌で、送電用の鉄塔が林立していた。


 ツアーを終えてラスベガス街中へ戻ったのは、お昼少し前。昨夜は遅く、今朝が早かったのでちょっと休憩…。章くん、昼寝を決め込んだのだが、目が覚めたら2時半…。ゲッ、寝すぎた! 

← ラスベガスストリート

 起きて気合を入れ直し、街の見物と食事を兼ねて、ストリップの南の端、ご存知古代エジプトをテーマにしたホテル、「ルクソー」へ出かけた。

 ルクソーのバフェは、カジノのエスカレーターを降りた地下にあって、午後4時までランチがひとり9.95ドル。時間がずれていたからか広〜いバフェは空いていて、じっくりと料理を選んで取ることができた。カウンターがたくさんあって、豊富な種類の料理が並べられている。内装も、ホテルのテーマに沿ったエジプトがいっぽい。古代遺跡の中で食事をしているような雰囲気だ。寝そべって食べるべきか!

 スフィンクスが出迎えてくれるホテル「ルクソー」→


 食事のあと、館内を見て回った。ツタンカーメン博物館は、人形もモニュメントも壁も黄金だらけで絢爛豪華。みやげ物も黄金のマスクのキーホルダーやスカラブ(太陽神ケペラを象徴する甲虫)のお守りなど、エジプトロマンの溢れるものが多い。従業員も、古代エジプトのきらびやかな衣装をまとい、舞台から抜け出てきたようないでたちである。

← 古代エジプトの陶板画

 時間がすぐに過ぎていって、ルクソールをあとにしたのは、濃紺の空の西のかなたにかすかな赤みが残る頃となっていた。
 ルクソーの北隣、メルヘンチックなお城の「エクスカリバー」は、アーサー王伝説をテーマにしたホテル。エクスカリバーとは、王が持っていた剣の名前だ。色あざやかな城は、アーサー王の居城のキャメロット城。お城の中は、中世ヨ−ロッパの世界で、騎士や貴族のお姫様にも会える。

    地下は子供向けのテーマパークだという
         章くんは、入っていない。残念! →



 次のホテルは「ニューヨーク・ニューヨーク」。外観が楽しい。古き良き時代のマンハッタンをテーマにしていて、正面に実物の2分の1サイズの自由の女神。その後ろにはグランドセントラル駅、NY証券取引所などの歴史的建物が再現されていて、その上を恐怖のジェットコースター「マンハッタン・エキスプレス」が走り回る。

← 屋根の上をジェットコースターが走っている。
 ほら、レールが見えているでしょう。


 その背後に聳えるのが、エンパイアステートビル、センチュリービルなどの摩天楼で、実物の3分の1の大きさで並び、ホテルの客室になっている。ニューヨークの名物を寄せ集めた、このゴチャゴチャ感がいい。このホテルに、ラスベガスの建物の中で一番ひきつけられたのは、章くんの懐古趣味のせいだろうか。
 館内もニューヨークそのもので、カジノには小さなイエローキャブ(タクシー)も走っているし、中央には木々の茂るセントラルパークまである。

 もう8時半、瞬く間に時間が過ぎていく。それぞれのホテルのアトラクションやみやげもの店、ブランドショップなどを見て歩いていると、きりがない。「トロピカーナ」「MGMグランド」を、『今度来たときに寄るからね』とパスして、夕食をとるために「アラジン」へ飛び込んだ。今夜の夕食はアラジンのバフェと決めて、空きっ腹を我慢し、やっとたどり着いたのだ。

  アラビアンナイトがテーマの「アラジン」→

 2000年 8月に新装オープン。しかし建設資金の借入額が大きすぎたため、その利払い負担に耐え切れず、2001年 9月に開業後わずか 13ヶ月であえなく倒産。現在は、再建途上の厳しい経営らしい。

 でも、ディナー・バイキングは評判がいい。ホテルのバフェはほとんど10時まで。遅くに入ると品切れになっている料理もあったりして、大損することもあるらしい。
 ここは蟹が美味しいと聞いている。ズワイ蟹ともう1種類、日本でいう渡り蟹に近い形だけれど、それより美味しいという評判だ(ダンジネスクラブというらしい)。「まさか、もう品切れということはないだろうな」と恐る恐るカウンターへ行くと、あるある…山盛りでもなかったけれど、豊富に積まれている。

← ダンジネスクラブきめがこまかな肉質で
 甘味もありほんのりとおいしい。


 ついたくさん取りすぎて、バイキングで残すのはエチケット違反だから、無理して詰め込み、お腹一杯。美味しかった。クラブの新鮮な味わいも満足できたし、肉の柔らかさやソースのコクもよい。フルーツは豊富だし、デザートにケーキとアイスクリームを食べて大満足であった。

 腹ごなしに館内をぶらつく。ロビーの天井は高くて、イスラム寺院のモスクを思わせる造りだ。カジノの中央には大きな魔法のランプが置かれている。擦れば巨人が出てきて「スロットに勝たせてくれ」と願い事を言えば、「かしこまりました、ご主人様」と3つの絵柄を揃えてくれるはずだ。いや、ご主人様はホテルのオーナーで「客の有り金を吸い上げろ」と言われているかも知れない。
 壁にはキラキラと光る宝石がちりばめられている。「アリババと40人の盗賊」に登場するお宝というところか。館内のショッピングモールには、140店の専門店が並んでいて、次々とのぞいていたらくたびれてしまった。

 明日はゴルフで、朝が早い。隣のパリスは、今夜は寄らないことにして、前を通過するときにエッフェル塔の下を通りながら見上げると、黄金色に輝く1本1本の鉄骨がすごく綺麗。セーヌ川の遊覧船から見たパリの本物さながらのロマンチックさである。

← 下から見上げるエッフェル塔もまた格別です。

 フラミンゴへ帰り着いたのは、12時前。明日のゴルフは8時過ぎのスタートだから、6時には起きなきゃならない。

 今夜はスロットもパスして部屋へ戻ろう…と、ロビーを横切りエレベーターへ向かう章くんの耳に、スロットルのキュルンキュルンという音が聞こえる。その音は「素通りなんて、何やってんの。ここはラスベガス、今夜は出すよ!」と聞こえた。「50ドルだけやるか」とすぐにその気になるのが、章くんのいいところだ。
 50ドルはすぐに負けて、あと50ドルを追加。この50ドルが、2000ドルになったのだから、博打はやめられない。しかし、ここで切り上げようなんてことは、頭の端っこをもかすめないのが、章くんの真骨頂だ。10000ドルになるのも時間の問題…と勢い込んで、掛け金も1回5ドルを50ドルに上げて大勝負に出た。
 大勝ちして伝説のギャンブラーになったら、このホテルに1億ドルほど預けて、年に何回か来ることにしよう。ほとんど雨の降らないラスベガスにはオープンカーが似合うから、ポルシェスポーツを一台買ってホテルへ預け、スーパーモデルのミナちゃんと…ウヒウヒッ…などと考えていたら、いつの間にか500ドルも残っていない。
 500ドルあれば、先日からの負けを取り返しているからここで切り上げて…などと、もちろん章くんは考えない。「博打は、相手(ホテル)を倒すか、こちらの財布がスッカラカンになるか」である。少し考えれば、財布がスッカラカンになる方が99.99999…%の確率で弾き出されるが、そんな計算ができるぐらいならば、明朝は6時に起きなきゃならないのに、もう3時になろうかという深夜、スロットに噛り付いていたりはしない。章くんは、筋金入りのギャンブラーなのである。
 残りがスッカラカンになるのに、30分はかからなかった。だから、部屋に帰りシャワーに入って、4時前にはベッドに入った。
 明日は6時…、ウ〜…、6時半に起きて、勝負だーッ!



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