その4
11月16日(日) 目くるめく幻影、  17〜18日(月) 帰国、

 食事のあと、ゴールデンナゲット・ホテルに入ってみた。日本から持っていったガイドブックに「世界最大の金塊」が展示されていると書いてあったので、目の保養にと寄ってみたのだ。カジノの真ん中に置かれたガラスケースに、ところどころがキラッと光っている大きな岩が置かれていた。純金無垢の輝きとは程遠い、黒い岩の塊という印象で、金塊というイメージとはちょっと違うなというカンジであったが、それにしてもカジノの真ん中にこんなものを置いておく感覚がわからない。きたならしい岩の塊とはいっても、ふれ込みは「世界最大の金塊」。スッテンテンになった客が金づちを持って、ゴンとひとかけらを奪いに来たらどうするんだ。61パウンドというから、約28sある。まぁ、純金じゃないから、たいした金にはならないかも…。

 フリーモントストリート沿いのホテルやショッピングモールをのぞいたあと、翔くんは、通りを抜けたところのバス停から再びCATバスに乗ってストリップにとって返した。
 ストリップの北の端にある「ストラトスフィア・ホテル」ストラトスフィア・タワーからの夜景のタワーへ登り、ラスベガスの夜景を見るのだ。ストラトスフィアとは「成層圏」という意味。350mのこのタワーは、ミシシッピー川以西で最も高い建物であり、ラスベガスの夜景が一望できる。ベネチアンの巨大な姿も、パリスのエッフェル塔も、ルクソーのピラミッドも、すべて足の下に広がっている光の絨緞の中に浮かんでいる。
 恐ろしい話を聞いた。この展望台の屋根の上をジェットコースターが走り、さらにその上にビッグショットという、ドッカンと上に打ち上げ、重力に任せて落下する4席のフリーフォールが、タワーの先端の柱の4面に取り付けられているというのだ。地上350mのジェットコースターなんて高所恐怖症の翔くんには、聞くだけでも恐ろしい話である。転がるように地上に降りてきた。
 ホストリートの夜景テルの前からまたバスに乗って、「フラミンゴ」へ戻る。バスは10〜20分に1本ぐらいの間隔で走っているから便利なのだが、道路がところどころで渋滞している。全米1の人口増の町ラスベガスは、車の増加に道路の整備が追いつかないのだとか。
 時間は、もうすぐ8時。何をしようか、やっぱりカジノか…。でも、有名なエンターティメントをひとつも見てないなぁ。ラスベガスには、「ランスバートンのマジックショー」とか「Oのショー」とか、世界に知られたエンターティメントが目白押しで、毎晩、それぞれのホテルのシアターで演じられている。ラスベガスへ来たら素敵なショーを見て、少しは賢くなって帰ってこようと思っていたのだ。
 「どこかのショー、今からチケット取れるかなぁ」と、フロントくんに聞いてみると、「当ホテルのモノマネショーも午後10時から始まりますが、これは英語のショーですから言葉の壁があります。お勧めは『ストリップショー』ですね」と良心的な?答え。エンターティメントの原点は、やっぱりストリップショー。今も昔も、ラスベガスのアダルト産業は健在で、カジノと並ぶこの町の主役である。フロントくん、ツアー会社に電話を入れてくれて、「8時50分に玄関前に迎えに来るといっていますよ」と話をつけてくれた。
 コーヒーとケーキで腹ごしらえをして、約束の時間にホテルの前で待っていると、黄色のマイクロバスが止まって、「イ〜ダさんですか」と日本語で呼ぶ。ガイドは日本人の男の子で、年は30前ぐらいか。ほかのホテルからの客がすでに7〜8人乗っていて、章くんが最後らしい。バスの中でガイドくんに料金90ドルを渡し、ご注意を聞く。
 15分ほどで目的のシアターに着いた。入り口で簡単なボディチェックを受け、持ち物を全て預けて中へ入る。薄暗い通路を10数m歩いて、突き当りが、四角いステージのあるホールだ。ちょうど幕間いで、客は思い思いの席を探して座っている。ラスベガス最後の夜の章くんは、最前列に陣取った。ガイドくんの「前方の席に着席することをおすすめします」というアドバイスもあって、積極的に前へ進んだのだ。
 ウエイトレス嬢が、ドリンクの注文を取りに来てくれた。ドリンクの代金は、ガイドくんに渡した90ドルの中に含まれていて飲み放題なのだが、ウエイトレスがドリンクを運んできてくれた際に、1j程度のチップを渡す。アルコール類はない。「酒も飲まずに、ストリップが見られるか」というシャイな向きにはつらいが、法律で決まっているというから仕方がない。ホテルを出る前に飲んで来ればいいわけだが、あまり飲みすぎてグデングデンになったりしたら、肝心の観賞が定かでなくなる。
 やがて音楽が流れ始めて、ショーの開演だ。まず3人組で現れた踊り子は金髪をなびかせ、スポットライトに浮かぶ肌はぬけるように白い。リズムを刻む音楽のテンポが上がり、踊り子たちは着ている服を脱いでいく。といっても、みんな1枚しか着ていないから、アッという間にパンティだけである。
 音楽が変わり、スポットライトがくるくる回ると、女の子たちは最後のとりでも外して、全裸の姿を惜しげもなくさらし、ますます激しく踊り続ける。官能的に体をくねらせ、足を高く上げて踊る。
 最前列に並ぶ客たちが、ポケットから金を出して、舞台の縁に並べ始めた。最前列はみんなそうするのかと思った章くんは、ポケットの20ドル紙幣を自分の前の舞台に置いた、
 全裸の踊り子たちは、客が置いたチップを拾い上げながら、チップの額に応じて、その客の前で濃厚な踊りを披露する。1jぐらいのチップは拾い上げて終わり。5jだと前で足を上げたり開いたり、10ドルならば舞台から手を伸ばして頭や肩を触りながら踊ってくれて、至近距離で拝観することができる。
 みんな、チップは5jか10jぐらいなのだが、そうとは知らない章くんは20jを置いたので、そのサービスは…☆★※♀▼◇‰Å§◆! ここでは紹介できない!
 次の組は黒人のダンサーが5人。褐色の肌に、うっすらと汗がにじんでキラキラと光る。3組目は白人ダンサーのソロ。人気者なのだろう、ひときわ声援が大きい。
 6幕ほど、女の子が入れ替わり立ち替わりしてダンスショーが続いた。お目当ての女の子が出てくると、客は声をかけ、舞台の縁に置く金を弾む。日本の場末の哀感というような雰囲気はなく、ポルノ解禁の国のショーは全裸で露出は過激だけれど、むしろあっけらかんとしている。女の客もけっこう居て、それなりに楽しんでいる。
 まだまだ続くショーを途中で立って、となりの部屋をのぞくと、そこはポルノショップ。いろいろなものが並んでいたけれど、みんなアメリカサイズで巨大なシロモノ。
 次の部屋をカーテンの隙間から中をのぞくと、暗い部屋の中でダンスをする男女の様子がうかがわれた。気に入った踊り子を指名して踊る、プライベートダンスの部屋だ。
 その奥の部屋は、広い舞台を囲んでボックス席が設けられていて、客はその席へ女の子を呼び、チップ次第でプライベートなショーを堪能することができる。女の子から客に触るのはサービスだけれど、客は女の子に触ってはいけない。女の子は、ボックス席のテーブルの上で体をくねらせたり、○○○○…したりする。
 やがて11時。ガイドくんの招集がかかった。玄関前のバスに乗って、フラミンゴまで送り届けてもらう。
 ラウンジでコーラを飲みながら、先ほどの光景は何であったのかと反芻する。以前にサンフランシスコで見たショーよりも妖艶であったような気がする。のぞくだけで終わったプライベートダンスも、「サービスは交渉次第だ」と聞いていて、微妙な問題できわどい交渉をする英語力はないからと辞退したけれど、ここはラスベガス、当たって砕けてくればよかったかなと思ったりもする。歓楽の町ラスベガスは、時として現実を遠くへ押しやり、妖しげな幻影を見せる。

 明朝は6時30分出発。ラスベガスで過ごす時間はあと7時間。やらねばならないことはカジノで100万ドルである。
 財布の残金は、ドルで400ドル少々と、日本夜中のカジノ円で13万6千円。帰りは名古屋まではツアーで連れて行ってくれるから、名古屋空港から家までの交通費だけ残しておけばいいと、10万円をドルに替えて、いざ勝負!
 ルーレット、ブラックジャックなどのテーブルを見て回るも、そこに座って勝負をしようというには、章くん、気力不足である。なにぶんにも初めてなのだから、ルールは知っていても、言葉もついていかないし、みんなと互角の勝負ができるとは思えない。カジノの中を一巡して、雰囲気を十分に吸い込んだのち、スロットマシンの前に座った。
 小耳に挟んだ話では、3年ほど前、カジノの客に飲み物を運ぶカクテルウエイトレスの女の子が、毎日仕事が終わってから1回3セントをスロットマシンに投入し、7回やったらやめるのを日課にしていたところ、その日に限ってあと2回マシンを回したら、これが大当たり。27セントが3495万ドル(約37億円)に化け、世界記録となったという。
 大金をしとめるには、掛け金は小さくていいわけだ、大当たりすれば…。でも、小当たりで大金を得ようと思えば、やはり掛け金はある程度大きくなくてはならない。5セントか、25セントマシンが普通のカジノで、章くんは今夜も1jマシンの前に陣取った。
 さらに章くんは作戦を練っていた。無駄にこれまでの3日間を負け続けてきたのではない。全ては今夜のための伏線であったのだ。章くんの秘策とは、今夜の軍資金1300ドルを、まず1ドルの2枚賭けで遊び、勝ったら5枚賭けで大勝を狙いに行くのだ。勝負の波の見極めがポイントである。
 初めの200jほどは、アッという間になくなってしまった。でも、そのあとにトントンと当たりが来て、ほとんど負けを取り返した。
 午前1時。夜も更けてきたのに、勝ち負けなしでは埒(らち)が明かない…と章くん、ここは勝負の5枚賭けに出た。好調、ジャラジャランとすぐに1700jほどになった。目標まで、あと99万8300jだ。
 その後に、当たりが来ない。カラカラとマシーンは空しく回るだけで、1分間に30ドルほどが消えていく。たまに小さな当たりが来るのだが、焼け石に水で、30分で700jが消えた。
 午前2時。残りの軍資金が1000jを切った。負けが込んできているのだから、掛け金を1〜2jにするべきなのだろうが、残りは4時間…悠長なことは言っていられない。やられるか…、ホテルを潰すか…である。
 午前3時。軍資金の残りが少なくなってきたけれど、今さらチマチマした勝負はやってられない。明日は、ラスベガスともおさらばなのだ。
 午前4時。手持ちのドルがなくなった。財布の中から、全ての1万円札を取り出して両替する。3万円分265jを手に、最後の大勝負に臨む。背水の陣とはこのことか。いや、まだ6千円と小銭を残している。10年前の章くんならば、「負けたら、皿洗いでも何でもする」とかいって、ポケットの小銭も全てぶちまけていたところだが、さすがに分別ざかりを越えた今は、帰りの電車賃だけは…と、6000円はしっかりと確保している。
 午前5時、スッカラカン。この1jマシーンは、最後の1jまで吸い取ってしまう。章くん、無料のドリンクを飲もうと思ったのだが、ポケットの中にはウエイトレスの女の子に渡す1jのチップもない。
 あと必要な金は、帰りの名古屋空港〜近鉄名古屋駅までのバス代870円と、名古屋〜津までのJR快速みえの運賃1280円、合計2150円である。財布の中の6000円を、3000円を残してあと3000円、章くん、また両替に行った。分別盛りを越えたのじゃあなかったのか?。行く度に両替の金額が少なくなるので、両替するホテルのキャッシャーの女の子も心配顔である。
 手にした26ドルで、まずドリンクを取り、ウエイトレスに1ドルのチップをはずむ。残りの25ドルを握り締めて、さすらいのギャンブラー章くんは、またスロットマシンへと向かう。
 と、トントンと勝って100jほどになった。時計は5時30分。ここでやめるような分別はどこかへ捨ててきた。「ええい、最後の大勝負じゃあ!」。

 部屋へ戻ってシャワーを浴び、荷物を持って、午前6時30分、ロビーに整列である。章くんのポケットの財布には、最後の3000円が息をひそめている。
 マッカラン空港で「空港利用税を払え」なんて言うんじゃないだろうな…と、章くん、ちょっとビビッたけれど、無料で出国ゲートを通過。空港のスロットを見ると、無意識にポケットを探る。しかし、章くんのポケットには1セントのニッケル貨が2枚と帰りの電車賃の3000円だけ。出発までの2時間、無一文だからコーヒーも飲めない。「来年は負けないからな」と、早くもリベンジを誓う章くんであった。
 娘の優紀とその娘の寧音にぐらいは土産を買わなきゃ…、でもゲルピンだし…と思案していたら、カードがあるじゃないか。闇夜に一条の光を見い出したような心持であった。免税店で女物のトレーナーと子供服とドリンクとビスケットを買って、一息ついた。


 飛行機の中は、キャッシュレスの世界だ。銭なしの章くんは、「ミルク、コーラ、ジュース、コーヒー、アイスティ」と飲みまくり、おやつのピーナッツ&あられも2袋もらって、リッチであった。
 成田空港での待ち合わせ中には、「カード、OK?」と確かめながら飲んで食べてしていた章くんであったが、名古屋空港を降りてからは飲まず食わずで、津駅にたどり着いた。ン、しまった、タクシー代を残していなかった。しかし、ここは地元…。着払いで我が家に転がり込んだのである。
 くっそう、ラスベガスめ。博打打ちの末路みたいな目に合わせやぁがって! アメリカから、3000円で帰って来たなんて、誰にも言えない。来年は、絶対に負けないからな。帰りは、元払いの自家用ジェット機で帰ってくるぞ!

                                    

   04(H16)年 マイアミ・ゴルフ紀行 世界ゴルフ紀行トップページへ  


ラスベガス・ゴルフ紀行

その1