バンコク・ゴルフ紀行 2007 その1
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 2007(平成19)年 2月10日(土)~   その1     


プロローグ

 今年の日本は暖冬で、三重県の気温はこのところ12~15℃ほどもある。タイへゴルフに出かけようかという身としては厳寒の日本から飛び立つほうが嬉しいカンジなのだが、去年の今頃は豪雪被害が伝えられていた新潟県でも雪はないという暖かさで、片山津CCでゴルフをしている映像がテレビに流れていた。
 2月6日、あまりの暖かさに同級生のヤスヱに誘われて出かけたラウンドで、章くん、91を叩き、10日から出かけるタイゴルフにあわててボールを1ダース買い増して来た。
 「今年の冬は、いつからどこへ出かけるの?」とヤスヱに聞かれて、「言わなアカンか」と章くんはとぼけたが、「アカン」と念押しされて、「10日からタイや」と白状してしまった。即座に「これでジムト・ンプソン(タイシルクの有名店)のカバンを買って来てね」と5万円を渡された。

第1日目 10日(土)

出 発 ~ スワンナプーム国際空港

 今回のタイ行きには、名古屋のゴルフ友だちの純子ちゃんと野末さんが同行する。二人ともタイは初めて…、また二人は仕事の関係で14日には日本に帰って来なくてはならない。13日の夜に2人を見送ったあと、章くんはあと何日間か、バンコクを一人でうろつく予定だ。

                     手荷物検査 →


 純子ちゃんたちと旅行会社のカウンターの前で落ち合い、搭乗手続きを済ませたのち、『おろしそば』を食べた。

← 章くんたちが乗る JAL737

 中部国際空港でタイBt(バーツ)に換金したが、2万円が5千何百Btにしかならない。去年は、6千6百Btだったのに…。タイBtが高くなっている(円が安くなっている…)。
 後日、タイで聞いた話では、去年から今年にかけてタイでは物価が15%ほど上がっているとか。躍進するタイの経済の一面を物語っているのだろう。タクシンが、用無しになるはずだ。

 往路は6時間30分。半分読み残していた三島由紀夫「春の雪」を、読み終えることができた。豊穣の海4部作のうち次は「奔馬」なのだが、今日は第3作「暁の寺」を持って来ている。物語の舞台がハンコクだからだ。
 が、機内食を食べたりして、3分の1も読めないうちにバンコク新空港、『スワンナプーム国際空港』へ着いてしまった。もう一回りしてくれー。
スワンナプーム国際空港
      スワンナプーム国際空港、 広いよー →

 スワンナプームとはタイ語で「黄金の土地」の意味。今年で即位61年目を迎えられたプミポン国王陛下が命名された。
 この新空港はバンコク中心部から東へ約30Kmに位置し、敷地面積は前ドンムアン空港の5倍、成田国際空港の約3倍の広さを誇る。
 設計はドイツ人建築家のヘルムート・ヤーン氏。24時間空港で、チェックインカウンター360ヶ所、トータルで190ヶ所を超える出入国管理ブース(出国120ヵ所、入国72ヵ所)、エアバス社の最新鋭機A380型機対応の駐機用搭乗口(5基)を備えるなど、まさにタイの新時代を予感させる空港である。

← タイ建国の神話「ラーマークエン物語」に登場し、ラーマ王子とともに修羅王トッサカンとの激しい戦いに勝利して古代のタイ国を築いた猿神(ハヌーマン)が随所に立って、魔物の入国を見張っている。


 この新空港は、バンコクの市内中心部からタクシーで約50分の距離にある。ただし、平日の夕方や祝祭日の午後は、バンコク名物の交通渋滞が予想される。2008年、高速鉄道が開通する予定だとか。

          入国審査、いつも緊張する →
 




← 出口には 『○○様』と書いたプラッカードを
 持って、たくさんの旅行社の現地係員が待ち受け
 ている。

  
           大きなフライト案内板 ↓





 
 今回のタイ行きは、旅行社のツアーを利用している。純子ちゃんも野末さんもバンコク訪問が初めてなので、観光をしようということになったからだ。インターネットで探したところ、2日目に市内(王宮・涅槃寺・暁の寺)とアユタヤの観光がつき、3・4日目はフリーという5日間のツアーがあった。
 空港までの送迎もしてくれるから、現地係員が出迎えに来てくれているはずである。バッジを付けていなくては見つけてもらえないなぁと気づき、章くんたちは「ヤマト・トラベル」のツアーバッジを見やすいように胸ポケットの上につけて、指定のC出口付近で待機していた。   
 程なく、妙齢の女性が近づいて来て「3名さんですね」と声をかけてくれた。この旅行で、たいへんお世話になるトゥ~さんだ。
 バンコク・パレス

 ワゴン車で案内してくれたバンコク・パレス・ホテル
     まずまずのホテルだが、BTSの駅から遠くて、
     交通の便が悪い。            ↓→

       






 このホテル、ABロードのホテル案内には、「14階建て644室。近辺にBTSの駅はなく、徒歩でワールドトレードセンターへ約15分、プラトゥーナム市場へ10分ほど…」とある。どこへ出るにもタクシーを利用しなくてはならないが、バンコクはタクシー料金が安いので助かる。

 でも、24時間開いているレストランのランチ270Bt.ディナー390Bt.のバイキングは大人気でいつも客で溢れているし、大型マッサージ店「ペチャダスパ」は目の前、セブンイレブンは徒歩5分の距離にある。周辺は生活感溢れる町並みで、大型ショッピングセンター、市場・商店、マッサージ、コンビニ、タイ・中華・インド料理の食堂が軒を並べている。


偽ソンブーン(?)にご用心

 部屋に荷物を入れて一息つき、時計を見ると午後8時30分。夕食を取らねばならない。ホテルのレストランも開いていたけれど、「ここまで来たら、やっぱりタイ料理だろう」と町へ繰り出すことにした。
 去年、タイ在住の吉井さんに連れて行ってもらったシーフードレストランの「ソンブーン」は、料理も美味しく、2人でたらふく食べて1060Btという安さであった。タクシーの運ちゃんに「ソンブーン」と言うと「シーフード?」と聞き返してきたので、「オウ、イエス」と乗り込んだ。
 
 20分ほどで着いた店は、タイ語・中国語・英語の表示の下に「ソンブーン」とカタカナで店名が書かれているが、去年行った店ではない。35年ほど前に町の小さな食堂から始めたというソンブーンは、今やバンコク市内に5~6店舗を構え、タイの王侯貴族から諸外国の観光客までが訪れる人気の店だ。今日は、去年と別の店に来たのだろうとタクシーを降りた。
 玄関の前に大きな生簀(いけす)が並んでいて、たくさんのカニやエビが泳いでいる。店員がやって来て、生簀の中の最大級のロブスターをつかみ上げ、「これをどうだ」と聞いてきた。重さを量ると3Kg…。ここはタイだ、何でも来いとばかり「OK、OK」と答えて店内へ…。他に野菜とアムール貝の炊き合わせ、定番のトムヤンクン、プ・パッポン・カリーと白飯を頼んだ。


 待つこと暫し、出てきたロブスターは特筆物の大きさだ。その匂いの香ばしさ、口にほおばったときのふくよかさは、ロブスターってこういう味のなのかと認識を新たにさせられた。

← おじさんが抱えてきたロブスター。3Kg。
 この写真を見た友人知人は、「こんな大きいものは
 見たことないぞ」と異口同音に言う。



 さらに、「これ、何という貝でしょうかね」と言いながら野末さんは野菜とアムール貝の焚き合わに舌鼓を打ち、トムヤンクンのまろやかな辛さに純子ちゃんは、「辛いだけの日本のものとは違って、奥深い広がりがありますね」と感激。プ・パッポンカリーと白飯の絶妙の取り合わせを味わいながら、満足の夕食は終わった。
 「チェック」と頼むと、計算書が出来上がるまでにデザートが出てきた。注文してはいないから、店のサービス…というか、食事を終えた客みんなに出しているのだろう。南国の燦々たる太陽の日差しを浴びたフルーツは、たっぷりとした甘さをたたえている。

       見るからに美味しそうなデザート。
        高級店(?)のものは さすがに違うなぁ~ →


 「オネガイシマス」とおじさんが持ってきた計算書を見て仰天…章くん、0をひとつ多く打ち間違えているんじゃないかと思った。
19020』…、これ、バーツか 円か? もちろんバーツである。ということは、今日のホテルの換算ルート0.273で約7万円だ。
 タイバーツは5400バーツほどしか持っていない章くん、「日本円でもいいか」と聞くと、おじさん、計算機を弾いて「69670円デ~ス」とメモ用紙に書いた。
 「ソンブーン」じゃこんな勘定になるまい…ここはソンブーンの騙りだなと思いつつ、財布の中の札を1万…2万…と数え始めたら、野末さんが「こりゃあ、高すぎますよ」と言い始めた。
 章くんもダメもとで「負けてくれェ」と言ったら、困ったおじさん、「ロブスターは100g480Btと明記してあります。これは3Kgだから、480×30=14400Btです。他の料理と飲み物が1890Btと10%のサービスチャージ+7%の税金で、合計19020Btです」と説明を繰り返す。確かに、ロブスターの生簀の前には、【480Bt/100g】と値段が書いてあったのだが、章くんの目には入っていない。
 10分ほど「負けろ」「負けない」と言っていたけれど、結局6万円を置いて店を出てきた。出てくるときにロブスターの生簀の前を通ったら、値段表が確かに掲げられていた。

 
 翌日、タイ在住の吉井さんにこの話をしたら、「偽ソンブーンでしょう。僕もタイの人と一緒に行って、なんか高い勘定を払ったことがありますよ」と笑った。さすがはタイ…、ソンブーンではないのに堂々と「ソンブーン」の看板を掲げ、タイ人をも欺いて営業を続ける店が存在するとは…。でも、おじさんの抱えるロブスターの写真を見せると、その大きさに驚き、「このオーストラリアから輸入している巨大ロブスターは高いんですよ」と言う。

← 女の子が来て、切り分けてくれた来年は、この
ロブスターを食べに行こうと言っている奴が居る。


 バンコクでもシーロムの超高級焼肉屋「佐渡屋」は一人前5000Bt(≒18000円)はするし、日本ならば京都吉兆の料理は一人5万5千円から…。店名にしても、「伊勢屋」とか「大森屋」とか同じ名前の店は、どこにでもある…。と考えると、あの店は高級食材が売り物の、値段の高いソンブーンという店だったのだろうかという気がしてきた。他の客は、値段に文句をつけている客はいなかったようだ。
 だとすれば、あのおじさんこそ、『今日の客には驚いたなぁ。うちのような高級店に来て、食べている間は「おいしい、おいしい。こんなの食べたことがない」などと言いながら、たらふく食べたあとで勘定に文句をつけ、結局7割ぐらいの金しか置かずに帰ってしまった。日本人はタチが悪い』と、たまげているのではないか。
 章くんたちは『偽ソンブーン』と切って捨てているけれど、この店はバンコクの「吉兆」というべき高級店だったのかも知れない。警察に突き出されずに済んで良かった…ということか。


第2日目 11日(日) 市内観光 涅槃寺(ワット・ポー)、暁の寺(ワット・アルン)

 午前6時30分起床、7時に朝食バイキングへ行こうとロビーで待ち合わせたのが、野末さんが来ない。純子ちゃんが見に行くと、「時計を持っていなくて…」と言いながら一緒に降りてきた。
 7時40分の出発予定なのに、ロビーには今日の観光を案内してくれるトゥ~さんがすでに来て、待っていてくれる。

 朝食を終えてロビーに行くと、純子ちゃんが「サンバイザーがなくなった」と言っている。「誰も持っていかないだろう」と言っていると、部屋に戻っていた野末さんがかぶって降りてきた。ホッと一息ついて「ガイドさんは痩せますぅ~」と笑うトゥ~さんは、小太り丸顔のタイ美人だ。

← バンコクの町には、
  たくさんのモニュメントがある ↓











 今日は日曜日、いつもならば出勤のラッシュで渋滞する道路も空いていて、
章くんたちを乗せたワゴン車はスイスイと走る。
  

← 王宮の外壁が見えてきた。
  でも、まだ8時過ぎだから、中へ入れない。


  






    そこで 朝早くから開いている
     「
涅槃寺(ワット・ポー)」の拝観に向かった →


  






      境内の大仏塔は王族の墓 ↑
← 小さなものは 有力者のそれだという


 天使の都バンコクにも、「地獄の沙汰も金次第」の現実があった。

 この寺は、古来から僧侶たちが人間の経脈を研究してきた、タイ式マッサージ発祥の寺だ。

       寺院の中には、人体のツボと神経のつながりを示す図が
       数多く掲げられている。              →





← 巨大な黄金の寝釈迦像でも有名

 横たわるお姿は、お釈迦様の涅槃を表わしている。











      足の裏には胎蔵界曼荼羅が描かれている→

 三島由紀夫は「暁の寺」の中で、この「ワット・ポー」について、次のように書いている。

 『18世紀末ラーマ一世の建立にかかるこの寺では、人は次から次と立ち現われる塔や御堂の間を、掻き分けて行かねばならない。
 その烈日。その空の青。しかし本堂の廻廊の巨大な白い円柱は、白象の肢(あし)のように汚れている。
 塔はこまかい陶片を以て飾られ、その釉(うわぐすり)は日をなめらかに反射する。紫の大塔は、瑠璃色のモザイクの階を刻み、夥(おびただ)しい花々を描いた数知れぬ陶片が、紫紺地に黄、朱、白の花弁を連ね、陶器のペルシア絨毯を巻いて空高く立てたようだ。
 又そのかたわらには緑地の塔。日光の鉄槌(てつつい)が押し潰し、すりへらしたかのような石畳の上を、桃いろに黒い斑(ふ)の乳房を重たげに垂らした李み犬がよろめいてゆく。
 涅槃仏殿の巨大な金色(こんじき)の寝釈迦は、青、白、緑、黄のモザイクの箱枕に、叢林(そうりん)のように高い金色の螺髪(らはつ)を委(ゆだ)ねていた。金の腕は長く伸びて頭を支え、暗い御堂のむこうの端、はるか彼方に黄色の踵が輝いていた。
 その蹠(あしのうら)はみごとな螺錮細工で、こまかく区切られた黒地の一区ごとに、虹色にきらめく真珠母(しんじゆぼ)が、牡丹、貝、仏具、岩、沼から生い出た蓮の花、踊り子、怪鳥、獅子、白象、竜、馬、鶴、孔雀、三帆の船、虎、鳳凰などの図柄を以って仏陀の事績をあらわしていた
』と。


← タイの人たちの信仰心は篤い。寝釈迦の横の御堂では 女の子たちが蓮の花をあげて、お参りしていた。

  




 まだ開いていない王宮を通り越して、ター・ティアン船着場から対岸の暁の寺(ワット・アルン)へ渡った。→

  




『 本多はきのうの朝早く、舟を雇って対岸へ行き、暁の寺を訪れたのであった。
 それは暁の寺へゆくにはもっとも好もしい正に日の出の時刻であった。あたりはまだ仄暗く、塔の先端だけが光を亨(う)けていた。ゆくてのトンブリの密林(ジャングル)は引き裂くような鳥の叫喚に充ちていた。



 近づくにつれて、この塔は無数の赤絵青絵の支那皿を隈(くま)なく鏤(ちりば)めているのが知られた。いくつかの階層が欄干に区切られ.一層の欄干は茶、二層は緑、三層は紫紺であった。嵌(は)め込まれた数知れぬ皿は花を象(かたど)り、あるいは黄の小皿を花心として、そのまわりに皿の花弁がひらいていた。…。
 塔の垂層感、重複感は息苦しいほどであった。色彩と光輝に充ちた高さが、幾重にも刻まれて、頂きに向って細まるさまは、幾重の夢が頭上からのしかかって来るかのようである。すこぶる急な階段の蹴込みも隙間なく花紋で埋められ、それぞれの層を浮彫の人面鳥が支えている。一層一層が幾重の夢、幾重の期待、幾重の祈りで押し潰されながら、なお累積し累積して、空へ向って躙(にじ)り寄って成した極彩色の塔。
 メナムの対岸から射し初めた暁の光りを、その百千の皿は百千の小さな鏡面になってすばやくとらえ、巨大な蝶飾細工はかしましく輝きだした。
 この塔は永きに亘って、色彩を以てする暁鐘の役割を果して来たのだった。鳴りひびいて暁に応える色彩。それは、暁と同等の力、同等の重み、同等の破裂感を持つように造られたのだった。
 メナム河の赤土色に映った凄い代赭色(たいしゃいろ)の朝暁の中に、その塔はかがやく投影を落として、又今日も来るものうい炎暑の一日の予兆を揺らした。… 
』(三島由紀夫「暁の寺」より)

← 以前は中央の大仏塔へも登れたのだが、あまりにも急峻な階段だったので、転げ落ちた人がいたらしい。今は、「登ってはいけません」と看板が掲げられ、柵がしてあった。
  

  大仏塔を支える魔物たち →
     三島は「人面鳥」と
       いっているが…。

  



← 大仏塔の台座の部分に掘られている天女

 章くん、そのオッパイに触ってしまった。このあと、程なく章くんを
襲う凶事は、その祟(たた)りだったのだろうか。






    ガイドのトゥ~さんに この屋台で 果物ジュースと
   串刺しの肉団子をおごってもらった。       →


 恐怖のタイ屋台の食べ物。口に入れてもいいものか、章くん、大いに悩んだのだが、トゥ〜さんにその気配を気取られてはならない。「エエィ、彼女の好意を無にするよりは、死んでやる」と、目を瞑って飲み込んだ。意外にうまい。香ばしい焼き味が口の中に広がった。


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