バンコク・ゴルフ紀行 2007 その2
                         その1     
   

第2日目つづき   市内観光(エメラルド寺院古都アユタヤ
  王立寺院(エメラルド寺院・ワット・プラケオ)

 続いて、王立寺院(エメラルド寺院・ワット・プラケオ)と王宮の見物だ。日曜日の今日は、タイの人たちも、たくさん拝観に来ていた。【拡大】

 この寺院を、三島由紀夫は次のように書いている。
 『 又、たとえば、本尊のエメラルド仏で名高い、王城守護寺ワット・プラケオ。
 1785年の造営以来、つい一度も毀(こぼ)たれたことのない寺だ。雨のなかに、左右に金の塔を控えた大理石の階投上の、金色(こんじき)の半人半鳥(ギンダリ)が燦然としている。 朱の支那瓦とその緑の縁取りは、明るい雨にいよいよ艶やかに照り映えている。

        
黄金に輝く御堂やソトーパが立ち並ぶ境内 →

 マハマンダパの廻廊の壁は、蜿蜒(えんえん)とラーマーヤナ物語の壁画の連鎖に占められている。
 マハマンダパの廻廊の壁に描かれいているラーマーヤナ物語の壁画有徳なるラーマその人よりも、風神の光輝ある息子、猿神ハヌーマンは、絵巻のいたるところに躍動していた。ジャスミン花の歯を持った黄金の麗人シーターは、怖ろしい羅刹王(らせつおう)に拐(かどわ)かされていた。ラーマは幾多の戦いに、怜悧な目をみひらきながら奮戦していた。

← 回廊の壁に描かれた「ラーマークエン物語」の情景画

 南画風の山々と初期ヴエネツイア派風の暗い背景の前に、極彩色の殿宇や壊神や怪物の軍(いくさ)があった。暗い山水の上を、七彩の虹の色の神が鳳凰に乗って飛んでいた。衣服を着て坐(すわ)った馬を、金衣の人が鞭で手なずけていた。海からは怪魚がぬっと首をもたげて、橋上の軍勢に襲いかかろうとしていた。遠くに幽(かす)かな青い湖があり、暗い森かげをひっそりと歩む金鞍(きんあん)の白馬を、とある繁みから、剣(つるぎ)を抜いて猿神(ハヌーマン)が狙っていた。
』と。

   タイの中学生たちが来ていた。修学旅行だろうか →


章くん 捕まる(エメラルド寺院事件)


 本尊の国家護持をつかさどるエメラルド仏(ホントはヒスイでできている)は、高さ66cmと小柄だけれど、その霊力は計り知れないと言われているが、その翠玉仏を安置するエメラルド寺院(ワット・プラケオ)は、本堂内に王宮護衛兵が立ち警備を固めている。
 「写真禁止」の張り紙があったし、事前にトゥ〜さんからも言われていたのだけれど、霊験あらたかな仏の姿を納めようとシャッターを切ったとたん、章くん、警備中の若い兵士にカメラを取り上げられてしまった。
 兵士は、壁の撮影禁止の張り紙を指差している。「Oh, I dont know. (えぇ、知らなかったなぁ) I will be erased it.(消去するわ)」と言ったのだが、一向に返してくれない。
 『最悪、カメラぐらい呉れてやるか』と思いつつ、何だかんだと言っていたら、なかなか出てこない章くんを探しに、トゥ〜さんが来てくれた。
 事情を話すと、「写真はだめだと言ったでしょう」と言いながら、兵士と二言三言言葉を交わしている。と、その兵士、すんなりとカメラを返してくれて「@♀※∋‰¶∝★§£…」と言っている。トゥ〜さんが、「撮った写真を消せって言ってるのよ」と通訳してくれ、章くん、兵士の前で仏様のショットを消去して、やっと釈放された。

← もう1枚撮っていた写真がこれ。
  2度と タイへ入国させてもらえないかなぁ。


   

 トゥ〜さんは、「今は退職している私の父が、ここの警備兵として勤めていたのです」と言う。「だから、今の兵士たちは父の部下たちで、話は解ってくれます」。トゥ〜さんが居なかったら、章くん、タイで拘留されて、19060バーツ…なんて、ビッグロブスター並みの保釈金を吹っかけられていたかも知れない。

                     寺院の外壁の細工は細密だ →


← ここでも土台を支えるのは魔物(妖精かな?)たち


     歴代の王様が
     住んだ王宮 →

 






← 王宮警備兵の交代式

 


   



   
 バンコク・バレス・ホテルに戻って昼食をとり、午後はアユタヤ観光だ。

 途中、カンボジヤへと続く鉄道の踏切で、汽車が通過するのに出会った。タイの踏み切りは、ガラガラと移動式の柵が引き出され、係員が出て交通を止める。             


古都 アユタヤへ

  ランチバイキングをお腹いっぱいに詰め込んだあと、
 アユタヤ見物に向かう。
  





 
          バンコク市内は片側6車線 ↑

← 郊外へ出ると4車線

  

         アユタヤ近くの地方道はセンターラインも
        引いてない。でも広いよ。        →


   バンコク市内からアユタヤまでは、車で約1時間。 観光
  ツアーでは睡眠の時間だけれど、章くんは寝ない。

  


 観光コースには入っていなかったのだけれど、アユタヤの近くの「日本人町」へ寄ってもらった。
 運転手のお兄ちゃんに、チップ300Bt。

  
← 「アユタヤ日本人町の跡」と彫られている


     日本人有志によって運営されているセンターの中に
    安置されている、山田長政像           →


 1612年に朱印船でシャムに渡った山田長政は、日本人町の頭領となり、アユタヤ王朝の国王ソンタムの信任を得て、第三位であるオークヤー・セナービムックという官位を授けられ、国政に重きをなした。
 ソンタム王の没後、王位簒奪を狙う摂政シーウォーラウォンに反対して戦いとなり、味方の裏切りに遭って、王宮での戦いに敗れる。
 長政の生涯を描いた遠藤周作の小説「王国への道」は、そのくだりをこう記す。
 『 味方の3分の2を失い、深い手傷を負いながら、死地を切り開き、日本人町へ逃れた長政は、精鋭の日本人兵と戦いに弱いシャムの兵を比べてみても、自分がこのまま敗れるとは考えられなかった
 「俺は負けぬ、必ず盛り返す。ふき、酒をくれ」。ふきの無表情には嘘がないと思う。もとは、このふきの父親が日本人町の棟梁であった。やむをえないこととはいえ、その父を倒した男の世話を受けるふき…。幸せ薄いゆえか、ほとんど感情を見せない彼女の顔は、あの摂政の偽りの微笑、ヨタティープ王女の偽りの涙にだまされた長政には、最も安心のできる顔に思えた。』
章くんの読書感想文のページ 参照

←  日本人町のすぐ横を流れるチャオプラヤの川面は、今日も変わらぬ静けさであった。

  長政の死のあと程なく、日本人町はアラビア人・タイ族・華僑の組織する兵によって焼き討ちされ壊滅した。「アユタヤの暑夜には魔物が棲む」と遠藤周作が書いた魔物とは、微笑みの国の奥に潜む欲望・奸計・謀略という、人間の性(さが)のことだったのだろうか。
 物語の中で華々しく活躍する山田長政の足跡は、歴史の彼方へと消えている。長政の名前は、当時のオランダの文書に残るだけで、資料が散逸しているアユタヤ朝の文献には何も残されていない。長政は…どこから来て、どのように生きたのか。いや、山田長政は本当に居たのか。
 アユタヤの歴史を眺めてきたであろうチャオプラヤ川は、今日も黙してただ流れていく。


ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

 アユタヤの東南端に位置するこの寺は、はアユタヤ朝(1350〜1767)の建国6年目、1357年、初代国王ウートンによって建立された。
 境内中央の大仏塔(チェディ)は、1592年にナレースエン王が建てたもの。高さ72mの塔はかなり上まで登ることができる。そこからの眺望は、アユタヤが一望されてすばらしい。

   今日もたくさんのタイの人たちがお参りに来ていて、
   子供たちが芝生の中で遊んでいた。       →


   


← 大きな寝釈迦像に参拝する若い女の子

      
大仏塔の西側に鎮座する大仏様





   ↑ 大仏塔の東側に安置
    されている大仏様
 【拡大】


 高さ72mの大仏塔はナレースエン王がビルマからアユタヤを取り戻した記念に立てられたもの。塔を取り巻いて多くの仏像が安置されているが、壊滅的な破壊に遭っているアユタヤの諸仏の中で、この寺の仏像はあまり破壊されていない。
 大きな仏像も、小さな仏像もそれぞれ、お顔が微妙に違っているが、微笑みのある、なんとも、優しいお顔であった。

 ← 大仏塔の周囲を、仏様がぐるりと
   取り囲んでいる。



   ワット・ヤイ・チャイ・モンコン
              境内で見かけたおばさん →


    このおばさんは 歩く台所だ。
     肉団子の串刺しを売っているのだが、後ろの材
    料をまな板の上で料理するのは当たり前。
     前の部分は七輪で、炭火が熾(おこ)っている。
     通路の一角に荷を下ろし、そこで作った串刺し
    肉団子を、タレを付けて焼いて、売っていた。


ワット・マハタート

 1374年に建立されたアユタヤ朝初期の寺院。でも、ビルマ軍により徹底的に破壊されていて、境内の仏像は頭や胴体を切られている。

← ビルマ軍の持ち帰りを逃れた、地上に転げていた仏頭が、
  木の根に包まれたものらしい。


  







  大仏の両側に居並ぶ仏たちの頭部は
  すべて切り取られ持ち去られた【拡大】



  



  






 
  ↑ 破壊され、風化して、
    廃墟となった 寺院の跡
 


        ワット・プラスィ・サンペット
  

  1491年に建立されたアユタヤ最大規模の寺院。隣接する王宮とともに、ビルマ軍によって徹底的に破壊された。
 境内に残る3基の仏塔には、今も3人の王の遺骨が眠る。





 アユタヤ王朝は、1767年にビルマ(ミャンマー)の攻撃を受けて消滅した。
 世界的にみてアユタヤの建造物の多くが比較的新しい建造物であるにもかかわらず、そのほとんどが煉瓦のみになっているのは、ビルマ軍による徹底的な破壊を受けたためである。

  


   アユタヤ象センターで 象に乗った。

  







 トゥ〜さんは、ここの像たちと友達だ ↑

    トゥ〜さんが40Btを渡すと、像は自分で
   好物のコーラの缶を2本取り出してききた。 
    トゥ〜さんに見せ、栓を開けてもらって お
   いしそうに、かつ豪快に飲んでいた。
  

 ← 象の背中に乗って、アユタヤ散策。象の背中は、
  意外に揺れるが、しばらくたつとバランスをとる
  方法がわかってくる。

 









        道路は「象優先」だ →





  象に乗るには、この台の上から、エイと乗る。↓




 









← 「じゃぁ 帰るわね」とトゥ〜さんが声をかけると、
  象くん 出てきて ご挨拶


      車の窓に向かって手を… いや、鼻を振る↓ 



 今、アユタヤに暮らす象は200頭とも言われている。森林伐採や運搬に活躍していた象たちも、機械化やトラック輸送にその役割を取って代わられて、居場所がなくなってきたのだという。
 つぶらな瞳で、従順に、象使いたちのムチのしなりに右へ左へと足を運ぶ象たち…。彼らの安泰な今後を祈らずにはいられなかった。


「バーン カニター タイ キュイジーヌ」

 今日の夕食は、バンコク屈指の高級タイ料理店「バーン・カニタ」。バンコクナビに『美食雑誌に毎年ランクインの一軒家レストラン。そこに集うは、選りすぐりのタイ料理と世界中のワイン、そして、優雅な時間に貪欲な美食家たち』と紹介されているレストランだ。
  
 では、もう少しこの店の紹介を…、
サワディーカ、… 高級服飾デザイナーでありタイシルクの高峰「カタニーシルクショップ」のオーナー カタニー・アクラニティクン氏プロディースによるデビューから早や10年、今も絶えない客足と優雅な笑い声の響くスクンビット ソイ23の一軒家レストランとして、洗練されたスタイルのタイ料理を提供している

← 庭の木々にはイルミネーションがつけられている。

ここでも、プ・パッポン・カリー
トム・ヤン・クン


 ここでも章くんは、プ・パッポン・カリーを頼んだ。タイ料理の定番とはいうものの、店によってその味は微妙に違う。章くん、行く店々のものを食べて、バンコク1のプ・パッポン・カリーを決定したいと思っている。
 さすがにカニタ−の逸品、カニの香りが高く卵のきめが細かい。手を上げるとウエイターが白いご飯を大きな器から皿に盛ってくれ、何度もお替りに応じてくれるから、「少し…」とか言えばよい。

 年中無休、世界中から旅行者が訪れるバンコクで、レストランとして高い評価を得るということは世界基準を満たすということ。その中でもバンコク市内にてタイ料理部門で認められるというのは至難の技だが、そんな中「バーン・カニター」は1997年から2005年まで9年連続で、Bangkok Dining &Entertainmentマガジンの Bangkok’s Best Thai Restaurantに選ばれるという栄光を手にしている。

 この名店にして、今夜の夕食代は3600Bt。タイでの食事代としてはこれでも目ン玉が飛び出るほどに高いのだろうけれど、昨夜、超高級店(?)で食事した章くんとしては、やっと落ち着いたというところである。


ニューハーフショー「マンボ」

 食事のあとは、野末さん お待ちかねのニューハーフショー見物に「マンボ」へ
 日本を発つ前に、野末さんに「男のプレイスポット訪問の希望は…?」と聞くと、「タイで名高いニューハーフショーへ行きたいですね」という返事。それを聞いて純子ちゃんは、「野末さん、ニューハーフショーって女性禁制と思っているみたいよ」と笑っていた。






 バンコクのニューハーフショーは、タイが誇る一大エンターティメント…、日本の宝塚の裏返し版である。
 人気の子たちは、タイの大スターだ。章くんは、4年前にタイへきたときに見て、その美しさにこの子たちホントは女なのだろうと思ったことがある。


  タイの松田聖子ちゃん、今も健在だった。
   美しいアフレコで、今夜も「赤いスイートピー」を
   歌ってくれた。               →

  

 


 





 「ギャーッ、綺麗ですねぇ」と野末さんは大感激だ。「こんなに綺麗な子は、町ではなかなかお目にかかれませんよ」とすっかり気に入ってしまった。
 帰ってからも『タイのオカマちゃんがあまりにも美しくて…。あれなら騙されてもいいな…なんて、ホント 思いました』とメールが来た。


 西太后の物語だろうか。 観客は世界各国から集まるから、日本・中国・韓国そして洋物と、演目にバラエティを持たせている。

 









 ↑ ボーイッシュな女の子も魅力的だ。(ホントはボーイなんだけど!)

  








  



 入場料は800バーツ、ショーの時間は5幕ほどで約1時間。
 歌あり、レビュあり、芝居あり。大人・子供・男・女を問わずに楽しめるエンターティメントです。
 


 ショーがはねたあと女の子(?)たちはロビーに並び、客を送り出す。客はお目当ての女の子と一緒に写真に納まり、20〜40Btほどのチップを渡す。受け取るチップの額が、彼女たちのスティタスなのだろう。
 最後に出て行った章くんは、ワッと女の子に囲まれた。「一緒に写真を撮ろう」と言われて、4年前にかわいいなぁと思った子が今日も居たので、一緒に写真を撮った。周りにいた子も一緒に入ってきて、10人ほどが写真に納まった。
 撮影が終わると、女の子たちは口々に「チップ、チップ」と言う。章くん、タイバーツは40Btしか残っていなくて、「これっきゃ、ないよ」と言いながら、それを渡した。野末さんは10人分で500Btくれと言われたとか。
 所詮は金か…、彼女たちの心情もわからないこともないけれど、4年越しの恋心が打ち砕かれたようで、章くん、ちょっと切ない思いであった。

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