その1・3・4・5・6・7・8
第2日目 2月17日(月曜日) 市内見物
午前7時起床。ホテルの窓から、高層ビル群が見える。バンコクは大都会だ。
人口は670万人というが、陸続きの国境を越えて隣国のラオス、カンボジア、ミャンマーなどから流れ込む不法入国の人たちが100〜200万はいると見られているから、実際は800万をはるかに越えているらしい。
← ホテルの窓から見た、バンコクの市街。
「電気、直ってないかな」とルームライトのスイッチをひねるも、ライトは点灯しない。知ィ〜らない…っと!
1階のバイキングルームへ降りて、朝食を摂る。サラダは7種類、ハム・ソーセージ5種類、卵料理4種類、フルーツ4種類、ドリンク4種類の

バイキングだ。注文すると中に入れる具材をトッピングしてオムレツを焼いてくれる。翔くんの朝食は、そのオムレツとハム2枚、ロールパンとクロワッサン、スイカ2切れとメロン2切れ、オレンジジュースに水とコーヒーである。

毎朝、何を食べようと考えるのは面倒なので、焼いてもらうオムレツに行列ができていると、出されている目玉焼きに換えるだけで、章くんの朝食は、5日間、この通りであった。
午前8時、玄関前に待っているバスに乗り込む。ツアーの客は2人以上で参加する人がほとんどなので、1人の章くんは特異な存在である。で、座席もいちばんうしろのトイレの前の席で(このバスにはトイレがついていた。使用した人は居なかったが、遠いところの観光地へ行く場合、何時間も走るのだろう)、ガイドさんからは一番遠い。見学地で降りるときも、最後になって不利である。別に席が指定されていたわけではないが、アウトローの章くんにふさわしい席は最後部のトイレの前と、自分で決めたのである。
昨夜はドライヤーをかけずに(かけられずに?)寝てしまって、頭の毛が立っている。まぁ、一番後ろだから誰も見ないかと思いつつ、前に座っていた吉本さんの旦那に、「日本からドライヤー持ってきてます?」と聞いたら、「ホテルの机の引き出しに入っていますよ」。…?…?
出発。以前にタイを訪れたとき、バンコクの朝の渋滞に驚いた覚えがあるが、今朝のバスは意外にスムーズに走っていく。ガイドのちえさんも「今朝は順調ですね」と不審そうである。程なく合点がいった顔で、「昨日の日曜日が、万仏節という祭日に重なったので、今日は振り替えの休日なんです。だから渋滞がないん

ですね」との説明であった。
25分ほど走り、ラーチャーウオンの船着場から、チャーターボートに乗ってチャオプラヤー川をさかのぼる。チャーターボートとは、旅行社の行程表にあった呼び名をそのまま使ったのだが、実物はエンジンむき出しの、古ぼけたベンチシートが並ぶ、いつ沈んでも不思議でない船である。
バンコクは、母なる川チャオプラヤーに沿って発展してきた町であり、全域の海抜は0〜数mで、沼地を開拓した街だ。この町の発展には、チャオプラヤー川を中心にめぐらされた運河を行き交う船が重要な役割を果たしてきた。現在でも水上交通は盛んで、水上バスとしてのエクスプレス・ボート、渡し舟、高速乗合船、荷物運搬船など、様々な船が走っていて、バンコクが水の都であることがうかがわれる。東洋のベニスと呼ばれるゆえんだ。
水上から見る川岸の風景は、バンコクの人々の生活を映していて面白い。バンコクの街がこのあたりから始まったと伝えられるこの一帯には古い住宅が並び、多人数家族なのであろう、たくさんの赤や青の色鮮やかな洗濯物が川風になびいていた。
川岸には、十字架を掲げたキリスト教の教会のそばに、極彩色の中国寺院が並び、少し行くとドーム屋根から尖塔が延びるイスラム寺院が見られた。タイは多宗教の国である。幾つかの宗教を混在させて、微笑みの中に溶け合わせてきたタイは、また、超近代的なビルの足元にバラック建ての庶民の生活があり、町中のどこにでも露店を広げる人々のエネルギーを内在させていて、その懐(ふところ)は広い。
移り変わる幾つかのタイの表情に見とれている暇もな

く、15分ほどでボートは今日の目的地の第一番目「
ワット・アルン(暁の寺)」に着いた。
船上から見る大仏塔は、豪壮華麗である。空に向かって屹立するその大きさと、細かな彫刻と色とりどりの陶器が張り合わされた精緻さは、見とれるばかりであった。
チャブラヤー川の船上から望む
ワット・アルンの威容 →
この寺は、トンブリー王朝(1768-82年)の初代国王ターシンクが王室寺院として手厚く保護した。その部下のチャクリーが新王朝を開くと、第一級王室寺院は現在のワット・プラケオとなるが、小山のような威容は当時の栄華を今に伝えている。
仏塔のかたちは、ヒンドゥ教の破壊神シヴァの住む聖地カイラ

ー山をかたどっているといわれ、仏教色はほとんどない。大仏塔の高さは75m、台座の周囲は234mと本当に山のようである。表面は陶器の破片が埋め込まれ、それが暁の陽光に微妙な輝きを放つという。
大仏塔のすそに彫られている妖精たち。
よいしょっと、大きな仏塔を支えている →
境内周辺には、寺の修復のためとして寄付を集めている人がいたが、ちえさんの話では、これが真っ赤なニセモノというのも面白い。
船着場の近くには、顔をはめこんて写真を撮るタイ舞踊の型枠が並んでいるが、これも有料で、知らずに写真を撮るとどこからともなく男が現れて料金を請求するという。
大きな蛇を首に巻いた男がいた。「蛇に触ると、お金取られますよ」とちえさんは注意してくれたが、触る勇気のある人はこのツアーには一人もいなかった。
タイの民族衣装をまとい頭に金の飾りをつけた、かわいい女の子があちこちにいた。一緒に写真に納まって、40バーツをとるのだという。「かわいいよ。写真いかがですか」と自分で自分をほめながらの呼び声が、ちょっと悲しい。

トンブリー王朝の栄華「ワット・アルン」に別れを告げて、章くんたちはまたボートに乗り、対岸のター・ティアン船着場に渡る。ここは市場の中の船着場で、一帯は乾物問屋が並ぶ。干物や生乾きの魚の臭いが鼻について、慣れないものにはちょっとつらい。この臭いの中にも、タイの日常なのだから当たり前だけれども屋台レストランがあって、人々は大きな皿に盛られた料理をあれこれと注文して食べていた。

市場の路地を抜けると、大寝釈迦像で有名な「
ワット・ポー(大涅槃寺)」にぶつかる。ゴロンと横たわる黄金の釈迦像は全長49m、涅槃の姿を表すという。

あとで説明書きを読むと、足の裏が見ものと書いてあった。偏平足は仏の相を表すものとは聞いていたが、そののっぺらの足裏にバラモンの宇宙観が螺鈿細工で表現されていようとは…。
そういえば、この寺はタイ式マッサージの総本山なのだ。お堂の壁に人体の模式図がたくさん描かれていて、ツボや経脈が細かく示されていた。足の裏のツボも描かれている。タイのマッサージ師はこの寺で学び、免許皆伝を与えられると独立開業するのだという。半分以上の図がかき消されていたのは、習得したものが他人に学ばれるのを邪魔するために消してしまったのだと聞いて、何か人間くさいおかし味を感じた。
境内に白衣をまとった人がブラブラしている。ガイドのちえさんによると「肩をつかまれるとお金を請求してきますからね、体に触れさせないように注意してください」とのこと。街角マッサージ師(?)の人たちなのだ。白衣の人が来ると蜘蛛の子を散らすように逃げてしまうツアーの面々の様子もおかしかったが、通っていく人の肩を揉んで、「ああいい気持ち、お金払うわ」という気にさせるのなら、たいした技量の持ち主ではないか。

再びバスに揺られて10分。
タイ王宮と中心寺院「ワット・プラオケ」の見物である。
タイの近代化と産業の振興に力を尽くされ、国民の誰からも敬愛されている現タイ国王ラーマ9世は、絶対王政のタイを立憲君主国家に移されたラーマ7世の二男として生まれられた。兄王ラーマ8世が、宮殿内において銃の暴発という不慮の事故死のあと、19歳で王位に就かれたのだが、先王の不吉な死のあとこの王宮には住まわれず、現在、質素な洋館造りの3階建てに、研究所や農場を併せ持つ「
チッドラダー宮殿」にご家族とともに日々を過ごされている。

王宮の庭を抜けて、その一角にあるタイ国守護第一級王室寺院「
ワット・プラケオ(エメラルド寺院)」へと入る。
本堂に鎮座するご本尊エメラルド仏(ホントはヒスイでできているが、信者はエメラルドと信じて疑わない)は、高さ66cm、幅48cmとさほど大きくはないがその霊力は計り知れないとい

う。
ワット・プラケオのご本尊
エメラルド仏 →
1778年チャクリー将軍(のちのラーマ1世)がラオス侵攻の際の戦利品として持ち帰り、国家護持の仏として安置したものである。ラオスは返還を求め続けているが、当然のことながらタイ政府はこれに応じる気配はない。
境内には、たくさんのお堂や仏塔がきらびやかに立ち並び、観光客がひしめきあっている。それぞれの門やお堂の入り口は必ず鬼神や珍獣が守り、仏塔の台座にはこれを支える悪魔や猿神がいる。
ワット・ポー本堂の外壁に描かれている、「
ラーマーキエン物語」のレリーフも見ものだ。ラーマ王子が修羅王トッサカンとの激しい戦い

の後、王妃シーダとの愛のもと、アヨータヤー国に平和を築くという一大抒情詩で、タイ・ダンスはこの物語をもとに構成されている。壁画は今も描き加えられていて、この日もタイのレオナルド・ダビンチが、壁に向かって制作を続けていた。
「ラーマーキエン物語」のレリーフ。仏の軍や
白猿・黒猿の軍が入り乱れて戦っている →

時計を見ると12時40分。昼食を「ザ・インペリアル・クインズパーク・ホテル」37階の日本料理店で摂る。
← 37階から眺めたバンコクの町並み
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