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2003年2月16日(日曜日)〜21日(金曜日)


 その



第1日 2月16日(日曜日)ほほ笑みの国 タイへ
   
天使の都 バンコクへ
 

 久しぶりにタイへ行くことにした。一人旅である。昨年の9月にいつもの連中で、スコットランドへ行こうと計画していたのだが、章くん、8月半ばにおふくろさんが心筋梗塞の発作を起こした。「僕が居っても居らんでも、助かるものは助かるし、アカンものはアカンやろ」と抵抗したのだが、医師から「連絡のつくところに居て下さい」と言われて断念した。
 ン…この紀行を書き始めて、章くん、「そういえば、スコットランド行きの費用を、連中に没収されたままである」ことを思い出した。連中、「ちょっとは、返ってくるみたいやぞ」と、他人事のように言っていたナ。「ことしは、豪華な旅行ができた」とも…。
 お母様もこのところ元気である。心筋梗塞は発作さえ起こさなければ、健康そのものだ。2週間ほど前にまた検査のために入院したが、病室で寝ながらも「『うをよし』の鰻を買って来い」と暴れるのを見て、章くん、うな重を買いに出たその足で旅行社へ寄り、「ババアももう大丈夫。行くぞォ〜ッ、タイ一人旅」と、『全泊スイートルーム 豪華魅惑のタイ6日間』を衝動買いで決めてきた。

タイでのゴルフを案内していただいた 天野賢二氏。最近、仕事をやめられたみたいで、サイトが取り消された。 一人で行くので、「ゴルフはどうするんだ」というのも問題であった。レンタカーを借りて、一人でゴルフ場のはしごをするのも大儀だし、第一、あのサイゴンの街中を走る勇気はない。前回の訪タイのとき、渋滞のひどさにも驚いたが、交差点へ突っ込み合い、グイグイーッと他の車を押しのけて走っていく運転に、命がいくつあってもたらんなぁと思ったものである。
 ゴルフ案内をインターネットで探すことにして、「タイ、ゴルフ」と検索すると、幾つかのサイトが出てくる。中で一番親切そうなおじさんの顔写真が載っていた「天野賢二のエンジョイゴルフ」に、「お一人でのプレーもOKです」とあるのを見て、プレー日と希望コースをメールすると、翌日にはもう「予約しました。タイのゴルフをお楽しみ下さい」との返事を受け取った。


 2月16日、阪急交通社が主催するこのツアーは、関西空港国際線ロビーに午後4時50分の集合である。章くん、関西空港まで一人で、往復、車を運転するのは、ちょっとしんどい。電車で行くことに決め、14日、荷物をクロネコ関西空港営業所留めで送った。だから章くんは津駅を12時21分、手ぶらで大阪行き近鉄特急に乗った。いや、あいにくの雨で、傘を一本持っての出発であった。
 津駅で会った知人が「どこへ行くのや?」と聞くので、「タイへゴルフしに」と答えると、「嘘やろ」と信用しない。手ぶらなので、海外旅行に出かける最中とは思えないらしい。「で、どこへ行くのや?」と、信用しないくせにまだ追求してくる。「バンコクや」と答えると、「大阪のバンコクか」とまだ言っている。クロネコの引き換え券を見せて、「荷物は宅急便で空港まで送ってある」と説明すると、やっと納得して「何で、タイのホテルまで送らんのや?」と言っていた。そうか、その手もあったか。
 しかし、後日、宅配便の会社へ電話を入れて調べてみると、15sの荷物をバンコクまで送ると24000円、20sならば29000円かかるとのことである。総額10万円から幾らおつりがくるかという貧乏旅行なのだから、ゴルフバッグとトランクを送って計5万円余は考えられない。関空まででも、担いでいくべきかと思ったのだが、乗り換えや階段が多いので、ちょっと贅沢してしまった。
 「上本町」で降りるところが眠り込んでいて、気がついたら終着の「難波」。先が思いやられる。上本町へ引き返して、2時30分、駅前から関空行きリムジンバスに乗った。バスは20〜30分ごとに出発していて、関空まで約50分の行程である。それにこのバス、関空4階の国際線玄関前に着くので、電車などで行くと関空駅からかなり歩かねばならないのに比べて、とても便利だ。でも、バスの中へ、傘、忘れた。
 3時20分、国際線ロビーに着いて、まずやらなければならないことは、旅行傷害保険への加入。タイの屋台でものを食べると、100%腹痛を起こすという。だから、是が否でも保険には入っておかねばならない。ただ、このタイ一人旅は、お母様に内緒だ。お母様の健康は医師も保障する小康状態で心配はないのだが、入院中に海外へゴルフへ行ったということになると、将来の親子関係に禍根を残す。だから「ちょっと東京出張」と言って出て来た。海外保険証書などというものが自宅に届くと、心筋梗塞の口がポッカリと開くかもしれない。
 そこで、保険証書を友人の中山君宅に郵送保管してもらい、何かあったときの処理を頼んだのだが、冗談まじりに「1割やるから頼む」と言って行ったところ、後日、帰国してから「帰った」と告げた電話に、「何や、帰って来たんか」と落胆した気配を感じたのは、章くんの気のせいだったろうか。
 宅急便の空港営業所で荷物を受け取る。ここまで着てきたダウンジャケットをキャディバッグの中へ詰め込んで半袖シャツに着替え、その上にセーターを羽織る。家を出て来たとき今朝の気温は5℃、インターネットで調べたタイは32℃だ。冬から夏への旅立ちである。

関空内の食堂街 吉例「出発ラーメン」
 小腹が空いたので3階へ降りてラーメンを食べた。大きな2つの荷物を引きずってウロウロするのは容易なことではなく、荷物はもっとあとで受け取ればよかったのだろうが、一人旅にちょっと緊張気味の章くんはちゃんと届いているかどうか、荷物の顔を見て確かめたかったのである。
 大阪名物ビリ辛ラーメンを食べたのだが、激辛のタイ料理を目指す章くんには全然迫力不足であった。
 4時50分、集合場所に行って、阪急交通社の社員君から「6時20分までに搭乗手続きを済ませてください」と航空券を受け取る。関空内の東京銀行で、とりあえず5万円分をバーツに替えたりして、あちこちをウロウロ…、暇だ。「ガリア戦記」を読みながら、コーヒーを飲む。
日航・タイ航空共同運航便 5時30分、搭乗手続きを終えて、国際線へのゲートをくぐる。出国検査を受け、モノレールに乗って42番ホームへ。窓越しに、暮れていく夕闇の中、翔くんたちがバンコクまで乗る日航機が、最後の整備に余念がない。章くんは、免税店を覘いたりしてウロウロ…。
 6時30分、搭乗が始まった。章くんの座席ナンバー「36H」は機体半ばの右側通路寄りの席。その隣のIとJは、バンコクに着いてから同じバスに乗って判ったのだが、阪急ツアーに参加した吉本さんご夫婦であった。
 「本日のご搭乗ありがとうございます。連日満員の大阪−バンコク路線は、本日も満席382名のお客様を乗せ、ただ今より大阪を離陸いたします。本日は強い向かい風の中をバンコク空港に向かいますので、若干の遅れが予想されます。お急ぎの中たいへん申し訳ございませんが、ご了解いただきますよう…」という機長のアナウンスのあと、午後7時、タイ航空のスチュアデスさんテイクオフ。
 この便は、JAL−タイ航空共同運航とかで、パイロットを初めパーサーやスチュアーデスも、日航職員とタイ航空職員の何人かでチームを編成して運行に当たっているらしい。この日も「本日の運行は、機長は○○、…6人の日航スチュアーデス、12人のタイ航空スチューアデスからなる、チーム○□○□が担当いたします」とアナウンスがあった。
 日航スチュアーデスの皆さんは教官クラスだろうか…ベテラン揃いであったが、タイ航空の皆さんは20才代のピチピチ。「コーラ、プリーズ」とドリンクを頼むのも、日航を避けてタイを待ったのは、自然の成り行きというものである。
 飛び立ってから約2時間、機内食も食べ終えて、「ガリア戦記」の続きを読む。シーザーの軍に追われ「北へ逃れるために、あなたたちの部族の中を通らせてほしい。戦闘も略奪もしない、ただ逃れるために」と懇願するプリキュロス族に同情して道を譲ったがために、牙をむいた彼らに略奪され攻め滅ぼされたカリョ−ネ族の悲劇。地続きのヨーロッパの民族や国々は、古来から権謀術策の限りを尽くして興亡を繰り返し、現在の秩序を形成してきたのだ。その歴史の中にキリスト教もマキアベリズムも生まれ晒されてきたわけである。翼よ これが タイの灯だ
 関空を出てから6時間。まだ日本時間のままである翔くんの腕時計は、すでに午前1時を過ぎている。ほどなく機長のアナウンスが流された。「当機は、予定よりも約15分遅れで、バンコク空港へ到着いたします」。
 午前1時15分、到着。沖止めの機体から空港の建物まで移動するバスに乗るために、タラップを降りる。暑い。寒い国からいきなり放り出された身には、肌にまとわりつく熱気だ。
 入国審査…、いつも緊張する場面である。「何か質問されたら、どう答えようか」と、章くんは考えてしまう。タイ語で言われたらお手上げだ。審査官は、若い女の子であった。何も質問されなかったが、審査を終えたパスポートを投げ返してきた。睨み返すこともせずに受け取った自分の弱気が、異国の旅行者のこころ細さを象徴していた。
 場内の案内テレビを見ると、JL727のバッゲージ(荷物)は「5」と表示されている。5番ベルトへ行くと、すでに荷物が回っていたが、章くんの荷物はまだ見当たらない。キャリングカートを借りてから、ベルトのかたわらで荷物を待つ。来た来た、まずゴルフのキャデイバッグ。次いで黒いカバン。
 荷物検査場で、搭乗のときに貰った控えを見せて、荷物についている荷札の番号と照合を求めると、税関申告書を出せという。そういえば、申告するものは何もないので必要ないだろうと、どこかへ仕舞ってしまった。ないなら「なし」の欄にチェックして出さなければならないのだ。章くんがショルダーをひっくり返して捜していると、気の毒に思ったのか、真っ黒のおじさん、「OK、OK」と通してくれた。


 「EXIT」の矢印に従ってゲートを出ると、たくさんの旅行社の幟(のぼり)や看板を持った現地係員の人たちがひしめき合っている。「阪急交通社」の看板を持つ係員は2人いて、宿泊のホテル名を書き加えている。スラリとした30才160p45sぐらいの女の子と、60才150p65sぐらいのお母さんである。章くんの係りの人はモチロン65sの方で、「ちえ」さんというタイ在住の日本人。この深夜から、長〜い付き合いが始まった。
 全員そろったのを確認をしてから、みんながバスに乗り込んだのは、午前2時を少し過ぎていた。ここで章くんは腕時計を2時間戻して、タイ時間に合わせる。だから、このときタイ時間で午前0時過ぎ。(ここからは、タイ時間。日本との時差は2時間なので、日本時間は2時間を加えてください。)
 バスは、高速道路をかなりのスピードで、この日からのバンコク滞在の拠点「ウィンザー・スゥイート」ホテルへ向かう。道の左右に「SONY」とか「NEC」など、日本企業の大きなネオンが目につく。ウィンザー・スイート・ホテルのフロント 夜中なので、証明を絞っている
 走ること約30分、午前1時過ぎにバスはホテルに着いた。各部屋の割り振りを受け、部屋のキーを受け取って、各自はそれぞれの部屋へ入る。バスの車中でちえさんから「明日の行程は、午前7時30分にホテル出発となっていますが、8時にしましょう」と、30分ずらしてもらった。
 部屋は、ドアを入ると右手にバス・トイレ・シャワー室があり、その奥がテーブル・ソファー・机の並ぶ応接間で湯沸かし器やコーヒーのセットが並んでいる。一番奥の部屋に、クローゼットとテレビ台、キングサイズのダブルベッドが置かれている。深夜のホテルの部屋に佇む男の一人旅…、あまりに大きいダブルベッドがわびしい。どこへ転がってもベッドの中だ。章くんは、自分の寝行儀のよいのが、残念であった。


 すでに午前2時になろうとしている。明朝は遅くとも7時には起きなくてはならない。シャワーに入って、歯を磨いて、持って行ったドライヤーを使おうと、日本で買っていったコンセントを差し込み、ドライヤーのプラグをグイッと差し入れてスイッチを入れると、バシュッと不気味な音がして、部屋の電気が消えてしまった。
 ショートしたのだ。どうしようかと思案したのだが、入り口のライトがひとつ点いていて、何とか歩くぐらいはできるし、エァコンは順調に作動している。明日の朝になれば、サイゴンも明るくなるのだから、朝はカーテンを開ければ問題ない。明日出かけている間に直してくれるだろう。 知ィ〜らない! 寝る!

タイの神様 ホテルや店舗の玄関横に鎮座まします。


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← ホテルの玄関前にある、タイの神様。商店の店の前やカラオケ店・クラブなどの店内にも祀られている。日本で言えば、氏神さんかお稲荷さんといったところだろうか。