その7
 その1


第5日目 2月20日(木曜日)  タイ・カントリー クラブ



 タイ国内で最高の格式を誇るタイ・カントリークラブが、本日の舞台である。1997年ホンダクラッシックを開催。タイガーウッズが記念すべきタイ初勝利を記したコースであり、タイ王室や政財界の名士がメンバーに名を連ねるクラブである。
 午前6時50分。天野さんに迎えに来てもらい、ホテルを出発。車は多いけれど、早朝なので渋滞というほどではない。
 タイ・カントリーはバンコクの南南東、34号線を45分ほど走ったところにある。郊外へ出ると、片側3車線の真っ直ぐに伸びるタイ道路。140qで天野さんが疾走する。
 道路の脇で、2・30人の女の子が固まりになって立っている。勤め先の会社から迎えに来るバスを待っているのだという。タイの女の子たちは、集団就職で地方から出てきて、企業の用意する寮に寝泊りして工場で働く。
「その寮なんて冷房もない部屋で、6畳ぐらいのところに4・5人が暮らしているんです。1ヶ月の給料が4・5000バーツ。彼女たちは,その8割ぐらいを故郷の家に送金するんです。タイの女の人は本当に健気です。この国は、女の人でもっているんですよ」
と天野さんは話してくれた。タイカントリーのアプローチロード
 7時40分を過ぎた頃、ゲートが見えてきた。警備の人が敬礼して門を開けてくれる。タイカントリーへ到着だ。玄関までの道路の両側には、色とりどりの花が植えられている。
「タイは1年中、花が咲いているんでしょうね」
と聞くと、
「でも、今から5月頃が一番の盛りです」という答え。
 玄関前にバッグを下ろし、天ロッカールームへ向かう廊下。 左奥がロッカー野さんは車を駐車場へ回す。クラブハウスは茶色のレンガと大理石の豪華なつくりだ。スタート管理はプロショップで行なっている。そのプロショップを切り盛りしているのは3人の女性スタッフだった。
 スタートの確認をして、ロッカーへ向かう。荷物を置いて、階下のキャディ溜まりに降りていくと、翔くんのバッグを積んでくれている小さな女の子がいた。「お願いね」と声をかけると、「ヨロシク」と上手な日本語が返ってきた。パイちゃんという21才のキャディさんだ。いざ出動
「すぐにスタートしましょう。インなら、今、空いているといってますから」。
 天野さんの段取りのよさには敬服するが、よすぎて怖い。ここでも、いきなりのスタートである。一昨日のパンヤハークもこのタイカントリーも、打球練習はおろか,一発のパットも転がしていない。
 10番372Yパー4。ティグラウンドで入念な素振りをしてからのドライバーショットは、広いフェアウエイの右サイドへ。残り135ヤードを8番で打って、手前へオン。奥のピンまでは20メートル近くを残した。
 グリーンは途中まで上っていて、尾根を越えると今度は下りだ。キャディのパイちゃんが、手振りで左へ曲がると教えてくれる。練習バットもしないで寄るもンかと、ヤケクソで打ったパットが40センチに寄った。今度はパイちゃん、左手の親指と人指し指で丸を作り、右手の人差し指をその丸の右端へ当てる。カップの右サイドを狙えといっているのだ。パイちゃんの読みを無駄にしては申し訳ないと、一生懸命打ったパットは、何とか入ってパーのスタートである。
 ところが続く11・12・13番を何とはなくボギーを叩き、パイちゃんに「ボギーばかりね」と言われてしまった。
 気を取り直して14〜17番をパーで上がり、ここまで3オーバー。ところが18番のセカンド、残り130ヤードを右ラフに吹かし、アプローチを2mに寄せたものの、そこから3パットしてダブルボギー。「41」にしてしまった。

ナイロン袋に入れた果物をパクつくパイちゃん タイの人たちは いつも何かを食べている
 折り返して、アウトの1番354ヤードパー4。このタイ遠征に、章くんはドライバーを2本持っていった。
 ひとつはミズノ300SUの380CCで、44.75インチと打ちやすいのだが、球の上がりがもうひとつ不足、飛距離が延びない。もうひとつは、2年ほど使っているミズノ300Eで、11度のロフトがあるからタマも高く飛ぶ。ただ46インチの長さだから、よほどていねいに振らないと、右へ抜けるミスが出る。距離の要らないホールのドライバーはSU、飛ばさなければならないホールはEで打つことにしているのだが、パイちゃんはインの9ホールでその使い分けを見抜いていて、354ヤードのこの1番はSUで打てと指示してくる。
 広いフェアウエイなので、「もう1本の方をくれ」といったのだが、ティマークの横の354Yと書かれた石版を指して、「それでいい」と渡してくれない。ヤシの木陰に 椅子が置かれている
 パイちゃん推薦のSUはナイスショットで、フェアウエイの中央に転がった。残り120ヤードを9番でオン。30センチに寄せたパットを、「お先に」と打って外した。もちろんパイちゃんは甘い慰めなどはくれない。「ボギーね」と念を押して、胸のポケットから出したスコアーカードに「5」と書き込む。
 2・3番とパーを取ったが、4番488ヤード、セカンドから池のふちを右回りに行くパー5。ロングだからとEで打ったティショットは、右へ飛んでヤシの林の中へ。ボールは打つのにそれほど難しくないところにあって、右トッグレッグのホールを右へ打ったわけだからショートカットした形になっていて、前のヤシの木の上を越えれば、残りは池越えの220ヤードだ。
 パイちゃんに、「2オンを狙う。バッフィでどうだ」と言ったところ、「ダメ、アブナイ」と全然受け付けてもらえず、7番で左のフェアウエイに出せという。そのあと、5番・サンドとつないで4オン2パットのボギー。6番 パー3
 5・6・7番をパー・ボギー・パーときて、ここまで3オーバー。8番は380Yパー4、セカンドを池越えに打つ、ホールハンディ2の難コースだ。パイちゃんの許可を得て、ドライバーをEで打つ。ちょっと長いし、セカンドを短いもので打ちたいから、力が入った。左へ飛んだホールは、またまたヤシの木陰へと消える。
 行ってみると、ボールがない。ラフだけど刈り込まれていて、ボールが隠れてしまうこともないはずだ。パイちゃんの懸命の捜索が続く。見えますかね。右上、翔くんのボールが引っかかっているのが 
 あった。ナント、ヤシの木の枝の間にはまり込んでいるではないか。木の下から1ペナルティで打つ。直接グリーンへは打てないからフェアウエイへ刻み、このホール4オン2パットでダボの6だ。
 最後の9番をパーで上がって、アウトも「41」。タイ・カントリー制覇を目論んだ翔くんの挑戦は、トータル「82」とあえなく散った。またひとつ、もう一度来なくてはならないコースが増えた。


 クラブの確認のあと、パイちゃんにチップを渡さなければならない。クラブが決めているキャディへのチップは250バーツだが、ここは天野さんの顔を立てて300バーツを渡した。
 クラブ置き場の横のテラスに、飲み物と冷たいオシボリが用意されている。天野さんの
「今日も、一昨日のパンヤも、キャディはオーダーしておいたンです。全然動かないのも、中には居りましてね。タイの女性もいろいろです。
 わたしについてくれていたキャディは、頭のよい子でしてね、教えたことは忘れずに実行します。自分だけでなく、みんなが実行するように広めなくてはいけないよと言っているンです」
という話を聞いていたら、そのキャディさんが、天野さんのところへクラブを1本持って来て、何事か話している。コースのプロだという男の子も来て、話に加わった。あとで聞いてみると
「ラウンド中に、『グリップが太すぎて、ちょっと握りにくい』という話を彼女にしたのですが、コースのプロに言って直してもらおうかと聞きに来てくれたのです」
と説明してくれた。 
 気の利いたキャディがいるものである。天野さんの言うように、利口な子なのだ。そのように育てている天野さんの努力にも感心した。この人は、「タイのゴルフに恩返しするのだ」と言った言葉を、きちんと実践している。
レストランから18番グリーンを望む

 シャワーに入って、レストランでスイカジュースを飲む。レストランの客は3割が日本人、5割が中国・韓国とタイの人たちで(要するにアジア人種。ちょっと見分けがつかない)、2割が欧米人である。
 日本人の声も聞きなれているからか耳に届くが、中国語・韓国語がカン高く響く。言葉の発音自体が高音や濁音が多いのかも知れないが、かつて日本人の海外団体旅行が厳しく批判されたように、やはりアジアの各国は公衆道徳をまだまだ身につけていないということだろう。
 公衆という概念が導入されてから年月が浅いという面もあろう。また、キリスト教社会は「誰が見ていなくても神が見ている」という自己規制の観念基盤があることも事実だろう。様々な理由はそれとして、アジア社会も(もちろん日本を含めて)パブリックという概念を身につけていく努力を、個人だけでなく、社会全体で進めていくべき段階に来ているのではないだろうか。


 タイ・カントリーをあとにしたのが、午後1時。
「天野さん、今夜もし何もなかったら、無理を言いますが、付き合っていただけませんか。できれば、バンコクのちょっと気取った夜の表情も見てみたいのですが」
 章くん、たいへんお世話になったお礼も兼ねて夕食をご一緒したいと思ったことと、天野さんがバンコクの高級クラブの会員であるということを聞いて、ちょっと案内して欲しいなと思ったのである。
「じゃぁ、わたし、会社へ寄って整理をしてきますので、午後7時にアソーク交差点のプラザ前で待ち合わせましょう」本屋さん アジアン・ブックス
ということになり、翔くんは一昨日のタイ・マッサージの店で降ろしてもらった。
 マッサージで2時間。パワーを回復した章くんは、町をぶらつく。パシフィック・クラブと書かれたビルの中に、本屋さんを見つけた。
 「アジア・ブックス」、タイを代表する洋書店。市内に多くのチェーン店がある。タイや東南アジアのオリジナル出版物も多いタイランド・ゴルフコース 2003とか。
 章くんは「タイランド ゴルフコース ガイド 2003」を買った。700バーツ。オールカラーの本だから、値段はそんなものだろうが、タイの物価の相場からすればすっごく高い。本棚に立てられたり横積みされたりしている本は全て英語のもので、タイ語で書かれた本はなかったから、この書店においている本はタイの人向けではないのかも知れない。
 しかし、先日の夜、セブンイレブンで見た週刊誌のようなペラペラの本も、145バーツの値段がついていた。日本円に換算して435円。これでは日本でも高いと言わねばならないが、タイの物価の感覚では、より高い感じがすることだろう。とにかく、書籍はタイの社会には、ずいぶん高価なもののようである。
 同じビルの中に、「菊の井」という日本料理店を見つけた。フィットネスクラブ、中華料理店、洋菓子店、本屋さん、そしていろいろな会社が入っているこのビルの中の店は全てがそうだが、この菊の井もとにかく立派なつくりの店構えである。
 入り口に置かれているメニューをめくってみたのだが、五目うどん145バーツ、寿司盛り300〜600バーツ、幕の内400バーツ、刺身御膳600バーツなど、日本の値段から言えば割安感があるが、現地の感覚から言えば高級な食べ物である。日本料理店 菊の井
 夜まで、少しお腹へ入れておかねばと思った章くん、暖簾をくぐって店へ入る。中もたいへん豪華なつくりだ。太い梁、大きなカウンター、派手な塗りの分厚いテーブル、その上にはナプキンが置かれている。うどん屋という雰囲気ではないが、「五目うどん、1丁」と頼んで145バーツを払い、20バーツのチップを置いてきた。
 このうどんについて一考。麺はスーパーに売っている玉うどん程度のもので、手打ちオリジナルといった腰や艶はない。まぁ、ごく普通の麺である。いただけないのはツユで、化学調味料で合わせた味は、カツオや昆布といった出汁(だし)の風味はなく、ストレートすぎる辛さ、あとに残る甘さだ。
 菊の井を出てからも、まだ少し腹の落ち着きが悪いかなという感じなので、洋菓子屋の横に並べられたテーブルにすわり、「Chocolate cake and coffee, piease」と頼んだら、「チョット オマチクダサイ」と日本語が返ってきた。甘党の翔くんは、ケーキを食べてちょっと落ち着いた。甘いものは別腹である。

 時計を見ると5時。待ち合わせまでまだ2時間ある。一度ホテルに戻ることにして、タクシーを拾う。ホテルは近くなので当然1区間、初乗り料金の35バーツである。チップとともに50バーツを渡すと、何とか言って手を合わすタイ式の感謝のポーズを見せる。タクシーの運転手は流れ者ばかりで、半分以上が強盗みたいなものだと聞いていたが、強盗に変身するまでは可愛いじゃないか。




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