2月17日(火) 臨時ニュース『中川財務金融相 辞任』

ふわとろオムライス
豆腐サラダ

 お昼、時々立ち寄るレストランで、「ふわとろオムライス」と、野菜嫌いを補うために「豆腐サラダ」を頼んでパクついていた。店のテレビが「みのもんたの思いっきりテレビ」を流していたので、見るともなく見ていたら、11時46分、突然、「ニュースが入りましたのでお伝えします」と報道ディスクに切り替わった。
 『ン、麻生辞任か!』と一瞬思ったのだが、女性アナウンサーは、「中川財務金融大臣、辞任」と原稿を読み上げた。
 ローマでのG7(先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議)の席上や記者会見で醜態をさらしたことを批判されての辞任である。本人は「予算成立に全力を尽くし、成立後に辞任する」としているが、最早や一刻も早い辞任が事態を収拾する一番の方策だろう。
 国政を預かる大臣には、「心身ともに健康であること」とともに、「常に的確な判断力を有すること」が求められる。今回の中川大臣は風邪を引いて薬を飲み、加えて持病の腰痛の鎮痛剤も服用したので、意識の混濁があったと弁明しているが、100年に1度の世界金融危機のとき、日本の財政を預かるトップが世界の檜(ひのき)舞台で醜態を演じたのでは、危機管理ができていないし日本の恥と非難されても仕方がない。
 僕としては、核論議を含めた国防意識や対中国にも物申す外交など、その政治スタンスを応援していたので残念だが、アル中体質を直し、政治哲学を鍛えなおして、捲土重来を期して欲しいと思う。


 それにしても、安倍晋三元総理といい、この中川昭一といい、戦後の日本をあるべき姿に糺すために期待した若い政治家たちのひ弱なことはどうだ。若い頃から苦難を自分の力で掻い潜り乗り越えてきた創業初代とは、やはり違うということか。
 麻生太郎、小沢一郎、…、今もう、日本の政治家の半数以上が2代目である。この国の迷走ぶりも、この辺に原因があるのかと考えれば、納得のいく部分もあるかな。


夜、追記
 早速に、中川財政・金融相は辞任した。麻生政権では、中川をかばいきることは出来ないだろうとの判断も働いての、早急な辞任といえるだろう。
 後任には、与謝野経済財政相が兼務で就任することになった。与謝野の3閣僚兼務は「経済政策がスムーズに運ぶ」という反面、当然ながら「大丈夫か」という不安が呈されている。
 一言で言って、異常な事態である。自民党の人材不足を象徴してもいるが、麻生政権という泥舟には乗りたくないという拒否反応も根強いのだろう。それらが絡み合って、中川正一の後任に据える適材が見つからず、覚悟を決めている与謝野馨に全てを託したというところだ。
 しかし、経済は今、極めて難しい局面を迎えている。それぞれをひとりで担当していても、取り組み解決していかなくてはならない難題は山積していると思われるのに、与謝野馨ひとりに託さねばならないという心もとのなさはどうだ。麻生政権は、いよいよ行き場を失ったということか。


 自民党として、麻生太郎に選挙をさせるなという動きが出ることだろう。公明党の北側幹事長が細田自民党幹事長に中川の辞任を強く迫ったというのも、自民党を見限りつつあることの現われだろうが、自民党としては麻生太郎に選挙の顔を託すのは避けたいというのが本音だ。
 ここで据え替えるということになると、安倍・福田・麻生と三代に渡って短期で政権を投げ出すことになって、国民の批判は避けられないところだけれど、それでも…小泉純一郎とはいわないまでも、石原伸晃という思い切った若手か、サプライズの小池百合子を総裁にして、選挙に打って出ることにすれば、麻生太郎で戦うよりは好結果を期待することが出来るというものである。
 しかし、ことここに至っても、自民党にはそこまでの決断力はない…というのも事実なのだろう。やはり、この党は沈没するばかりだ。




2月15日(日) お年玉付き年賀状 今年の当たりは切手シート5枚


 急ぎの郵便物を差し出すのに、中央郵便局の休日窓口へ行った。帰りがけ、カウンターにお年玉付き年賀状の「当選番号表」が置かれていたので、1枚貰ってきた。
 今年は何を貰おうか…、1等の「AQUOS 32型デジタルハイビジョン液晶テレビ&ブルーレイディスクレコーダー」はちょっと無理かもしれないが、3等の「浅草今半の牛肉佃煮」か「ニッスイ フカヒレスープ&蟹缶セット」ぐらいにはありつくものと、番号を照合し始めた。
 ン…、当たらない。半分ほど照合が済んだところで、4等の切手シートが1枚当たっただけ。今年は、神宮暦も四柱推命学も12星座占いもみんな良かったはずなのだが…。
 そのあと、切手シートが2枚当たったけれど、残りがもうわずかになった。1・2等はおろか、3等の名産品も当たりそうな気配がない。結局、切手シートがもう1枚当たって、合計4枚…。
 占いは当てにならないなぁ。『しっかりしなきゃと思ったら…』、何だった…生命保険か!


 出さずに残っていた予備用の中に、1枚当たりが入っていた。で、計5枚…!



2月12日(木) 小泉劇場 第2幕  自民党土壇場の場

カランコエ

 小泉元首相は今日の午後6時から党本部で開催された「郵政民営化を堅持し推進する集い」の役員会で、麻生首相が5日の衆院予算委員会で「郵政民営化に賛成ではなかった」と言ったことなどについて、「怒るというよりも笑っちゃうぐらい、ただただあきれてしょうがない」と冷笑した。
 迷走する「定額給付金」についても「3分の2の議席数を使って再議決するほどのものとは思えない」とバッサリ…。ねじれ国会に苦しむ麻生政権にとっては、その衆院の大議席が政権維持の生命線だ。にもかかわらず小泉改革との決別を鮮明にし、民営化を支持した民意を軽視しかねない麻生首相の発言に対し、小泉元首相はどう出るか、国民注視の発言であった。
 「元首相が現首相の足を引っ張ってどうする」と内閣に近い議員からは、次期衆院選への影響を懸念する声も出ているが、自らの政治生命をかけて達成した郵政民営化を、その中で総務大臣として在籍した当事者から、首相になったら手のひらを返すように政策転換を表明されては、黙っているわけにはいくまい。


 かくなるうえは、自民党復活の秘策…。小泉純一郎が政界引退を撤回して、瀕死の自民党を率いて衆議院選挙に臨むというシナリオはどうだ。世の中の自民党支持者のみならず、潜在的保守層も、民主党に飽き足らない不安を抱いている人々も、行き場のないシラケるばかりの中間層も、雪崩を打って支持に回ることだろう。
 そうなれば、小沢一郎の余裕の表情も一変する。もはや既定路線化している政権交代も、どうなるか余談を許さない。自民党の起死回生策は、小泉純一郎に三跪九叩頭の礼を尽くして、その復帰を願うことしかない。




2月12日(木) 日本の常識は世界の非常識 その2  (その1はこちら)


 TBSが昨年末に放送した「あの戦争はなんだったのか」という番組についての話…。近代史について常々語り合っている連中だからか、「TBSらしい、事実の追求じゃなく『視聴者にこう思わせよう』的な筋立てだった」とか、「列強のアジア侵略・ABCD包囲網・ハルノートなど、開戦に至る歴史的経緯が全く語られていなかった」「軍国日本ありきのTBSクォリティがあからさまで、途中で見るのを止めました」など、評価するという話は「ビートたけしの東条は好演…」以外、ほとんど聞かれなかった。
 しかし、今もって日本の通説は「日本はあの戦争で世界の平和を脅かし、近隣諸国に多大な迷惑をかけた」という反省の弁である。「いくら反省しても反省し足りない」と自ら繰り返しながら、これ程反省する国は他にはないだろう。
 その中で、『日本の常識、世界の常識』という話があったので、抜粋して紹介しておこう。
  日本人の常識として、
   1.すぐに謝る。
   2.自分のミスや過ちは言い訳せず         
     すぐに認める。
   3.自己主張を強くしない。
   4.すぐに反省する。 特に相手の
     立場に立って反省する。
   5.気配りをする。
   6.過去のことは水に流す。
   でも世界の常識は
   1.めったなことで謝らない。
   2.自分のミスや過ちはすぐに認めず、
     言い訳したり、他人のせいにする。
   3.自己主張を強くする。
   4.すぐに反省しない。
   5.気配りをしない。 
     そもそも気配りという文化がない。
   6.過去に徹底してこだわる。


 TBSのドラマも、日本人の常識の1〜5のなせる技…。当時の日本の置かれた立場を全く考慮せず、相手の立場に立った相手国の意に添う反省だけを延々としている。では、日本が中国や韓国の立場に立って考えているからと言って、中国や韓国が少しは日本の立場に立って考え発言しているかと言えば、そんな事は全くない。
 世界に出れば日本の常識は問題にもならない。戦争を謝罪した国は日本くらいなものである。遺憾の意は示しても、謝罪は一切しないのが世界の常識なのだ。世界の常識では、謝罪することは全ての責任が自分に有ることを認め、何を言われても何を要求されても受け入れると言う証だからである。
 だから、日本は世界の常識に従って、謝罪をせず、日本の立場からの説明だけをすればいい。日本が謝罪しなくなったら、中国や韓国は困惑するだろう。「日本は国際レベルの国になった」と。


 昔のとても弱かったサッカー日本代表は、フェアプレイを旨として、決して相手のユニフォームなど引っ張りはしなかった。敗戦を報じたマスコミも、勝者のダーティぶりを報道し、日本の惜敗、健闘を讃えた論調であった。
 今、日本のサッカーは国際的になりつつあるのだろうか。今日の豪州戦に向かっても、各マスコミの論調は勝利を熱望する紙面であったし、0-0ドローの結果を伝えるテレビも「FWのシュート力不足」と厳しい論評であった。
 しかし、朝青龍の闘争心の前にはタジろぎ、手も足も出ないのも、日本という国であり、国民なのである。


 
サイネリア

2月6日(金) 読書百遍  


 「小学校に入ったころの息子が感情表現が全くない作文しか書けないので、一緒に読書をするようにしたら、中学のころもよく本を読むようになりました。今、大学で新聞部の部長をしていて、先日ウエブに記事が紹介されていました。成長しているかな…と思っています」とメールがあった。


 「読書百遍 意自ずから通ず」(魏志)。中国三国時代、魏の董遇(とうぐう)が弟子に何度も読書することの必要性を説いた語で、難解な文章でも繰り返し読めば意味は自然と分かってくるということ。「百遍」は百回読めということではなくて、多くの回数のことです。
 神戸山手大学で、短大生活学科の新入生28名を対象にデカルトの「方法序説」(我思う、ゆえに我あり=コギト・エルゴ・スム)を30回読むことによって、「読書百遍…」の意味するところが正しいかどうかを確かめる実験が行われました。一段落読む毎に5段階評価の理解と読みのスムーズ度とコメントを記録させていったところ、いずれも成長が見られ、この言葉は正しいという結果が報告されています。


 読書したことは 今日の役には立たないかもしれないけれど、いつか必ず 人生の節目の大事なときに その力を発揮します。本を読んでいない人は人生に重みがない。
 人生に重みなんか要るかい…というのも、ある意味でその通りです。なまじ学問を積んだがために、妙にプライドが高くなって、処世につまずいている人も少なくありません。
 ただ、読書による素養を得ている人は重みを持って豊かな人生を歩むことができるでしょうが、読書しない人は巧な処世で人生を生きることはできても、立ち入ることのできない世界が厳然とあるということなのでしょう。もちろん、人生の価値には関係のないことなのですが…。


 関連を http://homepage3.nifty.com/akira-i/Dokusyo/145-asonodokusyo.htm に記しています。



2月3日(火) ほんに今夜は節分かぁ


『 月も朧に白魚の 篝も霞む春の空、………
  棹の雫か濡手で泡、思いがけなく手に入る百両、
  ・・・ほんに今夜は節分か、   ………
  こいつあ春から延喜(縁起の意)がいいわえ 』


 ご存知 歌舞伎「三人吉三廓初買(さんにんきちさくるわのはつがい) 大川端庚申塚の場」より、 お嬢吉三の名台詞です。


 ほんに今夜は節分…、東北東を向いて 恵方巻を食べました。
 ダイエット中なので 4分の1だけ…


 明日は立春、 春はもうそこまで来ています。


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 のぞかないでください(笑)。



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