10月19日(月) 西川 遼のコンセントレーション
先日の、ゴルフ日本オープンの激闘は見応えがあった。優勝した小田龍一のプレーオフでの2つのパットも見事だったけれど、西川遼や今野のアプローチの見事さときたら、とても人間業とは思えなかった。
惜しまれたのは、NHKで中継が始まって間もなく、5番ホールだったかのバンカーショットで、ギャラリーの携帯電話のカメラの音にコンセントレーショウを乱された西川遼が、固い表情のままボールを打ってホームランし、このホールをダブルボギーにしてしまったことである。
「集中しようとしているときに、心ない物音で乱され気の毒だ」というのはもっともだが、たくさんのギャラリーにプレーを見せるトップアスリートなのだから、そこで心を乱されているのでは、まだまだ修業が足らないと言わねばならない。
ずっと以前にも、優勝争いをしていた倉本が、やはりギャラリーのカメラの音に怒って、その後のホールを投げやりな態度でラウンドしているのを見たことがあるが、見苦しいものであった。
グレッグ・ノーマンは、アメリカツアーを転戦中に、あの強さゆえに何度ギャラリーから罵声を浴びせられたかわからないと回顧している。カメラのシャッターオンがしたなどといった生易しいものでなく、「お前なんか、オーストラリアへ帰れ」などと面と向かって言われるのである。そこでダブルボギーを叩いてしまったら、負け…。これからも、不特定のギャラリーに取り囲まれてプレーする道を選んだのだから、同じようなことは何度も起こると思わねばならない。
ティショットのアドレスに入ったときに奇声を発した子どもに、「おじちゃんのお仕事が終わるまで、ちょっと我慢してくれないか」と笑って声をかけ、ナイスショットをしていったトム・ワトソンのユーモァ…、風で帽子が飛んだのも気づかずに優勝パットを決めたというジャック・ニクラウスの集中力…、西川 遼くんの課題は多い。
10月18日(日) 「不毛地帯」
15日(木)、「フジテレビ開局50周年記念ドラマ」として製作された「不毛地帯」を見た。午後9時から11時15分までの長丁場をソファに寝転がりながらの観賞であったが、居眠りもしなかったのは、中身に見せるものが詰まっていたということだろうか。
『不毛地帯』は山崎豊子原作の小説作品。1973年(昭和48年)から1978年(昭和53年)までサンデー毎日に連載された。主人公の壱岐正中佐は、瀬島龍三(大本営参謀、シベリア抑留、帰還後は伊藤忠商事に入社して後に社長・会長を歴任)がモデルと指摘されている。一方の主人公のライバル・東京商事の鮫島辰三は、日商岩井の元副社長海部八郎(日商岩井(現・双日)副社長、ダグラス・グラマン事件で有罪判決)がモデルという。
山崎豊子は、高校時代に「ぼんち」を読んでファンになり、この「不毛地帯」は、もう30年ほども前に単行本上・下巻で読み、シベリア抑留の描写にソ連嫌いに拍車がかかった(苦笑)。
山崎豊子の長編は実際の出来事を題材としたものが多く、「白い巨塔」は阪大病院の誤診と医学界の閉鎖性、「華麗なる一族」は神戸銀行と山陽特殊製鋼の関連、「沈まぬ太陽」は官製企業JALの腐敗、先々月まで文芸春秋に連載されていた最新作の「運命の人」は外務省密約をスクープした毎日新聞の記者がモデルなどである。
この「不毛地帯」の題材となった事件は「安宅産業事件」ではなかったかと思ったのだが、壱岐正のモデルである瀬島龍三は伊藤忠商事に入社し、同社の社長・会長を歴任している。とすれば…、舞台は伊藤忠であって、安宅産業事件は一過程で登場するだけであったか…、ちょっと定かでない。登場する山崎 努の姿を覚えているから、別のドラマだったか。
( 後日、気になって調べてみたら、「安宅産業事件」を扱ったドラマは1980年にNHKで放映された「ザ・商社」だった。家に帰らずに、ホテル住まいする主人公の生活スタイルに、『こりゃいい』と思ったりした。活字で読んでもいる…。週刊誌の連載だったかなぁ。)
(またまた後日談…。小説「安宅産業事件」は松本清張によって「空の城(くうのしろ)」という題名で月刊「文芸春秋」1978年1月〜9月まで連載されている。僕は「文芸春秋」はずいぶん昔からずーッと購読しているが、78年当時どうだったかの記憶が無い。)
さて不毛地帯…、物語の後半は妻の事故死を期に、社内で対立する里井副社長によって、壱岐はアメリカ近畿商事の社長に体良く放逐される。アメリカのビッグ3と言われる大手自動車企業のフォークと日本国内3位のシェアながら経営不振に喘ぐ千代田自動車との提携交渉で、ライバルの東京商事と激烈なフォーク争奪戦を繰り拡げるが、社内の妨害に遭い、土壇場で東京商事に敗退…。
壱岐が次ぎに臨んだビッグビジネスは石油…。イランのサルベスタン鉱区の石油開発に対し、五菱商事をはじめとする国内連合軍から離脱して、インディペンデントのオリオン・オイルと組んで国際入札に挑戦し、死闘を制して見事落札する。だがその鉱区で、掘れども掘れども出て来ぬ石油に大門社長や社内から冷たい目と避難を浴びるが、遂に待望した石油が噴出する瞬間は感動的であった。
この石油掘削が、石油で会社を潰した「安宅産業事件」にダブるのかな。
10月17日(土) ホームページ作成機能が壊れていました。
このホームページ、10月の更新が少ない。「ページの公開」を指示しても、写真やリンクが一向にインターネット上に表示されなかったので、新規の公開をできなかったのだ。
ホームページ作成のソフトは「ホームページ・ビルダー」を使っているが、ページ編集で新しいページを作成し、プレビューで見てみると、新しいページができていて、写真もリンクもちゃんと表示されている。ところがウエブ上に転送すると公開されないから、プロバイダーとの接続が悪いのではないかと、FTPツールを開いて接続を調べたり、プロバイダーのニフティへ電話をして調べてもらったりした。
ニフティの坂井さんが、「表示されていない写真の場合、アドレスがおかしいです」と指摘してくれて、これはホームページ・ビルダーの中で異変が起こっていると確信…。インターネットのIBMお客様相談のトラブル集、Q&A集を片っ端から調べてみると、『プレビューで出る画像が、ウエブ上に転送されない』という、ぴったりの項目を見つけた。
修理は「かなり上級レベル」とあるから手に負えないかと思ったけれど、このままではページは公開できないのだから、壊れてもともと…と思い、修理に取りかかった。
途中、ページ上の写真がみんな消えてしまうなどのトラブルもあったけれど、ページのアドレスを直したら見事に解決した。
トラブルを乗り越えるには、勘と運が何よりも大切であることを再確認した。
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