11月27日(金) 宮嶋 希(のぞみ) − 化 身 −
行きつけのスナックに、新人歌手の宮嶋 希ちゃんがキャンペーンに来ました。
その1週間ほど前、ママから、希ちゃんが歌っているデュエット曲「今夜は、うふふ」のカセットテープを渡され、「一緒に歌ってもらうから、覚えておいて」と言われました。この曲、誰も知りません。だから、練習して来い…というわけです。
午後8時、時間通りに希ちゃん登場。丸顔の可愛い歌手です。デビュー2年目と言っていました。
← デュエット曲を歌う希ちゃん。見えている右手は、僕のです。
うろ覚えの僕に、心配そうなまなざしですね。
「NHKの歌謡ホールに出たいんです」と夢を語っていました。「紅白だろう」と言ったら、「それは究極の夢…、まずは歌謡ホール!」と目標を見定めていました。
新人としてデビュする歌手は、年間に400人とも500人とも言われます。その中で、メジャーデビュを果たすのはほんの数人…。厳しすぎる世界ですが、袖摺り合うも他生の縁とか…、歌はまだまだの希ちゃんですが、何とか力を入れている『化身』がヒットするといいなと応援しています。
11月24日(火) 仕 分 け −民主党のご都合主義−
民主党が「仕分け」と称して、各省庁から出された来年度予算の概算要求をバッサバッさと切り捨てている。天下り法人に関してはメスを入れるといった、明確な基準があるわけでなく、児童手当のように支給したら直ぐに相手が喜ぶような、目に見える反応があるもの以外は切り捨てるという、乱暴な処理の仕方だ。
選挙に勝つために乱発した空手形で予算が膨らんでしまい、何が何でも財源を確保せよというのが至上命題のようである。民主党のマニフェストに盛られた政策は、実現するには財源が不足しているという指摘が、自民党だけでなく各方面から何度となくなされてきた。その見通しの甘い公約に対して、政権交代の成った日に、僕は「いずれ行き詰まる」と書いた。
まだ、児童手当も、農家の個別保証も、高速道路の無料化も実施していない、今の段階で、もう財源不足を露呈しているとは何というザマか。
何としても財源を確保しなくてはならない。だから、遠い将来に向かってはあるのが望ましいことが判っていても、それは削って、とにかく明日に必要なものだけを手当てしようというのが、この仕分けである。必殺仕分け人は、それが将来の日本にとってどれほど重要かなどといった議論には目を瞑り、とにかく凍結・削除を目指して主張を繰り返し、判定するのも民主党の人間なのだから、結果はたいへん偏った判断が下される。東京裁判を髣髴とさせる光景である。
いっそのこと、民主党としてはマニュフェストに掲げた項目を少しでも実現するためには、「5年・10年先のことは言ってられないので、将来のことには目を瞑って欲しい」と正直に言って、「家庭で言えば保険・教育費・教養娯楽費といったものは全てカットをお願いしたい」と頭を下げれば、関係者も国民も納得しないまでも、「選挙で入れたんだから仕方がないか」と諦めるかもしれない。でも、次の段階では、「私たち民主党の方法では政権担当は無理です」と言う(投げ出す)ことも、当然の成り行きとして織り込んでおかなくてはなるまい。
そうなれば日本はまたしても失われた歳月を繰り返すことになるし、国民にとってはこんな政治しかすることのできない政治家を抱くことの不幸を味わうことになる。
11月21日(日) ミシュラン・ガイド
ミシュランガイド(Michelin Guide、仏:Le Guide Michelin、ギド・ミシュラン)は、フランスのミシュラン社により出版される様々なガイドブックの総称です。
それらのうちで代表的なものは、レストランの評価を星の数で現すことで知られるレストラン・ホテルガイドであり、これは装丁が赤色であることから
レッド・ミシュラン(Red Michelin、仏=ギド・ルージュ Le Guide Rouge)とも通称されています。日米欧各国に様々な地域版があり、合計で年間約100万部が販売されています。
日本の味をフランス人に評価していただくというのは理解に苦しむ。他人の評価をあてにして、レストランを選ぶというのでは、本当に美味しいものを食べることは出来ないのではないでしょうか。予見を持って料理を口にしては、美味しくないものもありがたいと思わなくてはならないし、美味しいものを見分ける舌も育たないでしょう。
さらに、「観光ガイド」としてレストランガイドと同様、観光地の見所を星の数で評価していることを知り、冗談もここまで来たら有害な存在ではないかと思いました。
ましてや、星3つだから値段も高めに…なんてことになったら、百害あって一利なしですね。
11月8日(日) 沈まぬ太陽
映画「沈まぬ太陽」を見に行った。午後6時50分に始まって10時20分に終了、3時間30分の長編で、開始から2時間ぐらいのところで10分間の休憩があった。途中休憩の映画って、ン10年前に見た、「十戒」以来じゃないかい。
原作を、食事をしているときも…、風呂に入る時間を縮めて…、車の運転中も…、取り憑かれたように読んだ
【読書参照】。映画は、ほぼ忠実に小説を映像化している。正義であるには違いないのだけれど、組織の論理にもてあそばれるひとりの男の姿は、世の中は理不尽であることを突きつけながら時間が進む。鈴木京香の気品はさすが、三浦友和の敵役は迫力不足で憎み切れない。
僕がもし主人公であったら…、アフリカ転勤を喜んでお受けして、大自然の中を走り回り、疲れたらハンモックで寝て、木になっているバナナを食べて過ごす。定年まで帰してくれないようにとお願いすると思う。
11月5日(木) おめでとう、松井秀喜!
「ヤンキースで世界一になりたかった」。6年前、その思いを胸にアメリカに渡った松井秀喜の野球人生は、1年目にこそワールドシリーズに出場したけれどフロリダ・マーリンズに敗退…、その後チームは地区代表にもなれない6年が続いた。松井自身も、06年5月には試合中に左手首を骨折し、日米通算1768試合連続出場がストップ…。07年11月には、日本時代からの古傷の左ひざをかばうあまりに右ひざを痛めて手術…、翌年9月には左ひざが悪化して手術を受け、3年連続で戦列を離れねばならなかった。
その当時、あるスポーツ氏が実施したアンケートでは、ニューヨーク市民の50%近くが松井の放出に賛成していたという。ヤンキースとの3年契約が切れる今年、そんな松井の放出は半ば決定事項であった。
そんな中、昨日、松井はヤンキースの9年ぶりのワールドシリーズ優勝を決める試合で、先制2ランを含む4打数3安打6打点の活躍を見せた。このシリーズでは3本塁打、第2戦では逆転決勝点となるホームランも放っていて、日本人選手として初めてシリーズの最優秀選手(MVP)に選ばれたのである。
松井の人間性の良さは、誰もが口を揃える。その彼だからこそ、ヤンキース最後の年の大活躍に、心からの祝福を贈りたい。
ヤンキース入りを決意したときの、「裏切り者と言われるかもしれませんが…」と述べていた記者会見の様子が記憶に残っている。松井はこのとき、初めから終わりまで、両足のかかとを座っている椅子の前足にかけ、ずーっとつま先立った形で座っていた。一生懸命に受け応えし説明して、ファンの理解を得ようとする彼の生真面目さが伺われるシーンであった。
松井は、1996年の重油流出事故に100万の義援金を寄付…。2004年12月26日に発生したインドネシア・スマトラ島沖地震の際には義援金として5000万円を、2007年3月25日に発生した能登半島地震の際には1000万円を寄付している。ジャイアンツ時代から天災やテロでの被害者・被害地への義援金を、度々数千万円を出している。ベトナムの孤児として暮らす10人ほどの子供たちに対しても、経済的里親として支援金を送っている。
社会的な基金に出資するから讃えるというものではないが、真面目で努力家である松井のことを悪く言うものはいない。小学3年生の時に父から言われた「努力できることが才能である」という言葉を大切にしており、父がその言葉を筆で書いた紙を、長く勉強机の前に張っていたというエピソードもほほえましい。
松井秀喜の野球人生はこの先どうなるのか…、それは誰にも判らないが、2009年のワールドシリーズで、世界一を胸にアメリカに渡ったひとりの好青年が、その腕で夢を実現したことに心からの賛辞を贈りたい。
11月3日(火) 文化の日の一日
お昼前に起きて、まず「なぎさまち港」へ行き、沖合いに停泊中の帆船をパチリ…。セントレアから帰ってきた高速船がちょうど通りかかったので、一緒に撮ってきました。 →
この帆船の名前がわかりません。『日本丸』だという情報が届いているのですが、『日本丸』は今日は31日から4日まで大分県の佐伯港に停泊中という情報もあります。

お昼から、亀山→上野→名張を経由して、比奈知ダムの横を通る358号で美杉町へ入りました。この道は、名張市から一旦奈良県御杖村へ出て、再度三重県の美杉に入ります。昨年から美杉町は津市…。だから奈良県吉野郡の山の中を走っていたら、いきなり「津市」の表示が現れました。
← 太郎橋のたもとの紅葉です。この木は紅葉していますが、美杉の紅葉は、全体的に色づき始め(2分ほど)といったところでしょうか。
美杉へ行ったのは、11月末にある会合を美杉で開催するつもりなので、その下調べに行ったのです。
家城(白山町)で、山の上に大きな月が出ました。
今夜の月は月齢16…、すなわち十六夜(いざよい)の月です。秋の冷気が張りつめた空に、煌々と輝いていました。
夕食に、津に戻って高茶屋の国道23号の東、「四季○○○」へ寄ってみました。新しい店で、店の構えも小洒落たカンジの、ちょっと期待させる造りだったのですが、料理は全然ダメ。色の変わった赤身、ペチャっとつぶれた雲丹、茄子田楽は半生で…さすがにこれは食べられないと言ったら、その分の料金はタダでした。
← そのあと、もう一度「なぎさまち港」へ行ってみたら、月光に照らされた海面に、帆船の光が漂っていました。海面上のチョンとした光がそうです。
今夜は寒気が南下してきて、この秋一番の寒さだとか。ベッドは、上下に毛布を敷き、電気コタツも入れて万全です。
【津市17】 自転車道の整備を 2009.11.02
爽やかな秋空にも誘われて、先日来、市内を自転車で走っている。省エネで健康にも良いと思い、郵便局や銀行などのチョイ用はもちろんだが、調子に乗って高茶屋や白塚など40分…50分…の距離に出かけることもある。
走ってみると、自転車は意外に道路を走る乗り物として疎外されていることがわかった。市内中心部では歩道を走っているが、歩行者の邪魔にならないようにゆっくりと慎重に…。近鉄道路などの1車線道路では歩道の幅は1mぐらいだから、歩行者がいれば自転車は車道へ下りることになる。
また、大きな道路では歩道が交差点へかかる部分は歩道の端の段差がなだらかになくされているが、近鉄道路などの片側1車線道路などは歩道の段差はそのままで、交差点などではいったん降車して段差を下りねばならないところも多い。
自転車レーンのある歩道以外、自転車は歩道を走ってはいけないのかもしれない。その場合も、また歩車道の区別のない道路でも、自転車は車道の端を走ることになるが、これは極めて危ない! どうぞ、轢き殺してくださいといっているようなものである。
エコ万能時代に、自転車は脚光を浴びている。しかし、自転車の走行状況は、このようにお寒い限りである。松田市長…、以後の道路建設には自転車の走行を設計図の中に組み入れるよう指示しておいてほしい。将来の、住みよい津市の形成に必ず役立つと思うから。
11月1日(日) 三川ゆり新曲発表会
僕が月に1回、カラオケの個人レッスンを受けている三川ゆり先生が新曲をレコーディングされ、その発表会を兼ねた歌謡ショーが名張市で開催された。今回リリースの新曲は「夢咲き舟」と「満天星(どうだんつつじ)」の2曲である。
新曲の作詞家・作曲家の方々、日本クラウンのプロデューサーも招いての華やかな発表会で、700席の会場はほぼ満員…。三川ゆり先生の活躍がうかがわれる盛会振りであった。
歌謡ショーには、三川先生の指導を受けている人をはじめとして、一般参加者も80名を数え、会に華を添えた。かくいう僕も、70番目の出演者として舞台に立たせていただき、「うみほたる(歌手、ハン・ウギョン)」をうならせてもらってきた。歌唱の難しい歌で、三川先生にかなり細かくご指導いただいた。
歌唱は出だしで観客の心を掴まなくてはならないのだろうけど、まだまだ不安定…。ホールに飯田 章ワールドを出現させるには、出だしが課題である。
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