雑記帳 2012年 9月  
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9月28日(金) 東海クラッシック 2日目
  - 写真撮ってて、石川 遼のオヤジさんに𠮟られたぜぃ(笑) -
 

 三好カントリークラブに「東海クラッシック」の第2日を見に行った。女子の大会が桑名市「涼川CC」で行われていたときは、毎年、クラブハウス立ち入りの招待券を貰ったので何年か通い、朝のレストランでコーヒーを飲みながら女子プロたちの内輪話を聞いていたのであった。
 今日は近く(だろう)の指定駐車場に入れてシャトルバスでクラブに向かうことになる。そこで午前6時に家を出て8時に着いたところ、もう指定駐車場の「名商大キャンパス」はいっぱいで、整理員が「地下鉄赤池駅からシャトルバスが出ているので、駅の近くで駐車場を見つけて車を停め、バスに乗って来い」と言う。「前売り券を打って置いて駐車場も準備してないとは、無責任な東海クラッシックだなぁ」と言ったものの、



9月26日(水) 自民党新総裁に安倍晋三


 この日本をどこへ…? でも、安倍晋三は野党の党首だった!
 野党の新党首誕生に大騒ぎをしなければならないところに、民主党のていたらくを見るね。 


   
9月21日(金) 大寿司(津市雲出本郷町)


 「ご飯、どう? 飛行機が落ちる前に…」とヤスヱから電話がかかった。何で章くんの「チェンマイ行きの予定」を知ってるんだと思ったが、実はヤスヱがご主人とカナダへ行くんだという。
 国際交流協会の交換交流事業の一環とのことで、ついては旅行先で相手方に手渡す「名刺」(モチロン英語版)を章くんのパソコンで作ってほしいとの話を兼ねての食事会である。章くん、そんなことはお安い御用だから、「10分もあれば、簡単にできるよ」と引き受けた。
  午後7時、ヤスヱ宅の前に迎えにいくと、ご主人の俊夫ちゃんと二人で待っていてくれた。
 俊夫ちゃんは、ガサツなヤスヱとは正反対で、地域の子どもたちの健康と社会医療を一手に引き受けて、人々の敬愛を集めている小児科医である。ご主人への敬愛を自分にも向けられていると、ヤスヱは少々勘違いしているところもある。俊夫ちゃんに免じて、みんなはヤスヱのわがままに目をつむっているのだ。
 章くん、俊夫ちゃん先生と顔を合わすのは1年ぶり…。さまざまな役職を引き受けている俊夫ちゃんは、木曜の休診日も学校の集団検診とか、日曜祭日は地域の健康教室の講師とかで超多忙なのである。
 「1年? そんなに会わなかったかなぁ」と乗り込んできた俊夫ちゃん先生、「大寿司、電話してあるから…」と手回しがよい。
 暫く顔を見ない間、仕事ばかりしていたのかと思っていたら、『ハワイへ行った』『大間にマグロを食べに行った』『軽井沢にゴルフに行った』と結構プライベートを楽しんでいる。「超多忙」とヤスヱに聞いて心配していたが、大丈夫じゃないか。ヤスヱの前では「超多忙」ということにしてあるのか(笑)。でも、学会の会長役をもう1期2年は引き受けなければならないとのことだから、ホントに忙しいのは確かである。
 カナダへ行くというから、先日のテレビで見た話を伝授しておいた。あるクイズ番組で、山川豊が日本語の単語を英語に訳すという問題で、間違いまくって、同じ組の回答者はモチロン、相手方の出演者もハラハラさせていた話だ。次々と誤答(誤訳?)をしたあと、「滝(は英語で何と言う)」という問題が出て、彼は最近『ナイアガラ・フォールズ』という新曲を出しているから、これは正解するだろうとみんながホッと一息つき、聞き耳を立てた中、山川 豊、大きな声で「ナイアガラ!」と言っていた。 

 店に着いたのは午後7時20分ぐらい…、カウンター11席は章くんたちの3席を真ん中に空けてくれてあったけれど、あとは埋まっている。注文が相次いでいたから、別室のテーブル席も座敷・個室も、まずまずの客の入りであったのだろう。
 「たいしょう」の松田さん、先日、足の指の骨を折ったとかで、定例のゴルフ会を休場だったと聞いていたが、今日は元気にカウンターの向こうで掛け声をかけていた。「来月はみんなで参加させてもらいます」と包丁でスイングしていた。
 赤身の造り、トロ鉄火、ノドグロの煮付け、ヒラメ、中トロ、タマゴ、海老の赤だし…でストップ! 「勘定ッ」と言ったら、俊夫ちゃん先生が「済ませたよ」と言ってくれた。
 奢ってもらうと分っていたら、章くん、気になっていた、『大寿司こだわりの…上等の牛肉を梅肉・にんにく・大葉を添えておぼろ昆布で巻き込んだ…巻き寿司をもう一品頼んだのに』というのは冗談だが、俊夫ちゃんがカナダから無事帰国の暁には、安いもので歓迎会をしなくては…。


9月20日(木) 問われる日本の覚悟


 尖閣列島の国有化を契機に、中共の攻勢が日増しに強くなっている。中共国内では日本人や日系企業に大きなダメージを与えた反日デモが繰り返され、当局の抑制によって下火になった19日には、尖閣の近海へこれまでに見たこともない隻数の中共公船が現れて領海侵犯を繰り返し、その後ろには1000隻にのぼる中共の漁船が出漁してくるという。
 中共政府は強硬な姿勢を軟化させる兆しは見せず、「今回の出来事の全ては、日本に責任がある」と居丈高なコメントを繰り返し、次期国家主席に就くと目されている習近平は訪中しているパネッタ米国防長官に「日本は中国の省になる」と言い、「米国は介入しないように」と礼を失する注文をつけている。
 こうした中共の姿勢を見ると、この中共の出方は尖閣国有化が招いた突発的な事態で、外交ルートを使い交渉すれば鎮静化するといった、一時的なイザコザだとは思えない。中共の世界戦略の中で、太平洋へ出る道を確保するための、長年練り上げてきた構想を実現させていく、計画的な一歩であろう。(以下、「日本は今 244」へ)


9月18日(火) 日本の戦略 - 自衛力・諜報・教育 - 


 尖閣諸島海域に10隻を超す中国の漁業監視船と海洋監視船が侵入した。中国の漁船約千隻も尖閣諸島周辺で操業するため出港したという。第11管区海上保安本部(沖縄)の巡視船7隻(千トン以上)ではとても足らず、他の保安本部からの応援体制を万全にして、あらゆる事態に備えなければならない。
 海保だけで対応できない場合は、自衛隊の出動が必要になる。(以下、「日本は今 243」へ)


   
9月15日(土) 中国の反日デモ、各地で暴徒化
            - 日中戦争前夜と同じ様相 -


 日本政府が尖閣諸島の国有化を決めて初めての週末となる15日、中国全土のおよそ40カ所で反日デモが行われている。デモ隊は一部で暴徒化し、警察当局を攻撃するなど、当局の制御が利かない事態も起き始めている。
 北京の日本大使館前には数千人が結集してペットボトルや卵を投げ込んだり、門を乗り越えて敷地内に乱入しようとするなど暴徒化しているし、西安でも数千人が日本国旗を燃やしたり、日本車を次々に破壊するなどしている。南部の長沙ではデモ隊が日系スーパーを襲撃し、シャッターを破壊して店内に侵入し、店の備品とみられるいすや商品を引きずり出して火をつけるなどしているとか。
 日中戦争の前夜とよく似た状況ではないか。あのときも、清朝の統治機能は末期症状を呈して各地で暴動が起こり(現在の中国共産党解放軍は強力で、この辺が大きな違いだが、一党独裁で人権や自由は規制され、経済格差に国民の不満は鬱積している)、外国人に対する襲撃・暴行が繰り返され、日本を含む西欧諸国は居留民保護を目的に兵員を駐留させたのだ。その結果、国民党軍と日本軍との戦いを始めさせようとして撃った、中共赤軍の一発の銃弾が日中を泥沼の戦争へと引きずり込んだのであった。
 今は、日中が武力衝突する事態は考え難い。しかし、在中国の日本人が危難に遭うことは十分に考えられるわけだから、「日本人への保護をお願いする」という外務大臣の依頼のほかに、それに対する具体的な備えをしておく必要があろう。
 1920年(大正9年)の冬、港が冬期に氷結して交通が遮断され孤立した状況のニコラエフスク(アムール川の河口から80kmさかのぼった河岸の港湾都市、尼港、現在のニコラエフスク・ナ・アムーレ))を、ソ連赤軍パルチザン部隊4,300名(ロシア人3,000名、朝鮮人1,000名、中国人300名)が急襲し、日本軍守備隊約400人が殲滅され、在留邦人約300人は老人婦人子どもに至るまでほとんどが皆殺しにあった、「尼港事件」を思い出す。赤軍パルチザン部隊は、日本軍を殲滅した後、市全域を占領し、ニコラエフスク住民に対する略奪を行った末に、市の総人口のおよそ半分6000名を殺戮したとされる。
 事件が明らかになるにつれて、日本国内では「政情不安の地域に、十分な守備隊人員を置かず、惨事を招いた」、「治安維持に十分な兵力を置いていないにもかかわらず、居留民の引揚げを考慮しなかったのは不注意だ」として政府と軍の対応不備の責任を問う声が高まり、原敬首相は弁明に追われ、「露国政変及西比利亞事変ノ為損害ヲ被リタル者ノ救恤ニ関スル法律」が成立、救恤金が支払われた。田中儀一陸軍大臣は責任を取って、大臣の職を辞している。
 日本人居留民が大量虐殺を受けた例としては、1937年(昭和12年)北京市東部の通州で、中国人保安隊が日本軍部隊・特務機関及び日本人居留民を襲撃し、日本人260人を虐殺した「通州事件」なども想起されるが、異国の地にあるものの生命財産は誠にはかない。国民を守るのが、国家・政府の責任なのだから、在留邦人の安全のために、しかるべき有効手段を取っておくことが肝要なのではないか。
 たとえば、中共からの一時帰国勧告とか、渡航自粛要請とか! 

    
9月14日(金) 中国古典が教える尖閣問題


 中共の海艦(中共の軍艦ではない公的船舶をこう呼ぶのらしい)6隻が尖閣近海の日本領海に侵入して、海上保安庁の退去勧告にも航行を続けたという。問題を小出しにする、中共の常套手段である。
 その中国の大思想家「韓非」は、紀元前の古(いにしえ)に「天は強い意志を持つものに味方する」と説いている。確固たる意思を持って行動するところに結果はついてくると言っているわけで、『平穏かつ安定的に現状を維持する』などと問題から逃げているどこかの国の首相では、結果を出すどころか、現状を維持することすらできはしない。
 「的を知り、己を知れば、百戦危うからず」という『孫子の兵法』はさらによく知られた戦いの極意だが、毛沢東の『矛盾論』や『実践論』にも取り入れられている。相手の情報を入手分析してその弱点を突き、強い相手とは戦わず、兵力を相手方の弱いところに集中させて攻めるということだが、現代中国共産党の尖閣侵攻はまさにその通りである。
 民主党政治の混乱を突いて、相手の出方を伺いながら、出ては退き、退いては出てくる。そこには、古典に培われた『決して負けない』という強い意志があり、繰り返し押せば日本の政権は譲歩するという読みがある。宮沢・河野・村山という先例を見ろ…と。


 政治をつかさどるには、強靭な意志がなくてはならない。「平穏かつ安定的に」では、もはや戦う前に負けていると知ることだ。
 大使の車の国旗を引き抜かれても、手も足も出ない中国大使や政府首脳のありさまには、韓非も孫ビンもあきれ果て、いやしくも国の政治をつかさどるものならばもう一度いちから勉強し直せ(古典を学び直せ)と言っていることだろう。
 いや、もう無理…、首を据え換えるしかないと言うかもしれないなぁ。


    
9月13日(木) 安倍自民党+橋下維新の会


 自民党の総裁候補はみんな思い出すことができるけれど、民主党の代表選候補は「誰だっけ」といった程度である。民主党には、人材がいないということだ。
 この総裁選で選ばれた自民党総裁が次の総理大臣になるのだから、町村なんてのも色気たっぷりである。それはそれで話題を提供して、自民党総裁選は盛り上がる。
 第1党は自民党か、橋下維新の会か。いずれにしても、どこかが過半数を取ることはないのだろうから、連立内閣を構成しなくてはならない。いろいろな思惑や利害が錯綜して、混沌としたカオスの果てに、さまざまな集団が誕生することだろう。そのとき、求心力を持って多くの人材を集めることができるのは、安倍晋三であろうと思う。
 かつて総理のときに実行した諸政策は、戦後レジ-ムからの脱却をキャッチフレーズに、政治改革・公務員改革・教育改革、そして、産業や社会の構造を変革して、自立国家の構築を目指すものであった。当然、企業の足腰を強化する施策を国家の後押しで実施することもそのひとつだから、デフレ脱却から景気浮揚がなされることが期待される。平和ボケした日本人の意識を変革することは、日本国憲法の改正なくしてなしえることではない。
 橋下維新の会は、政治の素人集団である。安倍自民党本流が枠組みをしっかりと築き、維新の会のメンバーを育て活躍させていく政治…。「安倍自民党本流+橋下維新の会」が、基本路線も実行能力も最も安定的な政治の形であろう。


   
9月11日(火) 松阪カントリー 89
  
 扶美ちゃんが、松阪カントリーのタダ券をゲットしてきた。偉いぞ、扶美ちゃん! 早速、ケイチンと山長のママを誘って行ってきた。
 前々日まで晴れだった天気予報は、前日になって雨…。でも、もくもくと雲が沸いては消えていく空だったけれど、雨粒は落ちてこずに、むしろ過ごしやすい一日になった。
 ケイチンとは1年ぶりぐらいのラウンドだったが、僕はパットが不調で、1番1m、3番70cm、4番1mを外して、スコアにならない。11番では3mから3パット、「下手になりましたなぁ。昔はこんなパットはみんな入れたのに…、ちっとも凄みが感じられなくなりました」とケイチンに笑われてしまった。結局、38パットで43・46の89。86のケイチンにやられてしまった。


 帰途、「藤吉郎」へ寄った。「良い本マグロが入っています」という親父さんの掛け声に、マグロ三昧の食事をしてきた。
 初めてのケイチンは大感激…。「こりゃぁ、旨いマグロですね」と言ってペロリ! 「昔は魚屋さんの店先には、こんな魚が並んでいたんですがね。このごろは、スーパーのトレイに入った刺身ばっかり食べてますから、魚の旨さを忘れてますわ」と、作ってもらったアジのフライやアナゴの煮付けに舌鼓を打っていた。


 飯付きタダのゴルフで、章くんにグロス勝ちしたし、美味しいマグロにまでありついて、ケイチン、至福の一日でありました。


   
9月10日(月) 谷垣、自民党総裁選 不出馬


 やるべきときに、やらねばならぬことを、やらなかった男のたどるべき道というべきか。野党になってからの自民党の総裁を務めてきた谷垣禎一が、20人の推薦人を確保できずに、総裁選への出馬断念に追い込まれた。
 消費税アップ法案の成立で延命に成功した野田佳彦に「解散」を反故にされ、一転、野党連合の問責決議案に乗ったところ、消費税反対が盛り込まれていて、3党合意との整合性が説明できなくなった。
 谷垣は、「この民主党政権を一日でも延命させることは、日本のためにならない。国民合意のこの選択を実現するために、手段を問わず解散に追い込む」と声高に宣言すべきであった。それを、ゴニョゴニョと解りにくい説明をするものだから、こいつにゃ任せて置けないと言われてしまったのである。
 政治家は、分りやすい言葉で、明確に語らなくてはならない。


 それにしても、同罪である幹事長の石原伸晃が出馬することへの整合性は、どう説明するんだ?


9月8日(土) 原発ゼロ、責任ある政治家が言う言葉じゃない


 民主党のエネルギー・環境調査会が「2030年代に原発ゼロを目指す」との提言をまとめた。稼働40年の原発は原則廃炉にし、新増設も認めないという。こうした一方で、電気料金の上昇や電力不足などへの懸念には、明確な対策を示していない。『反原発』の世論に迎合しようという、誠に情緒的で、政権を担っているものとしての自覚がない提言である。
 世界でも並外れて高い電気料金を徴収しているわが国【参照】の電力体制の改編にも全く触れようとせず、電気料金の値上げは必死と見られる原発全廃のみを軽々しく論じるなど、日本の将来を見据えたものとは思えない。(以下、「日本は今 242」へ)


   
9月6日(木) 尖閣、20億5千万円で国へ


 産経新聞が『沖縄県・尖閣諸島の購入をめぐる東京都と政府の綱引きは「後発組」の政府による地権者からの直接購入で決着することになった』と伝えている。
 購入価格は、都が提示した20億3千万円に対して、20億5千万円とのことで、どこまでも石原都知事に対抗しての購入である。地権者が売却相手に国を選んだのは、関係者や登記簿によると、ある金融機関は地権者の不動産に極度額20億円以上の根抵当を設定。負債が売却の原因になった可能性もうかがえるという。
 関係者は「さしあたって必要な金があり、議会を通すという都の手続きは待てないということか。政府は地権者が必要な金額を調べ、その額を提示したのだろう。20億円ではなく、20億5千万円という額が物語っている」と推測しているとか。
 

 事情があるのならば余人がとやかく言うことではないが、石原都知事を猿回しの猿にして、尖閣を売り抜けた感が残るのはうがちすぎた見方だろうか。そのまま国に買い上げろと持ちかけても、現状を変えたくない政府は色よい返事をしなかっただろうし、金額も年間賃借料の10年分4〜5億円程度がやっとではなかったか。
 石原都知事が旗を振ったからこそ、尖閣は国防の試金石として注目を集め、14億という金をも集めることができたのである。その金額がベースとなって、都と国とが綱引きをし、地権者が必要とする20億5千万円がつむぎだされてきたのである。
 

 それにしても、野田政権は尖閣国有化にどんなシナリオを描いて購入を決定したのだろうか。ただ中共を刺激したくないという思いだけで、購入を決定したのか。当面は灯台も避難港などの施設の建設整備は行わないと言っている。ならば、購入する必要はないのではないか。ただ、中共の意向を汲んで、何もしないために買ったということか。


 まさか中共にそのまま進呈するというシナリオじゃないだろうな。


   
9月5日(水) 尖閣売買、地権者が国と合意…???


 読売新聞が、『政府は、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の購入に関し、埼玉県在住の地権者との間で売買契約を結ぶことで合意した』と伝えている。 … これってどういうことだ?
 尖閣諸島は、「今まで何の実効支配の形も示さなかった政府なんて信用できない。石原都知事にしか売らない」んじゃなかったのか。
 石原都知事が買い取って、島を要塞化し、ミサイルを据えて原潜基地をつくる(…だろう)から、応援し資金もカンパしたんじゃないか。少なくとも、目に見える実効支配をしてくれるという期待を持って進捗状況を見守ってきた。
 今まで何十年間も、何もしないできた国が買い取って、どんな進展が望めるというのか。ましてや、政府の形態もできていない民主党政権に託してどうするというのか。


 … ここまで書いて、午前7時過ぎに寝たんだが、先ほどテレビを見たら、藤村官房長官が「現在交渉中で、詳しいことは申し上げられない」なんて言っている。寝ぼけているのは、今起きた僕か? 政権中枢を担っている(はずの)官房長官か?  (午後0時31分記)

   
9月4日(火) メナード青山  - 乱舞するアキアカネ -
 
 アキアカネ


 今年は太平洋高気圧が強いとかで、残暑がまだまだ厳しい。津の今日の最高気温は32℃! お盆に回って、涼しかったメナード青山ccへ行ってきた。
 スタート前、練習グリーンでボールを転がしていたら、鼻先をかすめるたくさんのアキアカネに遭遇した。
 アキアカネは日本固有のトンボで、夏の盛りには避暑に出かける。活動中の体温は外気温より10-15℃も上昇するが、高温時の排熱能力は低い。そのため暑さに弱く、気温が30℃を超えると生存が難しくなるため、単独であるいは群れを成して日中の気温が20-25℃程度の3000mぐらいまでの高標高の高原や山岳地帯へ移動して、7-8月の盛夏を過ごす。辺りをアキアカネが乱舞しているということは、この一体の気温は25℃ぐらいだということか。
 
 さてスタート、10番のスタートにはキャディさんが待機していて、カートやナビの使い方を丁寧に説明してくれた。
 「いってらっしい」の声に送られて、10番368Y、だらだらと上りのパー4のティショットはナイスショット! でも、170Yほどが残っている。
 飛距離、飛距離と言いながらインは41。


 冷やしうどん定食を食べて、アウトへ向かった。


← 6番304Y、短いパー4
 
  セカンドをアプローチウエッジで打って、バーディ逃しのパー。


  結局、アウトは4ボギー2ダボの44。各ホールでアキアカネに取り囲まれてのラウンドは、トータル85。まぁ、涼しかったからいいか。

    
9月3日(月) どこへいった、石原新党


 東京都の調査船が、今日、尖閣諸島周辺を調査して回った。「洞穴があった」とか「ヤギがいた」など、付近の漁師さんに聞けばすぐに分るようなことばかりで、あまり新しい発見はなかったように思うが、購入のための資産価値の調査だから、こんなものでいいのか。
 この尖閣問題も五輪誘致もほうっておけない課題だろうが、もうひとつ、早く「石原新党」の旗を揚げてほしい。解散含みの政局ながら、野田佳彦の腹のうちは解散なんてするかい…と思っているだろうし、民主党の党内事情からも『近いうち』の解散はできない。
 しかし現在、去就に迷っている議員はたくさんいて、その受け皿としての「石原新党」の旗揚げを是非とも早々に望みたいのである。
 特に民主党の議員の中には、飛び出たいのだけれど、安倍自民党に行くわけにはいかないし、大阪維新の会では選挙目当てが見え見えだと批判される。そこで、「石原新党」ができれば『理念に共鳴できる』と叫んで飛び込むことができるというものである。
 伸晃が自民党総裁、すなわち総理大臣なんて器でないことは、親の目から見れば一目瞭然だろう。それならば「石原新党」に引き入れてそれなりのポストを与えて鍛え上げ、将来、それだけの実力が備わったならば総理総裁に就かせればよい。よもやそんなことはあるまいが、伸晃の芽を摘むから新党立ち上げに熱が入らないというのならば、石原慎太郎たるものが何を女々しいことを言わねばならない。
 立ち上げが遅れれば、肉親の情に流されたという声も聞こえてきたりする。日本の政治の本末を正すために、「石原新党」の結成を急ぎたい。


   
9月1日(土) 鈴木三重県知事、前葉津市長の評価
   

 平成11年4月の統一地方選で、鈴木英敬三重県知事、前葉泰幸津市長が誕生してから、17ヶ月が過ぎた。
 たかが三重県知事に、ましてや地方都市にしか過ぎない津の市長に何ができるという声もあるが、17ヶ月を過ぎた今、彼らの言動を見ると、発信力がない。
 鈴木英敬は、震災瓦礫の受け入れをいち早く表明したが(僕はガレキの処理は現地で行うべきだという主張だが)、今もって具体的な動きもなく、ご本人は育児休暇を取っている。
 前葉泰幸に至っては、生きているのか死んでいるのか、それすらもはっきりしない。17ヶ月間、何にもしないですごしてきたということじゃないのか。
 彼らは、ほとんどの首長や議員がそうであるように、何をするために知事・市長になったのかでなく、知事・市長になることが目的であったのだ。僕は選挙の前に、前葉泰幸に聞いたことがある。「津市長になって、何がしたいんだ。津市をどんな都市にしたいんだ」と。明確な、納得のいく答えは聞けなかった。
 鈴木英敬とはそこまでの話をしたことはないが、彼の頭の中に、三重県の明日のビジョンが描かれているとは思えない。この17ヶ月間、三重県について彼が語った言葉で、伝わってきたものは一つもないのだから…。
 やっぱり彼らも、知事・市長になることが目的であったのだ。ひとまずの目的は達成したから、ちょっと休憩か!


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 思いつき、メモ、ぼやき、他のジャンルに入らないことが
ら、誰かに送ったメールの抜粋 … などを記していきます。
 ほとんど根拠のない、気楽な話の羅列ですから、ご用とお
急ぎの方はのぞかないでください(笑)。
 (文中敬称略)

        
   メナード青山CC さすかに高原のクラブですね、
         アキアカネの群れが舞っていました。→


 零捌(08)年  壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月
         質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月

 零玖(09)年  壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月
         質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月

 壱零(10)年  壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月
        質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月

 壱壱(11)年  壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 玖月 拾月 拾壹月 拾貳月
 (12)年  壹月 貳月 参月 肆月 伍月 陸月 質月 捌月 拾月 拾壹月 拾貳月