理科・社会科ノート盛衰記
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 8.「社会科ノート」誕生


 「社会科ノート」の作成は、三社研の責務


 「理科ノート」の配達や集金に三重県下の学校を回る章くんに、たくさんの現場の先生たちから、「三重県版の社会科のノートはないの、特に3・4年生の…」という声が集まる。自分たちの町や県を学習する3・4年生の社会科学習は、全国版の教材ではまかないきれないところで、この学年を担任する現場の先生たちは、よすがとなる教材を求めていたのである。
 これだけ現場から要請があり、日々の授業に求められているのだから、三重県社会科研究会(三社研)は「社会科ノート」を作成する責任があるのではないか…、日増しにその思いを強くした章くんは、三重県社会科の重鎮竹森 進先生を訪ね、率直にその思いをぶつけてみた。「やるべき意義のある事業だと思うが、出来上がったものを現場が使うかどうかは別の問題だね。三社研の協力も仰がなくてはならないけれど、いいものを作れば作るほど、現場には難しすぎて負担に思うところがある。努力して使うという覚悟は、現場にはないからね」、今は教育の場から三重県庁の行政職(三重県民室長)に転出している竹森先生の慧眼であった。
 「事業に意義があればいいのです。現在手がけています「理科ノート」もこの10年、三重県内では赤字事業で、県外へ販路を広げるなど懸命の努力をしてやっと出版していますが、三重県社会科教育の為にノートを出版したという事績ができればそれでいいと思っています」と訴える章くんの覚悟を聞いて、竹森先生は当時の三社研会長内田幸男先生(桑名)、事務局長田中 弥先生(津)との会合を設営してくれた。
 「社会科ノート」の作成は三社研の責務だ、現場は三重県版「社会科ノート」を求めている…と説く章くんの熱意を、内田会長、田中事務局長は大いに同調してくれ、役員会での承認、編集委員会の編成を急ぐことになった。
 小理振に比べて、三社研は大雑把である(笑)。三社研の組織や活動に、章くん自身が小理振ほど深く入っていかなかったからそう思うのかもしれないが、役員会の承認が取れたといった連絡もなく(そんな手続きも踏まなかったのかもしれない)、編集委員会のメンバーを決めるのも章くんが県内を走り回り、知り合いの先生を募って編成したといった調子であった。
 1年生は四日市の山下育子先生、味岡末典先生、2年生は津市の中西いずみ先生、斉藤優子先生、そして3年生は、当時の三社研では一大勢力であった久居・一志支部に引き受けてもらった。ここは会員数も多かったのだが、神成彰一先生、畑 尚先生、前原徳之先生など、うるさ型が揃っていたことも存在感が大きかった理由であろう。「社会科ノート」が完成した後、あるページが書き換えられていたのを見て、本部役員会へ怒鳴り込んだというのは有名なエピソードだ。「先生、あれは僕が書き直したんです」と言う章くんに、「なんや、君か。本部の森川というのが直したと聞いたモンやから。あいつは気に食わんのや」というのだから、なんとも恐ろしい支部である。しかし、神成先生は章くんには甘い、章くんが小学6年のときの担任だからだ。その縁もあって、この難しい先生が、3年生の原稿を「よっしゃ、任せとけ」と二つ返事で引き受けてくれたというわけである。
 4年生は、鈴鹿の駒田俊行先生を中心として岡井敬治先生、中西正彦先生、松井 豪先生、5年生は安芸の駒田富士夫先生、伊東亮太先生、6年生は附属小の大広桂二先生、加藤昌平先生、中村昭信先生に担当してもらった。
 編集費用は三社研の予算から出すと言ってもらったが、編集委員一人当たり3000円という定額の些細な金額であった。研究会としては会員の研究・研修は手弁当の自己負担で当たり前なのかもしれないが、編集作業にかかわったばかりに先生たちに金銭的な負担をかけてはいけないというのは、「理科ノート」を作成してきたときと同じように章くんの主義だから、『編集費用は僕が持ちます。但し、三社研へ研究助成金として還元する金額から差し引いて清算します』という約定にした。
 この約定にしたがって、以後の三社研への研究助成金は計算されるのだが、「社会科ノート」の販売部数が伸びない状況のもと、長年に渡って編集費用のほうが多額となり、三社研の会計へは研究助成金が還元されないという事態が続いたのである。


 ある年、研究助成金がなしの状態が続くでは三社研の士気も上がらないだろうと思い、章くん、総会の前に一時金40万円(5万円×創刊以来8年分の計算)を研究助成金として、当時の事務局長出口昭和先生に届けた。ただ、この還元金が以後も続くものと思った会計の先生は翌年も、その翌年も予算に計上して、支出してしまった。入金もないままに、会計の先生が自費で立て替えて支払いをしたのだ。
 章くんからの入金がないままに、会計の先生の立替払いは続いている。そんなことは知らない章くん、あるとき、「会計の先生が自費で立替払いをしている」と聞き、今さらそれほどの還元金はないとも言えず、章くん、その分を三社研会計へ納めたというようなこともあったのである。
 「社会科ノート」は、最初に竹森先生が喝破したように、その内容は評価されているけれど、三重県県内での採用数は伸び悩んでいる。現場調査や見学、家庭での聞き取りなどをふんだんに盛り込んだノートを、現場では使いこなせなかったのである。
 社会科の学習では、3年生の校区や町を歩いての地図作り、スーパーや工場の見学、また4年生の県庁・警察・消防署の見学、ゴミの消費量の変遷を市役所などで資料を入手する調査などは、基本的に欠かせない重要な学習事項であって、三社研の編集委員会としてはしっかりと内容に盛り込んでいった。しかし現場は、それほどの現場見学はこなせないし、市町村や県のデータなども編集委員としては先生たちが入手するのが当たり前でさほど困難なことではないと考えていたけれど、現場ではほとんど入手しようとする先生はいないというのが実情であった。
 例えば、4年生の学習に「私たちの県では、どんな農産物がさかんに作られているでしょう」という課題があるが、各県の市町村別作物別農業生産高のデータは県庁の農林水産部か、あるいは農水省の三重県事務所に行くと年度別に冊子が作られている。そのデータを見れば、自分たちの県ではどのような作物の栽培が盛んで、しかもそれは県内のどのあたりに多く作られているかなどは一目瞭然だ。しかし現場は、それを入手する手段を知らず、手間を惜しむ。
 確かに小学校の場合、担任は全教科を教え、しかも生活指導までを担当しているのだから、社会科の資料ひとつを取りに県庁や農業事務所に出向くことは困難なのかもしれない。章くんが、小学校に理科・社会科の教科担当を置くことを提案しているのは、ここにも理由がある。社会科の教科担当ならば、各学年の各単元の学習にはどんな資料が必要で、それはどこにあり、どうすれば入手できるかを知っている(少なくとも学習する)だろうから、必要な資料を揃えて社会科指導の実が挙がることだろう。
 「社会科ノート」は、創刊当時の2000部から緩やかに採用部数を伸ばしてきたが、昭和60年ごろの3500部前後を最高として、平成へ入るとまた漸減状態を続け、2000部のあたりを推移している。


県外販売


 そんな「社会科ノート」も、県外では結構採用があった。「理科ノート」の採用校を中心にして見本を送った大阪・京都・滋賀で3500部の採用が出ている。
 大阪は、ほとんどの学校が生徒数500名以上を有し、100名未満などという学校は山間僻地のほんの数校しかない。多くが100名以下で、500名を有する学校は1割程度である三重県とは、対照的であることに驚いた。京都では酒天童子で有名な大江山のふもとを経て、日本海側の若狭まで集金に出かけていた。冬、雪の山道を峠越えしたときの心細さは、よい思い出である。また、滋賀県の長浜小学校では生徒数2400人というビッグさに舌を巻いた。職員室の机が長すぎる列を作っていて、職員会議はマイクを使うと言っていた。
 愛知では、「理科ノート」は校長会作成の愛知県版が全校で採用されていて、わが「理科ノート」が入る余地はなかったが、「社会科ノート」は「阪神書籍」の教科書を使っている尾張西部地区…津島市と海部郡一帯…だけで、三重県全域と同数程度の2500部の採用が出た。愛知県の先生たちは、実地見学・調査・統計などをしっかりと行い調べていかねばならない社会科ノートを評価してくれ、以後30年間に渡って変わらぬ採用を続けてくれている。
 このように、県外の学校の採用で三重県県内の採用部数2500部を大きく上回り、なんとか赤字幅を縮小し、出版を継続することかできたのである。
 

定価販売


 「社会科ノート」の場合も、値引き販売に対する業者のクレームはあって、章くんの会社へ直接寄せられたクレームについては、「理科ノート」の通りに違法性はなく定価販売をしようとしていること自体が間違っている(【参照】)ことを説いたのだが、教科書会社の「阪神図書」に持ち込まれたクレームは三社研の役員に伝えられ、平山 高先生(当時、三社研副会長)から「値引き販売は自粛してくれと教科書会社から申し出があった」という連絡が入った。
 章くんも、業者や教材会社から定価販売を強要される覚えはないので、これは徹底的に争うけれど、教科書会社や三社研の役員の先生たちからの申し出については、その立場や考え方も理解できるし、「社会科ノート」の作成に何かとお世話になった平山先生を通しての申し入れでは、肯かざるを得ない。何よりも、学校現場も定価販売を当然だと思っているのだから、無理に1割を引く必要もない。以後、「理科・社会科ノート」は、定価販売を行なうことになる。


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