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第6日 9月20日(水) カナディアン・ロッキーの秘宝たち
この湖の景観を世界に最初に紹介したとき、その責任者であるカナディアンP鉄道は、「こんなに素晴らしすぎる風景があるはずがない。これは合成写真だ
」と訴えられたという。イギリスの王女ルイーズの名を冠した神秘の湖、レイク・ルイーズの景観はそれほど素晴らしい。深いコバルトブルーに輝く湖水、緑豊かな渓谷とその奥に顔をのぞかせるビクトリア氷河…。それらは一日の時刻の移ろいとともに、刻一刻、その表情を変化させる。
悠久の凍河を抱いて湖の奥に微笑むビクトリア山は、実はルイーズ湖から9kmもの彼方にある。景色の大きさにその距離は想像しがたいが、氷河から滑り落ちる雪を目にしてから、ドドーンという轟音がしばらくしてからでないと聞こえないことに気づいて、初めてその距離を実感するという。
カナディアン・ロッキーの宝石
「レイク・ルイーズ」 →
湖畔に佇む「シャトー・レイク・ルイーズ」は、昨夜、章くんたちが泊まった「バンフ・スプリングス・ホテル」と並んで、世界の人々の憧れのホテルである。窓から湖面が見渡せて、朝・昼・夕刻と移り変わるルイーズの表情に飽きることを知らない。冬場はスキーの宿泊客でも賑わう。
午
前8時過ぎ、湖に到着した一行の目に飛び込んできた光景は、到着した観光バスから吐き出される日本人観光客。静寂が支配するはずの湖畔に日本語が飛び交い、胸にナントカツアーと書いたワッペンを付けたおばちゃまたちが、レイーズをバックに「チーズ」とか言ってポーズをとっている。「かッ、上高地か。ここは!」
← あたりは日本人ばかり、関西弁が飛び交う!
世界の景勝地も、ジャパニーズ・ウーマンパワーの前にはひとたまりもない。章くんたちも、並み居るおばさんたちのカメラのシャッターを押させていただいたり、果ては一緒の写真に収まったりしながら、すっかりお友達になって、しばしの時を過ごしたのであった。
時間が経つにつれて、観光客の数は増えるばかりである。この景観を静寂の中で一人占めできるほど、世の中は甘くできてはいないことに気づいた一行は、このルイーズから10数km奥にある、秘宝「
レイク・モレーン」へ向かうことにした。
モレーンとは、氷河が削り取った土砂が堆積したものを言う。「レイク・モレーン」とは、その土砂が氷河の融水をせき止めてできた湖という意味でつけられた名前だが、近年の研究で、モレーン(氷河の堆積物)でなく、周囲の岩山の土砂崩れで溜まった落石が、水をせき止めてできた湖であると判ったらしい。
モレーン湖はその周囲をテンピークスと呼ばれる峰々に

囲まれて、湖面は静かであった。まさに、山あいに眠る、神秘の湖のいでたち。レイク・ルイーズの華やかさに比べて、この湖は静かで素朴であった。
湖の左岸にそびえる十峰の向こうには、この湖畔からは見えないけれど、万年雪の降り積もるウエンクチュムナ氷河が広がっている。
秘宝「レイク・モレイン」
テンピークスの峰々の向こうには氷河が広がる →
やがて一陣の風とともに、「まぁ〜、夢みたい!」と感嘆の日本語。お友達のご到着である。「あらッ、お兄さんたち、早かったわねぇ」、「いやぁ、お嬢さんたちこそ、皆さんを乗せて、よくバスがこの坂道を登ってきましたねぇ」といった親しい(?)挨拶を交わしながら、章くんたちは、カナディアン・ロッキーの秘宝「レイクモレーン」に別れを告げた。
カナディアン・ロッキーの真髄を走る
アイスフィールド・パークウエイが、途中でエドモントン市の方へ分かれる分岐点に、その名も「
クロッシング(交差点)」なるサービスエリアがあった。ここでランチ・バイキング。
章くんはこのサービスエリアのトイレで、コンド−君の自動販売機を見つけた。1個1カナダドルである。「こんなもの売ってた」と3cm四角で厚さ5mmほどの紺色の箱を隊長に見せると、「俺も買ってくる」と出かけた。
手にしてきた箱を見るとピンク色である。自動販売機は1台しかなかった。何が違うのかとよく見ると、章くんのはLと書いてあり、隊長のはSである。「機械が買う人を見てサイズを判断するのかなぁ」と言うと、「そんな馬鹿なことはない」と隊長はガンバル。結局、どうしてLやSの区別がなされて出てくるのか判らなかった。カナダサイズのLが、いかなる偉大さであるかもまだ判らない。こいつを使う勇気が、章くんにはまだない。
クロッシングを出て間もなく、岩山の光景が続く車の左手に、雪の大平原が見えてきた。山々の向こう、
コロンビア大氷原から流れ出ている
、アサバスカ氷河の先端が姿を現したのである。
コロンビア・アイスフィールド(大氷原)は、3745mのコロンビア山とその周辺の峰々との間に降り積もった雪が、解けることなく堆積されて底部から氷となり、現在では厚さ数百メートル…。その氷が325平方kmに渡って広がる大氷原である。ここで生まれた氷は、太平洋・大西洋・北極海の北米大陸を囲む3つの太洋へ

と流れ出る、大陸分水嶺である。1万年ほど前までの氷河期のころ、北米大陸を広く覆っていた氷河は、今はこれらの高山地帯でしか見られない。地球は確実に暖かくなってきているのである。
アイスフイールド・センターからシャトルバスで3km、そこで
「スノー・コーチ(雪上車)」に乗り換えて、アサバスカ氷河の上を2.5kmの地点まで進む。その辺りの氷の厚さは約300m。雪上車から降りて私たちは氷河の上を歩いた。
表面に積もった5pほどの雪を掻き分けると、その下の氷が現われる。氷の色は、透き通るようなブルーであった。
観光客を氷河の上まで運んでくれる
スノー・コーチ(雪上車、パンフレットより)→
氷河が1年間に移動する距離は先端で15m、回転部分で25m平均すると20mほどであるとか。章くんたちが

立っているこの部分は、アサバスカ氷河が流れ出している地点から、3.5kmぐらい下流だから、この足の下の氷は流れ出してから175年ほどが経っていることになる。この氷がコロンビア大氷原で誕生してからと考えると、もう数万年の年月が流れているのだ。
↑コロンビア大平原(アイスフィールド)のアサバスカ氷河
2.5km地点のここまで雪上車で来ることができる。中央が氷爆、その向こうに大氷原が広がる。
章くん、「ちょっと、小便がしたくなってきたので、氷河の隅っこへ行ってくるわ」と言うのを、隊長が聞き、「この氷河が先端まで達するのにあと100年ぐらいかかる計算や。そこで溶けた場合、そのころの進んだ科学でDNAを鑑定され、章くんの小便

やと突き止められるぞ。世紀を超えた末代までの恥やないか! やめとけ、俺もガマンしとるンや」と制止されて、世紀の小便は中止となった。
氷河の半ば。雪上車から降りて、氷河の上を歩く。
クレバスが口を開けているところもあって危険!→

このタイヤ1本60万円→
感動のアイスフィールドに別れを告げて(もちろんセンターで用も済ませて)、章くんたちはさらに北上を続け、今夜の宿泊地ジャスパーを目指す。
このあたりは、コロンビア大平原から流れ出た氷解水が流れ出始めたところで、河川の最上流部である。ところが、道の傍らを流れる河川の川幅は数百メートルとただっ広く、その広い川床の中を、水流はあるときは数本に分かれる小さな流れとなり、またあるときは一つに合流してゆったりとした大きな流れになる。広い川幅の中のところどころに、数十本から数百本の木々が繁る林があって、水はその林の中をも自由奔放に悠然と流れていく。
「川って、上流は狭い川幅で、ゴツゴツした石の間を急流が流れ下る…と、理科で習わなかったか」と、章くん、広い川床を悠々と流れる最上流部を見ながら、初等教育に疑問を投げかける。
走ること30km。流れは大きくなり、数十メートルの川幅を満たす流れになった。やがて、
アサバスカ渓谷でこの流れは、一気に両側にそそり立つ岩礁の数メートルの隙間に集められ、轟音とともに岩の間を崩れ落ちる。飛び散る水の飛沫が、色づいたダテカンバの葉を濡らして、その赤色をひときわ鮮やかに際立たせていた。
今夜の宿泊地
ジャスパーにたどり着いたのは午後8時過ぎ。町の入り口の小さなモーテルに飛び込んで部屋を取り、夕食を兼ねて町

の散策に出かけた。
ジャスパーはバンフと並ぶカナディアン・ロッキー探訪の拠点。この町に鉄道が敷かれたのは1914年とかなり遅く、現在も町の人口は5600人ほどの小ささ。市街地は歩いて一回りしても2時間もあれば十分の小ささである。それだけに、この地にはカナディアン・ロッキーの自然が色濃く残っている。
← ジャスパーの町はかわいい。ここはメインストリート
ジャスパーの駅が見えた。12両ほどの寝台車や展望車を連結した列車が停っている。この列車、次の日の朝も停まっていた。カナダの鉄道の旅は、拠点の駅に長時間停車して、その街を観光したりホテルへ泊まったりしながら、大陸を横断するのだろう。
この町の日本料理店「
伝次郎」で、章くんたちは味噌味の寄せ鍋とマグロの刺身を食べた。
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